34-7859
商品番号 34-7859

通販レコード→蘭プラム銀文字盤
自殺を乗り越えたベートーヴェンの精神が、こんな明るい曲を作らせた。 ― 私たち音楽ファンがブルーノ・ワルターを身近に思えるのは、引退後に行われた一連のステレオ録音のお陰である。膨大なレパートリーをデジタル全盛の現在でも十分通用する音質で楽しめる至福には、天に感謝せずにおけない。第2次世界大戦が終結し、ゲシュタポに逮捕される寸前のタイミングで財産も置き去りに演奏会の途中で楽屋裏から逃れることで、ナチス・ドイツの迫害を避けてアメリカへ渡っていたワルターが戦後の平和の到来により精力的に活躍を続けた彼が演奏会から引退した後、落ち着きを得てロサンゼルスで録音に専念した1959年初頭の録音。ワルターとオットー・クレンペラーのレパートリーはモーツァルトとマーラーの音楽が大きな柱の一つになっている。周知の通り、ともにユダヤ人であるワルターとクレンペラーはマーラーの直弟子にあたり、マーラーを熱心に取りあげていた。ワルターの演奏は情緒的とされながら、音の出し方は似ている。ワルターは、ウィーン・フィルの楽員によく極端な対象を要求した。例えばモーツァルトの交響曲のピアニッシモのところで、オーケストラがまだ弾きはじめないうちに中断して、『皆さん、もう大きすぎます』と言うことがあった。また『フィガロの結婚』の序曲の練習では、やはりオーケストラが弾き始める前に中断して、『皆さん、もうテンポが遅すぎますよ』というのであった。こうしたことはワルターの個性というより、同世代の指揮者の特徴である。ワルターの演奏スタイルを簡潔な言葉で表すと、戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡ということになると思う。どれも魅力があるが、ニューヨーク・フィルとのモノラル録音では固まりとなってぶつかってくるような音は出さず、その出す音色は綺麗に磨き抜かれていることを強く感じる。ニューヨーク・フィルと言わなければヨーロッパのオーケストラの演奏だと錯覚しそうな仕上がりで、コロンビア交響楽団の明るくやや野太い音色はアメリカの機動力に優れたオーケストラのグラマラスなイメージというより、 ― 曲の全体としての流れを大切にしていて、録音するときも細切れに録音したりせず、1楽章を通して録音していたらしい。このワルターの芸術を残すために結成されたコロンビア交響楽団は当時のアメリカ在住の演奏家を選りすぐったもので、満足できるまでスタジオを使用することが出来たことも温厚なイメージの演奏の数々となったのでしょう。特定は難しいが曲により、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーも加わっているという。なお、モノラル時代にニューヨークで振ったコロンビア交響楽団の実体はニューヨーク・フィルで全く別物なのだ。 ― 一頃のハリウッド映画の音楽の響きがする。ワルターはポートレイトから受ける温厚な紳士のような印象で、その音楽を記録したレコード、CD。特にCDはかなりの割引感で受け止められているんじゃないかしら。一度で良いからSP盤で聴いて欲しい演奏家です。
戦後のワルターは1950、52、55、56、60年と大西洋を渡り、心の故郷ウィーン・フィルの指揮台に立った。現代とは異なる航空事情、老齢のワルターの健康状態を考えると異常な回数だということがわかる。しかし、その際に録音したモーツァルトの《25番》《40番》の2つのト短調シンフォニーでは、天才の奇跡の声が旧友同士の再会を祝すように嬉々と歌うのが聴こえてくる。アメリカ時代の金字塔は、トスカニーニ追悼演奏会の〈英雄〉である。亡命直後、1940年代はじめのNBC交響楽団を相手にした演奏では、オーケストラの迫力にワルターがついていくようでもあったが、トスカニーニ流の圧倒的な力と鉄の規律が行き渡っていたオーケストラに、ワルター流の愛を融合され遥かな高みに至っていた。百戦錬磨のはずなのに、この時期の特徴はワルターならではの全人類的な愛情が感じられる点にあろう。〈指揮台のワルターからは、全てを凌ぐような静謐さが漂ってくる。そして彼の顔には常に僅かな憂いの表情を湛えていた〉〈人間としてのワルターは善の化身であったが、人々に対しては何時もある種の距離を保たせていた〉とオットー・シュトラッサーは述べている。またワルターの指揮で〈魔笛〉を弾いたメトロポリタン歌劇場の楽員は〈彼は、どんなに情熱を燃やしても何時も寂しそうだった。パパゲーノのアリアでは涙さえ見せ、そして微笑し霊感に満ちた顔に戻った〉と語る。最晩年バンクーバーのオーケストラとリハーサルをするワルターの表情には、はじめのうちは人見知りしている様子が伺える。本盤の2曲は、ワルターのベートーヴェンの中でも最も美しい演奏といわれる交響曲第1番と交響曲第2番です。ワルターという指揮者がどれほど正確な譜読みをし、作曲者の意図に忠実な再現を心がけていたか ― ワルターのステレオ録音は全般に編成の小さなコロンビア交響楽団のサウンドの稀薄さや香りのなさ指揮者の内的な充実の不足が思われるが ― ベートーヴェンの音楽の解釈で、なかでも勇壮で美しい曲想をもつ「交響曲第2番」の第2楽章はワルターの芸術の一つの頂点を示すものであり、丹念に磨き上げられた大理石のような深みのある光彩を放つ気品ある演奏は長い間定評がある。