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〝数少ない国内盤〟 ―  多発性硬化症によって28歳という若さで演奏活動停止を余儀なくされたジャクリーヌ・デュ=プレが夫ダニエル・バレンボイム指揮のもとナレーターを務めた《ピーターと狼》。高名なチェリスト・デュ=プレの肉声が堪能出来るレア盤としてドイツ・グラモフォン盤は欧米でも法外な価格で取引されている。ロシアの作曲家プロコフィエフがロシアの民話をもとに台本を書き、ナレーター付の「子供ための交響的物語」として作曲されたポピュラーな作品。演奏家として事実上引退したのは1973年秋。すでに演奏活動を引退し、教育活動に情熱を傾けていた1979年10月にドイツ・グラモフォンによってレコーディングされた(トマス・ダンヒル英訳)もので、演奏家としてではなく教育者、デュ=ブレの肉声が聴ける稀有な盤。短い人生を惜しむかのように激しい気迫と卓越した語り口で貴方に迫る。バックも憎いバレンボイムで素晴らしいしで超優秀録音でレア性増しています。チェリストのデュ=プレを違った側面から心底楽しむには持って来いの貴重な逸品。発売は1980年で、ドイツ・グラモフォンのブルーライン盤になりますが、値付けゼロ一個付け間違ったかと疑問に思われる方が多い良い例で、妥当だと思って購入してしまったドイツ盤を、デュ=プレのつもりで聴いて、スピーカーから飛び出してきたおっさんの声に肝をつぶされることになる。レコード・ジャケット表のイラストも同じだが、ラベル面を確認し直すと《おもちゃのシンフォニー》はⓅ1980のままながら、《ピーターと狼》はⓅ1982になっている。デュ=プレが語りをした面だけを、わずか2年で録り直しているわけだ。なぜだろうか、後述する経緯で想像してもらうしか無いが、台本と語りを務めるのは、ドイツの伝説的人気を誇ったTVコメディ「Loriot」(1976〜1979)で主演のコメディアン、ロリオ(本名はヴィッコ・フォン・ビューロー)。少年ピーターと小鳥が灰色の狼をどうやって生け捕りにするかという物語。ピーターは弦楽合奏、お爺さんはファゴット、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、猫がクラリネット、狼が3つのホルンなど、物語の登場人物がオーケストラの特定の楽器によって受け持たれているところに注目。1966年末、当時の若手演奏家たちとの交流の中で、ピアニスト・指揮者のバレンボイムと21歳で結婚。1973年4月に来日したものの、体調不良により演奏会はすべてキャンセルされ、そのまま演奏活動から引退を余儀なくされた。28歳。1987年、多発性硬化症のため42歳で死去。バレンボイムは、デュ=プレが亡くなるまで離婚はしなかった。結構なことですが、一方から見ていてはいけないというもので、これではお互い様だ。
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今では日本語によるナレーションが学校教育の現場では当たり前になってしまった児童のための音楽物語《ピーターと狼》だが、じつは、録音・編集技術の制約もあったためか、LP最初期の昭和30年代前半には英語版のままでの発売が通常だった。《ピーターと狼》のはじめての録音は、1939年にアメリカで行われました。リチャード・ヘイル朗読、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団によるもので、まだ片面に5分程度しか入らないSPレコードの時代で、狼を動物園に連れて行くんだよと宣言するピーターの部分だけになっています。次なる録音は、1940年、フランク・ルーサー朗読、アレグザンダー・スモーレンズ指揮、デッカ交響楽団の演奏で、デッカから発売されました。次いで、1941年にコロンビアから出された、ベイジル・ラスボーン朗読、レオポルド・ストコフスキー指揮、オール・アメリカン・オーケストラの録音があります。これらの1940年前後の3つが、歴史的に貴重な最初期の録音です。《ピーターと狼》の録音についてまとめたマイケル・ビールのエッセイによれば、これら3つの後はしばらく録音が行われず、1950年のエレノア・ルーズヴェルト朗読、クーセヴィツキー指揮、ボストン響。1956年のジェラール・フィリップによるフランス語での朗読、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、ソ連国立交響楽団。1952~55年に録音され、チャイルドクラフトから発売された「子どもへのクラシック案内」でユーゴー・ペレッティ楽団と共演したボリス・カーロフは、1957年、マリオ・ロッシ指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の録音でも朗読をつとめ。ステレオ録音したカラヤン盤以降、1957年、シリル・リチャード朗読、ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。