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巨匠ワルターのロマン味あふれる名演でモーツァルトの小品を ― ブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団とのステレオ録音は、1961年3月が最後となりました。その最終日には本盤に収録された4曲の序曲のセッションが行われましたが、最後の作品がワルターのこよなく愛したモーツァルトだったというのは、偶然とは思えません。ワルターは孫をかわいがるようにモーツァルトを演奏する。『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』をはじめ、ワルターはこの中の何曲かは複数回録音も行っており、このステレオ盤が必ずしもワルターのベスト演奏ではないが。しかし、この偉大な響きは最晩年のワルターにしかなしえない世界であり、唯一のものです。常にワルター指揮の演奏は、モーツァルトの真情に迫り、あたたかく歌い上げようとする姿勢において一貫していますが、この演奏でも早めのテンポで、あまり細部に拘泥しない行き方をとっています。この名指揮者独特の「歌」は、あまり濃厚ではないながらも、全体の厳粛な流れを淀ませることなく凜とした旋律を際立たせています。こうしたことはワルターの個性というより、同世代の指揮者の特徴である。自然の流れのなかで、しかしモーツァルトへの畏敬の念あればこその深みをここに感じる。円熟期以降、全般に金管楽器、打楽器の過度な強調をおさえて、弦楽器と木管楽器の融合の響きを大切にしたが、そうした特質があますところなく表出されているのが本盤である。数多い「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の演奏の中でもワルターのものはとびきりの名演で、この曲の規範ともいうべきもの。いつ何度聴いても新鮮で美しい。オーケストラの楽員が楽しい気持ちで演奏しなければ、聴きに来てくれている皆さんが楽しいとは思えない。とは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスター、樫本大進が信条としていること。ただし、オーケストラがベルリン・フィルだからこそと付帯条件がつく。日本のオーケストラと違い、ベルリン・フィルの楽団員には、どのタイミングで弾き始めればいいなどと言わないでいい人達ばかりだからだ。楽団員それぞれが、物凄いエゴイストばかりで、樫本大進がリハーサルで協奏曲のソリストの代わりに弾くことになったとき、オーケストラは全く違う曲を演奏し始めた。ところが樫本大進は動じないで、オーケストラが弾きだした〝メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲〟のソロを弾き始めた。僅か一小節の伴奏でソロはカデンツァから弾き始める必要がある曲なのにだ。楽団員は、その動じない姿に逆に「面白くない」って言った。
CD時代になって一時期レコード業界は過去最大の売り上げを記録したこともありました。判らないではありません。以前は、200枚もLPレコードを保有しておればマニアの部類に近かったのです。それがCD時代になると、高校生でも200枚や300枚のCDを保有しているのが当たり前になりました。レコード、CDは、ここ何十年も価格は変わっていません。むしろ安くなっているほどです。それで安易に保有数が増えたのです。LP時代は、所得との比較で、レコードはやはり高い買い物で、そのため大事に保管し、大事に使用していました。また、不要・不急のレコードを購入することは無かったのです。それだけに大事に取り扱い、真剣に音楽も聴きました。アルトゥーロ・トスカニーニやヴィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏がいかによくても、音盤はモノラルばかり。家庭用の一体型ステレオ装置から出てくるステレオ録音の音響は、非常に魅力的であった時代に宝物のように大事にされたのが、音のよいステレオ録音のブルーノ・ワルターのコロンビア盤だった。しかしその時代は、おいそれと新譜レコード盤が買えなかったから、友達の家にあるのを頼み込んで繰り返し貸してもらったりした。それでもなんとしてもワルターのレコードが欲しくてたまらなく、思いが強く残ったのか、CBSコロムビアからSONYになって発売された音盤だとかで聴き揃えていった。それに比べてもCD初期に発売になった、いずれのワルターの音盤も、少年期の家庭用のステレオ装置から、出てきた音に勝ることが無かった。それがステレオ録音に最初に接したという、非日常的体験がもたらした錯覚、幻想の思い出だったとされればそれまでだが、未だ記憶の中の瑞々しい音響は聴けていない。CDはどれも高音域と低音域が分離して中音部が薄い感じに聞こえるものだ。そんな音でモーツァルトを聴いていいはずもなく、どうしてワルターのコロンビア盤での芸術が理解できないのだと思っていたほどだ。クラシックというのは同じ音源が何度も手を変え品を変え出てくる。どれも同じと思っている方も多いが、実はぜんぜん別物というほど音が違っているケースもある。音によってその演奏のイメージはかなり変わる。明治8年生まれの指揮者の最晩年がステレオ録音初期に重なったのは幸運だった。ワルター晩年の指揮を〝温厚〟と評言される傾向があるが、〝篤実〟と対になる四字熟語の意味は、温かで情が厚く、誠実なさま。ワルターのリハーサルは、最晩年でも青年のように頭の回転が速く、早口で情報量が多い。フレージング、音価、強弱の注文が多く気に入らないと何度も裏声も交えてリアルに歌って指示するが、総じて進みのテンポが速いのは、コロンビア交響楽団が録音のための臨時編成で、発売する曲を限られたリハーサル時間でこなさざるを得なかったからだろう。曲に必要な楽器奏者を近隣のオーケストラから雇って製作された。ピアニストだったワルターは、リスト、ワーグナー、ブラームスと深く交わったハンス・フォン・ビューローの指揮を聴いて指揮者になる決意をした。マーラーの弟子でもあった彼が米国に渡ってコロンビア響と残した録音は、オーケストラの定位が当時としては良く、悪くいえば楽器があちこちから聞こえる感じがあるが、これがオーケストラピットの中からのイメージであり、ワルターの造りたかったバランスが良くわかる。

