34-22424

商品番号 34-22424

通販レコード→日本ビクター《カリオペ ワン・ポイント録音》レッド・レーベル、グレイ文字盤

なんと贅沢な趣向。巨匠ナヴァラとともに歌おう。 ― 数多い楽器の種類の中で、もっとも人間の声に近いのは弦楽器類である。その中でも、とくにチェロの音質は、人間の生の声にたいへん近いといわれているが、そのチェロによって日本の愛唱歌ばかり14曲を選んで収録したのが、この『ナヴァラ◉チェロによる日本抒情歌集』で、これらはどの歌も日本人なら口ずさめるような、馴染み深い曲ばかりである。しかも、ここでは世界的な名チェリストのアンドレ・ナヴァラが演奏しているのが魅力の一つになっている。レコードをお聴きになればうなずかれると思うが、これらの歌はほとんど原曲に近い形で演奏されており、そうした意味では、曲の持つ日本の情緒や抒情性が失われていなので、いっそう楽しめると思う。彼の演奏を耳する時、その音色の多彩な変化に惹きつけられる。一番目の旋律が明るければ、二番目には単調さを避けて変化を加え、違う音色を選択していて、流石である。その巧みな演奏は全編に溢れている。ところで、ナヴァラは1911年生まれのフランスのチェロ奏者で、1937年、26歳の時にウィーンのチェロ国際コンクールで優勝。同時にパブロ・カザルスに師事を仰いだ。1945年より独奏者としての活動に没頭し、ロンドン、デン・ハーグ、ジュネーヴ、ローマ、ベルリンに巡演する。1949年にピエール・フルニエの後任としてパリ音楽院の教授に就任、1952年にシエーナのキジアーナ音楽院で夏季講習会を開始する。1959年よりソリストとして録音も開始し、2度グランプリ・デュ・ディスク賞を獲得する。1965年に最初の米国遠征を実行し、指揮者シャルル・ミュンシュと共演する。同時代の作曲家から献呈された数々の作品を初演した。トニー・オーバンの《カンティレーナと変奏 Cantilène variée 》(1946年)、フローラン・シュミットの《 Introït, récit et congé》(1951年)、アンドレ・ジョリヴェの《チェロ協奏曲第1番》(1962年)、アントワーヌ・ティスネの《チェロ協奏曲》(1969年)といった作品がある。1715年製のジュゼッペ・グァルネリを長年使っていたが、後に1741年製のガリアーノを使うようになった。しかし近代の楽器も好んで弾き、とりわけベルナルデルやミルモンを愛用した。1962年4月に初来日し、大町陽一郎指揮の東京フィルハーモニー交響楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲を共演している。その後、1980年、1982年、1984年と4度訪れている。本盤は、マルグリット・ロンの高弟アニー・ダルコとのデュオで奏でた「日本の名旋律集」。1979年11月、パリで録音され来日記念盤として発売された。カリオペの創設者で芸術監督だったジャック・ル・カルヴェのプロデュースによって録音されたこの「日本のメロディー」は、初出時に10,000枚以上の売上を記録するなど、大ブームを巻き起こした同レーベルを代表する名盤の1つであり ― 音楽は感情の表現ではなく、演奏を受け取る鑑賞者の催す感覚なのだけれど、それが見事というのは、名人芸のなせる業であろう。名演奏家というのは、楽譜から読み取る世界に国境はない。《城ヶ島の雨》など、情を交わした男女の別れを描いた名曲であるのだが、〈雨はふるふる 城ヶ島の磯に〉と始められる旋律は、下手に歌えば、息を吐き吐き下品になる。息を吸うように声を出して歌うところ。蓄音器の時代に名テノール歌手だったベニャミーノ・ジーリは喉に力を入れずに発生するクルーン唱法でレコード録音に挑み、日本でもはじめて歌謡曲を歌うにあたって藤山一郎もそれに倣った。これが日本の歌い方を形作ることになりますが、日本語詞の情景も理解していると感じる巧みな演奏で、そこのところ表現に成功している。 ― ナヴァラの演奏は、見事である。フランス人であろうが、日本人以上に日本的な風情たっぷりのものなのである。テンポと音色、音程、強弱感、リズム感、すべてがまとめられて演奏できるのはナヴァラがはるかな高みに有る孤高のチェリストであることに他ならない。ナヴァラ・ファンのコレクターズ・アイテムとしてはもちろんのこと、外国人観光客のお土産向けにもお勧めしたい内容です。しかも、チェロの深い音楽を愉しめるのは、LPレコードの所以である。このレコードを聴いていると、チェロの演奏にのって、思わずふっと歌いたくなってしまう。ナヴァラのチェロの伴奏で、日本のメロディをうたってみる。なんと贅沢な趣向であろう。