1960年、レナード・バーンスタイン朗読、バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック。1962年、アレック・クルーンズ朗読、ロリン・マゼール指揮、フランス国立管弦楽団。1965年、ショーン・コネリー朗読、アンタル・ドラティ指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。1969年、ピーター・ユスティノフ朗読、イーゴリ・マルケヴィチ指揮、パリ管弦楽団。1974年、カール=ハインツ・ベーム朗読、カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1975~77年、デヴィッド・ボウイ朗読、オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。1979年、ジャクリーヌ・デュ・プレ朗読、ダニエル・バレンボイム指揮、イギリス室内管弦楽団とLPレコード世代がよく知る録音が続きます。
ピオネールの少年ピーターは、牧場に建つお爺さんの家に住んでいます。ある日ピーターは家から牧場に駈け出していきますが、庭の戸を閉め忘れてしまいます。すると庭で飼っていたアヒルが逃げ出して外の池で泳ぎ始め、アヒルは小鳥と言い争いを始めます。「飛べない鳥なんているのかい?」、「泳げない鳥なんているのかい?」。そこにピーターのペットの猫が忍び寄っていきますが、ピーターが声を掛けたために小鳥は木の上に、アヒルは池の中央に逃げます。お爺さんが出てきて、ピーターが一人で庭の外に出たことを叱ります。「狼が森から出てきたらどうするんだ?」。ピーターは「僕のような男の子は狼なんて怖くないんだ」といいますが、お爺さんはピーターを家に連れ戻し、戸を閉めます。そこに、大きな、「灰色の狼」が森から姿を現します。猫は素早く木の上に駆け上がって難を逃れ、アヒルは慌てて池を出て逃げますが、狼に追いつかれ、とうとう飲み込まれてしまいます。たいへんだ。ピーターはロープを持ち出すと、庭の塀を上って小鳥に話しかけ、狼を捕まえる「作戦」を伝えます。小鳥が作戦通りに狼の鼻先を飛び回っている時に、ピーターがロープの結び目で狼の尻尾を捕えます。狼は逃れようとしますが、ピーターがロープのもう一方を木に結びつけたため、結び目が締まっていく一方で逃げることができません。そこに狼を追ってきた数人の狩人が銃を持って登場します。狩人たちは狼を撃とうとしますが、ピーターは狼を動物園へ送ってもらうことにします。さあ、動物園に向かうピーターの勝利のパレードが始まりです。行列の先頭はピーターで、それに狼を引く狩人、猫、文句をこぼし続けるお爺さんは、「狼を捕まえられなかったらどうなってたと思うんだ?」とぶつぶつ。行列の最後に小鳥が続きます。ちょっと待って、「耳をすまして下さい。アヒルが狼のお腹の中で鳴いているのが聞こえるでしょう。狼は慌てていたので、アヒルを生きたまま丸呑みしてしまったのです」とナレーションが語ってこの物語が終わります。プロコフィエフはあらゆるジャンルの作品を作曲していますが、交響的物語《ピーターと狼》は、モスクワで設立された中央児童劇場(Moscow Children’s Music Theater)のナターリャ・サーツから着想を得たものといわれています。プロコフィエフは1918~1922年はアメリカで、1922~1936年の間はパリで、そして1936年以降は再びロシアの楽団に復帰して平易なスタイルー新古典主義を標榜していたので、作品は簡素で明快、また子供向けの作品ということもあって、大衆性を持った分かりやすいものになっています。この作品では登場人物がそれぞれ ― ピーターは弦楽合奏、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、猫はクラリネット、お爺さんはファゴット。そして3本のフレンチホルンで狼を、猟師の撃つ鉄砲はティンパニやバスドラムと、オーケストラの楽器で演奏されています。プロコフィエフは1904年からペテルブルク音楽院で本格的に音楽を学びますが、早熟な彼にとって学ぶべきものは多くはありませんでした。初期の頃はスクリャービンの神秘主義やニコライ・ロスラヴェッツ、アレクサンドル・モソロフなどのロシア・アヴァンギャルドの作曲から影響を受けた前衛的な作品が多く、「古典交響曲」(1917年)を作曲してアメリカに亡命を決意してからは「新古典主義」と呼ばれた作品群を多く作曲しますが、帰国してからはロシアの伝承音楽と自己の音楽との融合を図り、自らの音楽の中にロシア音楽を採り入れて作品を発表していきます。 ピオネールの少年ピーターは、牧場に建つお爺さんの家に住んでいます。ある日ピーターは家から牧場に駈け出していきますが、庭の戸を閉め忘れてしまいます。すると庭で飼っていたアヒルが逃げ出して外の池で泳ぎ始め、アヒルは小鳥と言い争いを始めます。「飛べない鳥なんているのかい?」、「泳げない鳥なんているのかい?」。そこにピーターのペットの猫が忍び寄っていきますが、ピーターが声を掛けたために小鳥は木の上に、アヒルは池の中央に逃げます。お爺さんが出てきて、ピーターが一人で庭の外に出たことを叱ります。「狼が森から出てきたらどうするんだ?」