34-19836

商品番号 34-19836

通販レコード→蘭ホワイト・アンド・ブラック・スタンプ黒文字盤

陽光が燦々とふりそそぎ、ふわりと温かい風が吹いている。 ―  ヴィンテージ盤で人気のある、サー・エイドリアン・ボールトのブラームス全集の中の1枚。ドイツ系の指揮者とは違う、流麗で美しい響きを持ったブラームスだ。速いテンポで始まる第1楽章の澄み切った佇まい、そよぐ風のような詩情と品位溢れる第2楽章、リズムの煌めきが美しい第3楽章、ブラームスの情熱が十分に内炎する終楽章の落ちつき…、どの楽章も人生を極めた人間の尊さに満ちた演奏といえるでしょう。これほど生き生きとして、たっぷりと歌わせる第2番に出会えたのは、何という幸せなことか。ブラームスは「渋くて、重々しい」ものとの通念を、きれいに拭き払ってくれたレコードでした。陽光が燦々とふりそそぎ、ふわりと温かい風が吹いている。録音時点で82歳、ボールトなんて英国作曲家を得意とする老人にすぎないと思っていたが、とんでもない失礼であった。ヘルベルト・フォン・カラヤンさえ到達できないこのうまさは特筆ものである。年輪と共に、その音楽にも深みを増すのが指揮者の魅力の一つ。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーより僅か3歳若いだけのボールトが1970年代まで生き長らえ、われわれに録音を残してくれたのは嬉しい限りで、これこそが20世紀録音の遺産ともいえるでしょう。うまい言い回しをすれば、このブラームスのシリーズはまさに燻し銀の味わい。82歳のボールトによる、年代物のワインのような真に熟成された音楽が味わえます。人生の深奥を極めたボールトによる、威厳と慈愛に満ちた心に染み入る演奏は絶品だ。表紙に見るとおり、風貌からして仙人のようなボールトだが、このブラームス・交響曲第2番は素晴らしい。音のすべてに味がある。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団もそれをよく理解してまさに紡ぎだす音楽である。ロンドン・フィルもなぜかうまい。乗りに乗ってる感じだ。畳み込むティンパニーも痺れさせてくれる。ブルーノ・ワルター、クラウディオ・アバドといったメジャーな演奏にばっかり目を向けていた私にとって衝撃的な出会いであった。多くの人に聴いてもらいたいと思います。決して後悔しませんよ。
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英国の巨匠サー・エードリアン・ボールトは「私は常に指揮をとるということは、船の船長になるようなものだと思ってきた。私には石油のドラムカンといっしょにころげまわる理由はまったくない」と言った。ボールトというと、長命だったこともあってか晩年の老成した演奏のイメージが強いのですが、1950年代までの彼は、ときにかなりアグレッシヴな演奏も行うという、爆演も辞さぬ積極的な芸風の持ち主であったことはマニアにはよく知られています。60歳代に録音されたDECCA盤は、パワフルなスタイルが印象的なものでしたが、70歳代の終わりから80歳代の始めにかけて録音されたこのEMIの録音では、DECCA盤とは対照的な切り口、泰然として動じない安定感が魅力的です。気張った部分や不要な感情移入を否定した、〝形〟としての立派さが、それぞれの作品に風格を与えているかのような雰囲気の良さが特徴的で、特に息長く張りのある大柄なフレージングは素晴らしく、風格ある雰囲気が見事に作品に適合した格調高い演奏となっています。ボールトはオックスフォード大学で音楽の学位を得たのち、ライプツィヒ音楽院でマックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らハンス・ジットに指揮を学びますが、この地でボールトが最も感銘を受けたのは、アルトゥール・ニキシュによるリハーサルやコンサートの数々だったといいます。ボールトは20歳代初めの若い頃、ライプツィヒで偉大な指揮者ニキシュに私淑したが、晩年に至るまで讃仰の気持ちは変わることがなかった。「ニキシュは私などよりももっと簡素だった。今日、若い世代の指揮者たちには余りにも跳び回る傾向がある。もっとも、彼らはそうすることを期待されているのかもしれないがね。また最近の傾向としては、総体的な建築的構成を犠牲にしてディテール(細部)をほじくることが著しく目立っていると思う。」とは、ボールトの現代批判であるが反面、聴き手はボールトに一種の安全弁のようなものを見出していたようである。少なくともイギリス人はそうであった。ボールトが英国音楽だけでなく独墺系音楽も得意としていたのは、そうした事情が背景にあるとも思われ、これまでにも両分野での人気には絶大なものがありました。どれも堂々たる仕上がりのボールトらしい立派な演奏でリズムの弾力性の高さもボールトの多くの録音の中でも群を抜くもの。ここでもアンサンブルはかっちりと凝縮されており、極めて清潔なその響きにも酔いしれます。
