HU  HUNGAROTON  SLPX12024 ヤンドー リスト・ピアノ協奏曲
通販レコード→洪イエロー・ラベル茶文字盤

HU HUNGAROTON SLPX12024 ヤンドー リスト・ピアノ協奏曲

商品名HU HUNG SLPX12024 ヤンドー リスト・ピアノ協奏曲

若きヤンドーのフレッシュで生気に満ちたピアノがききもの ― フンガロトンにリストの作品を多数遺したフェレンチクによる決定的な録音。ハンガリーといったお国は、音楽家を支援するので地方都市熊本でも、演奏家を聞く機会が多かった。大手レーベルではない、珍しいレパートリーのレコード、CDも演奏会で販売され、そうして聴く機会に恵まれた。フンガロトン( Hungaroton )はハンガリーの国営レコード会社。半世紀を越える歴史を数え、ここでしか聴けない本国バルトーク、コダーイの作品から、さらにチェリストのペレーニやピアノのアニー・フィッシャー、シフ、コチシュなど注目のタイトルを共産国時代の演奏がクリアな録音で聴ける。今の商業録音のポリシーの中でこういう演奏が録音される可能性はまずゼロである。共産主義というものは真の演奏芸術を保存するという意味においては鮮度の高い間保持されていただろう可能性を秘めていたとも思う。この録音はその証しだろう。
現在ハンガリーの世界的ピアニストのひとりイェネ・ヤンドー(1952年生まれ)が弾くリストの「ピアノ協奏曲第2番イ長調」、「ハンガリー民謡の主題による幻想曲」、「ハンガリー狂詩曲第8番」の3曲が収められている。管弦楽はヤーノシュ・フェレンチク指揮ハンガリー国立管弦楽団である。イェネー・ヤンドーは、ハンガリー出身のピアニスト。ハンガリー南部のペーチ生まれ。7歳からピアノをはじめる。リスト音楽院でネメシュ・カタリンとカドシャ・パールに学んだ。1973年のハンガリー・ピアノ・コンクールで第1位、1977年のシドニー国際ピアノ・コンクール室内楽部門で第1位になるなど、各地のコンクールで多数入賞を果たしている。現在は母国ハンガリーでリスト音楽院の教授を務めている。ヨーロッパ各国、日本、カナダなど世界各国で演奏活動を展開して、ナクソス・レーベルに膨大な録音を達成している。得意とするのはロマン派のピアノ曲だが、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派音楽の作品も多く残している。
ハンガリーは第1次大戦後、オーストリアとの二重帝国体制から引き離され、領土をルーマニアとチェコ=スロヴァキアに侵食された。両国の支配に反対して王制が成立するが、第2次大戦では枢軸国側に属して、ナチスの助力を得ながら領土を回復していくことになる。1944年に民族主義革命により王制は倒れ、ソ連から容赦なくブダ=ペストを占領されてしまい民族主義勢力は除かれ、ハンガリーは共和国として歩み出す。そして、国家という強固なバックボーンをもち、国費で育てられた優秀な人材が安定的に供給される。ショルティは、ハンガリーは「日々の暮らしの中で音楽が重要な部分を占めている。」という。民謡、ジプシー音楽、自国・他国の名曲、いろいろな要素を取り込んで独自の味付けをした軽音楽などがあって、そのおかげで人口1千万人の国ながら、多くの音楽家を輩出している。ハンガリー人のピアニストなら、ゾルタン・コチシュ、アンドラーシュ・シフ、デジュ・ラーンキの三羽烏がハンガリーの演奏家をわたしが初めて意識し、それまでに気になる存在だった、ジョルジュ・シフラがそうであることに驚いたことが、すぐ浮かんでくる。それ以前に、アニー・フィッシャー、ゲザ・アンダ、ヤーノシュ・フェレンチク、アンタル・ドラティ、エルンスト・フォン・ドホナーニ、フリッツ・ライナーなどなど、優秀なピアニストや指揮者が数多い。
ヤーノシュ・フェレンチク( János Ferencsik, 1907-1984 )は1907年、ブダ=ペストに生まれる。幼くしてヴァイオリンやオルガン、作曲に幅広い才能を示し、20歳代で、バイロイトでトスカニーニのアシスタントを務めたことから指揮者のキャリアが始まる。ただし、その後は国内の劇場を中心に叩き上げでステータスを高めていき、国外でも評価されていった。1948年から3年間はウィーン国立歌劇場 ― 戦災で被災したためアン・デア・ウィーン劇場を間借りしていた時代 ― の首席客演指揮者としても名前を刻んでいる。国外での指揮活動がなくなったわけではないが、フェレンチクの主戦場はあくまでハンガリー国立歌劇場、及び、そのオーケストラであるハンガリー国立管弦楽団であった。ザルツブルク音楽祭をはじめ、世界中をまわっての指揮活動は続け、来日も多いが1984年に没するまで、ハンガリー国立管弦楽団の首席指揮者のポストを手放さなかった。ジェルジ・レヘルと並んでハンガリーから外に出なかった国宝級の指揮者である点では、ジョージ・セル、フリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、ユージン・オーマンディ、フェレンツ・フリッチャイ、イシュトヴァン・ケルテスなどが西側に出たのに対し、国に残って自国の楽壇を支えた。米国に渡った指揮者らが選んだ「スコアを正確に明晰に鳴らす演奏」スタイルは、イタリア移民であるトスカニーニに倣うところが顕著な、当時の米国の音楽メディアが圧倒的にラジオ放送依存だったことに関係がある。残響の少ないオペラハウスで情熱的なイタリア・オペラを振ってきたトスカニーニの音楽性は適任だった。同様に、ハンガリー人亡命指揮者たちの理知的で明晰さを重んじる音楽性もその流れに沿ったものだった。一方、低音を基盤としたピラミッド型の音造りと、教会のオルガンの残響の多い音響は欧州で伝統的である。フェレンチクの演奏はまず、重低音の美しさが際立っている。ハイファイ 的な高音域、低音域の強調は全くなく、中音域が厚めのオーケストレーションが見事に鳴っている。それ故、弦楽器セクションのヴィブラートのかけ方ひとつを追っていくだけで充実した楽しみとなるだろう。効果的な響きのコントロールと、アーティキュレーションの明解さによって、フェレンチクは自由に作品からメッセージを引き出すことができる。しっかり脇を締めながらも弱奏部における木管や金管の音色はのんびりとした伸びやかさがあるとともに自然な膨らみがあり。ノン・ヴィブラートの弦楽器の音色には弾力性があり、人々が対話をしているようだ。ひとつの目的に向かって人々が歌いながら自由への闘いに臨むような、巨大なエネルギーを生み出しながらも、全体的には奇を衒わない品のいい演奏であるだけに明確なメッセージとなる。フェレンチクの演奏は傷ついた民族のこころを温めるのに、いかにも効果的だっただろうと思われる。
1978年ハンガリー録音、プレス盤。
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