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このしあわせな出会いが可能にしたフランス・ヴァイオリン音楽の神髄 ― 瀟洒でエレガント。ヴァイオリニストにとって必須のレパートリーとなっている4曲を1枚に収めた魅力的なアルバム。それぞれの音楽が醸し出す様々な感覚を見事に描き分けています。色彩設定と音響造型にみせる鋭敏なセンスといい、あらゆるフレーズに注入された絶妙なニュアンスといい、その目ざましい魅力はいまだに失われていません。往年のフランスのオーケストラならではの明るく美しい色彩の世界を心ゆくまで堪能させてくれます。収録は1974年7月に当時EMIでオーケストラ録音に常時使用していたパリの名ホール、サル・ワグラムでセッション録音されたラヴェル、サン=サーンス、ショーソンの名曲を集めた「フランスの作曲家によるソロ・ヴァイオリンと管弦楽のための作品集」。テクニックの冴えはもちろん、曲によって様々に表情を変える音色の豊かさはパールマンならでは。《詩曲》での陰影の濃い叙情、《ツィガーヌ》での幅の広い表現は格別。《ツィガーヌ》はラヴェル・管弦楽曲全集で聴くことができる。録音を手掛けたのは名プロデューサーとして知られているルネ・シャルランと名エンジニア、ポール・ヴァヴァッスールのコンビです。ホールに分厚く渦巻く演奏の熱気が余すところなく捉えられています。イツァーク・パールマンは1971年、英EMIと契約しヴァイオリンの王道レパートリーを次々と録音。味わい深さ、聴かせ上手ぶりも手伝って時代を牽引した屈指のヴァイオリニストの秀でた音楽性と華麗なテクニックの万能性を示した1枚で、パールマン若き日の最良の記録でもある。パールマンの明るく艶やかな音色を一瞬たりとも失わない滑らかなボウイングと、圧倒的な余裕で弾き切る華麗なテクニックがひときわ冴え渡る演奏。彼はどんな曲であっても曲想にのめり込まず、常に高踏的な解釈に踏みとどまって、なおかつそれらの曲の本質と個性を的確に把握する。歌う楽器としてのヴァイオリンの特性を最高度に発揮した演奏は、豊かで美しく生命力に溢れたもの。またこうしたフランス物では軽妙洒脱さと同時に狡猾とも言える聴き手に対するさりげない媚があって、それぞれの作品がコケティッシュで魅力的なものに仕上がっている。そしてパールマンを巧妙にサポートしているのがマルティノン指揮するパリ管弦楽団で、彼ら特有の美的感性を漂わせた色彩豊かで陰影に富んだ音響がヴァイオリンを際立たせている。フランス人でなければ、出せないコクが滲み出ています。現代ヴァイオリン界を牽引し続けている巨匠の芸術にゆったりと浸ることのできる絶好の機会と言えるでしょう。
フランスには古いヴァイオリン音楽の伝統がある。それはベートーヴェンよりもはるか以前にまで遡ることができるが、フランスは主として19世紀から20世紀にかけて、ヴァイオリン音楽に大きな貢献をしてきた。作品でいうとフランク、フォーレ、ショーソン、あるいはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルといった作曲者名を挙げるだけで、そのことが明らかになるだろう。パールマンの使用楽器は黄金期に製作されたと云う1714年製ストラディヴァリウスのソイル。倍音タップリ乗った音質は微塵も色褪せてはいません。
Side-A
  1. サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ op.28
  2. ショーソン:詩曲 op.25
Side-B
  1. サン=サーンス: ハバネラ op.83
  2. ラヴェル:ツィガーヌ
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28この曲はサン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835〜1921)が25歳の年に、サラサーテのために作曲したものである。元来は協奏曲の終曲として着想されたらしいが、のちに独立した作品としてまとめられた。現在ではビゼーの編曲したピアノ伴奏でもよく演奏されるが、オリジナルは管弦楽の伴奏である。曲はサラサーテのためにつくられただけに、ヴァイオリンの華麗な技巧を発揮するように書かれている。序奏はアンダンテで憂鬱にと記されており、主部はアレグロ・ノン・トロッポのロンドである。これはリズミックなロンド主題に3つの副主題を絡ませているが、構造的にはかなり不規則である。「カプリチオーソ Capriccioso」すなわち「気まぐれに」という題名は、そこから命名されたのだろうが全体として崩れた感じはなく、古典主義者サン=サーンスの面目を示している。
