34-23697

商品番号 34-23697

通販レコード→英ワイドバンド ED1相当 デッカ・プレス盤

このオペラを語る時に欠かせない録音。 ― チレアはプッチーニより8年後輩のヴェリズモ・オペラの作曲家。このオペラは彼の〈アルルの女〉と並ぶ傑作で、コメディ・フランセーズの花形女優アドリアーナ・ルクヴルールをめぐる悲劇。音楽による筋立ても実によく出来ている、甘い旋律が充満したメロドラマ。1902年の作曲。その頃、先輩プッチーニは、歌劇「トスカ」を終え、「蝶々夫人」に取りかかるところだった。マーラーは交響曲第5番を作曲中、リヒャルト・シュトラウスは交響詩を書き終えてしまい、「家庭交響曲」を執筆中、でも楽劇「サロメ」はまだ構想の中だったし、シェーンベルクは楽劇「ペレアスとメリザンド」を作曲中。フランスではドビュッシーが活躍中。英国ではエルガーが…こんな時代背景を考えると、グランド・オペラのスタイルをしっかり受け継ぎながら、それぞれに短いながらも素晴らしいアリアが配置され、バレエ音楽まで設けられている。生々しいヴェリズモからは一歩も二歩も距離を置き、やや保守側に軸足をもち美しくもデリケートな旋律を追い求めたチレアだけれど表面的に美しい音楽で耳あたり良い訳でなく、登場人物たち各々や、その行動には音楽によってしっかり色分けるライトモティーフが与えられている。さらに新古典主義的・回顧的な音楽も盛り込み、かなり緻密なオペラが出来上がっている。戦後のイタリア・オペラの黄金期を支えた3大歌手、マリオ・デル=モナコ、レナータ・テバルディ、ジュリエッタ・シミオナートによる名盤です。サクソニアの将軍マウリツィオを演じる〝黄金のトランペット〟デル=モナコの情熱的な歌唱もさることながら、テバルディとシミオナートによる恋の鞘当てが素晴らしい。このアドリアーナと公爵夫人のコンビは数ある演奏の中でも最高で、本盤以降《アドリアーナ・ルクヴルール》の録音は常に比較されてきた、このオペラを語る時に欠かせないデル=モナコ、テバルディ、シミオナートの黄金トリオによる名盤です。このオペラ初の全曲盤で、1962年のADFディスク大賞を受賞している。
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プッチーニ、マスカーニなどとともに新イタリア楽派に属していたチレアの代表作のオペラです(初演は1902年ミラノ・リリコ劇場)。このチレアの音楽の密度の濃い色彩感、歌が引き立ちつつもオーケストラと絡み合いドラマティックに音楽が展開する作品内容はプッチーニに通じます。ただし、有名なアリアがないため、オペラ自体は地味な存在かも知れません。本盤はテバルディもデル=モナコも、もちろん凄いが脇役までもが輝きに満ちていて、名手達が一堂に会し渾身の歌唱でイタリア・オペラの代表作を歌い上げています。まさに、イタリア・オペラ界の栄光の一枚です。指揮のカプアーナの指揮も充実しています。
第二次世界大戦後の世界の歌劇界に、戦前のエンリコ・カルーソー、トティ・ダル・モンテ時代に優るとも劣らないイタリア歌劇黄金時代を築き上げたのは、レナータ・テバルディ、マリア・カラス、ジュリエッタ・シミオナート、マリオ・デル・モナコ、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ、エットーレ・バスティアニーニ、アルド・プロッティなど、わが国にも馴染み深い歌手に負うところが大きい。中でもテバルディとカラスはオペラ界の両横綱ともいえる存在で、たとえ現在の実力が全盛時代ではないとしても、われわれの耳には、その美しい声と共にプリマドンナとしての貫禄からも忘れることの出来ないものとなっている。カラスがその類ない優れた演技力をもってイタリア古典歌劇から近代にいたる、又、コロラトゥーラからリリック、そしてドラマティックとソプラノの汎ゆる声質をこなしているのに反してテバルディはヴェルディ、プッチーニ、イタリア・ヴェリズモ派を中心とする作品に集中、リリコ・スピントのソプラノとしてイタリア・ベル・カント ― 美しく歌う ― を伝承している。継ぎ目なく2オクターブを斑なく歌いきる、その澄み切った〝ビロードの声〟と正確な発音。スケーリング、最上の劇的表現力に加うるに美しいピアニッシモ、巧みな声色の変化といったオペラ歌手としての必須条件全てが彼女の場合一体となって現れ、そこにわれわれを魅了している。カラスの歌には、どこか研ぎ澄まされた鋭い衡が感じられるとするならばテバルディのそれには憐愍のぬくもりが感じられる。
あなたは天国からやって来た天使のように歌わなければいけないよ。
1950年代から60年代にかけてのミラノ・スカラ座の黄金期に出演・活躍し、20世紀後半におけるイタリア・オペラの代表的ソプラノ歌手の一人といわれるレナータ・テバルディ(Renata Ersilia Clotilde Tebaldi, 1922.2.1〜2004.12.19)。1923年チェロ教師の娘としてロッシーニの故郷ペザロで生まれたテバルディは、パルマのボーイト音楽院にはいり、はじめピアノを学んだが、17歳の時、彼女の歌うのを聞いた教師のすすめによって声楽に転向、カルメン・メリスに師事した。1944年5月23日、ロヴィーゴでボーイトの歌劇「メフィストーフェレ」のエレナ役でデビュー。1946年スカラ座再開の時には名指揮者トスカニーニに招かれて出演、その後は文字通り世界のプリマ・ドンナ、ソプラノの女王として世界各地の大劇場に出演している。