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André Navarra ‎– Les Mélodies Du Japon

FACE 1
  1. 宵待草 - 多忠亮
  2. 浜辺の歌 - 成田為三
  3. 出船 - 杉山長谷夫
  4. この道 - 山田耕筰
  5. さくら さくら - 日本古謡
  6. 赤とんぼ - 山田耕筰
  7. 荒城の月 - 滝廉太郎
FACE 2
  1. 城ヶ島の雨 - 梁田貞
  2. 故郷 - 岡野貞一
  3. 浜千鳥 - 弘田龍太郎
  4. 夏の思い出 - 中田喜直
  5. 叱られて - 弘田龍太郎
  6. 砂山 - 中田喜直
  7. 夏は来ぬ - 小山作之助
カリオペの創設者で芸術監督だったジャック・ル・カルヴェのプロデュースによって録音されたこの「チェロによる日本抒情歌集 Les Mélodies Du Japon」は、初出時に10,000枚以上の売上を記録するなど、大ブームを巻き起こした同レーベルを代表する名盤の1つであり、故長岡鉄男氏絶賛のレーベル。詩情豊かな日本のうた。これら一連の録音は、どれも豊かな表情と熱気に富みながらも格別の気品を湛えた見事なもので、ル・カルヴェとタッグを組んでいたエンジニアのジョルジュ・キセロフによる録音は、とくに驚くべきものでした。〝カリオペのワン・ポイントマイク録音〟とある。ステレオ録音というと左右のチャンネルが強調されるが、忘れてならないのは中央の感覚であろう。チェロの深い音色が設定されている。伴奏のピアノは右チャンネルにしっかり定位している。低音に特徴があり太い音の録音である。クレジットは無いので不詳だが、その音色からしてベーゼンドルファーの感覚がある。自然な素晴らしい録音。これこそ、〈音楽性とオーディオ性との調和〉で定評のあるカリオペ・ワン・ポイント録音の神髄なのである。
宵待草 ― 待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の遣る瀬なさ 今宵は月も出ぬそうな 作詞の竹久夢二(1884〜1934)は、独特な『夢二美人画』で一世を風靡した画家で詩人である。彼は学生時代に『中学世界』に入選し、画家としての道を歩き始めた。『夢二画集』、『夏の巻』で、一躍当時の人気画家となった彼は、夢幻的な独自の絵の世界を繰り広げ、また多くの詩や短歌、童謡なども発表している。この有名な《宵待草》は、彼の代表作で、大正7年に発表されて以来、現在も尚、広く愛唱歌として親しまれている。尚、作曲者の多忠亮(1895〜1929)は大正時代に活躍したヴァイオリニストである。②浜辺の歌 ― この《浜辺の歌》は、国、漢文学者の林古渓(1875〜1947)の詞に、成田為三(1893〜1945)が曲をつけたもので、もの思いにふけりながら、浜辺を散策する気分が描き出されている。曲も、寄せては帰す波を連想させるかのような、ゆったりとしたリズムで、人気のない静かな浜辺の雰囲気を実によく表している。『かなりや』をはじめ、多くの童謡を残した成田為三は、この《浜辺の歌》を東京音楽学校在学中に書いた。③出船 ― 我が国オペラ界の先駆者である名テノールといわれた藤原義江が、生前得意にしていた代表的な日本歌曲の一つである。作曲者の杉山長谷夫(1889〜1952)は、自らヴァイオリニストとしての演奏活動のほかに、合唱団の育成など、日本の音楽界の発展のために活躍した人である。また、作曲の分野でもヴァイオリン曲に「若き日の思い出」、歌曲《出船》など多くの作品を残している。今宵出船か お名残り惜しや 暗い波間に 雪が散る 船は見えねど 別れの小唄に 沖じゃ千鳥も 泣くぞいな 別れの寂しい情景が目に浮かぶような、抒情的な詩だ。④この道 ― 「この道はいつか来た道……」の歌詞で有名なこの歌は、北原白秋(1885〜1942)が41歳の時に『赤い鳥』に発表した童謡で、単純な歌詞と旋律の中に、例えようもなく美しい情感の溢れた名作童謡の一つである。