34-20625
商品番号 34-20625

通販レコード→ 英ダーク・プラム銀文字盤 Minigroove
魂を抉るが如く生々しい叫びが聴こえる! ―  カラヤンの手兵だったウィーン交響楽団との演奏だ。ウィーン・フィルでも無く、ベルリン・フィルでもなく、ウィーン交響楽団のエネルギーを徹底的に内燃させた響きが素晴らしい。ベームが、反対派(=カラヤン派)の陰謀にウィーン国立歌劇場監督の地位を辞任した直後の録音である。テレサ・シュティヒ=ランダル、イーラ・マラニウク、ヴァルデマル・クメント、クルト・ベーメ、いずれも充分な実力と風格と初々しさも兼ね備えた素晴らしい歌唱を聴く事が出来る独唱陣も充実の限りといえる。ドキュメントと扱われがちだがモーツァルト生誕200年を前に、ステレオに移行する直前のこと、各レコード・レーベルから目白押しでレクイエムのモノラル・レコードが登場した。極めつけは、モーツァルトの命日にゆかりのシュテファン大聖堂での式典も含めたライヴ録音だろう。ベーム1回目の〝モーツァルト・レクイエム〟録音。2回目のウィーン・フィルとのステレオ録音とともに名盤として知られています。カール・ベームはモーツァルトやリヒャルト・シュトラウスの録音をずいぶん聴きましたが、巨匠指揮者のレコーディングで残念なのが宗教音楽やオラトリオが少ない。1960年代にバッハのマタイ受難曲を振ってる巨匠で在りながら、映像で残っているものも在るというのに実際のレコーディングに反映されてないのは残念である。カラヤンとベルリン・フィルのモダン・オーケストラの機能を120%活用したような演奏も見事なものですが、ウィーン響の質朴な音も全編活力に満ちたベーム絶頂期に合っているように思える名演奏。精気あふれた剛毅な演奏は高く評価され、各国のレコード賞を受賞。1970年代を過ぎてテンポがゆったりとなり全体の造形がそれまでの楷書体から草書体に変化した印象を受けるようになったが、そのイメージで聴きだすとあまりの優美さに面食らうかもしれない。第1曲の「入祭文」は、実に落ち着きのあるテンポで始まる。何の装飾の無い素直な合唱も好ましい、そこで対象となるのは、1971年に再録したレコードとの違いだが、ここでは魂を抉るが如く生々しい叫びが聴こえる。第2曲の、「怒りの日」の激しさは物凄い衝撃である。その第5部の「呪われし者を愧服せしめて、烈しき焔に渡し給わん時」と絶筆箇所がある第6部の「かの日や涙の日となるかな」と歌われる合唱の慟哭感も、感情移入できる不思議な体験ができる。ベームはあくまでも真摯にジュスマイヤーが補完した後半も含めて全曲に統一した精神を貫いている。第6曲の「神の子羊」の澄んだ歌聖も、まるで別世界である。第7曲「永遠の光」で終曲を迎えるが慈悲深さは何たる事だろう。本盤は厳しいまでに端正で古典的な佇まいと、凝縮された推力とエネルギーを併せ持っている。
流線型のヘルベルト・フォン・カラヤンや全身全霊のヴィルヘルム・フルトヴェングラーとは違う、なにか古き良きドイツ=オーストリアの雰囲気を感じられるカール・ベームの指揮。フルトヴェングラーは時の経過につれて奥深さを痛切に感じるのは聴き手として、わたしが歳を重ねたことにあるのか。今となってはベームの音楽がわからなくなっている。カラヤンを際立てるために同時代にあったのだろうか。膨大なレパートリーの印象がカラヤンにはあるが、1945年以後の音楽には関心がないと明言している。ベームのレパートリーはどうだっただろう。『現在ドイツ、オーストリアに在住する指揮者としては、フルトヴェングラー亡きあと最高のものであろう。』とカラヤンとの人気争奪戦前夜の評判だ。『その表現は的確で、強固なリズム感の上に音楽が構成されている。メロディを歌わせることもうまいが甘美に流れない。彼は人を驚かすような表現をとることは絶対にないが、曲の構成をしっかり打ち出し、それに優雅な美しさを加え、重厚で堂々たる印象をあたえる。まったくドイツ音楽の中道を行く表現で、最も信頼するにたる。レパートリーはあまり広くはないが、彼自身最も敬愛しているモーツァルトや生前親交のあったリヒャルト・シュトラウスの作品はきわめて優れている。しかしブラームス、ベートーヴェンなども最高の名演である。』これが1960年代、70年代の日本でのカラヤンか、ベームかの根っこになった批評ではないか。
カール・ベーム指揮ウィーン交響楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団。テレサ・シュティヒ=ランダル(ソプラノ)、イーラ・マラニウク(アルト)、ヴァルデマル・クメント(テノール)、クルト・ベーメ(バス)。フランツ・シュルツ(オルガン)。1956年11月モノラル録音。
GB PHIL ABL3213 ベーム モーツァルト・レクイエム
GB PHIL ABL3213 ベーム モーツァルト・レクイエム