34-21114

商品番号 34-21114

通販レコード→日本盤 RED SEAL ゴールド・レーベル

A STEREO SPECTACULAR ― リビング・ステレオ・シリーズの最高録音として名高いサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン」は、音響効果の優れたボストン・シンフォニー・ホールに鳴り響くオルガンと2台のピアノを含む大編成のオーケストラの響きを余すところなく捉えており、オーケストラもオルガンも明るく華麗な響きで、作品の持つ壮大な要素をあますところなく表現したハイファイ優秀録音として有名。オルガンと弦楽器の美しい響きで音楽が奏でられだすと、教会で聴いているような、天国で音楽を聴いているような演奏を聴いている印象を受けます。曲の後半は一転大爆発。コンサート・ホールに瞬間移動させられたかと錯覚する音響の渦中。サン=サーンスは練達の作曲技法で、様々な様式を巧みに取り入れて構成的な作品を書いている。時にはそれが禍いしてスタイルの品評会のようになってしまうこともあるが、この〈オルガン付き〉はサン=サーンスの最高傑作とも言うべきもので、壮大なスケールで描かれた巨大な建造物を思わせる交響曲だ。であれば、こうした珍演もまた、この曲の内蔵している一面。ミュンシュが遺した録音に接していると、しばしばライヴを目の当たりにしているような気分になる。そこには生々しい臨場感がある。彼はその著作『私は指揮者である』の中で、「コンサートは毎回頭脳と筋肉と神経のエネルギーを信じられないほど消耗させる」と書いているが、そうした全力投球の姿勢はレコーディングでも変わらなかったに違いない。ミュンシュの熱気あふれる指揮が、聴く者を圧倒的なクライマックスに導いてくれます。第2次大戦後のボストン交響楽団に黄金時代をもたらし、小澤征爾の師としても知られ、3回の来日歴もあるフランスの名指揮者シャルル・ミュンシュはゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターをつとめたミュンシュの音楽家としてのルーツであるドイツ音楽の演奏においても本領を発揮し、その一方で、ピエール・モントゥーが確立したフランス式の演奏様式の伝統を継承し、ボストン響をフランス音楽の演奏にかけては類のないアンサンブルに仕立て上げました。ボストン響の黄金時代を築き上げたミュンシュの代表作。ドイツ系の名指揮者ミュンシュにとってフランス音楽も重要なレパートリーだった。ミュンシュは自国の音楽に先天的共感を以って、この効果の難しい難曲を実に巧みに演奏し妙に現代風なダイナミックを強調しない点はさすがである。 彼の指揮にはもったいぶったところがない。最も調子の良い時の彼は、アルトゥーロ・トスカニーニとヴィルヘルム・フルトヴェングラーの相反する個性がひとつになったような境地さえ見せる。あるべきところにダイナミズムがあり、光彩があり、官能があり、歌がある。しかも、その息をつかせぬ張り詰めた緊張感、オーケストラが限界まで鳴り響いていて録音の古さを忘れさせる。スペックでは最新のデジタル録音が勝るはずでしょうが、指揮者の求める音楽に我武者羅に食らいついていこうとするオーケストラ、映像はないのに情景が浮かぶような音体験。ミュンシュならではの豪快でスケールが大きく、この曲のロマンティックでスペクタキュラーな持ち味を完璧に描き尽くしている。→コンディション、詳細を確認する
ミュンシュは、多少コスモポリタン的な傾きはあるが、全く現代的で、緊迫度が高く簡潔緻密だ。特に、ほど良く淡白な叙情性と人生の秋をしのばせる曲趣の調和が目立つ。尻上がりに油が乗ってくる。ワルターとは逆の手法で成功したものといえよう。 ― 盤鬼・西条卓夫
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891〜1968)のキャリアはヴァイオリニストからスタートしていますが、若かりし頃、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに就任、その時の楽長がヴィルヘルム・フルトヴェングラーだった。毎日その巨匠の目の前に座って多くのことを習得したことから、知らずと例の拍子を暈す内容重視の指揮法はフルトヴェングラーの指揮姿から身につけたものと推察出来ます。ミュンシュは音楽が持っているのストーリー性を、物語の様な視点で語りかけてくる。それが度を越すケースが多いのだけど、熱を持って表現する。ゲヴァントハウスではドイツ語でカール・ミュンヒ(Carl Münch)と呼ばれていた。生涯のほぼ半分ずつを、それぞれドイツ人とフランス人として送った彼は、両国の音楽を共に得意とした。ベルリオーズの幻想交響曲とブラームスの第1交響曲でのミュンシュがドライヴするパリ・コンセバトワールの燃焼ぶりは永遠に色褪せることがない。ミュンシュは当時ドイツ領だったストラスブルク出身であることから、歴としたドイツ人であるが故にブラームスなどのドイツものまで得意としていたのは当然、彼の演奏で聞いても見たかったがバッハも熱愛していた。1929年にパリで指揮者としてデビュー、1937年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者となって、1946年まで在任した。1949年からボストン交響楽団の常任指揮者に就いたミュンシュは、このオーケストラと数多くのレコーディングを行い、ミュンシュの録音はほぼ全てをリチャード・モーア、ルイス・レイトンというRCAのステレオ録音の礎を築いたコンビが手がけた。『生涯の終わりごろ、ブラームスが目も眩むほどの速さでヴァイオリン協奏曲を振りはじめた。そこでクライスラーが中途でやめて抗議すると、ブラームスは「仕方がないじゃないか、きみ、今日は私の脈拍が、昔より速く打っているのだ!」と言った。』そんな興味深いエピソードを、ミュンシュはその著書「指揮者という仕事」(福田達夫訳)の中で紹介していますが、今ここで音楽を創造しながら、「ああ生きていて良かった!」という切実な思い、光彩陸離たる生命の輝き、そして己の殻をぶち破って、どこかここではない彼方へ飛びだそうとする〝命懸けの豪胆さ〟が私たちの心を犇々と打つのです。