ひとつ残念なのは、旧配置による本来のワルター・サウンドを味わえないことだ。せっかくのストコフスキー・スタイルの滑らかさを聴かせるステレオ録音なのに、ワルターには不似合いだ。ベートーヴェンの交響曲は9曲あるが、その演奏される回数を比べた場合、恐らく最も少ないのが第2番である。唯一無二と言い切りたいところだが、ワルターにとっては2回目の録音となり1回目はニューヨーク・フィルハーモニックを振って第1番は1947年に、第2番を1952年に録音している。交響曲第2番は1802年、ベートーヴェンの耳の病が進行し、もうほとんど聴こえなくなっており青春期からの目標だった演奏家として成功する夢が潰えたかに『ハイリゲンシュタットの遺書』を書いたが、ベートーヴェンは音楽の神様に対して誠実であり続けるのは、耳が聴こえなくなっても作曲し続けることだ、と悟って作曲家として挑戦する希望を持って書き上げた。暗い曲なのかというと、そんな遺書などというイメージとは、ほど遠い。恐らく、自殺を乗り越えたベートーヴェンの精神が、こんな明るい曲を作らせたのだろう。その記念すべき曲。あまり深刻で深遠な内容が表面に出ると失敗すると思うし、ここでワルターは青春の日の喜びと悲しみ、得意と落胆、優しさと厳しさをダイナミックに、しかし83歳の老境に至っている指揮者は「回顧」する形で理想的に描きつくしている。
ブルーノ・ワルター(Bruno Walter)は1876年ドイツ、ベルリン生まれの大指揮者。1962年没。ベルリンのシュテルン音楽院でピアノを学び、9歳でデビュー。卒業後ピアニストとして活動したが、後に指揮者に転向した。指揮デビューは1893年にケルン歌劇場で。その後1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグースタフ・マーラー(1860〜1911)に認められ決定的な影響を受ける。交友を深め、ウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)にもマーラーに招かれる。その後はバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。戦後、1947年から2年間ニューヨーク・フィルの音楽顧問を務めたほかは、常任には就かず欧米で精力的に活躍を続けたが、1958年に心臓発作で倒れてしばらく休養。1960年暮れにロスアンジェルス・フィルの演奏会で当時新進気鋭のヴァン・クライバーンと共演し、演奏会から引退した。80歳を越えた晩年のワルターは米国は西海岸で隠遁生活送っていたが、米コロンビア社の若き俊英プロデューサー・ジョン・マックルーアに説得されドイツ物中心にステレオ録音開始するのは1960年から。日本の北斎に譬えられたように、まさに80歳にして立つと言った感じだ。録音は穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような独特の味わいがあります。ベートーヴェンも、巨匠ワルターの芸風に最もしっくりと馴染む作曲家の1人だったように思う。しかしアルトゥール・トスカニーニの熱情や烈しさ、ウィルヘルム・フルトヴェングラーのような即興性を持たなかったし、テンポを誇張するスタイルでなかったが抒情的な美しさと気品で我々聴き手を包み込み、活気に欠けることはなかった。こうした特徴は数多く存在するリハーサル録音耳にすると判りますが、少しウィットに富んだ甲高い声で奏者と自分の間の緊張感を和らげ、その反面集中力を最高に高めるという共感を持った云わば対等の協力者として通したこと独裁者的巨匠が多い中で稀有な存在であったのでは無いか、また、それがSPレコード時代に聴き手に、しっかりと伝わっていたのではないか。ウィーン・フィルでの〈パストラル・シンフォニー〉以来、評判と人気の源は、そこにあったかと想像できます。ワルターのスタイルは低音域を充実させたドイツ・タイプの典型的なスタイルで、ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたスケール感豊かな名演を必然的に産む。こうしたスタイルを86年の生涯最後まで通したワルターは凄い才能の持ち主だったことは明らか。なにかと戦前の演奏をSP盤で聴いてしまうとニューヨーク・フィル時代、ステレオ時代のワルターは別人に思えてしまうのです。コロンビア交響楽団時代がなければ埋もれた指揮者に成ったかもしれないが、ワルターの変容ぶりには戸惑わされる。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
第1番は1959年1月5、9日、第2番は1959年1月5、6、8、9日ハリウッド、アメリカン・リージョン・ホールにてジョン・マクルーアがプロデュースしたステレオ・セッション録音。
NL PHIL A01473L ワルター ベートーヴェン・交響曲1番…
NL PHIL A01473L ワルター ベートーヴェン・交響曲1番…