NL  PHILIPS  6514 366 プレヴィン  ヘンデル・名曲選
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NL PHILIPS 6514 366 プレヴィン ヘンデル・名曲選

ピッツバーグ響の饒舌ぶりに目(耳)を見張るととも、晩年の充実期にプレヴィンが到達した境地で、フィルム・スコアを手掛けるように楽譜が眼前に繰り広げられるようだ。 ― ヘンデルの音楽の明快率直豪放な性格からしても、大編成近代オーケストラ(ハーティ編)による「水上の音楽組曲」と組曲「王宮の花火の音楽」。こうした演奏は「ぜい肉だらけ」だが、これはこれでなかなか聴かせる。特に付録のエルガー編の序曲ニ短調はヘンデル離れのしたロマンティックな曲だ。プレヴィンの演奏は、あくまでも淀みのない流れと瑞々しいリズムが信条。ロンドン時代のプレヴィンこそ、若き日にジャズピアニストとして培ったリズム感と、ハリウッド映画の作曲を通して身に付けた音楽のわかり易さと手際良さ、そして指揮法の師であるモントゥー譲りのオーケストラを自在に操るテクニックとが一気に開花した絶頂期にあった。いかにも、この曲に相応しい爽やかなテクスチュアと無理のないテンポが心地よく、奇を衒ったところのない素直なフレージングがどこまでも続きますが、さりげなく施されている内声の絡み合いの充実ぶりに、プレヴィンの天才的な冴えを感じずに入られません。
何かの行事のために作曲される音楽を「機会音楽」と呼ばれます。「水上の音楽」は名前の通りイギリス国王の船遊びのために、そして「王宮の花火の音楽」は祝典の花火大会のために作曲された機会音楽です。演奏会で繰り返すことは作曲の目的にしなくて良い機会音楽であっても、出来上がった作品が素晴らしい音楽になることはあります。そして、このヘンデルの2つの音楽も、典型的な機会音楽でありながら、今やヘンデルの管弦楽作品を代表する音楽としての地位を占めています。ジョージ・フレデリック・ヘンデル( Georg Friedrich Handel )は、1685年2月23日生まれ。1759年4月14日没。ドイツ出身。バッハと並ぶバロック音楽後期の大作曲家であり、即興演奏の名手として名高いオルガニスト。ハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長時代に英国に行きそのまま永住する。オペラ、オラトリオを中心に、公開演奏という形を推進して現代の演奏会スタイルを開祖し定着させることに貢献した。スパイ大作戦『若返った女帝』のエピソードで、(未完)映画のワンシーンに現場付近の銀行の監視カメラビデオを昨日書きたかったことと通じるところですが、(未完)。
公開イベントを成功させるには意表をつく音響の演出が必須。水上の音楽はテムズ川に3艘の船を浮かべて、それぞれに弦楽と管楽、打楽器を載せて移動しながら奏で合わせたり、花火を上げたり。国王の宴遊となればロンドン中のオーケストラから名手を募ることは容易だ。花火職人のほか大工や技術者も力を貸してくれるだろうし、観覧しようと庶民が集ってくる。残されているのは筆写されたパート譜なのだから、実際のオーケストラの規模はわからない。ヘンデルのスコア上では当時の常套的な楽器編成で作曲されていただろうが、国王のオーケストラであれば遠慮なかっただろうし、ヘンデルの音楽自体が楽器編成や、その規模に左右されないものである。そこは同世代のバッハと異なるヘンデルの芸風だ。ドイツ語名はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル( Händel )。イギリスに帰化し生涯の約3分の2をイギリスで過ごしており、イギリスでの活動歴が圧倒的に長いことから、英語名でジョージ・フリデリック・ハンデルとかハンドル、或いはヘンドルと呼び、イギリスの作曲家として扱うべきとする意見もあり、少なくともイギリスでは英国の大作曲家として誇らしい存在に扱われているが、日本ではもっぱらドイツ名で知られドイツの作曲家として扱われるのが通例です。バッハと同じ郷里ですが、借金を踏み倒したり結婚詐欺をしながらイタリアでの活動の後、渡英する機会を得ます。バッハやヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェンにまで古楽器による洗礼を受けてそれが主流派となった今にあっては、モダン・オーケストラで演奏されたレコードは時代錯誤も甚だしい演奏ということになるのでしょうね。でも、そう言う時代錯誤とも言える華やかで濃厚な、まるでロマン派の管弦楽作品であるかのように響く、ヘンデルのこういう作品ではガチガチにアンサンブルを締め上げても良い結果は得られないでしょうから、これは適切なアプローチだったように思われます。それどころか、この演奏ではプレヴィンはヘンデルの持ち味である美しいメロディラインを際だたせるために、かなりレガートをかけた響きをオーケストラに求めていて、上品さを保った中でピッツバーグ交響楽団も伸びやかに演奏しています。