ショーソン:詩曲 作品25ショーソン(Ernest Chausson, 1855〜1899)はフランクから大きな影響を受けた作曲家で、《詩曲 Poème Pour Violon Et Orchestre》は彼の代表的な傑作として知られている。1896年、41歳の年の作品だが曲はベルギーのヴァイオリニスト、イザイに捧げられた。初演は翌年イザイによって行われている。全体にロマンティックで情熱的な感情を表し、ヴァイオリンの歌う機能を存分に発揮させた作品である。曲はレント・ミステリオーソ、変ホ長調の序奏に始まり、そこで全曲の基本動機が示されている。ヴァイオリンが第1主題を弾いて登場し、カデンツァ風に展開されるが、やがてアニマートの情熱的な第2主題が紹介される。第3主題が提示されると曲はヴァイオリンの技巧的な展開に変わってゆくが、ポコ・レントではじめの動機が再現、第1主題も再現してアレグロのロ短調に転じると3つの主題が展開され、情熱的なクライマックスを築く、そして第1主題による終結部で消えるように終わる。
サン=サーンス: ハバネラ 作品83「ハバネラ(アヴァネーズ) Havanaise」はキューバ島のハバナに起こった舞曲。タンゴに似たリズムを持ち、19世紀にスペインを経てヨーロッパで流行したが、この曲もその副産物と考えられる。1887年、作曲者・サン=サーンス(Saint-Saëns)が52歳の時の作品だが、着想したのはそれより2年前、ディアズ・アルベルティーニというヴァイオリニストと演奏旅行中の事だったと伝えられる。従って、この曲はアルベルティーニに捧げられたが、初演は1894年にマルシックによって行われた。曲はハバネラのリズムによる3つの主題で構成されているが、最初に現れる第1主題は甘美な民謡風の旋律である。第2主題は哀愁を帯びたけだるい旋律、第3主題は表情豊かでかなり息が長い。この3つの主題が処理されて曲を構成するが、その中には各種の技巧が織り込まれており、実に洗練された魅力を放射している。
ラヴェル:ツィガーヌラヴェル(Ravel, 1875〜1937)は強い異国趣味を持っていたが、彼本来の性格としては簡潔さと古典的な平明さを挙げることができる。この曲はいわばそのすべてが見事に統合されたもので、1924年に作曲されハンガリーのヴァイオリニスト、ダラニーに捧げられた。《ツィガーヌ Tzigane》という題名が示すように、ハンガリーのジプシー音楽を素材とした作品である。曲はジプシー舞曲チャルダッシュの形式により、緩やかなラッサンと急速なフリスカの2部からなる。この曲では夫々の部分が更に2部分に分かれるが、曲はG線だけで演奏されるラッサン第1部に始まり、第2部では重音奏法が駆使されている。フリスカ第1部はラッサン第1部で準備された主題と5つの変奏からなり、第2部はラッサン第2部で暗示された主題と7つの変奏で構成される。いかにもラヴェルらしい緻密な形式を踏んだ、生命力豊かな音楽である。
フランス芸術というと必ずラテン的な感覚美が問題にされる。それは決して間違ってはいないが、フランスの芸術はさらに国際的な広がりを志向してきたのである。ところがパリは最もフランス的な都会であると同時に、世界でもまれに見る国際的な都市として知られている。そこでフランスの有名な演奏家はもとより、ここでは世界中のヴァイオリニストを聴くことができる。しかも第2次大戦後30年を経た今日、各国のヴァイオリン楽派はこぞって偏狭な地域性をかなぐり捨て、より合理的で高度な演奏を目指して進んでいる。昔ならともかく、今やフランスのヴァイオリニストだから粋な感覚を売り物にし、ロシアのヴァイオリニストが名技主義的であるといった先入観は、ものの見方を誤らせる危険性があろう。このような状況のなかでフランスは優れたヴァイオリンの音楽と演奏家を生み出してきたわけだが、そこにもっともフランス的な精神が息づいていることと同時に、最も普遍的な芸術が育てられてきたことを見落とす訳にはいかない。そこでフランスのヴァイオリン音楽にしても、その普遍的・国際的な一面が発揮されることになるのは当然である。パールマンがマルティノン指揮パリ管弦楽団と共演したフランス音楽は、その典型とも言えるが、言うまでもなくパールマンはフランスのヴァイオリニストではない。彼は第2次大戦が終結した直後にイスラエルで生まれ、ジュリアード音楽院に留学してイヴァン・ガラミアンに師事、1964年のレヴェントリット・コンクールで優勝したという経歴である。だがここでまず問題なのは彼の経歴や国籍ではなく、その音楽性である。
サン=サーンスやショーソンの作品にしても、まずはフランス的であるかどうかということより、単純に音楽としての格の高さを問題にせねばなるまい。とするとパールマンと作品の触れ合いもそこから出発する。当然である。このヴァイオリニストは自らの体質をさらけ出し、ごく自然に、率直に作品に対している。かつてしばしば音楽の造形面における憑依的な崩れがフランス的な洗練という名目によって容認されてきたが、それが仮にフランスの芸術家の手で行われたとしても結果的にフランス音楽の一つの面だけを誇張したことになるのはやむを得ない。さいわいパールマンは現代の演奏家として、そうしたことを認めてはいない。彼の演奏は、譜面に対して正確である。従って造形はあくまでも端正に処理され、表情がどれほど情熱的な場合も感覚的に濁りがない。今やフランスの演奏家といえども、そうしたことを求め実行しているのであるから、結果的にパールマンのフランス音楽がフランス的であるか無いかというより、音楽的であろうとするのは当然である。