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シューベルトの天才性をじかに感じさせてくれる、このウエストミンスター盤を聴かなったらシューベルトのピアノ・トリオの素晴らしさに目覚めることは無かった。 ― フルニエのヴァイオリン、ヤニグロのチェロ、バドラ=スコダのピアノによるウエストミンスター・レーベル常連の名手たちがピアノ・トリオを結成して録音した1枚。占領国で基軸通貨の国アメリカは、ブレトンウッズ固定相場制下で外貨取引上の大変な恩恵に与り、ウィーンでのアメリカ人の生活費や、アメリカ人がオーストリア人に支払うギャラが対ドル換算で約53%切り下げとなったことをチャンスと捉え、さまざまなアメリカ産業や投資マネーがオーストリアに進出。クラシック音楽業界でも、ウェストミンスターのほか、ヴォックス、コンサートホール・ソサエティ、ハイドン協会などといったレーベルが、ウィーンの音楽家を起用したり、ホールを使用したりして積極的な活動を展開していました。まずは、教育者としても優れ、パリ音楽院やザルツブルク・モーツァルテウム音楽院で長く教授を務めたパウル・バドゥラ=スコダ。フリードリヒ・グルダとイェルク・デームスと彼を「ウィーン三羽烏」と称する。〝生きたヒストリカル〟で、1949年にヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンらといった著名な指揮者と共演した。その録音数は膨大で、200点以上に達するが、ウィーン古典派、とりわけモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの専門家である。イタリアが生んだ名チェリスト。11歳でパブロ・カザルスに認められフランスに留学したアントニオ・ヤニグロ(1918〜1989)は、世界恐慌と戦争の影響から、近代都市ザグレブでキャリアを構築。戦後は、ユーゴスラヴィア軍によるアメリカ軍機撃墜の影響とも考えられる謎のジュネーヴ国際コンクール2位判定で西側キャリアをスタート、その後は資本主義と社会主義、北半球と南半球も縦横に行き来するなど世界規模で活躍することとなります。 ― 世代的にピエール・フルニエとムスティスラフ・ロストロポーヴィチのちょうど間に位置するチェリストであるが、ヤニグロのチェリストとして演奏活動をおこなった時期が第二次世界大戦を間に挟んでいるために、演奏家として脚光を浴び難かった、ということもいえなくもないようであった。然し乍ら ― ヴァンガードとウェストミンスター、RCAにヤニグロの残したレコードは、感情と形式が鬩ぎ合って絶妙にバランスされた名演と、彼のチェロの美しい音色が、コレクターの間で話題となりました。さてジャン・フルニエ(1911~2003)はパリ出身のヴァイオリニスト、フルニエと聞いたら、まず百パーセントのクラシック・ファンが思い浮かべるだろう有名なチェロ奏者のピエール・フルニエの陰に隠れがちな弟で、兄と同じくパリ音楽院を一等賞で卒業。フランス国内はもとより、広く世界中でソリストとして注目された。ミラン・ホルヴァート指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団での、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第3番、第5番」(ウエストミンスター WL-5187)は優雅な演奏だ。その自然な演奏法と柔軟性に富んだ豊かな音色は、知的な解釈と相まって極めて仕上げの美しい演奏を生みだしました。バドゥラ=スコダ、ヤニグロ、フルニエでシューベルトのピアノ・トリオの素晴らしさに目覚めることになった、1952年とは信じがたい艶めかしい優秀録音。
なかでは一番精力的で今だ現役、モーツァルトの校訂など学術的な活動もこなすパウル・バドゥラ=スコダ。1927年にウィーンで生まれ。ウィーン音楽学校に入学した2年後、オーストリア音楽コンクールで優勝し、エドウィン・フィッシャーに師事。フィッシャーの死後、ウィーンやザルツブルク、エディンバラ、シエナでマスタークラスの伝統を続けていった。今日でも彼は、自分の貴重な時間と情熱を若い音楽家の育成に捧げ、熱心にアドヴァイスをしている。1949年、ウィルヘルム・フルトヴェングラーとヘルベルト・フォン・カラヤンが、バドゥラ=スコダの並外れた才能に注目し、ザルツブルク・フェスティバルで衝撃的なデビューを果たす。続いてニューヨーク、東京のリサイタルでもセンセーションを起こした。彼のLPレコードは何年もの間、ピアニストとして発売枚数第1位を保持した。また、演奏活動に加えて、指揮、作曲、執筆活動にも携わるほか、膨大な量の自筆譜や初版のマイクロフィルム、歴史的な様々な鍵盤楽器のコレクションも行う。現在もレコーディングを続け、最近では、アストレー・レーベルからドビュッシーとブラームスをレリースし、三度目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲も録音している。また、モーツァルトのピアノ協奏曲の全曲録音も進行中である。そんな彼の録音全体を追うとレコード媒体の歴史を語ることもできそうに思える。アントニオ・ヤニグロ、パドゥラ=スコダ、ジャン・フルニエの三重奏で録音した《大公》をして、菅野沖彦氏が「演奏も美しいものでしたが、特に録音も素晴らしいものでした。私が後年録音を考える上での、理想とか原点であった」と回想するレコード。
1949年にニューヨークで創設され、短期間に綺羅星のごとく名録音の数々を残したウエストミンスター・レーベル。創設の中心メンバーであったジェイムズ・グレイソンがイギリス人で、もともとロンドンのウエストミンスターのそばに住んでいたので、「ウエストミンスター」と命名されました。戦後のオーストリアで実施された通貨改革で、通貨のシリングが約53%切り下げとなったことをチャンスと捉え、ウィーンでのレコーディングを大量に行っていった。創設当初の中心的なアーティストは、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ウィーン・フィルハーモニー木管グループで、1952年からはこれにバリリ四重奏団が加わりました。彼らはみなウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など、ウィーンで活躍していた演奏家たちでした。1950年にデッカに次ぐ英国レーベル会社として設立された ― 独自録音が英国の風情を感じさせるレーベルでコレクターの根強い支持を得ている ― PYE・NIXAとの共同でヨーロッパ録音も多く、ウェストミンスターは佳盤の宝庫。EMIから加わった、デレク・ムーアは秀でた才能を発揮して、カッティングルームに多くのイノヴェーションを引起こし、このレーベルの再生音の水準を引き上げている。ワルター・バリリが参加したベートーヴェンの七重奏曲やミンドゥル・カッツのピアノ録音、サー・エイドリアン・ボールトのスッペなど好音質盤が連なる。ソリスト達が妙技を披露している、埋もれてしまうには惜しい演奏のレコードばかりです。
  • Record Karte
  • 1951年10月録音。
  • JP WEST ML5268 ジャン・フルニエ&ヤニ…
  • JP WEST ML5268 ジャン・フルニエ&ヤニ…