34-784

商品番号 34-784

通販レコード→独ブラック金文字盤 Das Alte Werk

〝この世のものとは思えない鎮静作用がある〟 ― イギリスの作曲家、トマス・オーガスティン・アーン(Thomas Augustine Arne, 1710.3.12〜1787.3.5)。彼は18世紀イギリスの売れっ子音楽家で、代表作とされるイギリス人の愛唱歌『ルール・ブリタニア』は、1740年にクリヴドンの東宮御所で初演された仮面劇『アルフレッド大王』の挿入歌として作ったものです。『ルール・ブリタニア』は確かな名曲だし、アーンの名を古典派直前のイギリスの音楽家として後世に残すのに役立ったのは間違いないが、彼をこの一曲だけの作曲家と限定してしまうのは、あまりにも可哀想である。アーンは特に舞台作品に作曲の力を注いでいましたが、作品の管理が杜撰だったのか、演奏記録はあっても、その作品が残っていないというものが沢山あります。ここに取り上げた《オルガン協奏曲》のように、忘れてしまうのがもったいない分野にも曲も残しています。バロック音楽時代のイギリスの《オルガン協奏曲》、これらの協奏曲はオペラや、オラトリオ、カンタータの挿入曲、序曲、間奏曲として作曲されたもので、時にはメインのオラトリオなどより、これらの協奏曲を聴くのを楽しみにしていた聴衆もいたということです。ドイツから移住、帰化したゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのものをまず思い浮かべるが、アーンの協奏曲もチャーミングな佳曲ぞろいです。ヘンデルよりも時代が下っているということもあるが、曲調はより古典派的でエレガント。バッハの和声を重視した重厚なオルガン曲とは対照的な、明るく軽やかなオルガン・ソロが展開される。《オルガン協奏曲》はオルガンだけでなく、ハープシコードやピアノフォルテでも弾けるよう書かれたものであった。ヘンデルのハープ協奏曲変ロ長調が音楽史上最初のハープ協奏曲とされるが、これなど《オルガン協奏曲》の別版である。アーンはヘンデルの舞台作品の多くを見聞しており、初演の指揮を買って出たことすらあります。アーンの《オルガン協奏曲》も、ヘンデルの様式を模範とした作品ですが、自由度は高く。演奏者は、オルガンかハープシコードかピアノフォルテか、自分が楽想に合うと思う楽器で演奏することを裁量することができます。オーケストラ・パートも含めて愉悦感に溢れた楽しい曲ばかりで、《第5番ト短調》の少し憂いを含んだ美しさも忘れがたい。クラシック・ファンの中でも、荘厳なオルガン音楽の厳粛さを思い描く方がだいたいを占めるでしょうが、本盤はそういったイメージをお持ちの方に是非とも一度聴いていただきたい。 →コンディション、詳細を確認する
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時間不足で途中までで更新しました。追記、補筆の要望がない限り、推敲した加筆はこれ以降ありません。
Bing Crosby, Mel Torme and his Mel-Tones ‎– DAY BY DAY ‎– Sammy Cahn

Day by day, I wake up for you, I do
And I rise to who knows who
Well if I can say, some other day

Day by day, I reach out to you I do
And I pretend, there's something to it
And if I can say, I've had better days

Day by day, I resort to you, I do
And I wash up after you're through
If I can say, that's okay

You're in my head again
You're in my bed again
You're in my mirror again

And if you don't mind me
I don't mind you

Day by day, I reflect on you, I do
I reflect on you, I do

黒人ジャズ歌手の歌を聴き、盗み取ることで歌唱を磨いていったビング・クロスビーに訪れた好機は、1931年のこと。視点を日本に向けると、昭和6年、コロムビア商標を英国コロムビアから譲り受けた日本コロムビアは、すべての国産レコードのマークを現在の音符のコロムビア・マークに統一。東洋一のコロムビア・マークのネオン塔を川崎工場屋上に完成させた頃。舞踊や教材として蓄音器は普及していったが、マイクロフォンを使って電気録音されたポピュラーソング・歌謡曲のレコードが人気を得始めていた。わが国のラジオ放送は1925(大正14)年、東京と大阪で始まりました。続いて名古屋でも始まり、放送開始以来わずか1年半で、聴取者数30万という爆発的な普及をみました。昭和3年11月10日の昭和天皇即位式のラジオ放送計画を機に、新規加入者数に応じて取扱者に仲介手数料のほかに奨励金を払うことで加入者増大を図っていますが、1931(昭和6)年の岡山・小倉放送局の開局、受信機の低価格化と品質の向上、さらに9月の満州事変の勃発で戦況や国内状況の迅速な情報取得が必要となったことから、同年から加入者が急増しました。また、戦時下にあって、政府は、国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励し、一層ラジオの普及に拍車がかかりました。閑話休題。この年、28歳になったクロスビーはCBSラジオ放送で、自分の名前が冠に付いた15分番組『ビング・クロスビー・ショー』を持つチャンスを掴む。毎週放送される、その甘い歌声はたちまちラジオを通してアメリカ中に広がり、彼は一躍アイドル的存在となってゆく。クロスビーの歌唱は、テクニシャン・タイプではなく、持って生まれた好ましい声質を上手に使って、〝好ましい気分・雰囲気〟を漂わせる高等技術に、その魅力的に聴かせる本質があると考えています。加えて、それこそ〝古きよき時代のアメリカ〟を思い起こさせる声質と同時に彼は、音楽史上においていち早くマイクロフォンを用いることで、新しい時代の歌い方を確立してしまう。
  • Record Karte
    • Conductor – Anthon Van Der Horst
    • Orchestra – Das Amsterdamer Kammerorchester
    • Organ – Albert De Klerk
  • GB TELEFUNKEN LGX66077 アルベルト・クレーク …
  • GB TELEFUNKEN LGX66077 アルベルト・クレーク …

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