34-14676

商品番号 34-14676

通販レコード→米ラージ・エンジェル・セミサークル銀文字盤

多感なお子さんにおすすめです。 ― 新型コロナウイルス禍の今、子どもたちの発言には大人が思いもよらない視点を含みにあって驚きますが、熊本地震の時も同様でした。熊本地震は入学式が済んだばかりの時に起こりました。校舎は破損して、新学期の授業も仮説の教室で受けました。その経験を持つ子どもたちが再び新型コロナウイルス禍を試練とする自体になりました。彼ら彼女らは〝奇跡の世代〟です。プログラムが授業に組み入れられるとされていた今年、リモート授業を体験できる環境になって、必ず新鮮な才能が育ってくることでしょう。クラシック音楽こそ、十代の感性で聴いてほしい。ダイナミックな音響、感情表現を体感できることは心を作る。静かな森の不思議、恐ろしい自然と共存する日常、そうしたものは言葉では決して説明できるものではありません。その時はそういうものかと聴いているだけであっても、成長してから強烈な印象を持って思い出す音楽になるはずです。プロコフィエフはロシア革命後にアメリカに渡り、その後パリに行き、その間の20年ほどの海外生活で近代のモダンな作風を確立した作曲家だったが、そのプロコフィエフが望郷の念の高まりから、革命後のロシア、すなわちソビエト社会主義連邦への帰国を決意したのが1933年だった。児童のための音楽物語《ピーターと狼》は、こうして故郷に帰り着き、折からの音楽芸術に対する社会主義リアリズム礼賛と大衆化路線の波に遭遇した作曲家が、〝わかりやすい音楽〟を目指していた時期の作品。弦楽部と一管編成とホルン三本、弦楽四重奏で男の子を表し、鳥はフルート、アヒルはオーボエ、猫はクラリネットで低音域のスタッカート、おじいさんはファゴット、狼は三本のホルンで演奏される。 緑の牧場の男の子、猫が小鳥を狙い失敗、森から狼が出てきて、アヒルを呑む、男の子は小鳥の助けをかりて狼と闘う、かけつけた狩人たちと男の子と小鳥と猫が、アヒルを呑んだ狼を動物園に連れていく行進、という展開になっている。1936年に作曲されている。《ピーターと狼》はスターリン文化に特有のモチーフを含んでいるにもかかわらず、欧米の国々で非常にポピュラーな作品になりました。ロシア民話をベースにしているが、音楽の進行に合わせて語られる台本は、作曲者自身によって書かれており、これを子供向けの軽い音楽とするのは、ヤナーチェクのオペラ「利口な牝狐の物語」を子供向けとするのと同じ事です。プロコフィエフは、色彩感あふれるメロディーに、時にはワルノリともいえるような素晴らしい才気を有しています。ヤナーチェクとプロコフィエフ、この二者の共通点としてわかるかと思います。つまり極力メロディーの無駄を排しようという感覚です。そして、各キャラクターに与えられたあまりにぴったりで見事なメロディー、そしてそのメロディー一つ一つが関係し合って、この作品世界を形成する見事さ。ピーターの主旋律だけでも、なんと可憐で純粋なのでしょう。子どもの目線からだけではない大人たちの様子、狩人のメロディーの、最後の行進曲部分での見事な展開。最後のおじいさんのぶつぶつ怒りながらも「まんざらでもない」というユーモラスな表情。このカラヤン盤は大変な世界をもっていて、プロコフィエフの深遠で才気にあふれる世界を再現しています。小品に対しても決して手を抜かないヘルベルト・フォン・カラヤンの魅力が再認識できる1枚です。広大なロシアの大地。夜明けの光の中、たたずむ一人の少年。プロコフィエフの傑作をさらにカラヤンが磨きをかけた名盤。最もアブラの乗っていた時代のカラヤン珠玉の1作。カラヤンは1956年12月にロンドン、キングズウエイホールで、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して録音している。彼らのコラボレーションとして、ホルン奏者のビッグネイム、デニス・ブレインとの最後のセッション録音。特に彼らは、愛車シトロエンとフェラーリを乗りかわす仲だったというエピソードがある。
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ピオネールの少年ピーターは、牧場に建つお爺さんの家に住んでいます。ある日ピーターは家から牧場に駈け出していきますが、庭の戸を閉め忘れてしまいます。すると庭で飼っていたアヒルが逃げ出して外の池で泳ぎ始め、アヒルは小鳥と言い争いを始めます。「飛べない鳥なんているのかい?」、「泳げない鳥なんているのかい?」。そこにピーターのペットの猫が忍び寄っていきますが、ピーターが声を掛けたために小鳥は木の上に、アヒルは池の中央に逃げます。お爺さんが出てきて、ピーターが一人で庭の外に出たことを叱ります。「狼が森から出てきたらどうするんだ?」。ピーターは「僕のような男の子は狼なんて怖くないんだ」といいますが、お爺さんはピーターを家に連れ戻し、戸を閉めます。そこに、大きな、「灰色の狼」が森から姿を現します。猫は素早く木の上に駆け上がって難を逃れ、アヒルは慌てて池を出て逃げますが、狼に追いつかれ、とうとう飲み込まれてしまいます。たいへんだ。ピーターはロープを持ち出すと、庭の塀を上って小鳥に話しかけ、狼を捕まえる「作戦」を伝えます。小鳥が作戦通りに狼の鼻先を飛び回っている時に、ピーターがロープの結び目で狼の尻尾を捕えます。狼は逃れようとしますが、ピーターがロープのもう一方を木に結びつけたため、結び目が締まっていく一方で逃げることができません。そこに狼を追ってきた数人の狩人が銃を持って登場します。狩人たちは狼を撃とうとしますが、ピーターは狼を動物園へ送ってもらうことにします。さあ、動物園に向かうピーターの勝利のパレードが始まりです。行列の先頭はピーターで、それに狼を引く狩人、猫、文句をこぼし続けるお爺さんは、「狼を捕まえられなかったらどうなってたと思うんだ?」とぶつぶつ。行列の最後に小鳥が続きます。ちょっと待って、「耳をすまして下さい。アヒルが狼のお腹の中で鳴いているのが聞こえるでしょう。狼は慌てていたので、アヒルを生きたまま丸呑みしてしまったのです」とナレーションが語ってこの物語が終わります。