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力で押す演奏ではなく、美しい音色と穏やかなフレージングが生きた演奏だ。 ― ルーマニア生まれの名ピアニスト、クララ・ハスキルは、その名がレコード史上に永遠に残る人です。パリ音楽院でフォーレとコルトーに学び、のちにブゾーニの薫陶を受けた彼女は、若いときからイザイ、エネスコなどの名ヴァイオリニストとの二重奏で、ベートーヴェンの演奏を得意としていました。アルテュール・グリュミオーとハスキルとの出会いは1950年、ふたりがプラードの「カザルス・フェスティバル」に共に参加し、ベートーヴェンのソナタ第10番を演奏したときに始まります。幼い頃ヴァイオリンのリサイタルを開いたこともあるハスキルとピアノにも堪能だったグリュミオーは、このベートーヴェンの録音の合間にも、互いに楽器をとりかえて楽しんだといわれています。これは、わが国でよくいわれる「即興的な演奏」というのとはちょっと別のことで、そこに、「創造の風」「創造の息吹」が通っている。晩年のハスキルは、グリュミオーとの二重奏でヨーロッパ中の評判をとりましたが、現在レコードで聴けるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲とモーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、このふたりの創り出した永遠の至宝です。1956年9月、12月、1957年1月、9月にセッション録音された。ヴァイオリンは澄み切った青空を思わせるような伸びやかで透明感があり、しかも暖かみのある艶やかなラテン系の音色で、でも、ハスキルの瑞々しいピアノと調和していて聴いていて心地良いのではないでしょうかしらね。親密な味わいにみちたこの録音からは、そうしたふたりの演奏者の幸せな一体感が暖かい音となって感じられます。こういう演奏だから、また聴いてみたいと思わせるのではないでしょうか。ステレオで再録音していたら、とは惜しまれること無い、敢えてこのモノラル録音の「ヴァイオリン・ソナタ全集」をチョイスする理由が著しく低下してしまうことは起こらないものでしょう。このオランダPHILIPSの有名な名盤になったハスキルとグリュミオーによるベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ全集」は、CD時代になって同じくオランダのBRILLIANTからライセンス発売されている。1956年から1957年というモノラル最後の時期のセッション録音ということもあって、質感・レンジ感には十分なものがあります。ハスキルが残したレコードの、曲目の偏りが気になるかもしれません。モーツァルトの協奏曲は19,20,23,24番に集中している。ベートーヴェンだって3番で、名前をよくきく皇帝協奏曲や月光だのニックネーム付ソナタも揃わない。この一因としては彼女が生来体力、健康に自信のある方ではなかったからだろうが、LPと同時代のピアニストが登場してくるステレオ録音が本格化するのが間近。ハスキルは、いうまでもなく、それ以前の人なのである。ベートーヴェンのソナタも力で押す演奏ではなく、美しい音色と穏やかなフレージングが生きた演奏だ。本盤は、その全集から名前付きの名曲2曲、「春」と「クロイツェル」を選んでカップリングしたものです。モノラル時代のグリュミオー+ハスキル盤は、ステレオ時代のジノ・フランチェスカッティ+ロベール・カザドシュ盤、ダヴィッド・オイストラフ+レフ・オボーリン盤などと並び、これらの作品の最もスタンダードな演奏として長く聴き続かれてきた名演奏です。
ヴァイオリンのフランコ=ベルギー派を代表する名手として活躍したアルテュール・グリュミオーは20世紀を代表するヴァイオリニストのひとり。オランダPHILIPSに、あらゆるジャンルにわたってヴァイオリン作品を幅広く演奏・録音しており、そのどれもが高い水準にあるとされています。そのレパートリーは、バッハやヴィヴァルディといったバロック音楽の作曲家をはじめとして、モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスといった古典派やロマン派の協奏曲やソナタ、ヴィオッティの協奏曲、パガニーニの超絶技巧協奏曲や、その他の協奏作品、フランクやフォーレのソナタといった近代以降の定番やヴュータンのようなお国ものに加えて、ベルクやストラヴィンスキーのような20世紀の音楽までに及んでいる。特にモーツァルトの演奏には定評がありましたが、ベートーヴェンも同じウィーンの古典派、グリュミオーの滑らかなボウイング、ヴィヴラートがよくマッチしている。その持前の豊麗な美音と気品高い芸風により、早くから「モーツァルト弾き」としてその名を知られました。