あえていえば彼のフランス音楽は、その国際性と現代性において、全くフランス的と形容して良いのである。こうした場合、これらの作品もその厳しさとたくましさに耐えて、いっそう底光りのする真価を発揮するが、マルティノン指揮のパリ管弦楽団が、そうしたパールマンに対して、あらゆる意味で見事な同質性をもって融合していることは、いわばパールマンのフランス音楽における正当性の証明である。当代のフランスを代表する指揮者とオーケストラがマルティノンとパリ管弦楽団であったことは、いまさら言うまでもないが、その彼らが当時のパールマンを独奏者として推し立て、あらゆる意味で一体となった音楽をつくっているのである。しかもマルティノンの知的な構成力、清潔で色彩的な音感、ときに高揚する熱狂的な響きが作品を驚くほどクリアに、そして生き生きと描きながら、パールマンのヴァイオリンを一分の隙もなく支えているのである。わたしはヴァイオリン独奏を、これほど見事にバックアップしているオーケストラを今まであまり聴いたことがない。作曲者がヴァイオリンにオーケストラを加えた理由が、ここでは実感として明らかにされ、もしヴァイオリンが一本の線だけを担当しているため作品の内部に秘められた人間的な息づきや民族性を表出しにくいのならマルティノンとパリ管弦楽団が、それを補っていると考えて良い。ここでパールマンはマルティノンとパリ管弦楽団によって、二重の意味でフランス音楽をフランス的に表現したということができる。
ジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910.1.10〜1976.3.1)は、フランスの粋と気骨を持った名指揮者。リヨン生まれで、生地の音楽院を経てパリ音楽院に進み、ヴァイオリンを収めるとともに作曲をダンディ、ルーセルに学んでいる。またシャルル・ミュンシュ(Charles Münch, 1891~1968)とロジェ・デゾルミエール(Roger Désormière, 1898~1963)に指揮法を師事しているが、最初は作曲家志望で、演奏家としてもヴァイオリン奏者としての活動が早かった。大戦中には従軍、一時期はドイツ軍の捕虜となっている。本格的な指揮活動は大戦後に始められ、1946年にボルドー交響楽団の指揮者に就任、やがてパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)も指揮。また1947年にはロンドンにデビューして、1950年代には早くも録音活動を始めている。1951年〜1957年、ラムルー管弦楽団。1957年〜1959年はイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団。1959年〜1963年はデュッセルドルフ交響楽団の首席指揮者のポストにあり、この頃、今も異色の名演として知られる《悲愴》を1958年、英デッカにウィーン・フィルと録音している。然し、彼の名が世界の音楽ファンに強烈に印象付けられたのは、1963年、フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888〜1963)の後任としてシカゴ交響楽団の常任指揮者に就任して以降のことであった。独墺色の強い名門オーケストラとフランス人指揮者のコンビネーションは内外から大きな期待を集めたし、彼もアルザス人としての共感から、ドイツ=オーストリア系作品に充実した演奏を聴かせた。然しライナーの影が余りにも大きく、また批評家クラウディア・キャシディとの趣味の違いもあって、マルティノンは苦しいシカゴ響時代を送ることになる。この関係は1969年に終止符が打たれ、マルティノンはフランス国立放送管弦楽団の指揮者として母国に返り咲く。ちょうど年齢的にも60歳代を迎えつつあったマルティノンは、この頃から彼の円熟期を謳歌することになり、自分のオーケストラやパリ管弦楽団(Orchestre de Paris)と優れた演奏を聴かせるとともに、今なお不滅の名演をレコーディングしていく。代表盤は、やはり英H.M.V.に録音したサン=サーンス交響曲全集(1972、74、75年)、ドビュッシー(1973、74年)とラヴェル(1974年)の管弦楽曲全集になろう。それらはエレガントでありながら決して感覚美のみに流されることのない強い精神性を併せ持つ演奏であり、同じアルザス人ミュンシュとの共通項を感じさせるといって良い。1974年からはオランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団との関係を深めるが、66歳の若さで亡くなった。作曲家としても数多くの作品を残しており、交響曲第4番《至高》はシカゴ響との自作自演の名演が1967年にRCAに残されている。
1974年7月4、5日パリ、サル・ワグラムでの名プロデューサーとして知られているルネ・シャルランと名エンジニア、ポール・ヴァヴァッスールのコンビによる録音。
JP 東芝(白テスト盤) eac80160 パールマン&マル…
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