作曲は山田耕筰(1886〜1965)で、彼は作曲の他にも、白秋と組んで雑誌「詩と音楽」を創刊したり、日本最初の交響楽団の設立など、多方面に活躍した人である。尚、白秋・耕作のコンビによって、他にも「ペチカ」とか「待ちぼうけ」などの名作童謡が書かれている。⑤さくら さくら ― 作詞者不詳の、この日本古謡は、現代では日本人のみならず、外来演奏家等によっても度々奏されるほど、内外に知られている。短い曲だが、歌ばかりではなく、箏曲や舞踊曲としても使われる。優雅な雰囲気を持つ傑作である。桜の国日本を象徴するかのような歌だ。⑥赤とんぼ ― 作曲は《この道》と同じく山田耕筰だが、作詞は三木露風(1889〜1964)である。三木露風は、その若い頃には暴風を号していた詩人で、17歳ですでに「夏姫」という処女詩集を出版し、そののちも「廃園」、「寂しき曙」、「白き手の麗人」などを発表した。彼の多くの詩は、山田耕筰らの手によって曲がる蹴られているが、とくに有名なのがこの《赤とんぼ」である。夕焼けこやけの赤とんぼ 追われてみたのは いつの日か 我々日本人にとって、この詩は聴いているとなにか郷愁に駆られるような、そんな心持ちにさせられる曲だりる。⑦荒城の月 ― 滝廉太郎(1879〜1903)の代表的名家曲である。彼は東京音楽学校卒業後、22歳の時にタイプツィ匕王立音楽院に留学したが、4ヶ月後に発病、やむなく帰国し、郷里の大分で療養中に、23歳という若さで世を去った。しかし、洋楽はこれから、という日本の洋楽黎明期において、ピアニスト兼作曲家としての才能を示した彼は、ピアノ曲《メヌエット」うあ「憾」、歌曲集「四季」、独唱曲「荒磯」、また「箱根山」「荒城の月」、「雀」、「鳩ぽっぽ」といった小学唱歌の秀作を数多く残した。人の世の移り変わり初音としても、月の光は昔も今も変わらないといった意味のこの歌は、美しい詩と自然な旋律の流れとによって、日本の代表的歌曲の一つになっている。作詞者の土井晩翠(1871〜1952)は、当時、島崎藤村と肩を並べたほどの詩人である。
城ヶ島の雨 ― 梁田貞(1885〜1959)は声楽家だが、歌曲や童謡の作曲も多く、「昼の夢」や「おたまじゃくし」などがある。 ― 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる ― 島の雨の寂しげな風情をたたえたこの美しい詩は、大正2年の10月30日に、東京数寄屋橋の有楽座で、作曲者の梁田貞自身の独唱によって、初演された。⑨故郷 ― 兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川。夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷。 ― 馴染み深いこの歌は、大正3年の6月に、「尋常小学唱歌」に選定されている。作曲者の岡野貞一(1878〜1941)は、「日の丸の旗」や「紅葉」、「桃太郎」などでよく知られた人である。⑩浜千鳥 ― 鹿島鳴秋(1891〜1954)作詞による、幻想的な雰囲気を持つこの《浜千鳥》は、弘田龍太郎(1892〜1952)の作曲によって、大正8年に発表された歌である。弘田龍太郎は、アイヌの物語を素材にした歌劇「西浦の神」、少女歌劇「月漠」、また歌曲「小諸なる古城のほとり」を作曲しているが、「金魚の昼寝」「落ち葉のお」などどり童謡の分野でも数多くの名作を残した。そしてそれらはうたいやすく、なおかつ日本的情緒に溢れた曲想で、現在もない、広く一般に愛唱されている。⑪夏の思い出 ― 湖の歌は、昭和24年にNHKのラジオ歌謡として発表されたもので、のちに学校用音楽教材となり、愛唱歌としておとなからこどもまで、広く愛され親しまれている。江間章子(1913〜2005)作詞、中田喜直(1923〜2000)作曲のこンビによるこの曲は、水芭蕉の花のサク、いちばん美しいときの避暑地を彷彿とさせる。⑫叱られて ― 清水かつら(1898〜1951)作詞と弘田龍太郎作曲のコンビによる名曲は、この《叱られて》のほかに「靴が鳴る」「雀の学校」「あそた」などがあり、それらは現在でもなお、広く親しまれ、うたわれている。幼くして子守りに出ている子供たのさびしく、ちもの悲しい心情のよく出ているこの歌は、大正9年に発表された。現在、子守りはほとんどいなくなったが、しかし子供を寝かしつけるときにぴったりの曲想と、詞の内容から、いまでも、日本人の心の歌として歌い継がれている。