プロコフィエフはあらゆるジャンルの作品を作曲していますが、交響的物語《ピーターと狼》は、モスクワで設立された中央児童劇場(Moscow Children’s Music Theater)のナターリャ・サーツから着想を得たものといわれています。プロコフィエフは1918~1922年はアメリカで、1922~1936年の間はパリで、そして1936年以降は再びロシアの楽団に復帰して平易なスタイルー新古典主義を標榜していたので、作品は簡素で明快、また子供向けの作品ということもあって、大衆性を持った分かりやすいものになっています。この作品では登場人物がそれぞれ ― ピーターは弦楽合奏、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、猫はクラリネット、お爺さんはファゴット。そして3本のフレンチホルンで狼を、猟師の撃つ鉄砲はティンパニやバスドラムと、オーケストラの楽器で演奏されています。プロコフィエフは1904年からペテルブルク音楽院で本格的に音楽を学びますが、早熟な彼にとって学ぶべきものは多くはありませんでした。初期の頃はスクリャービンの神秘主義やニコライ・ロスラヴェッツ、アレクサンドル・モソロフなどのロシア・アヴァンギャルドの作曲から影響を受けた前衛的な作品が多く、「古典交響曲」(1917年)を作曲してアメリカに亡命を決意してからは「新古典主義」と呼ばれた作品群を多く作曲しますが、帰国してからはロシアの伝承音楽と自己の音楽との融合を図り、自らの音楽の中にロシア音楽を採り入れて作品を発表していきます。
1938年にプロコフィエフがハリウッドを訪れ、ウォルト・ディズニーに会ってからまもなく制作が開始され、《ファンタジア》(1940年公開)に含まれる予定だったと考えられています。プロコフィエフとディズニーの正式な契約は1941年2月に行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦するその年の12月までに絵自体は完成していたという説もありますが、1946年公開のディズニー・アニメ短編集まで待たされることになります。さて、1950年代にはLPレコードへ、1980年代にはCDへと媒体を変えながら、《ピーターと狼》の録音は、今日までさまざまな指揮者、オーケストラ、多様な著名人の朗読によって行われて続けています。その数は、これまでに400もあるとされます。
今では日本語によるナレーションが学校教育の現場では当たり前になってしまった児童のための音楽物語《ピーターと狼》だが、じつは、録音・編集技術の制約もあったためか、LP最初期の昭和30年代前半には英語版のままでの発売が通常だった。《ピーターと狼》のはじめての録音は、1939年にアメリカで行われました。リチャード・ヘイル朗読、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団によるもので、まだ片面に5分程度しか入らないSPレコードの時代で、狼を動物園に連れて行くんだよと宣言するピーターの部分だけになっています。次なる録音は、1940年、フランク・ルーサー朗読、アレグザンダー・スモーレンズ指揮、デッカ交響楽団の演奏で、デッカから発売されました。次いで、1941年にコロンビアから出された、ベイジル・ラスボーン朗読、レオポルド・ストコフスキー指揮、オール・アメリカン・オーケストラの録音があります。これらの1940年前後の3つが、歴史的に貴重な最初期の録音です。《ピーターと狼》の録音についてまとめたマイケル・ビールのエッセイによれば、これら3つの後はしばらく録音が行われず、1950年のエレノア・ルーズヴェルト朗読、クーセヴィツキー指揮、ボストン響。1956年のジェラール・フィリップによるフランス語での朗読、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、ソ連国立交響楽団。1952~55年に録音され、チャイルドクラフトから発売された「子どもへのクラシック案内」でユーゴー・ペレッティ楽団と共演したボリス・カーロフは、1957年、マリオ・ロッシ指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の録音でも朗読をつとめ。ステレオ録音したカラヤン盤以降、1957年、シリル・リチャード朗読、ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。1960年、レナード・バーンスタイン朗読、バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック。1962年、アレック・クルーンズ朗読、ロリン・マゼール指揮、フランス国立管弦楽団。1965年、ショーン・コネリー朗読、アンタル・ドラティ指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。1969年、ピーター・ユスティノフ朗読、イーゴリ・マルケヴィチ指揮、パリ管弦楽団。1974年、カール=ハインツ・ベーム朗読、カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1975~77年、デヴィッド・ボウイ朗読、オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。1979年、ジャクリーヌ・デュ・プレ朗読、ダニエル・バレンボイム指揮、イギリス室内管弦楽団とLPレコード世代がよく知る録音が続きます。
