34-19750

商品番号 34-19750

通販レコード→英ダークレッド銀文字 英DECCAプレス盤

最後の一音が鳴り終わるまで、時が経つのを忘れてしまう。 ―  オーケストラはロンドン交響楽団。ドヴォルザークの『交響曲第7番』と同じく、英デッカが米RCAから発売すべく録音したレコードです。現在では英デッカ・レーベルで聴くことが出来るが、初発はRCA LIVING STEREOレーベルからリリースされた。録音場所はキングスウェイ・ホールで音質は低域は厚くないが明確で良好。もちろん本盤は欧州セッションですから、蜜月関係にあった英デッカチームのミシャエル・プレムナー、エンジニアは大御所ケネス・ウィルキンソンが担当した録音だ。1950年代後半から蜜月関係にあった英デッカチーム、ジェームス・ウォーカー&ケネス・ウィルキンソン制作の名盤。日本では小品の《愛の挨拶》や行進曲《威風堂々》などがもてはやされているエドワード・エルガーの音楽。しかし、彼が〝近代イギリス音楽の父〟となるきっかけになった作品は、まだロンドンの楽壇に名乗って出る前に、故郷ウスターで書かれた《エニグマ(謎)変奏曲》というオーケストラ作品。全曲中一番美しい変奏である「ニムロッド」を聴きたくなると、そこだけでなく全曲通して無性に聴きたくなる。曲名の『エニグマ ― Enigma』とは、「なぞなぞ」「謎かけ」などを意味するギリシア語。第2次世界大戦中にドイツが用いたエニグマ暗号機の名で世界的に知られる。正式なタイトルは『独創主題による変奏曲 ― Variations on an Original Theme for orchestra』だが、通称である『エニグマ変奏曲』で一般的には定着しており、エルガー自身もその呼称を認めていたようだ。スコアを開くと主題に続く14の変奏に、「C.A.E.」とか「B.R.T.」など、意味ありげなイニシャルが表記されている。これが、「これは何かの謎か?」と詮索され、通称となったのである。晩年のピエール・モントゥーは、この曲を好んで取り上げ、1963年の第6回大阪国際フェスティヴァルでの来日時にシベリウスの交響曲第2番と共に演奏している。その緩急を織り交ぜて展開されるモントゥーの格調高い指揮は、この曲に描かれている方々の品位を全体的に上げているかのように聴こえるほどです。ところで、エルガーの作品自体、ブラームスに通じる局面が多いとも言え、「エニグマ」変奏曲に引き続いてブラームスの変奏曲を聴くことは、ブラームスを生涯尊敬し慈しみ続けたモントゥーこそと考えられるかも知れません。→コンディション、詳細を確認する
ブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》はCDだと、ブラームスの交響曲の余白に収まっていますが、2つの変奏曲を一連として聴く試み。《エニグマ》とブラームスの〝変奏曲〟同士のカップリングは意外と珍しく、CD時代においてはこの《ハイドンの主題による変奏曲》はこれまでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのブラームス・交響曲第2番と組み合わされる機会が多かったですが、本来はこの《エニグマ変奏曲》の後に収録されていました。イングランド西部の都市ウスター近郊で生まれたエルガーは、最初、法律を学んだが、楽譜商兼教会オルガニストであった父の後を受けて独学で音楽を修め、これに専念することになった。作曲は15歳のころから始めたが世に認められたのは遅く、41歳で作曲した「エニグマ変奏曲」(1898年)が最初の成功作であった。ほかに、リヒャルト・シュトラウスから絶賛された「ジェロンティアスの夢」(1900年)、「序奏とアレグロ」(1905年)、「交響曲第1番」(1908年)、「同2番」(1911年)、および晩年の傑作「チェロ協奏曲」(1916年)などが代表的な作品である。彼の音楽は、温和で重厚なため、魅力に乏しいという人もいるがパーセル以来200年間沈滞していたイギリス音楽界で、近代音楽の礎を築いた功績は高く評価されなければならない。第9変奏の冒頭の撫でるような弱音から弦を主体としたクライマックスの響きもさることながら、フィナーレの金管の咆哮。決して下品にならない、英国王室の誇り高き薫りを残したロンドン交響楽団の響き。メンバー各々の大指揮者への尊敬の念と大作曲家への高貴な想いが見事に再現される。わたしがピエール・モントゥーのことを好きになったのは、自分の好きな作品が一人の指揮者の手を借りて最上の表現を得た、と感じたときである。その作品は、サンフランシスコ交響楽団と録音したベルリオーズの幻想交響曲(1950年録音)、フランクの交響曲(1952年録音)、ロンドン響とのシベリウスの交響曲第2番(1959年録音)だ。ひとことで言えば、傑作の真の姿を伝える演奏。自身がヴァイオリンとヴィオラの名手だっただけあって、弦楽器の歌わせ方やメリハリのつけ方など、いかにも達者だが、下手な作為を一切感じさせない。今でもこれらを聴くと、最後の一音が鳴り終わるまで、時が経つのを忘れてしまう。録音自体も1960年以前のものとはいえ、鮮明に記録されていました。当時の英DECCAの録音技術は驚くべきです。
「エニグマ」を聴く時、わたしもご多分にもれず第9変奏を中心に選ぶ。試聴が許されるなら、第9変奏から耳にしてみる。それより、第9変奏を想像しながら展開を味わうように演奏会に臨む。映画やテレビ番組をザッピングしながら、CMをカットしてみるのは味気ないことでしょう。おしゃべりも断然、そこを楽しむ。対面する相手が話をどう切り出して、どういう展開で楽しませてくれるか。エドワード・エルガーの《エニグマ変奏曲》の楽譜には、全14曲ある各変奏のサブタイトル的に、3文字のイニシャルや人名・愛称、そして謎に包まれた不可解な記号・顔文字が付記されているのだ。最初にエルガーは愛妻を紹介してくれる。第1変奏「C.A.E.」とは、このエルガーの愛妻キャロライン・アリス・エルガー(Caroline Alice Elgar)のイニシャルを表している。エルガーは、ピアノの教え子だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚した。婚約の際に贈った『愛の挨拶』は世界的に有名。