。ピーターは「僕のような男の子は狼なんて怖くないんだ」といいますが、お爺さんはピーターを家に連れ戻し、戸を閉めます。そこに、大きな、「灰色の狼」が森から姿を現します。猫は素早く木の上に駆け上がって難を逃れ、アヒルは慌てて池を出て逃げますが、狼に追いつかれ、とうとう飲み込まれてしまいます。たいへんだ。ピーターはロープを持ち出すと、庭の塀を上って小鳥に話しかけ、狼を捕まえる「作戦」を伝えます。小鳥が作戦通りに狼の鼻先を飛び回っている時に、ピーターがロープの結び目で狼の尻尾を捕えます。狼は逃れようとしますが、ピーターがロープのもう一方を木に結びつけたため、結び目が締まっていく一方で逃げることができません。そこに狼を追ってきた数人の狩人が銃を持って登場します。狩人たちは狼を撃とうとしますが、ピーターは狼を動物園へ送ってもらうことにします。さあ、動物園に向かうピーターの勝利のパレードが始まりです。行列の先頭はピーターで、それに狼を引く狩人、猫、文句をこぼし続けるお爺さんは、「狼を捕まえられなかったらどうなってたと思うんだ?」とぶつぶつ。行列の最後に小鳥が続きます。ちょっと待って、「耳をすまして下さい。アヒルが狼のお腹の中で鳴いているのが聞こえるでしょう。狼は慌てていたので、アヒルを生きたまま丸呑みしてしまったのです」とナレーションが語ってこの物語が終わります。プロコフィエフはあらゆるジャンルの作品を作曲していますが、交響的物語《ピーターと狼》は、モスクワで設立された中央児童劇場(Moscow Children’s Music Theater)のナターリャ・サーツから着想を得たものといわれています。プロコフィエフは1918~1922年はアメリカで、1922~1936年の間はパリで、そして1936年以降は再びロシアの楽団に復帰して平易なスタイルー新古典主義を標榜していたので、作品は簡素で明快、また子供向けの作品ということもあって、大衆性を持った分かりやすいものになっています。この作品では登場人物がそれぞれ ― ピーターは弦楽合奏、小鳥はフルート、アヒルはオーボエ、猫はクラリネット、お爺さんはファゴット。そして3本のフレンチホルンで狼を、猟師の撃つ鉄砲はティンパニやバスドラムと、オーケストラの楽器で演奏されています。プロコフィエフは1904年からペテルブルク音楽院で本格的に音楽を学びますが、早熟な彼にとって学ぶべきものは多くはありませんでした。初期の頃はスクリャービンの神秘主義やニコライ・ロスラヴェッツ、アレクサンドル・モソロフなどのロシア・アヴァンギャルドの作曲から影響を受けた前衛的な作品が多く、「古典交響曲」(1917年)を作曲してアメリカに亡命を決意してからは「新古典主義」と呼ばれた作品群を多く作曲しますが、帰国してからはロシアの伝承音楽と自己の音楽との融合を図り、自らの音楽の中にロシア音楽を採り入れて作品を発表していきます。
1938年にプロコフィエフがハリウッドを訪れ、ウォルト・ディズニーに会ってからまもなく制作が開始され、《ファンタジア》(1940年公開)に含まれる予定だったと考えられています。プロコフィエフとディズニーの正式な契約は1941年2月に行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦するその年の12月までに絵自体は完成していたという説もありますが、1946年公開のディズニー・アニメ短編集まで待たされることになります。さて、1950年代にはLPレコードへ、1980年代にはCDへと媒体を変えながら、《ピーターと狼》の録音は、今日までさまざまな指揮者、オーケストラ、多様な著名人の朗読によって行われて続けています。その数は、これまでに400もあるとされます。
近年、クラシック音楽の新録はダウンロード配信だけのケースが増え、往年の大演奏家たちの活動の把握が難しいが2014年から新たな「エルガー・プロジェクト」をシュターツカペレ・ベルリンとスタートしている。1942年生まれのダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim)は言うまでもなく現代を代表する指揮者でもあり、また長らく一流のピアニストでもあり続けている。短期間に膨大な演奏や録音を熟すことでも知られる、市場が縮小した今日においても定期的に新譜を出せる数少ない指揮者である。バレンボイムがピアニストとして録音を開始したのは1955年のこと。しかし本格的な録音プロジェクトがスタートしたのは1960年代になってからで、まずウェストミンスター・レーベルで、続いてイギリスEMIでピアニストとしての継続的な録音が開始されました。特に1965年に始まる指揮者無しでのイギリス室内管弦楽団との密接な関係はピアノ協奏曲を始めとするモーツァルト作品の網羅的な録音が行なわれましたが、バレンボイムが初めてコロンビア・レコードに録音するのはこの時期で、ピンカス・ズーカーマンとのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集の指揮者として登場。イギリス室内管とはロドリーゴをジョン・ウィリアムズのギターを迎えて、大注目された録音しています。