34-5153

商品番号 34-5153

通販レコード→蘭シルヴァー黒文字盤 Digital Classics

モーツァルトは愛犬の名前を〝ビンベス〟と呼ぶ ― モーツァルトと母アンナ・マリアが1777年9月23日にマンハイムへと向かった旅は、新天地に活躍の場を求めた求職のためでしたが、どこの宮廷にも相手にされず、さらに向かった、パリは12年後に革命を迎えることを予見させるくらい、経済生活も混乱し始めていたようです。アンナ・マリアの手紙からも、物価高、暗い部屋とまずい食事、にもかかわらずとても高い料金などに対する不満が切々と綴られています。ザルツブルクのモーツァルト家では名前は「ビンベス」、愛称は「ピンペルル」という雌のフォックステリアを飼っていた。ナンネルは1777年9月28日付の手紙で《ピンペス嬢はなおずっと希望のうちに暮らしていて、半時間も門のところに立ったり座ったりして、あんたがたが今にもやってくるものと思っています。それでも彼女は元気で食べもし、飲みもし、眠りもし、ウンチもし、またオシッコもしています。》と弟に語っている。モーツァルトは神童時代に2度パリを訪れ、ヴェルサイユ宮殿を訪れ、ルイ15世と食事をともにしていますが、もはやルイ15世はすでに亡くなり、国王ルイ16世の宮廷からお呼びがかかることもありませんでした。そこでモーツァルトは、パリの演奏団体コンセール・スピリチュエルに期待していました。しかし支配人ジョゼフ・ルグロは必ずしもモーツァルトに好意的ではなく、作品の演奏に当たってもさまざまな妨害を受けたようです。演奏のために提供されたクラヴィーアたるや調律もしていないおんぼろ楽器でした。苦境のモーツァルトはいつも外出がちで、フランス語をあまり解せない母アンナ・マリアは寂しさを募らせていったようです。留守宅が恋しかったことでしょう、アンナ・マリアはザルツブルクで吉報を待つレオポルトに《ビンペルルが ― 私の望みどおりに ― 自分の義務を果たし、あなたに体をすりよせてきますように。だって、良き忠実なフォックステリアなんですもの。》と手紙を出している。レオポルトからの返信は《お天気が良いときは、早いうちに、私たちの忠実なピンペルルといっしょに、毎日散歩に出かけますが、この児はとても陽気で、私たちが二人とも家にいないときだけはとっても悲しげで、しかも目に見えてものすごくおびえています。というのは、この児はおまえたちがいなくなってしまったので、私たちが舞踏会に出かけてしまうと、今度は私たちも失ってしまうのじゃないかと思っているからです。私たちが外出していると、私たちが戻ってこないかと、ずっと見張っているのです。そして私たちが戻ってくると、ものすごくうれしがるので、息でもつまりはしないかと思うほどです。》結果的には1778年7月3日にアンナ・マリアはパリで客死し、帰らぬ人となる。しかもアンナ・マリアが知る愛犬〝ビンベス〟も二人が旅に出て不在の家で1777年末には亡くなったようで、翌年早々には雄の犬に代替わりしている。しかし、レオポルトが旅先の家族を寂しがらせないよう気遣ったためか、二代目も一代目と同じ名前がつけられた。レオポルトは1778年4月13日付のパリに宛てた手紙の末尾で、次の通り愛情込めて語っている。《ピンペルルはとても元気です。彼はテーブルの上にあがると、一本の前足でまことにお利口さんにセンメルをひっかいて、一つもらうようにし、またナイフをひっかいて、切ってくれるようにするのです。それにテーブルの上に嗅ぎ煙草いれが四、五個あると、スペイン煙草が入っているのをひっかき、一本取り出してもらい、その上で彼に指をなめさせるようにさせるのです。》犬はモーツァルト家の中心的存在だったことが、旅先から留守宅への家族の手紙でよく分かる。のちにモーツァルトがザルツブルクを離れウィーンで自立したときもやはり小鳥と犬を飼っているが、彼の心の中には幸福だった頃の一家4人とカナリアとビンベスの生活がいつまでも忘れられずに残っていたのである。
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ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。フィリップスは1982年10月21日コンパクト・ディスク・ソフトの発売を開始する。ヘルベルト・フォン・カラヤンとのCD発表の華々しいCD第1号はイ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ作曲の協奏曲集「四季」 ― CD番号:410 001-2。1982年7月のデジタル録音。現在は、フィリップス・サウンドを継承してきたポリヒムニア・インターナショナルが、これら名録音をDSDリマスタリングし、SACDハイブリッド化しています。
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