英国の巨匠サー・エードリアン・ボールト(Adrian Boult, 1889~1983)は、20世紀の英国の生んだ最もノーブルな指揮者として知られています。オックスフォード大学を経てライプツィヒ音楽院に留学、マックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だったアルトゥール・ニキシュに私淑し、大きな影響を受けています。イギリスに帰国後、直接親交のあったエルガー、ホルスト、ヴォーン=ウィリアムズらイギリスの作曲家の作品を取り上げて高く評価され、1930年には新しく創設されたBBC交響楽団の初代首席指揮者に就任、幅広いレパートリーをイギリスに紹介しています。中でもボールトの代名詞ともいうべき作品がホルストの組曲「惑星」です。1945年のBBC響とのSP録音(EMI)を皮切りに、ボールトは生涯に「惑星」を5回録音も録音しています。1918年9月ロンドンのクイーズ・ホールにおける作品の非公開の全曲演奏(私的初演)が行われた際にホルストからの依頼で指揮をとったのがボールトであり、その成功によって「《惑星》に初めて輝きをもたらし、作曲者の感謝を受けたエイドリアン・ボールトに」という献辞の書き込まれた印刷譜を作曲者から送られています。戦後はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者を歴任しつつ、イギリス音楽界の大御所として1981年、92歳という高齢で引退するまで矍鑠とした指揮活動を続けました。ボールトはヨハン・ゼバスチャン・バッハからハヴァーガール・ブライアンまで幅広いレパートリーで卓越した演奏を聴かせる指揮者でしたが、最も得意とするのはイギリス音楽とニキシュの影響を強く受けたドイツ・オーストリア音楽でした。イギリス人にいわせると軍服ならぬエンビの退役将軍、あるいはパブリック・スクールの老校長を想わせるというが、姿勢の正しさと無駄のないキビキビしたジェスチュアは、まさしく老将軍といった面影をそなえている。ボールトは柔和な表情のうちに威厳を兼ね備えた、一見してイギリス人らしい風貌の持ち主である。ボールトはSPレコードが電気吹き込みになる以前の1920年代からイギリスの様々なレーベルに録音しているが、その中の大手である英EMIがボールトを発見したのは、1966年、ボールト77歳のときだった。80歳の誕生日祝いのコンサートを振った折り、ボールトはふと、こんなことをもらした。「レコード会社は、ほぼ10年ほど前に私がまだ生きていたってことに突然気づいた。こんなに忙しいのは嬉しいことだが、私がもっと元気だった、それより10年前(60歳代)に起こったらねえ」。一口にいってボールトは極めて地味な指揮者だったから、人気者で名物男だったサー・トーマス・ビーチャムが、1961年に82歳で没し、公衆のアイドルだったサー・マルコム・サージェントが1967年に72歳で没し、芸術の夕映えに輝いていたサー・ジョン・バルビローリが1970年に70歳で没したのち、ボールトが浮上していたというわけである。晩年の10年間、ボールトの録音に協力したクリストファー・ビショップの談によると、80歳代の高齢にも係わらずボールトの耳は以前としてシャープであり、老眠鏡もかけずに、こまごまとした手書きスコアを読むことができ、健康な食欲に恵まれ録音スタジオのキャンティーン(簡易食堂)で楽員たちと同じ食事をうまそうに平らげていたそうである。
  • Record Karte
  • 1972年、セッション・ステレオ録音。
  • NL EMI ASD2746 ボールト&ベイカー ブラームス…
  • NL EMI ASD2746 ボールト&ベイカー ブラームス…
ブラームス:管弦楽曲集
ボールト(エイドリアン)
ワーナーミュージック・ジャパン
2012-09-19