1970年代前半には交響曲2曲のほか、「エニグマ変奏曲」や「威風堂々全曲」をはじめ、名作「海の絵」まで含む、ロンドン・フィルとのエルガーの主要オーケストラ作品を録音し、〝隠れエルガリアン〟としてのバレンボイムの姿が浮かび上がります。フィラデルフィア管弦楽団を指揮して当時の夫人ジャクリーヌ・デュ=プレと共演したチェロ協奏曲のライヴ録音もその延長線上でレコード化されました。同世代の非英国人の音楽家で、ここまでエルガーの音楽に肩入れしているのはバレンボイムぐらいなもの。そしてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との名演は1975年の巨匠アルトゥール・ルービンシュタイン3度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集での、スケールの大きな音楽作りに結実します。最熟期のルービンシュタインの気力充実した極大のピアニズムに引けを取らないオーケストラの深みのある鳴らしっぷりはバレンボイムの指揮者としての新境地を感じさせるもので、ピアニストとしてこれら5曲をオットー・クレンペラーという大指揮者と録音したバレンボイムが今度は指揮者として、やはり大巨匠のルービンシュタインと同じ5曲全てを録音した、という点でも大きな話題となりました。ピアニストとしての録音では、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとのブラームスのピアノ協奏曲2曲、メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのリヒャルト・シュトラウスの協奏的作品「ブルレスケ」は、いずれもバレンボイム唯一の録音であるほか、イツァーク・パールマンとのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲。同じころにピエール・ブーレーズの指揮でベルク「室内協奏曲」の録音に、ピアニストとしても参加しています。
ダニエル・バレンボイムはピアニスト、指揮者として、これまでにほぼすべてのメジャー・レーベルから膨大な録音をリリースしてきていますが、ことソニー・クラシカル(旧コロムビア時代からCBSおよびRCA REDSEAL)への録音には他レーベルにはないいくつもの特徴があります。音楽監督をつとめていたパリ管弦楽団とは、ベルリオーズを始めとするフランス音楽のエッセンスともいえる作品の名演が記録されています。現在のところ唯一の録音である「テ・デウム」や「イタリアのハロルド」、「トロイ人」の「王の嵐と狩」など、ドイツ・グラモフォンでのベルリオーズ・チクルスでは録音されなかった作品が聴けるのもソニー・クラシカルならではといえるでしょう。火照るようなロマンティシズムが溢れ出てくるシェーンベルク「ペレアスとメリザンド」も、冷徹なミヒャエル・ギーレンらとの解釈とは対極にある個性的な名演です。また同時期に録音されたニューヨーク・フィルとのデビュー録音となったチャイコフスキーの交響曲第4番は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの絶頂期を思わせるドラマティックな音楽作りが特徴で、バレンボイム初期の指揮録音の中でも傑出した名演にもかかわらず、話題にならないのが不思議なほどです。ブラームスはピアノ協奏曲を2曲書きました。2曲とも屈指の大作であり名曲ですが、特に第2番は古今のあまたのピアノ協奏曲の中でも最高峰だと思っています。恩師シューマンへの敬意とクララへの憧れが入り混じる作曲家の若書きの1番のいかつい協奏曲にくらべ、2番は自由な気概に満ち、のびのびしたここで聴くブラームスの音楽は、私の心を解きほぐしてしまう。ブラームスがイタリア旅行中に構想を得たという2番は、陽光にあふれ、一点の曇りもありません。ピアノはバレンボイムらしいルバートが見られ豊か。ピアノの表情の転換や多彩さは見事。表情豊かなピアノをオーケストラが自己主張せず巧くサポートして引き立てる。それでもメータのテンポは颯爽としているので音楽が引き締まっている。活力はあるが単に突っ走るのでなく入念でもある。知と情のバランス。やっぱりバレンボイムは並みのピアニストではない。2年ぶりにバレンボイムを取り上げるにあたって、ブルックナー交響曲全集を聴き返して同じ感慨をもったのですが、バレンボイムの指揮には「重いよー」と弱音を吐いてしまうことが多い私ですが、ピアノは何時聴いても素晴らしい。