2番目は「H.D.S-P.」、エルガーと共に室内楽を演奏したピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)のイニシャル。リズミカルで小気味よいメロディは彼のピアノ演奏の様子が描写されている。第3変奏の「R.B.T.」は俳優リチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)のイニシャル。彼は、低い声からソプラノ域まで自在に声色を変えることが出来たという。仕事熱心な地主であったウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)の気質を表すかのような激しい曲想の第4変奏「W.M.B.」に続くのは弟子たち。つまり「R.P.A.」、「Ysobel」、「Troyte」と続いて、エルガーの友人ウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)のイニシャルを持つ、第8変奏「W.N.」の親しみが込められたのんびりとした曲想の最後の一音が次の第9変奏へと伸長されている。第9変奏では、エルガーの親友アウグスト・イェーガー(August Jaeger)の愛称「ニムロッド ― Nimrod」が記された。イニシャルではない4つの変奏曲の一つだ。イェーガーという名前はドイツ語「Jäger」で「狩人」や「狙撃手」を意味する。これと旧約聖書における狩の名手「ニムロデ」が「狩つながり」で結び付けられ、「ニムロッド」の愛称となったという。
かつて、エルガーは作曲家としてのスランプに陥っていた。気分は落ち込み何もかもがいやになって、もう二度と作曲なんてしないとふさぎ込む絶不調の時期を迎えていた。そんな時期のエルガーを救ったのはイェーガーだった。エルガーの親友「ニムロッド」ことイェーガーは出版社で音楽関連の編集者として働いており、エルガーに対して音楽的なアドバイスや、時には厳しい批評をぶつけることで、エルガーの音楽的意欲を鼓舞し、勇気づけ、励ましていた。彼はエルガー宅を訪れ、投げやりになり落ち込む彼にベートーヴェンを引き合いに出して励まし続けた。ベートーヴェンもかつて幾度のスランプに陥り、絶望の淵で遺書まで残していた人物。難聴が日に日に悪化し音楽家にとって生命線の聴覚を失っても、『交響曲第9番』などの大作を世に残した偉大な作曲家。そこでイェーガーは「ベートーヴェンも苦しんだ。だが多くの美しい音楽を残した。君もやらねばならない。」と言い放つと、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」第2楽章の主題を口ずさんだ。そのイェーガーの言葉と歌声は、エルガーの胸の奥で深く深く響き渡った。エルガーによる後日談によれば、『エニグマ変奏曲』第9変奏『二ムロッド』には、あの時イェーガーが歌ってくれたベートーヴェン「悲愴」第2楽章の主題がエッセンスとして取り入れられているという。然し明確な引用ではなく、暗示としてほのめかす程度ではあるが、エルガーとイェーガーの間では即座にわかる、親友同士の目に見えぬ固い絆とつながりが確かにそこには隠されているのです。第10変奏「間奏曲(Dorabella)から思い出の中の忘れられない光景が並び、もはや文字ですらない第13変奏「ロマンツァ(* * *)」の記号が一体何を表しているのかについては、曲中に航海に関連するメンデルスゾーン『静かな海と楽しい航海』からの引用が含まれることから、海外へ渡航した人物が暗示されているとも考えられており、ニュージーランドに移住したかつてのエルガーの婚約者ヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)を匂わせるが今日でも特定されていない。長年謎に包まれたままの、まさに「エニグマ」変奏曲である。フィナーレは愛妻キャロラインがエドワード・エルガーにつけた愛称「エドゥー E.D.U.」。キャロラインのイニシャルを冠した第1変奏、そして親友「ニムロッド」の第9変奏も曲中に織り込まれている。
ピエール・モントゥーの指揮は冒頭から引きつけるものがある。一言で表現すれば〝大人の風格〟か、明快さ、明朗な演奏。若手のやる気満々の指揮者のような情熱の発散ぶりに驚きを禁じ得ません。メカニックな響きはどこにもなく、細部を緻密に掘り下げるのではなく、全体の曲の雰囲気作りと大きな有機的なフレージングを信条とした演奏は、今聴いても新鮮です。曖昧な部分がなく、それでいてスケールは極めて大きい。テンポにもフレージングにもまったく無理がなく、表情はさりげないのに味わいがあって滋味豊か。モントゥーは、ブルーノ・ワルターと同じで70歳を過ぎてから益々意気盛んといった感じの人物者。健康的な快速テンポはこの老人の何処に潜んでいるのだろうか、微妙なニュアンスの豊かさ、スポーツ的にとどまらない陶酔感、推進力を裏付ける音楽性 … 。晩年残された録音は全て傾聴に値するといいたくなるほどの名演揃いで、加えて、最晩年になってもあまり衰えることの無かった気力・体力にも恵まれた所為か、ステレオ録音にも素晴らしい演奏がたくさん残されている。何かと共通点の多いワルターとモントゥー、永遠に其の名を刻む大家と言えよう。若いが年寄りめいた指揮者が多い昨今、モントゥーのような指揮者が現れる事希求します。しかし思うにモントゥーというマエストロは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」のセンセーショナルな初演等々近代音楽で名を馳せましたが、晩年に近づくにベートーヴェンやブラームスなどの古典モノに傾倒した指揮者ですね。同時期のドヴォルザークの交響曲第7番も唯一の録音。響きの豊かさでもさることながら、気品がありながらも高揚する場面も随所に備えた、まさにこの曲を味わうには最適の盤です。当時まだ第7番はそれほど録音される機会は少なかった作品であり、どちらかと言うと有名な第8番や第9番「新世界より」と多少異なり、民族色を前面に出した解釈が多い曲でしたが、いち早く曲の魅力をグローバルに打ち出したモントゥーの指揮は出色でした。
録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO

1950年代半ばから1960年代初頭、ステレオ技術にこそレコードの将来性を感じたRCAは積極的に2チャンネルおよび3チャンネル録音を推進。ライナー、ミュンシュ、モントゥー、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、フィードラーなどの名演奏家たちの決定的な解釈が、ずば抜けた鮮度と立体感を誇る音質によって次々と録音されました。 1958年になってウエスタン・エレクトリック社によりステレオLPレコードの技術が開発され、同じ年、RCAはついに念願のステレオLPレコードを発売、『ハイファイ・ステレオ』の黄金時代の幕開けを告げたのです。 RCAのチーフ・エンジニア、ルイス・レイトンを中心に試行錯誤を経て考え抜かれたセッティングにより、ノイマンU-47やM-49/50などのマイクロフォンとRT-21(2トラック)やAmpex社製300-3(3トラック)といったテープ・デッキで収録されたサウンドは、半世紀近く経た現在でも、バランス、透明感、空間性など、あらゆる点で超優秀録音として高く評価されています。

〝Living Stereo〟は最も自然でありスリリングな録音で、現在でも他の録音に全く劣らないものです。1954年の時点では、まだステレオは実験段階だったと思いますが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れた見事な録音を行っています。1958年ステレオ時代の到来と共に、RCAはフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団と専属契約を結び、数々の名演奏を録音しました。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。ライナー=シカゴ響のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもシャルル・ミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音は〝Living Stereo〟シリーズとしてリリースされ、デジタル録音の進化した現代においてもオーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。
  • Record Karte
  • 1958年6月24〜25日(エルガー)、1958年12月8〜9日(ブラームス)ロンドン、キングスウェイ・ホールでのモノラル&ステレオ録音。
  • GB RCA SB-2108 ピエール・モントゥー エルガー・エニグ…
  • GB RCA SB-2108 ピエール・モントゥー エルガー・エニグ…