34-14235

商品番号 34-14235

通販レコード→英レッド・シール黒文字盤

知性的でありながらも伸びやかさを失わない室内楽。 ―  温かい音色に、4つの楽器が溶け合った朗々とした和音。それでいて、もたれたり、繊細さに欠ける印象はなく、見通しが良い。爽やかさも残すという不思議な印象。テンポの揺れが自然で、そこに息づいている情感の豊かさや呼吸緊密さなどにも、注目すべきものがある。クリーヴランド弦楽四重奏団のデビュー盤。戦前に欧米の大演奏家らが来日して、日本のスタジオでSPレコードをたくさん録音している。録音の記録がないのか、CD化されていない録音がまだ多いのは残念ですが、日本の古い童謡や唱歌を演奏したレコードがたくさんあります。滝廉太郎や山田耕筰の唱歌などが、小学校などの授業で楽譜に書かれた音を誤って歌われていると音楽解説番組で取り上げられもしていますが、日本語の発音に影響されないチェロでの演奏などは、日本の演奏者やオーケストラによる録音より音楽的でした。プッチーニが歌劇「蝶々夫人」で日本の旋律の数々を引用しているように、海外の演奏者には関心事のようです。1969年に録音された、ジャン=ピエール・ランパルのフルート、リリー・ラスキーヌのハープという往年のフランス人名演奏家による「春の海」というレコードと、1982年に録音された「日本の詩情」と題されたアルバムは演奏、録音ともによく忘れることは出来ません。その「日本の詩情」がクリーヴランド管弦楽団アンサンブルによる演奏でした。そうした出会いもあり、クリーヴランド四重奏団には関心を寄せて聴いています。それは Philips発売で録音が良く、やがてデジタル録音の高品質盤で有名になる当時の、Telarcの社長と副社長が録音に携わっていた。ロリン・マゼール指揮でクリーブランド管は「春の祭典」「展覧会の絵」「幻想交響曲」をTelarcに続々録音。デモンストレーション効果の高い管弦楽曲の人気曲のリリースがひと通り揃うと、ベートーヴェンの録音を集中的に行った。クリーヴランド四重奏団の弦楽四重奏曲全曲録音は、デジタル録音で完成された最初の全集ではなかったか。ベートーヴェンの弦楽四重奏の世界にどっぷり浸かって数多の演奏家で聴いてしまうと、何が自分の好みで、何が自分にとって嫌いか、ということがますます鮮明になる。これだからクラシックの愛好家は偏屈だと言われてしまうところなのだろう。
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齢を重ねるとともにかつて自分が大好きだった演奏が輝きを失い、いまいちだと思っていた演奏に良いものが見つかったりすることである。ポピュラー音楽とは、体内への受け入れ方が違うのだろう。熊本地震で被災して、しばらくは聴く気が起こらなかった。ようやくドヴォルザークから耳を馴染ませて、ブラームスで心癒された。地震前はベートーヴェンは付き合い程度で、良い聴き手でないことが悩みと感じだしていたが、今では地震前以上にベートーヴェンを聴いている。それも積極的に良く聴き込もうとしている自分を見つけた。第2次世界大戦直後に発売され評判良かった録音を聴いたのが契機だった。それまで聴いていたレコードに対しても、心変わりはそんなところにある。目立つデベソが公を向いているとき、クリーヴランド四重奏団の評価は私の中ではそれほど高くはない。当然、当時の世評は良かったし、人それぞれ趣味があって音楽は自分なりに楽しめばいいのだが、クリーヴランド四重奏団を熱烈に誉める人があったり、そういう評を読んだりすると自分の聴き方が悪いのではないと心強くなる。私はクリーヴランド四重奏団の演奏を好む人と、嘗ての回顧であっても、分かり合える気がする。小学生の時の同級生が地元音楽大学の教授の倅で、彼のナビゲーションで教授のコレクションからヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団やジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のレコードを聞かせてもらったことに始まり、「未完成交響曲」、エリー・アメリンクの歌曲集に魅了されて作品集は何枚か聴いた。その後、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」、ペーター・シュライアーの「美しい水車小屋の娘」に夢中になった。室内楽曲は歌曲が元になっているというので、「ます」と「死と乙女」をよく聴いていた。CBSソニーのレコードだったけど、演奏はどこだったのか。そうだ、ジュリアード弦楽四重奏団だ。アメリカの団体なので“Death and the Maiden” なんてカバー表記はヘビメタみたいだが、ドイツ語原題で“Der Tod und das Mädchen" はシューベルト自身が書いた歌曲の題名であり、その前奏部分が第2楽章冒頭に引用されている。歌曲が元になっているというので、という説明があったが歌のメロディー部分ではないのになぜだろうかと不思議だった。シューベルトは1828年11月、31歳のときに腸チフスにかかり、わずか2週間で亡くなっている。1824年に作曲された「死と乙女」の四重奏曲は、すべての楽章が短調で書かれた健康の衰えを自覚したシューベルトの絶望的な心境が垣間見える。