後期ロマン派の大作曲家たちが活躍した時代。裕福な家庭ではピアノをはじめとした楽器演奏を趣味とすることが爆発的に広まった。20歳になったリスト、ベルリオーズ、ショパンらが出会い、パリには音楽家の才能が多く育っていく。ショパンが若くして没したぐらいの時のこと。1846年、パリのプレイエル音楽堂で一人の少年がモーツァルトのピアノ協奏曲第15番やベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾いて、満場の聴衆をうならせました。少年はプログラムを終えたあとで、アンコールを求める聴衆に言いました。「ベートーヴェンのピアノ・ソナタなら、32曲どれでも、即座に、暗譜で弾けますよ」この少年の名は、カミーユ・サン=サーンス、11歳のステージ・デビューでありました。1835年生まれ。1921年没。フランスの作曲家。神童と言われ13歳でパリ音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。2歳半で「子どものためのピアノ・メソード」を終了し、3歳半でワルツを作曲したという天才児は一本道を、ただひたすら突き進むタイプではなかったらしく作曲家、ピアニスト、オルガニストとしての音楽活動以外にも、天文学、考古学、民俗学、数学、絵画、詩作など多岐にわたって優れた業績を残している。パリのマドレーヌ教会のオルガニストを務め、一方ニデルメイエール音楽学校のピアノ教授としてフォーレらにリストや当時の最先端だったワーグナーの音楽理論を教え育てる。さらに「国民音楽協会」を創設して器楽音楽の発展を目指し、近代フランス音楽の基礎を築く。サン=サーンスがパリ音楽院に入学する時にピアノ教育を選択しなかったのは、もうこの楽器の演奏技術は、すでに充分身につけていると思ったからでしょうか。それより、広く多くを学ぶ欲求が強かったのか。ピアノ科を受けていなかった生徒が、ピアノ教授となるのは風当たりも強かっただろうが、その辣腕に黙るしかなかっただろう。だからこそ、アルフレッド・コルトーに、「ふーん、きみみたいな程度でもピアニストになれるんだねえ?」とか、皮肉も言えちゃうわけで。難曲ぞろいの協奏曲のうち、第1番、第3番、第4番を、作曲者自身のピアノ独奏で初演しているのですから、ピアニストとしての腕前も相当なものだったろう。天才に半端なく、なにをやっても超一流。サン=サーンスは、1871年に初めてロンドンを訪れ、アルバート・ホールでオルガンのリサイタルを開きました。これが好評で、彼の名前は英国でも知られるようになり、ロンドンのフィルハーモニック協会は作曲を依頼します。「この曲には私が注ぎ込める全てのものを注ぎ込んだ(カミーユ・サン=サーンス)」作曲家自身が明言しているとおり、交響曲第3番は、オルガニスト、ピアニスト、作曲家、音楽学者としてのサン=サーンスのすべてが詰め込まれた、自叙伝とも呼べる交響曲になっています。楽器編成にオルガンが加えられていることで「オルガン付き」とニックネームがあります。しかし協奏曲での独奏楽器のような、楽曲全体の流れを牽引するものではなく、オルガンをオーケストラの一部として機能させているにすぎません。但し、その使われ方はとても効果的で強く印象に残ります。それぞれに表情が異なりますが、主人公を表してでもいるような主題(メロディ)が楽章を跨いで楽曲全体に用いられる循環形式でまとめあげてゆくのが最大の特徴となっているフランス音楽史に残る名作です。
録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO
フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもシャルル・ミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音は〝LIVING STEREO〟シリーズとしてリリースされ、デジタル録音の進化した現代においても、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。
  • Record Karte
  • ベルイ・ザムコヒアン(オルガン)、バーナード・ジゲラ&ベルイ・ザムコヒアン(ピアノ)、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団、1959年4月5日&6日ボストン、シンフォニー・ホールでのリチャード・モア(プロデューサー)、ルイス・レイトン(エンジニア)の名コンビが手がけた、セッション録音。
  • JP RCA RCL1024 ミュンシュ サン=サーンス・交響曲3番…
  • JP RCA RCL1024 ミュンシュ サン=サーンス・交響曲3番…