不治の病で没したチェリスト、ジャクリーヌ・デュ=プレの元夫。エドウィン・フィッシャーの弟子。1991年よりゲオルク・ショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、卓越した音楽能力を発揮し、現在は世界で最も有名な辣腕指揮者のひとりとして知られている。ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインから近年のギュンター・ヴァントやカルロ・マリア・ジュリーニ、ガリー・ベルティーニに至るまで、第二次大戦後に活躍してきた指揮界の巨星が相次いで他界した後の、次世代のカリスマ系指揮者のひとりとして世界的に注目と期待が集まっている。オペラ指揮者としては、1973年にエディンバラ音楽祭において、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を指揮してデビュー。1981年にはバイロイト音楽祭に初めて招かれた。1992年からはベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任し、現在まで継続している。アルゼンチン生まれのため、南米出身のラテン系の音楽家というイメージが強いが、両親がともにユダヤ系ウクライナ人であり、ウラディミール・ホロヴィッツ、シューラ・チェルカスキーらと同郷のウクライナの血を引いた音楽家である。ダニエル・バレンボイムは、10歳の時に戦後建国されて間もないイスラエルに移住。その後、オーストリア・ザルツブルクに移り、モーツァルテウム音楽院で学んだ。ピアニストでいえばモーツァルト弾きで名高いイングリット・ヘブラーと同じ音楽院の出身で、バレンボイム特有の粘着質で重々しい音楽からすると意外な印象を受ける ― ただし、モーツァルトは彼の得意なレパートリーではある。ピアノを弾く姿は、椅子を高くして、決して長くない腕を斜めに下げた状態で、鍵盤に腕ごと指を打ち下ろすというもの。彼の弾くハンブルク・スタインウェイからは、他のピアニストにはない粘りのある分厚い重い音が出てくる。それはクラウディオ・アラウやハンス・リヒター=ハーザーのようなドイツ系のピアニストの輝きを持つ重厚感や、師のエドウィン・フィッシャーの音楽とは異質な音である。1954年夏、死の直前で聴力をほとんど失っていたヴィルヘルム・フルトヴェングラーから「天才少年」と賞賛を受けたことで、フルトヴェングラーへの思いは強くなり、バレンボイムの指揮ぶりにはフルトヴェングラーの重厚さ・壮大さを常に意識したところがある。音楽を大量生産する人物、政治的な策略でポストを得てきたフルトヴェングラーのエピゴーネンであるなど、バレンボイムを『指揮は出来ないが、いいピアニスト』と語っていたセルジュ・チェリビダッケのような精緻な音楽を基本とする大指揮者から評価されている。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。
ダニエル・バレンボイムは演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ピアニストからスタートして、もともとフルトヴェングラーに私淑していたこともあり、さらにメータ、クラウディオ・アバド、ピンカス・ズッカーマンなどとともに学びあった間柄で、指揮者志向は若い時からあったバレンボイム。7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、イーゴリ・マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。1952年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しヴィルヘルム・フルトヴェングラーから紹介状〝バレンボイムの登場は事件だ〟をもらう。エドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。シュターツカペレ・ベルリンとベートーヴェンの交響曲全集を、シカゴ交響楽団とブラームスの交響曲全集を、シカゴ交響楽団及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を2種、それぞれ完成させている。ピアニストとしてより指揮者として顕著さが出る、この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。「トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよ」とズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。
  • Record Karte
  • 1979年10月ロンドン録音。ピーターと狼:ジャクリーヌ・デュ=プレ(ナレーター)、ウィリアム・ベネット(フルート)、ニール・ブラック(オーボエ)、ジュリアン・ファーレル(クラリネット)、グラハム・シィーン(ファゴット)。カッサシオン:ウィリアム・ベネット(ブロックフレーテ、カッコウ)、ジュリアン・ファーレル(バード・オルガン)、ジェイムズ・ブレーズ(ガラガラ)、コリン・シィーン(トイ・トランペット)。
  • JP DGG 28MG0019 バレンボイム・イギリス室内 ピーター…
  • JP DGG 28MG0019 バレンボイム・イギリス室内 ピーター…
プロコフィエフ:ピーターと狼/L.モーツァルト:カッサシオン
バレンボイム(ダニエル)
ユニバーサル ミュージック
2016-01-27

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