超著名曲であり、名演奏・名盤に事欠かない曲だが、このクリーヴランド四重奏団の演奏は永遠の青年=シューベルトの直接的な情熱と屈折した悩みのどちらをも十全に現して余りある好演だ。デビュー盤という初々しさがこの場合、プラスに働いていると言っていいだろう。シューベルトが、この曲に込めた切実さと緊張感がこの演奏には満ち満ちている。ジュリアード四重奏団盤と一緒に買ったのが、若きアメリカのカルテット、クリーヴランド四重奏団との異色の共演としてアルフレート・ブレンデルがフィリップスで初めて取り組んだ「ます」でした。バッハからシェーンベルクに至る幅広いレパートリーを持っていたブレンデルは、最初からレコーディングに積極的で、すでに1960年代からアメリカのヴォックスやヴァンガード・レーベルに数多くの名盤を残しています。その名が真の意味で世界的に知られるようになったのは、1970年に専属契約を結んだフィリップス・レーベルへのレコーディングを通じてでした。ソリストとしてのレコーディングに専念しているばかりかに思えたブレンデルによる突然の室内楽録音であったというだけでなく、1969年にマールボロ音楽祭で結成されたアメリカのカルテット、クリーヴランド四重奏団との共演であったという点が大きな注目を集めました。ここにかつてないほどシューベルトの神髄に迫る表現が生み出されていることに驚嘆した。この演奏では、弦がピアノを支え、あるいは対立するのではなく、文字通りピアノに同化し、主従を考えさせないほどの融合を実現している。歌う呼吸も自然であり、テンポは絶えずデリケートに揺れ動きながら迫力更新を重ねて、一瞬たりとも緊張を失うことがない。シューベルトの音楽そのものの純粋性を表出した、稀有の一例である。『レコード芸術』1979年10月号。1978年の音楽之友社「レコード・アカデミー賞」の大賞を受賞することになったのも当然のこと、かつてないほどの明晰さを湛え、これまでの作品のイメージを一新させるかのような鮮度の高い「ます」でした。後年のベートーヴェン全集のような、腰の据わったクリーヴランド四重奏団も魅力的だが、駆け出しの時点での、若干、危なげで、せっぱ詰まったかのようなこの演奏の方が室内楽的魅力を濃厚に感じさせてくれるような気がする。
当時のアメリカのソリスト級の実力を持つ生え抜きの奏者を4人揃えた感があったクリーヴランド弦楽四重奏団(Cleveland Quartet)は1969年、マールボロ音楽祭で知り合った4人の若いアメリカの弦楽奏者たちによってクリーヴランドで結成された。創立メンバーはヴァイオリンがドナルド・ワイラースタイン(第1)、ピーター・セイラフ(第2)、ヴィオラがマーサ・ストロンギン・カッツ、チェロがポール・カッツであった。1971年からニューヨーク州立大学で、1976年からイーストマン音楽学校でレジデンス・カルテットとして活躍した。いずれもソリスト級の腕前の持ち主で、あらゆる音符や音型が吟味されつくし、隅々まで神経が行き届きながらも決してそれが過剰になることなく、知性的でありながらも伸びやかさを失わない室内楽というジャンルの在り方の新しい魅力を開示した、アメリカ屈指の四重奏団として注目を集めた。その冴えた技巧と機能的なアンサンブル能力によって、これまでの団体とは一線を画し、カルテットの歴史を塗り替えるとも目されるほどの評価を獲得していました。1972年のブラームスの弦楽四重奏曲全集を皮切りに、RCAによって続々と発売されたアルバムもそれまでの伝統にとらわれることのない若々しく新鮮な解釈であり、新世代のカルテットとして一世を風靡する存在になっていた。1980年にヴィオラがアターレ・アラッドに、1987年に第1ヴァイオリンがウィリアム・プレウシルに交代したが、円熟期を迎えた1995年にテラークにベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音を残すと、26年間の活動を終えて、惜しまれつつ解散した。
1973年録音、1974年リリース。Violin – Donald Weilerstein, Peter Salaff, Viola – Martha Strongin Katz, Cello – Paul Katz. Producer – Max Wilcox, Engineer – Richard Gardner.
GB RCA  RL1-0463 クリーヴランドSQ シューベルト・…
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