この24歳のソプラノを抜擢したのは巨匠アルトゥーロ・トスカニーニ。ヴェルディの『テ・デウム』の独唱と、ロッシーニの歌劇『モーゼ』からのアリア「祈り」を歌ったテバルディを、巨匠は〝天使の歌声〟と絶賛したのでした。彼女は「イタリア・オペラの救世主になるだろう」と新聞評で賞賛されテバルディの前途に期待がかけられた。「あなたは天国からやって来た天使のように歌わなければいけないよ」と、その公演のリハーサルの際、トスカニーニが彼女に言っていたのだが、それまで無名だったこの若いソプラノ歌手は、この公演からまるで天使のように素晴らしい羽ばたきを始める。1961年NHKの招いた第3回イタリア歌劇団のプリマ・ドンナとして来日、チレアの歌劇『アンドレア・シェニエ』ではマリオ・デル=モナコと、プッチーニの歌劇『トスカ』ではジャンニ・ポッジと共演、その素晴らしい演唱は未だわれわれの記憶に新しい。1956年に、その第1回公演を行ったイタリア歌劇団の日本公演は、1973年で7回をかぞえ、プログラムも数十曲に及ぶ多彩さであるが、その数多い思い出の中でも最も印象深いのは第2回(1959年)のヴェルディの歌劇「オテロ」におけるデル=モナコとティト・ゴッビの灼熱した舞台と、第3回(1961年)のジョルダーノの歌劇「アンドレア・シェニエ」であった。今でも思い出すのは、牢獄から断頭台に牽かれてゆくシェニエと別れを告げるあの二重唱ほど、生涯忘れることの出来ないほどの強烈な印象を心の中に記したが、確かにデル=モナコとテバルディの灼熱的な二重唱は、当時聴き得た最高のステージであった。この時テバルディは「トスカ」も歌ったのだが、1メートル85もある長身のテバルディが、その第1幕で「マリオ、マリオ」とカヴァラドッシをたずねて聖アンドレア・デルラ・ヴァーレの寺院に入ってくる時の場面は、世界のプリマ・ドンナの登場に相応しい素晴らしき姿だった。
また、彼女は一貫して英デッカに録音を残したので、まさに彼女の黄金期の声を聴くことができる。録音はほとんどがセッションを組んでレコーディングされたものであり、そのため、モノラルの音源でも音質条件は良好、レナータ・テバルディの美声を軸に贅を尽くして制作された数々のオペラ全曲盤に出演する個性豊かな共演者の声も、英デッカならではの克明な音で聴くことが出来る。たとえばカタラーニの『ワリー』では気高い歌唱が今もって最高の評価を得ていますし、ヘルベルト・フォン・カラヤンとのヴェルディの『オテロ』はマリオ・デル=モナコの強烈な歌唱はじめすべてが好条件の名盤という評判でした。1951年の夏、英デッカが計画したプッチーニのオペラ3作〈ボエーム〉〈蝶々夫人〉〈トスカ〉のレコーディングの主役に選ばれ、当時最新のメディアであったLPという後ろ盾を得たテバルディは、その名声を世界的なものとする一方、名実共にスカラ座のプリマドンナとなり、同じ時期に台頭したマリア・カラスとの間で伝説ともなっている熾烈かつ華麗な歌手としての戦いを演じ、〝イタリア・オペラの黄金時代〟と讃えられる繁栄を招来しました。1955年1月31日、スカラ座を去ったテバルディは、デル=モナコを相手役に『オテロ』のデズデモナ役でメトロポリタン歌劇場にデビュー、その後は世界最大のオペラ・ハウスを主舞台として活躍、1951年以来の専属だったデッカに得意の役柄を次々とステレオ録音し、その地位はもはや揺ぎないものとなっていました。テバルディの素晴らしい芸術の秘密は、その豊かな呼吸から得られるフレージングと、輝かしいまで艶のある声で作り出す声のドラマであろう。性格的にはクッキングが趣味であると答えるように、常に誠実さを貫き通すプリマ・ドンナである。
ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSP盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLP盤を発売する。特にLP時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。日本では1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLP盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。
  • Record Karte
  • アドリアーナ:レナータ・テバルディ(ソプラノ)、マウリツィオ:マリオ・デル=モナコ(テノール)、ブイヨン公爵夫人:ジュリエッタ・シミオナート(メゾ・ソプラノ)、ブイヨン公:シルヴィオ・マイオニカ(バス)、ミショネ:ジュリオ・フィオラヴァンティ(バリトン)、ジャズイユ僧院長:フランコ・リッチャルディ(テノール)、マドモアゼル・ジュヴノ:ドラ・カラル(ソプラノ)、マドモアゼル・ダンジュビル:フェルナンダ・カドーニ(メゾ・ソプラノ)、ポワソン/家令:アンジェロ・メルクリアーリ(テノール)、キノー:ジョヴァンニ・フォイアーニ(バス)、ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団&合唱団、フランコ・カプアーナ(指揮)、1961年7月ローマ、聖チェチーリア音楽院でのステレオ・セッション録音。
  • GB LON OSA1351 カプアーナ・ローマ聖チェチーリア国立音…
  • GB LON OSA1351 カプアーナ・ローマ聖チェチーリア国立音…