とくに1950年代のクララ・ハスキルとのデュオはヨーロッパ音楽界の評判となり、各地でリサイタルが開催されたほか、2枚のモーツァルト「ヴァイオリン・ソナタ集」とベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ全集」録音のLPレコードにより、世界にその名声を轟かすこととなりました。ヒューマンな心の歌を奏でるのをモットーとしていたグリュミオーのレパートリーの中核にあったベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ソナタ、三重奏曲は名盤です。ベートーヴェンの美質は、モーツァルトの天から降り注ぐみたいな美しさとは違う、もっと地に足がついた的な美しさだけど。交響曲第7番に代表されるような、気持ちのいいリズム感は独擅場だ。合わせて鼻歌でも歌いたくなる気持ち良いノリの良さもベートーヴェンの独壇場で、歌心いっぱいで優しさあふれたベートーヴェンのもう一面とのバランスがとれた彼の芸風の絶頂を聴く思いがする。グリュミオーは銘器ストラディヴァリウスの甘美な音色を充分に際立たせベートーヴェンの内に秘めたパトスを引き出すかのように繊細で優美な音楽を紡いでいます。典雅な雰囲気なのですが、決して上っ面的ではなく毅然さが保たれているのは流石と言うべきでしょう。グリュミオーのヴァイオリンの艶やかな美しさと端正でエレガントなスタイルで、それにハスキルのピアノがきわめて豊かな表現力が深い魅力を加えることになった素晴らしい演奏です。霊感に満ちた美しく感動的な演奏で今も人気の高い名ピアニスト、ハスキルの演奏が訴えかけてくるものは、作曲家の作品にこめた「創造の息吹き」の自然な流れである。自分の勝手気儘で何かをつけ加えろというのではなく、作品をして自ら語らしめるのを演奏の中核としている女流ピアニストの優美で繊細な演奏。ハスキルの弾くピアノの音色は、こころの奥深く、沁み入ってきます。伸びやかなグリュミオーのヴァイオリンと、それを支えるハスキルの輝きを押さえ気味のピアノが、絶妙のバランスを保っている。時折、それぞれの持ち味を十分に発揮してソロをとる場面が彩りを添えている。この二人の掛け合いはすばらしい。本盤は音楽ファンに忘れがたい感動を与えた彼女の、詩情に満ちた気品あふれる比類ない、ベートーヴェンの演奏を聴かせてくれる。モーツァルトのソナタと同様に文句なしである。
名指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニがロンドンのロイヤル・フェスティヴァルホールに、ショパンのピアノ協奏曲第2番のリハーサルのため訪れた時のことです。まだ時間も早くだれ一人いないはずの舞台で、一心にピアノをさらっているピアニストがクララ・ハスキルでした。彼が入ってきたことに立ち上がったこの小柄で、繊細すぎる精神のピアニストに対して、ジュリーニは「まず最初に何をしたらいいでしょう」と尋ねました。そこで、ハスキルは「では自分がまず全曲を弾くので、後で意見を言って下さい」と言ってショパンの協奏曲をオーケストラのパートまで全てを、最初から終わりまでピアニッシモで弾き通したのです。ジュリーニによると、ダイナミクス・レンジは狭いのだが、音楽に込められたあらゆる思い、情感が全て完璧に表現されていたそうで、それは正に奇跡のような体験だったと、後に自分自身の音楽体験の中の最高の出来事として述懐しています。
クララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895年1月7日〜1960年12月7日)は天賦の才に恵まれながら、病と闘いながらも演奏活動を続けた孤高のピアニスト。ルーマニア生まれで、芸術・文化の中心パリでピアノを学びました。若くて美しい天才的なピアニストが華々しく活躍する様を想像しますが、実は闘病生活を虐げられていたということです。病気との戦いは彼女の人生を大きく支配するものとなりました。病気に加えて、さらに第二次世界大戦はユダヤ人であるハスキルに過酷な運命をもたらしました。ナチスによるパリ侵攻がきっかけで、スイスを目指します。1941年の春、占領下のパリから非占領地区のマルセイユに向けて、国立管弦楽団のメンバーと共に逃避行の危険な旅を決行したのでした。夜、モンパルナスの駅を列車で出て、夜明け前にアングーラムでおりて、ほとんど徒歩で森の中を、ドイツの秘密警察の目をくぐり抜けてリモージュを経由してマルセイユに着いたのでした。そこで、知り合いの伯爵夫人の招きでリサイタルなどに出演していたのですが、ドイツの秘密警察に捕まるという事件に巻き込まれます。運良くドイツに送られるのを逃れたのもつかの間、偏頭痛と視力障害に悩まされることになります。そこで、彼女に治療を受けさせようと、スイスの友人たちが高額の医療費を負担し、パリから高名な外科医ダヴィド博士が秘密裡に呼ばれました。彼女の偏頭痛の原因は脳に出来た腫瘍でした。