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通販レコード→米ダーク・レッド銀文字盤
米国移住後は指揮をする機会があまりなく、録音も僅か。 ― シューマンのクライスレリアーナ(クライスラーについて)は、E.T.A. ホフマンの小説「牡猫ムルの人生観」などに登場する、ジークハルツヴィラーの宮廷楽長ヨハネス・クライスラーに他ならない。ブルーノ・ワルターによるマーラーの回想で、「これはまさに、ホフマンの小説にあるヨハネス・クライスラーがこの世に現れたかのようであった」と述べている。衒学的な牡猫ムルの人生観と、狂気にとらわれんとするクライスラー、篤実だったり頓狂だったり豹変するアブラハム師の謎、「目に見えない少女」ヒアラの数奇な運命、清純なユリアの将来などなど、めまぐるしくも個性的な人々の姿。気まぐれで、風変わりで。傷つき易いくせに、皮肉屋で、時に暗鬱に陥るけれど、次の瞬間には冷笑を浮かべている。まさに、ヨハネス・クライスラーの風貌である。狂えるクライスラーの運命こそ知ることはできないけれど、今ひとたび彼の姿に接することが出来て大変嬉しい。ワルター・ギーゼキングでも、ワルター・クリーンでもなく、ブルーノ・ワルターはピアニストとしての録音もあり、さすがに商用録音でアメリカに渡って苦労を重ねていた頃に旧友と会って安心したかのような暖かい演奏を聴かせてくれる。1952年7月2日、カリフォルニアの自宅での演奏を録音した、ブルーノ・ワルター協会盤。シューマン「クライスレリアーナ」、ヨハン・シュトラウス「ウィーン気質」「ウィーンの森の物語」、シューベルト「楽興の時」、ショパン「ノクターン」、バッハ「前奏曲とフーガ」の他、メンデルスゾーンを演奏している。ワルターのピアニストとしての録音は少なくない、ロッテ・レーマンのシューマンの歌曲集「女の愛と生涯」を1941年6月24日に、「詩人の恋」を同年8月13日にロスアンジェルスで録音したピアノ伴奏を務めている他、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(1937年録音)を弾き振りして、デモーニッシュな気迫と美しさをたたえた演奏を聴かせる腕前だ。「ワルターは温厚、穏和」と評されているのを鵜呑みして、こうした演奏を聴くと自分がもっている温厚の尺度に混乱する。「ブルーノ・ワルター(ピアノ、指揮)」とクレジットされていたのは誤記で別の誰かの演奏ではなかったかとまで思うものである。ワルターは曲の解釈上でピアニストの演奏に対しては厳しい一家言を持っていたようである。
数多くの優れた音楽家が、ナチス・ドイツの暴挙を嫌い、憤怒の涙を流しながら、ヨーロッパからアメリカに亡命した。フルトヴェングラーと並び称されたドイツの大指揮者、ブルーノ・ワルター( Bruno Walter, 1876年9月15日〜1962年2月17日)もそのひとりである。一度も来日しなかったのに、今もなお日本で最もファンの多いワルターはグスタフ・マーラーに才能を認められ、20世紀初頭にウィーンとミュンヘンの宮廷歌劇場で名をあげた。ナチス台頭後もしばらくヨーロッパにとどまっていたが、1939年に渡米、ニューヨーク・フィルの音楽顧問を務めた。レコーディングの仕事には戦前から積極的に取り組んでおり、1930年代のウィーン・フィルとの録音は絶品と評されている。戦後、ヨーロッパの楽壇に復帰し、ウィーン・フィルなどを指揮。心臓発作で倒れてからは演奏会の数も少なくなり、彼が作り出す音楽をステレオ録音で遺すために組織されたコロンビア交響楽団とのセッションに専心し、1962年2月に85歳で亡くなった。クラシック音楽を聴きはじめた人の前に、モーツァルトやベートーヴェンの作品の指揮者としてブルーノ・ワルターの名前を覚えることになる。ワルターはアメリカのオーケストラに多大な影響を及ぼした最重要人物の一人である。彼はヨーロッパのオーケストラにある熟成された深みのある響きを、アメリカのオーケストラを使って自分なりのやり方で練り上げた。ニキシュ、マーラー、トスカニーニがアメリカに遺した足跡は確かに偉大だが、豊潤な音楽をもたらした使徒ワルターの功績はそれ以上にある。芯からエネルギーに満ちた音楽でさえ、オーケストラの歌わせ方が実にしなやかで、繊細な響きはどこか妖しさをたたえている。温厚な男らしさでオーケストラを束ねたのはブルーノ・ワルター唯一だ。しかし温厚とは女々しいことではない。尤も、1930年代の名録音はワルターが60歳前後であり、戦後のコロンビア交響楽団と一連の録音を行ったときは80歳になっていた。天才は凡人の想像を超えるものとはいえ、それにしても音楽家としての器がよほど大きく、そして芯の部分が柔軟であってのことだろう。しかし、当の本人は「私の関心は、響きの明晰性よりもっと高度の明晰性、即ち音楽的な意味の明晰性にある」とか「正確さに専念することで技術は得られるが、技術に専念しても正確さは得られない」と述べているように、音楽的な「明晰性」と「正確さ」を得るためであればアポロンにでもディオニュソスにでもなれる人だった。しかも老人の音楽にならず、アンサンブルの強靭さ、柔軟さ、懐の深さ、いずれの面でも不足はない。その響きは若木ではないが枯れ木でもない。今が聴き頃と言うべき円熟した音楽の実りがここにある。強さだけでなく大きさを増していくようなこの指揮者の求心力がオーケストラの響きの隅々に行き渡っている。
1952年7月2日カリフォルニア、ワルターの自宅でのモノラル録音。自家盤。
US BWS BWS-807 ワルター シューマン・クライスレリアーナ
US BWS BWS-807 ワルター シューマン・クライスレリアーナ