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あれは悪魔に魂を売って手に入れたに違いない ― 史上最高のヴァイオリンの名手と言われたニコロ・パガニーニ(1782~1840)は黒い衣装を好み、その演奏技術も悪魔的だが、容貌も悪魔的だったせいもあるが、あまりに凄まじい演奏技巧を持っていたので、聴衆は本気で十字を切るもの、本当にパガニーニの足が地に着いているか彼の足元ばかり見ていた観客もいたほど多くが演奏会に集った。ドラクロワが描いたパガニーニの肖像画にみる通り、手にしているヴァイオリンも弓も、まるで子供の玩具のように小さく描かれている。それだけ、人並みはずれた背の高い人物であった。痩せ身で、指が蜘蛛のように長かったばかりか、全身毛むくじゃらで、もちろん顔は髭に覆われていて肌は色白で、顔は青白かったと伝えられている。さらに、その指は常人よりもはるかになめらに動き、目にも止まらない速さだったうえに、奏でる旋律のほとんどは魔法のように人々を魅了していったので、「悪魔に魂を売ってヴァイオリンの技法を身につけた」との噂が実しやかに広まった。1828年3月、45歳の時からのウィーン公演を皮切りに海外公演を始め〝パガニーニ・フィーバー〟が巻き起こり、「強烈なる旋律」&「華麗なる技巧」をもって人々を魅了。「入場料3倍でも完売」、「1時間前に超満員」などの逸話もできました。その後の音楽家たちに多大な影響を与えた。彼の素晴らしいのは決して超絶技巧だけではありません。希代のメロディーメーカー。明るく甘く美しく。イタリアそのものの旋律あればこそ、深く人々の心にしみ込んでいったのです。貧乏なシューベルトは家財道具を売り払って、パガニーニの演奏会に行き ― そのメロディーに「天使の声を聞いた」と呟き、リストはパガニーニを聞いて ― そのテクニックに、自分はピアノのパガニーニになろうと決めたくらいです。パガニーニの旋律ほど、後世の音楽家の心を揺すぶるものはないようです。リスト、シューマン、ラフマニノフといった、そうそうたる作曲家が彼の曲を編曲しています。悪魔が乗り移ったとしか思えないテクニックの持ち主。神経質で暗く、謎だらけの生活。技巧を盗まれるのを嫌い、弟子もとらず、唯一の弟子にも、技巧をよく教えなかったとか。楽譜をコピーされるのを避けるために、リハーサルでもソロパートを弾かずに、本番一度切りしか弾かなかったとか。2013年のドイツ映画「パガニーニ、愛と狂気のヴァイオリニスト」でも描かれて、極めつけは死後、それを理由に教会に埋葬を断られ、56年間も息子アキリーノは遺体をもったまま彷徨ったそうです。パガニーニの生涯(1782〜1840)は、おおよそ産業革命が起こった時期と重なる。映画でも、港には多くの帆船が係留するが、蒸気機関を使った外輪船も出てくる。その映画でテーマ曲として使われたのが本盤の《ヴァイオリン協奏曲第4番》第2楽章アダージョ・フレビーレ・コン・センティメント。劇中でパガニーニがシャーロットに歌わせるアリア「あなたを想っているわ、愛しい人よ」の旋律です。作曲年代は不明だが、1830年2月にパガニーニがジェノヴァの友人にあてて書いた手紙の中に「いま完成した」とあるので、おそらく1831年3月20日にパリ・オペラ座で初演された。パガニーニの死後、楽譜は息子のもとに保管されたが、やがて処分されてしまった。バルセロナの古書店で13歳だったパブロ・カザルスが偶然「無伴奏チェロ組曲」の楽譜を「発見」したことに似て、1936年にパルマのくず屋が買い取った紙束の中から、アキリーノの署名がある本作のオーケストラ譜が発見され、そのオーケストラ譜を買い取ったイタリアの蒐集家ナターレ・ガルリーニがその後、北イタリアのコントラバス奏者ジョヴァンニ・ボッテジーニの遺品の中にヴァイオリンの独奏パート譜を発見した。そうして、1954年11月7日に、ナターレの息子フランコ・ガルリーニ指揮によって、アルテュール・グリュミオーの独奏ヴァイオリン、ラムルー管弦楽団で初めて披露され、さっそくPHILIPSで本盤は録音されました。
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アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921年3月21日〜1986年10月16日)はベルギーのヴァイオリニスト。ヴィレール・ペルワン(Villers-Perwin、ワロン地域のエノー州)で生まれた。労働者階級の出身だが、祖父の奨めにより4歳でヴァイオリンを学び、6歳でシャルルロワ音楽院に入り、11歳になるまでにシャルルロワ音楽学校のヴァイオリン科とピアノ科の両方で首席をとった。1933年ブリュッセル音楽院に進み、名教師アルフレッド・デュボワに師事。デュボアはウジューヌ・イザイの弟子にあたり、グリュミオーはまさにベルギーのヴァイオリン演奏伝統を一身に受け継いだ訳です。1949年にはグリュミオー自身も、そのブリュッセル王立音楽院のヴァイオリン科で教鞭を執った。パリに留学してジョルジュ・エネスコに入門もして、早くからその才能は認められました。第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで室内楽の演奏旅行を行なった。戦争でデビューは戦後になったが、その美しい音色と華やかで流麗な芸風は〝ジャック・ティボーの再来〟と言われ、戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、とりわけピアニストのクララ・ハスキルをパートナーに迎えて行なった演奏活動は「黄金のデュオ」と評された。実演に、LPレコードに活躍しましたが1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。ハスキルの没後、約20年間モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを録音することはなかった。1961年には来日も果たしています。グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、1973年に国王ボードゥアン1世により男爵に叙爵された。その後も持病の糖尿病に苦しめられながらヴァイオリンの指導を続けたが、1986年に心臓発作によりブリュッセルにて他界した。愛用したヴァイオリンは、グァルネリ・デル・ジェス:1744年製「Rose」。ストラディヴァリウス:1715年製「ティティアン〝Titian〟」、1727年製の「エクス=ジェネラル・デュポン〝Ex-General Dupont〟」も所有。ジャン=バティスト・ヴィヨーム:1866年製は「エクス=グリュミオー」として知られ、現在はジェニファー・コウが所有している。肩当ては、ドイツのGEWA社のModell ll を使用していた。
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    1. ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ短調 MS 60, Violin Concerto No. 4 in D Minor, MS 60:アルテュール・グリュミオー - Arthur Grumiaux (ヴァイオリン)、コンセール・ラムルー管弦楽団 - Lamoureux Concerts Orchestra、フランコ・ガッリーニ - Franco Gallini (指揮)、録音: November 1954, Paris, France
    2. ロッシーニのオペラ「タンクレディ」のアリア「こんなに胸騒ぎが」による序奏と変奏曲 Op. 13 MS 77, Introduction and Variations in A Major on Di tanti palpiti from Rossini's Tancredi, Op. 13, MS 77, "I palpiti" (arr. F. Kreisler for violin and piano) 編曲 : フリッツ・クライスラー - Fritz Kreisler、アルテュール・グリュミオー - Arthur Grumiaux (ヴァイオリン)、リッカルド・カスタニョーネ - Riccardo Castagnone (ピアノ)、録音: July 1958
  • GB  PHIL  GBL5576 アルテュール・グリュミオー パガ…
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