これを手術で取り除くという、大変な危険を乗り越えた3ヶ月後、彼女は演奏会に復帰しました。しかしドイツ軍がフランス南部まで占領すると、危険は更に身近なものになってきました。再度、スイスの友人たちが、彼女のためにスイス入国のためのヴィザをとれるよう奔走して、やっとたどり着いたのでした。というような彼女の生き様から、逃れられない運命に直面したときの人間の強さと孤独感を聞き取ることが出来ます。また、同じルーマニア出身のディヌ・リパッティとは深い友情に結ばれていたようです。スイスのレマン湖畔に身を落ち着けたハスキルの最大の保護者はヴェルナー・ラインハルトでした。彼が主催するヴィンタートゥーアの演奏会に招かれています。このスイスで、同郷のリパッティにも会い、彼の演奏会が開けるよう手を貸しています。しかし、そのリパッティの天才は若くして白血病に奪われてしまいました。多くの音楽家に故郷やキャリアの中断を余儀なくさせた、戦争が終わっても、スイスを立ち去ろうとはしませんでした。そうした晩年の演奏からは限界に追い込まれたときの人間の本当の友情、優しさを感ずることも出来ます。
アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921年3月21日〜1986年10月16日)はベルギーのヴァイオリニスト。ヴィレール・ペルワン(Villers-Perwin、ワロン地域のエノー州)で生まれた。労働者階級の出身だが、祖父の奨めにより4歳でヴァイオリンを学び、6歳でシャルルロワ音楽院に入り、11歳になるまでにシャルルロワ音楽学校のヴァイオリン科とピアノ科の両方で首席をとった。1933年ブリュッセル音楽院に進み、名教師アルフレッド・デュボワに師事。デュボアはウジューヌ・イザイの弟子にあたり、グリュミオーはまさにベルギーのヴァイオリン演奏伝統を一身に受け継いだ訳です。1949年にはグリュミオー自身も、そのブリュッセル王立音楽院のヴァイオリン科で教鞭を執った。パリに留学してジョルジュ・エネスコに入門もして、早くからその才能は認められました。第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで室内楽の演奏旅行を行なった。戦争でデビューは戦後になったが、その美しい音色と華やかで流麗な芸風は“ジャック・ティボーの再来”と言われ、戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、とりわけピアニストのクララ・ハスキルをパートナーに迎えて行なった演奏活動は「黄金のデュオ」と評された。実演に、LPレコードに活躍しましたが1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。ハスキルの没後、約20年間モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを録音することはなかった。1961年には来日も果たしています。グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、1973年に国王ボードゥアン1世により男爵に叙爵された。その後も持病の糖尿病に苦しめられながらヴァイオリンの指導を続けたが、1986年に心臓発作によりブリュッセルにて他界した。愛用したヴァイオリンは、グァルネリ・デル・ジェス:1744年製「Rose」。ストラディヴァリウス:1715年製「ティティアン(”Titian”)」、1727年製の「エクス=ジェネラル・デュポン(“Ex-General Dupont”)」も所有。ジャン=バティスト・ヴィヨーム:1866年製は「エクス=グリュミオー」として知られ、現在はジェニファー・コウが所有している。肩当ては、ドイツのGEWA社のModell ll を使用していた。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家が犇めき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から1960年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番(紙ジャケット仕様)
グリュミオー(アルテュール)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2004-03-24

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調 op.24『春』、第9番イ長調 op.47 『クロイツェル』。1957年1月2日~5日(5番)、1957年9月25日~27日(9番)ウィーン録音。
NL  PHIL  6580 032 グリュミオー&ハスキル ベート…
NL  PHIL  6580 032 グリュミオー&ハスキル ベート…