Bruno Walter, The Columbia Symphony Orchestra ‎– Eine Kleine Nachtmusik

Side-A
  1. セレナード第13番ト長調 K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』
  2. 歌劇『劇場支配人』序曲 K.486
  3. 歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』序曲 K.588
Side-B
  1. 歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492
  2. 歌劇『魔笛』序曲 K.620
  3. フリーメーソンのための葬送音楽 K.477
モノラル期のLPに「ミラベルの庭園にて(in the Gardens of Mirabell)」という題名がつけられ、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」や歌劇「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」などの序曲の他に、メヌエットやドイツ舞曲などが収められているレコードがある。ミラベル庭園は、ザルツブルクにあるミラベル宮殿の庭園です。モーツァルトの時代には、この庭園で彼の作品が多く演奏されたという事にちなんでいる。ブルーノ・ワルターは慈しむがごとくモーツァルトを演奏する。鋭角的なものと無縁な演奏だ。ワルターはポートレイトから受ける温厚な紳士のような印象で、その音楽を記録したレコード、CD。特にCDはかなりの割引感で受け止められているんじゃないかしら。一度で良いからSP盤で聴いて欲しい演奏家です。「ミラベルの庭園にて」はレコード・アルバムとして素晴らしい選曲、演奏です。その中でも「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」をよくよく聴きたい時に最適なカップリング。モノラル時代一斉を風靡した名盤。モノラル録音らしい線の太い、エネルギー感のある音質で演奏も1950年代のワルターらしく張りのあるもの、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」でさえ、張りに満ちた音楽になっています。録音のための臨時編成のオーケストラでは、そうもいかなかっただろう。ワルターの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、どの録音も、この曲のとびきりの名演と言われています。この曲を好きというクラシックリスナーは、みんな一度はワルターの洗礼を受けているものだと思います。どれも魅力があるが、ニューヨーク・フィルハーモニックとのモノラル録音では固まりとなってぶつかってくるような音は出さず、その出す音色は綺麗に磨き抜かれていることを強く感じる。モーツァルトは甘ったるいと言って話題にもしていなかった方が、モーツァルトの話題にのってきた時にはよもやと思ってしまいます。それに続いて2曲のメヌエットが並ぶ。優雅でトリオのホルンが美しい、「メヌエット」ヘ長調 K.599は1791年の作品。「メヌエット」ハ長調 K.568は1788年の作品で、威厳があり、深みのあるものとなっています。ふだんあまり顧みられることのない「3つのドイツ舞曲」K.605 には、しみじみとした良さが感じられる。1791年の作品で、本盤では第2番、第1番、第3番の順に演奏されています。第3番は「そり遊び」としてクリスマス商戦の店内音楽でも親しまれています。「フリーメーソンのための葬送音楽」K.477は、1785年の作品でフリーメーソン会員の葬儀のために書かれた深い内容の音楽で、ワルターはこれを高く評価しモーツァルトの本質が全く新しい語法で表現されたものであると述べていた。気持ちを入れるには、まずは形からと言いますけれども、フォーマル、カジュアル、ファッション次第で仕草から変わってきます。 着ているもの、それを着ていく場所にふさわしい動きがあると言ったらいいでしょうか。オーケストラは指揮者にとって、着るものではないかしら。指揮者、ワルターはオーケストラを変わる度に、音楽が変わっていった指揮者ではないでしょうか。 いや、オーケストラに会わせた音楽を生み出す指揮者だったのでしょう。 極端な表現かも知れないけれども、SP時代とLPレコードの時代のワルターは別人のようです。 ワルターを語る時に、どの時代のワルターを聞いていたのかで印象が違うようで面白いものです。
ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日〜1962年2月17日)はドイツ、ベルリン生まれの大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院でピアノを学び、9歳でデビュー。卒業後ピアニストとして活動したが、後に指揮者に転向した。指揮デビューは1893年にケルン歌劇場で。その後1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグースタフ・マーラー(1860〜1911)に認められ決定的な影響を受ける。交友を深め、ウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)にもマーラーに招かれる。その後はバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。戦後、1947年から2年間ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めたほかは、常任には就かず欧米で精力的に活躍を続けたが、1958年に心臓発作で倒れてしばらく休養。1960年暮れにロスアンジェルス・フィルハーモニックの演奏会で当時新進気鋭のヴァン・クライバーンと共演し、演奏会から引退した。80歳を越えた晩年のワルターは米国は西海岸で隠遁生活送っていたが、米コロンビア社(CBS)の若き俊英プロデューサー・ジョン・マックルーアに説得されドイツ物中心にステレオ録音開始するのは1960年から。日本の北斎に譬えられたように、まさに80歳にして立つと言った感じだ。録音は穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような独特の味わいがあります。ベートーヴェンも、巨匠ワルターの芸風に最もしっくりと馴染む作曲家の1人だったように思う。しかしアルトゥール・トスカニーニの熱情や烈しさ、ウィルヘルム・フルトヴェングラーのような即興性を持たなかったし、テンポを誇張するスタイルでなかったが抒情的な美しさと気品で我々聴き手を包み込み、活気に欠けることはなかった。こうした特徴は数多く存在するリハーサル録音耳にすると判りますが、少しウィットに富んだ甲高い声で奏者と自分の間の緊張感を和らげ、その反面集中力を最高に高めるという共感を持った云わば対等の協力者として通したこと独裁者的巨匠が多い中で稀有な存在であったのでは無いか、また、それがSPレコード時代に聴き手に、しっかりと伝わっていたのではないか。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団での〈パストラル・シンフォニー〉以来、評判と人気の源は、そこにあったかと想像できます。ワルターのスタイルは低音域を充実させたドイツ・タイプの典型的なスタイルで、ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたスケール感豊かな名演を必然的に産む。こうしたスタイルを86年の生涯最後まで通したワルターは凄い才能の持ち主だったことは明らか。なにかと戦前の演奏をSP盤で聴いてしまうとニューヨーク・フィル時代、ステレオ時代のワルターは別人に思えてしまうのです。ワルターの演奏スタイルの変遷を簡潔な言葉で表すと、〝戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡〟ということになると思う。コロンビア交響楽団時代がなければ埋もれた指揮者に成ったかもしれないが、彼は20年間で成熟をし続け、枯れることなく円熟に円熟を重ねることができた。しかも老人の音楽にならず、アンサンブルの強靭さ、柔軟さ、懐の深さ、いずれの面でも不足はない。天才は凡人の想像を超えるものとはいえ、それにしても音楽家としての器がよほど大きくなければ、そして芯の部分が柔軟でなければ、こういう円熟の仕方は出来ない。ワルターの変容ぶりには戸惑わされる。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。レコード産業としては、英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から1960年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。フィリップスは1982年10月21日コンパクト・ディスク・ソフトの発売を開始する。ヘルベルト・フォン・カラヤンとのCD発表の華々しいCD第1号はイ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ作曲の協奏曲集「四季」 ― CD番号:410 001-2。1982年7月のデジタル録音。現在は、フィリップス・サウンドを継承してきたポリヒムニア・インターナショナルが、これら名録音をDSDリマスタリングし、SACDハイブリッド化しています。
1958年12月17日(セレナード第13番ト長調 K.525『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』)、1961年3月29,31日(歌劇『劇場支配人』序曲 K.486、歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』序曲 K.588、歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492、歌劇『魔笛』序曲 K.620)、1961年3月8日(フリーメーソンのための葬送音楽 K.477)カリフォルニア、アメリカン・リージョン・ホールでの、ステレオ・セッション録音。
JP COL OL189 ワルター・コロムビア響 モーツァルト 小夜…
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