34-20501

商品番号 34-20501

通販レコード→英オレンジ・アンド・ブラック黒文字盤

最後の一音が鳴り終わるまで、時が経つのを忘れてしまう。 ― 宇宙の進化ロボット「ロボイド」が現れ、ロボット同志が恋愛感情を持ち、ロボット開放を掲げるロボット・青騎士が現れる。鉄腕アトムで想定されていたのが2018年だった。熊本では国際漫画祭が開かれた。劇場版「シティーハンター」が2019年2月8日に公開される運びとなった。あわせて、TVシリーズでもお馴染み、TM NETWORKの名曲「Get Wild」が本作エンディングテーマに決定。1987年当時、小室哲哉さんが主題歌をやってくれたことで人気の弾みとなった、北条司さんと一緒に当時の連載を成功させた編集者だったコアミックス代表の堀江信彦さんが振り返っていた。今では当たり前のビジネスケースですが、そのころ売れっ子ミュージシャンがアニメの主題歌を歌うことはなかった。その日本のアニメのパイオニアでもある手塚治虫、生前大変な音楽ファンであったことは有名。40年ほど前のFM雑誌に載った手塚治虫の記事を読んだのですが、手塚のレコード・ライブラリーは、編集記者の締切り督促対策のため記者の好きな曲を聞かせ、これをかわしたとのことで、いつの間にか、当人はクラッシックファンであるのに、演歌あり軍歌ありのジュークボックスのようになってしまったということが書いてありました。その手塚が愛した曲といわれているがピアノ・ソナタ第8番「悲愴」。ベートーヴェンの作曲した32曲のピアノ・ソナタの中で、第14番「月光」、第23番「熱情」と合わせベートーヴェンの3大ピアノ・ソナタに数えられているこの曲、その第2楽章は、昨近ジャンルを越えてクラシック・サイド以外からも多くのアーティストがチャレンジ、演奏しているのに出会うのですが、そのそれぞれが、とても個性的で面白い。そればかりではない。「悲愴」ソナタの愛称の由来、作曲家ベートーヴェンにとって起点となることは12月上旬に説明したとおり。その「悲愴」の名旋律は、この名曲にも隠れている。作曲家と親交のあったサー・エイドリアン・ボールト(1889〜1983)が最も得意としたとされるのがエドワード・エルガー(1857〜1934)の音楽。エルガーは卓越した技量を示していた32歳年下のボールトの指揮を信頼、両者には交流もあり、エルガー亡き後、ボールトは交響曲第2番はじめとするエルガーの諸作品を、実演・放送・録音を通じて熱心に紹介、エルガー協会の初代会長も務めるなど、エルガーの音楽普及に大きく貢献していました。ボールトの指揮は、一見武骨な中に丹念な音響構築と表情付けを織り込んで、懐の深い情趣を感じさせる。その風格ある佇まいは、作品の魅力を十全に引き出しています。この英国の巨匠は生涯に「エニグマ変奏曲」を4回も正規録音しています。BBC交響楽団との1945年のSP録音を皮切りに、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との1953年のモノラル録音、1961年のステレオ録音、そして1970年のロンドン交響楽団との録音に至るまで、録音技術の進歩に合わせて、自分の解釈による「エニグマ変奏曲」を残そうとするボールトの強い執念を感じさせます。有名な第9変奏の、冒頭の撫でるような弱音から弦を主体としたクライマックスの響きもさることながら、フィナーレの金管の咆哮。決して下品にならない、英国王室に縁のある名門オーケストラのメンバー各々の大指揮者への尊敬の念と大作曲家への高貴な想いが見事に再現される。
日本では小品の《愛の挨拶》や行進曲《威風堂々》などが持て囃されているエドワード・エルガー(Sir Edward William Elgar)の音楽。しかし、彼が〝近代イギリス音楽の父〟となるきっかけになった作品は、まだロンドンの楽壇に名乗って出る前に、故郷ウスターで書かれた《エニグマ(謎)変奏曲》というオーケストラ作品。曲名の「エニグマ(Enigma)」とは、「なぞなぞ」「謎かけ」などを意味するギリシア語で、大戦中にドイツが用いたエニグマ暗号機の名で世界的に知られる。正式なタイトルは『独創主題による変奏曲(Variations on an Original Theme for orchestra)』だが、通称である『エニグマ変奏曲』で一般的には定着しており、エルガー自身もその呼称を認めていたようだ。主題に続く14の変奏に、「C.A.E.」とか「B.R.T.」