チェロの演奏で聴くと、もの悲しい気分がなお一層強まってくるようだ。⑬砂山 ― 中山晋平(1887〜1952)は、「カチューシャの唄」や「ゴンドラの唄」、「波浮の港」、「鉾を収めて」などたくさんの歌曲や流行歌を生み出し、また童謡の世界でも「砂山」のほかに「てるてる坊主」や「証城寺の狸囃子」、「黄金虫」などを残している。 ― 海は荒海 向うは佐渡よ すずめ啼け啼け もう日はくれた みんな呼べ呼べ お星様出たぞ ― このなんともさびしい日本海の夕暮をうたった白秋の詩に、実に見事にマッチした、日保的情感に溢れたメロディをつけたが、こういった雰囲気は、中山晋平独特のものである。⑭夏は来ぬ ― 作曲者の小山作之助(1864〜1927)は、明治洋楽界の大立物、伊沢修二の右腕となって、音楽教育の発展に尽くしたことで有名だが、東京音楽学校で教鞭をロル傍ら、「川中島」や「寄宿舎の古釣瓶」、「夏は来ぬ」など多くの唱歌曲を残している。「うの花におう垣根に、時鳥早もきなきて……」という日本の初夏をうたうこの歌詞は、詩人で国文学者の佐佐木信綱(1872〜1963)によるもので、彼は、このほかにも有名な歌として、「すずめ 雀」や「勇敢なる水兵」などがある。
ギリシャ神話ではミューズの一人で、智の女神カリオペ(CALLIOPE)は、19世紀半ばに作られた蒸気や圧縮空気で鳴らすパイプ・オルガンの語源でもある。カリオペは、20世紀初頭までは蒸気船に備え付けられ、その後飾り立てた台車や馬車に乗せて運び、お祭りやサーカスなどで使われることが多くなったが、20世紀半ばにはほとんどが姿を消した。鍵盤で演奏することもできたが、自動演奏されることが多かった。フランスのカリオペ・レーベルは、1972年にジャック・ル・カルヴェが創設、芸術監督でもありレコーディングをプロデュースした。そのレパートリーは、ルネサンス、バロック時代に限らず、現代にまで及んでいて、単なるオリジナル編成のレパートリーだけのレーベルではない。アンドレ・イゾワールが演奏したバッハのオルガン作品は、非常に魅力的な企画である。日本ではビクター音楽産業の日本プレスでもって世に知られるようになった 。普通は「カリオペ」と呼ばれていますが、フランス語読みだと「カリオップ」となる。それが、まずオーディオ的な素晴らしさによって大評判となります。ル・カルヴェとタッグを組んでいたエンジニアのジョルジュ・キセロフによる録音は、とくに驚くべきものでした。これら一連の録音は、どれも豊かな表情と熱気に富みながらも格別の気品を湛えた見事なもので、故長岡鉄男氏絶賛のレーベルでもあり。室内楽系が多く。初めて聴く作品にときめいた。ヘルベルト・フォン・カラヤン、スビャトスラフ・リヒテル、ダヴィッド・オイストラフ、ギドン・クレーメルの新譜を発売していたビクター音楽産業は、エラート、レッドシールと提携して、RVCレーベルも抱え、パイヤール室内管弦楽団や冨田勲を発売していました。ですから、国内盤リリースを待つのには飽き足らず、フランス盤を輸入したほどです。それは、ジャケットもとても凝ったもので、見開きのダブル・ジャケットのLPを入れる部分に、さらに折り返しがあって埃の侵入を完全に防ぐ工夫が施されていました。2010年カタログ付きCDも登場するなど、堅調と思われていたフランスの老舗レーベルですが、残念ながら2011年初頭で業務を停止した。このカリオペ・レーベルのスタッフだったミカエル・アッダは、2011年に「ラ・ドルチェ・ヴォルタ」レーベルを立ち上げて、カリオペ・レーベルのイゾワール、タートライ・クヮルテット等の録音を買収・再発売するとともに、ジャン=ピエール・コラール、アルド・チッコリーニとも契約。日本市場を意識して、日本語解説付き(再発売品を除く)で発売されているのも嬉しい限りです。
  • Record Karte
  • 1979年11月パリ、プロデューサー:ジャック・ル・カルヴェ、エンジニア:ジョルジュ・キスロフによる録音、カバー表紙は竹久夢二の「宵待草」。朝日新聞「母と子の試聴室」、東京新聞・中日新聞「こども音楽館」、「週刊ポスト」、「週刊サンケイ」、「サンデー毎日」推薦盤。
  • JP CALIOPE VIC2264 アンドレ・ナヴァラ チェロによ…
  • JP CALIOPE VIC2264 アンドレ・ナヴァラ チェロによ…