カラヤンは1949年にウィーンの演奏会で《ピーターと狼》を指揮しているようです。文部省の必修教材になったこともあって、日本語版が登場したのは昭和33年11月新譜の芥川比呂志(オーマンディ指揮)の日本コロムビア盤あたりから日本語ナレーションは坂本ですが、互いに見事に、言うまでもなかろうが、帝王カラヤンと九ちゃんが実際に録音現場で共演したわけではない。当初はイギリスで出た英語のナレーション(語り手=ピーター・ユスティノフ)入りヴァージョンが1961年6月に発売された。英国発売盤の元になったカラヤンの演奏だけのオリジナル録音を利用し、東芝レコードが日本語のナレーションを別箇にスタジオ収録し、両者を合体して新たな日本語版《ピーターと狼》として1965年12月に大々的に再発した。ナレーションを女優のロミー・シュナイダーが担当した『ピーターと狼』で、ジャケットにはツーショット写真が掲載されていた。カラヤンが1981年に来日した時に、そのドイツ語版LPである。サインを貰おうと持参したドイツ盤レコードを見るや“この女性にプロポーズしたが、断られた”とニヤリ。シシーは帝王を袖にしていた
オーストリア生まれの大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908〜1989)はその魅力的な容貌と優雅な身のこなしでたちまちにして聴衆の人気をとらえた。たんにこの点から言ってもその人気におよぶ人はいない。しかも彼の解釈は何人にも、そのよさが容易に理解できるものであった。芸術的に高度のものでありながら、一種の大衆性をそなえていたのである。元来レパートリーの広い人で、ドイツ系の指揮者といえば大指揮者といえども、ドイツ音楽に限られるが、カラヤンは何をやってもよく、その点驚嘆に値する。ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をオーケストラピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおけるイギリスEMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。そこには、EMIがドイツものだけでなく広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。この時期に録音した、オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。〝ベルリン・フィルを使って残しておきたい〟というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、〝美〟がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。そして、1976年にはウィーン・フィルから歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、レコード録音に対して終生変わらぬ情熱を持って取り組んだパイオニア的存在であり、残された録音もSP時代からデジタル録音まで、膨大な量にのぼります。その中でも、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との結び付きがいよいよ強固なものとなり、続々と水準の高い録音が続々と行われた1970年代は、カラヤンの録音歴の中でも一つの頂点を築いた時代といえます。ヨーロッパの音楽界を文字通り制覇していた「帝王」カラヤンとベルリン・フィルと、ドイツでの拠点を失ってしまった英H.M.V.の代わりとなったドイツ・エレクトローラとの共同制作は、1970年8月のオペラ『フィデリオ』の録音を成功させる。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏は、ヘルガ・デルネシュ、ジョン・ヴィッカースの歌唱を引き立てながら繊細な美しさと豪快さを併せ持った迫力のある進め方をしています。有名なベートーヴェンのオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。カラヤンは1972~76年にかけてハイドンのオラトリオ『四季』、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』、さらにベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』という大曲を立て続けに録音しています。ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルをオーケストラ・ピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおける英EMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。英EMIがドイツものだけでなく、レパートリー広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。ベルリン・フィルの魅力の新発見。そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。カラヤンのレコードでは、芸術という大目的の下で「人間味」と「完璧さ」という相反する引き合いが、素晴らしい相乗効果を上げる光景を目の当たりにすることができる。重厚な弦・管による和声の美しさ、フォルティシモの音圧といった機械的なアンサンブルの長所と、カラヤン個人の感情や計算から解き放たれた音楽でもって、音場空間を霊的な力が支配しており、聴き手を非現実の大河へと導く。
  • Record Karte
  • 音楽部分を録音したのは、1956年と57年にロンドンで行われた二度のセッション。キングズウェイ・ホール、ロンドン(1956.12.22)、アビー・ロード第1EMIスタジオ、ロンドン(1957.4.28)
  • US ANGEL S35638 ヘルベルト・フォン・カラヤン プロコ…
  • US ANGEL S35638 ヘルベルト・フォン・カラヤン プロコ…
プロコフィエフ:ピーターと狼/L.モーツァルト:おもちゃの交響曲 他
坂本九
ワーナーミュージック・ジャパン
2013-01-23

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