など、意味ありげなイニシャルを表記したので、聴いた人に「これは何かの謎か?」と詮索されたのである。全曲中一番美しい変奏である「ニムロッド」を聴きたくなると、そこだけでなく全曲通して無性に聴きたくなる。イングランド西部の都市ウスター近郊で生まれたエルガーは、最初、法律を学んだが、楽譜商兼教会オルガニストであった父の後を受けて独学で音楽を修め、これに専念することになった。作曲は15歳のころから始めたが世に認められたのは遅く、41歳で作曲した「エニグマ変奏曲」(1898年)が最初の成功作であった。ほかに、リヒャルト・シュトラウスから絶賛された「ジェロンティアスの夢(1900年)」「序奏とアレグロ(1905年)」「交響曲第1番(1908年)」「交響曲第2番(1911年)」、および晩年の傑作「チェロ協奏曲」(1916年)などが代表的な作品である。彼の音楽は、温和で重厚なため、魅力に乏しいという人もいるがパーセル以来200年間沈滞していたイギリス音楽界で、近代音楽の礎を築いた功績は高く評価されなければならない。
「エニグマ」を聴く時、わたしもご多分にもれず第9変奏を中心に選ぶ。試聴が許されるなら、第9変奏から耳にしてみる。それより、第9変奏を想像しながら展開を味わうように演奏会に臨む。映画やテレビ番組をザッピングしながら、CMをカットしてみるのは味気ないことでしょう。おしゃべりも断然、そこを楽しむ。対面する相手が話をどう切り出して、どういう展開で楽しませてくれるか。エルガー『エニグマ変奏曲』の楽譜には、全14曲ある各変奏のサブタイトル的に、3文字のイニシャルや人名・愛称、そして謎に包まれた不可解な記号・顔文字が付記されているのだ。最初にエルガーは愛妻を紹介してくれる。第1変奏「C.A.E.」とは、このエルガーの愛妻キャロライン・アリス・エルガー(Caroline Alice Elgar)のイニシャルを表している。エルガーは、ピアノの教え子だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚した。婚約の際に贈った『愛の挨拶』は世界的に有名。2番目は「H.D.S-P.」、エルガーと共に室内楽を演奏したピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)のイニシャル。リズミカルで小気味よいメロディは彼のピアノ演奏の様子が描写されている。第3変奏の「R.B.T.」は俳優リチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)のイニシャル。彼は、低い声からソプラノ域まで自在に声色を変えることが出来たという。仕事熱心な地主であったウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)の気質を表すかのような激しい曲想の第4変奏「W.M.B.」に続くのは弟子たち。つまり「R.P.A.」、「Ysobel」、「Troyte」と続いて、エルガーの友人ウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)のイニシャルを持つ、第8変奏「W.N.」の親しみが込められたのんびりとした曲想の最後の一音が次の第9変奏へと伸長されている。第9変奏では、エルガーの親友アウグスト・イェーガー(August Jaeger)の愛称「ニムロッド ― Nimrod」が記された。イニシャルではない4つの変奏曲の一つだ。イェーガーという名前はドイツ語「Jäger」で「狩人」や「狙撃手」を意味する。これと旧約聖書における狩の名手「ニムロデ」が「狩つながり」で結び付けられ、「ニムロッド」の愛称となったという。かつて、エルガーは作曲家としてのスランプに陥っていた。気分は落ち込み何もかもがいやになって、もう二度と作曲なんてしないとふさぎ込む絶不調の時期を迎えていた。
