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GB nixa WLP5362 シェルヘン ベートーヴェン・交響曲2&8番

商品名GB nixa WLP5362 シェルヘン ベートーヴェン・交響曲2&8番

フルトヴェングラーの解釈にも通じる、装飾を排した、スコア上に書かれたことだけを表現した、純音楽的演奏。 ― ベートーヴェンでは、過去数百年の演奏からスコア上に堆積された、慣習を一掃しようとした。その根底にあった「間違い」と言われ続けてきたメトロノーム記号を全面的に信頼し実践したことや、場合によってはデフォルメも辞さなかった作品解釈の面白さでも知られています。これほどまでに「露わな」音楽は聴いたことがない、デモーニッシュさ、弾力性が感じられる、疾風怒濤の表現主義を極めた凄演として異彩を放っている。そしてロイヤル・フィルの力量は相当なものです。シェルヘンのうねるような棒に、若々しく、猛然と食らいついていきます。表現主義の熱い洗礼を受けたドイツの指揮者、ヘルマン・シェルヘン(1891〜1966)は、20世紀音楽の旗手として演奏、作曲、著述だけでなく、音楽雑誌『メロス』の創刊、電子スタジオを設立して現代音楽の推進にも活躍していましたが、活動の主軸はバッハやハイドン、ベートーヴェンといた古典作品の演奏に独自の主張を盛り込んだことでも知られており、そのキャパシティは実に広大なものだった。
〈哲学が終わる時、音楽が始まる〉とヘルマン・ヘッセはいっているが、この名句は、音楽に対する伝統的なドイツ人の態度を見事にいい現している。ヘルマン・シェルヘンは偉大な哲学者=音楽家の最後の巨匠である。シェルヘンは、1891年6月21日、ベルリンに生まれた。幼少の頃からヴァイオリンとヴィオラを学び、ベルリン・フィルハーモニーのヴィオラ奏者として、アルトゥール・ニキシュ、カール・ムック、リヒャルト・シュトラウス等の偉大な指揮者の下で演奏した。20歳のとき指揮棒をとり、1920年ベルリンに新音楽協会を設立、現代音楽の紹介に奮闘した。1924年、ベルクのオペラ《ヴォツェック》の上演がまだ不可能であった頃、シェルヘンは初めてその組曲を演奏して、オペラ初演のきっかけを作った。一方では、シェルヘンはバッハ、ヘンデル及びベートーヴェンの権威者としての地位を固めていった。やがて、ナチスの擡頭につれ、ドイツでは1933年に現代音楽は公式に禁止され、ユダヤ人音楽家の排斥が始まった。シェルヘンは純粋なアーリア人であり、ユダヤ人排斥を利用し得る立場にあったにもかかわらず、ナチに抵抗し、リハーサルの際も、楽団員に対して、ナチの公式の挨拶だった〈ハイル・ヒトラー!〉を絶対口にしなかったという。ナチと相容れぬシェルヘンは遂にドイツを去り、スイスに居を構え、フランス、ベルギー、ハンガリーなど、芸術の自由に恵まれている諸国で活躍した。シェルヘンの芸術は数多くのレコード録音と共に全世界に知られるようになったが、巨匠のアメリカ・デビューは、彼が73歳を迎えた1964年にようやく実現を見たのである。彼は1964年11月2日、フィラデルフィア管弦楽団の定期を振り、翌日ニューヨークでも同じ曲目を演奏した。曲目は、ハイドンの《交響曲第49番》とマーラーの巨大な《交響曲第5番》の2曲だった。続いて、シェルヘンはニューヨークのフィルハーモニック・ホールで、彼のために特別に編成されたオーケストラを指揮して、《ヘルマン・シェルヘンのポートレート》と銘打たれた7回の連続演奏会を行った。オール・バッハ・プログラムから始まった連続公演はウィーンの12音楽派で終わりを告げ、シェルヘンの偉大にしてユニークな音楽哲学はアメリカの楽界に深遠な反響を呼び覚ました。
多忙な指揮活動と研究の傍ら、シェルヘンは暇を惜しんで読書と著作に勤しんでいる。名著《指揮者必携》(1929年)はすでに指揮法の古典として知られ、《音楽の本質》(1946年)は巨匠の音楽哲学の一端を示す好著である。指揮について、シェルヘンは1964年11月、ニューヨークでの談話でこう語っている。『指揮者は楽曲解釈に際して徒に個人的な感情の赴くままに指揮してはならない。指揮者は作品という音楽の建築物の中に隠されている内的な手がかりを探さなければならない。純粋に器楽的な構成と同様に一つの楽曲の全体のあり方( Gestalt )に波長を合わさなくてはならない。』シェルヘンは後年スイスのグラヴェサーノという山村に居を構えている。そこはルガーノ湖より高いアルプスの谷間にある寒村である。住居の傍らに電子音楽装置を持つラボラトリーを持ち、シェルヘンは新しい音響の可能性について研究を進めていた。1936年以来、チューリッヒ放送管弦楽団の指揮者を務めていた頃、シェルヘンはチューリッヒ工科大学で電子工学を学ぶため若い大学生と席を並べた。その時、高等数学の指導役を務めた同大学の若い卒業生がシェルヘン夫人となり、5人の子供たちと共に暮らした。1954年9月録音。まず驚くのが、腹に響く重低音。モノーラル録音の完成期を実感する。ステレオ録音へ移行する時期は画期的な録音実験が実践されていた。その録音技術のアイデアだけではなく、シェルヘンの音符を直接音にするというよりは、曲の構造を俯瞰して、各楽章を明確に描きわけ、また、曲の構造を解析して聴かせる、情緒に溺れない毅然としたフレージングが効果をあげている。シェルヘンは戦後のヨーロッパで積極的な活動を展開していたアメリカのウェストミンスター・レーベルのメイン・アーティストとして膨大なアルバムをセッション録音で制作していますが、それら個性的な演奏の数々はまさに宝の山。ウェストミンスターでシェルヘンが制作したLPは120枚分に及ぶといいますが、そのほとんどをプロデュースしたのが1951年にウェストミンスターに入社したクルト・リストです。クルト・リストはヴェーベルンに師事した作曲家で音楽学者でもあり、シェルヘンやレイボヴィッツと多くの仕事をしました。本盤は、米ウェストミンスター・レーベルとの共同でヨーロッパ録音を多く行った、英 NIXA 盤。1950年に DECCA に次ぐ英国レーベル会社として設立され、独自録音が英国の風情を感じさせるレーベルでコレクターの根強い支持を得ている。
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