アンドレ・プレヴィンも出生名はドイツ名でアンドレアス・ルートヴィヒ・プリヴィン( Andreas Ludwig Priwin )といい、アンドレ( André )はフランス風の名乗りである。ベルリンのユダヤ系ロシア人の音楽家の家庭に生まれ、ナチス政権を逃れて一時期フランスで教育を受けた後、1938年から家族に連れられアメリカへと渡り、1943年に合衆国市民権を獲得した。10代の頃からジャズを演奏し、1940年代当時黎明期にあった初期モダンジャズのビバップスタイルに影響を受けたプレイで「天才少年」として注目されライオンのイラストが可愛いピアノ・トリオでのアルバム『キング・サイズ』( King Size, 1958年)、ダイナ・ショアと共演した『ダイナ・シングス、プレヴィン・プレイズ』( Dinah Sings Previn Plays, 1960年)、シェリー・マンとの『マイ・フェア・レディ』などが代表盤に挙げられる。キャリア初期のロサンゼルス時代にはハリウッドの大手映画会社 MGM 専属となり、多くの映画において映画音楽の作曲や編曲、音楽監督を務めている。彼のその多彩な活動の当初は映画音楽の分野において頭角を現し、4回ものオスカー賞を獲得する傍ら、1963年には指揮者としてもデビューします。『キス・ミー・ケイト』(1953年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973年)など時代の好みを反映させ、ハリウッドの著名人にはよくあるようにプレヴィンは結婚回数の多い人物であり、音楽家、男としての興味の衰えない姿を見せる存在だ。クラシック音楽の指揮者としては、その後アメリカ、イギリスのオーケストラ音楽監督を歴任し、着実なキャリアを重ね、管弦楽曲の演奏・録音が活動の中心であり、とりわけスラヴ系の音楽とイギリス・アメリカ近現代の音楽の録音で評価を得てきた。近年では、現在ウィーン・フィルを振って最もウィーン・フィルらしさを引き出させるなど、ウィーン・フィルとの間に厚い信頼関係を築きあげています。クラシック音楽における自作品としては、ウラディーミル・アシュケナージへの献呈作『ピアノ協奏曲』やハインリヒ・シフに献呈された『チェロ協奏曲』、2002年に当時の新妻アンネ=ゾフィー・ムターのために作曲した『ヴァイオリン協奏曲』、ジョン・ウィリアムズのために書かれジャズバンドも加わる1971年の珍しい『ギター協奏曲』、金管アンサンブルでは『金管五重奏のための4つの野外音楽』、また声楽のジャンルでは最初のオペラとなった『欲望という名の電車』(1998年にサンフランシスコにて初演)や歌曲集『ハニー・アンド・ルー』、室内楽では『オーボエ、ファゴット、ピアノのための三重奏曲』などが挙げられる。一方ではジャズ・アルバムも制作し、また自らが作曲を手掛けた新作のオペラを録音するなど今日最もアグレッシヴな活動を展開しています。
プレヴィンのアナログ晩年のデジタル録音での演奏だが、上手い。堂々と大柄、シンフォニックな演奏。「水上の音楽」が壮大に響き渡る。バロック音楽を、現代オーケストラで聴く楽しみを満喫できる演奏。古楽器や室内オーケストラのヘンデルを聴き慣れた耳には、ハミルトン・ハーティ編曲版は実に新鮮で面白い。1面3曲目の「エア」では、たっぷりしたテンポが感動的。プレヴィンは静謐で抒情的な音楽の運びで、じっくりと歌い上げてゆく。滔々と流れる川のようなスケール。音のダイナミクスも大きい。1面5曲目の「ホーンパイプ」では室内楽的な演奏を心がけている感じもある。ソロ楽器が入れ替わり出現して、その名技を楽しめる。終曲は壮大で爽快なオーケストラを楽しめる。プレヴィンの指揮する演奏は、息づかいが自然で無理がなく音楽が気持ちよく流れてゆく。作為が感じられずに、音楽そのものを楽しめる演奏になる。もちろん、聴かせどころではそれなりに工夫しているのだが、あざとくないので気持ちよく聴けてしまう。こと音楽を快適に聴けるということに関しては、この人以上の指揮者は誰だろうか。語弊覚悟で表現するとフィルム・スコアを手掛けるように楽譜が眼前に繰り広げられるようで、一見脳天気風な紙芝居にピタリとつけるピッツバーグ交響楽団の饒舌さとともに、指揮者プレヴィンの充実期の記録です。録音はフィリップスだけに、ホールトーンが豊か。ハミルトン・ハーティ編曲版にふさわしい、豊かなスケールで再現される名録音です。1982年10月、ピッツバーグのヘインズホールでのセッション、ステレオ・デジタル録音。初発は1983年。
NL  PHIL  6514 366 プレヴィン  ヘンデル・名曲選
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