そんな時期のエルガーを救ったのはアウグスト・イェーガーだった。エルガーの親友「ニムロッド」ことイェーガーは出版社で音楽関連の編集者として働いており、エルガーに対して音楽的なアドバイスや、時には厳しい批評をぶつけることで、エルガーの音楽的意欲を鼓舞し、勇気づけ、励ましていた。彼はエルガー宅を訪れ、投げやりになり落ち込む彼にベートーヴェンを引き合いに出して励まし続けた。ベートーヴェンもかつて幾度のスランプに陥り、絶望の淵で遺書まで残していた人物。難聴が日に日に悪化し音楽家にとって生命線の聴覚を失っても、『交響曲第9番』などの大作を世に残した偉大な作曲家。そこでイェーガーは「ベートーヴェンも苦しんだ。だが多くの美しい音楽を残した。君もやらねばならない。」と言い放つと、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」第2楽章の主題を口ずさんだ。そのイェーガーの言葉と歌声は、エルガーの胸の奥で深く深く響き渡った。エルガーによる後日談によれば、第9変奏「二ムロッド」には、あの時イェーガーが歌ってくれたベートーヴェン「悲愴」第2楽章の主題がエッセンスとして取り入れられているという。然し明確な引用ではなく、暗示としてほのめかす程度ではあるが、エルガーとイェーガーの間では即座にわかる、親友同士の目に見えぬ固い絆とつながりが確かにそこには隠されているのです。第10変奏「間奏曲(Dorabella)から思い出の中の忘れられない光景が並び、もはや文字ですらない第13変奏「ロマンツァ(* * *)」の記号が一体何を表しているのかについては、曲中に航海に関連するメンデルスゾーン『静かな海と楽しい航海』からの引用が含まれることから、海外へ渡航した人物が暗示されているとも考えられており、ニュージーランドに移住したかつてのエルガーの婚約者ヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)を匂わせるが今日でも特定されていない。長年謎に包まれたままの、まさに「エニグマ」変奏曲である。フィナーレは愛妻キャロラインがエドワード・エルガーにつけた愛称「エドゥー E.D.U.」。キャロラインのイニシャルを冠した第1変奏、そして親友「ニムロッド」の第9変奏も曲中に織り込まれている。
サー・エイドリアン・ボールト(Adrian Boult, 1889~1983)は、20世紀の英国の生んだ最もノーブルな指揮者として知られています。オックスフォード大学を経て、ライプツィヒ音楽院に留学、マックス・レーガーに作曲を学ぶかたわら、ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だったアルトゥール・ニキシュに私淑し、大きな影響を受けています。イギリスに帰国後、直接親交のあったエドワード・エルガー、グスターヴ・ホルスト、レイフ・ヴォーン=ウィリアムズらイギリスの作曲家の作品を取り上げて高く評価され、1930年には新しく創設されたBBC交響楽団の初代首席指揮者に就任、幅広いレパートリーをイギリスに紹介しています。中でもボールトの代名詞ともいうべき作品がホルストの組曲「惑星」です。1945年のBBC響とのSP録音(EMI)を皮切りに、ボールトは生涯に「惑星」を5回録音も録音しています。1918年9月ロンドンのクイーズ・ホールにおける作品の非公開の全曲演奏(私的初演)が行われた際にホルストからの依頼で指揮をとったのがボールトであり、その成功によって《惑星》に初めて輝きをもたらし、作曲者の感謝を受けたエイドリアン・ボールトにという献辞の書き込まれた印刷譜を作曲者から送られています。戦後はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者を歴任しつつ、イギリス音楽界の大御所として1981年、92歳という高齢で引退するまで矍鑠とした指揮活動を続けました。ボールトはJ.S.バッハからハヴァーガール・ブライアンまで、幅広いレパートリーで卓越した演奏を聴かせる指揮者でしたが、最も得意とするのはイギリス音楽と、ニキシュの影響を強く受けたドイツ・オーストリア音楽でした。前者では、エルガーの交響曲第2番の復活初演やヴォーン=ウィリアムズの「ロンドン交響曲」改訂版の初演など、作曲者から盤石の信頼を置かれていたボールトならではの業績は数多く残されています。
サー・エイドリアン・ボールトというと、長命だったこともあってか晩年の老成した演奏のイメージが強いのですが、1950年代までの彼は、ときにかなりアグレッシヴな演奏も行うという、爆演も辞さぬ積極的な芸風の持ち主であったことはマニアにはよく知られています。エドワード・エルガーやグスターヴ・ホルスト等も得意としたイギリス音楽のスペシャリストとされるボールトによるレイフ・ヴォーン=ウィリアムズは、サー・ジョン・バルビローリ指揮のものと並んで決定版と言えるものです。ボールトは「私は常に指揮をとるということは、船の船長になるようなものだと思ってきた。私には石油のドラムカンといっしょにころげまわる理由はまったくない」と言った。ボールトはウェストミンスター・スクール在籍中のディナー・パーティでエルガーと出会い、自作の総譜を見せられつつ解説を受けた。オックスフォード大学で音楽の学位を得たのち、ライプツィヒ音楽院でマックス・レーガーに作曲をハンス・ジットに指揮を学びますが、この地でボールトが最も感銘を受けたのは、アルトゥール・ニキシュによるリハーサルやコンサートの数々だったといいます。ボールトは20歳代初めの若い頃、ライプツィヒで偉大な指揮者ニキシュに私淑したが、晩年に至るまで讃仰の気持ちは変わることがなかった。ニキシュは私などよりももっと簡素だった。今日、若い世代の指揮者たちには余りにも跳び回る傾向がある。もっとも、彼らはそうすることを期待されているのかもしれないがね。また最近の傾向としては、総体的な建築的構成を犠牲にしてディテール(細部)をほじくることが著しく目立っていると思う。とは、ボールトの現代批判であるが反面、聴き手はボールトに一種の安全弁のようなものを見出していたようである。少なくともイギリス人はそうであった。ボールトが英国音楽だけでなく独墺系音楽も得意としていたのは、そうした事情が背景にあるとも思われ、これまでにも両分野での人気には絶大なものがありました。日本で発売されたボールトのレコードは伴奏録音が多かったのと、紹介された録音がイギリス音楽中心だったために、我が国では「惑星」専門の指揮者のような扱いを受け不当に軽い評価しか受けませんでしたが、ベートーヴェン、ワーグナーやブラームスなどのドイツ系の作品にも説得力のある名演を残しています。
サー・エイドリアン・ボールトは、アルトゥール・ニキシュのみならず、ハンス・リヒターやフリッツ・シュタインバッハ、フェリックス・ワインガルトナーと接触があり、クロード・ドビュッシーの演奏も直接聞いている。シュタインバッハの薫陶を受けたボールトにとって、ブラームスは特別な作曲家でした。自分が確信を持って指揮することができるようになった35才まで、ただ1回の例外を除いてブラームスの交響曲を演奏することはなかったもので。ブラームスの交響曲全集で、ロンドン交響楽団がボールトと共演した際に、その音楽性の高さに感激したユーディ・メニューインが特別に楽団員としてヴァイオリンを弾いて録音に参加したというエピソードもある。ボールトは柔和な表情のうちに威厳を兼ね備えている。一見してイギリス人らしい風貌の持ち主である。イギリス人にいわせると軍服ならぬエンビの退役将軍、あるいはパブリック・スクールの老校長を想わせるというが、姿勢の正しさと無駄のないキビキビしたジェスチュアは、まさしく老将軍といった面影をそなえている。SPレコードが電気吹き込みになる以前の1920年代からイギリスの様々なレーベルに録音しているが、その中の大手である英EMIがボールトを発見したのは、1966年、ボールト77歳のときだった。80歳の誕生日祝いのコンサートを振った折り、ボールトはふと、こんなことをもらした。「レコード会社は、ほぼ10年ほど前に私がまだ生きていたってことに突然気づいた。こんなに忙しいのは嬉しいことだが、私がもっと元気だった、それより10年前(60歳代)に起こったらねえ」。一口にいってボールトは極めて地味な指揮者だったから、人気者で名物男だったサー・トーマス・ビーチャムが、1961年に82歳で没し、公衆のアイドルだったサー・マルコム・サージェントが1967年に72歳で没し、芸術の夕映えに輝いていたサー・ジョン・バルビローリが1970年に70歳で没したのち、後釜にボールトが浮上していたというわけである。晩年の10年間、ボールトの録音に協力したクリストファー・ビショップの談によると、80歳代の高齢にもかかわらずボールトの耳は以前としてシャープであり、老眠鏡もかけずに、こまごまとした手書きスコアを読むことができ、健康な食欲に恵まれ録音スタジオのキャンティーン(簡易食堂)で楽員たちと同じ食事をうまそうに平らげていたそうである。
エルガー:エニグマ変奏曲 ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴズの主題による変奏曲
ボールト(サー・エイドリアン)
EMIミュージック・ジャパン
2012-02-15


1953年録音。
GB WRC ST158 ボールト エルガー・エニグマ変奏曲
GB WRC ST158 ボールト エルガー・エニグマ変奏曲