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音が厚く、すべてが明快に鳴り響き聴き手を圧倒します ― 剥げ頭に大きな御凸、頭が二つあるくらいインパクトの強いキャラクターをもつ広く日本のクラシック音楽ファンに親しまれた指揮者、ホルスト・シュタインはバイロイト音楽祭で「パルシファル」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を振っていることからも実力は双頭なもの。NHK交響楽団では、1973年の定期公演に初出演。ワーグナーを始めとした数々の名演で知られ、1975年からはN響名誉指揮者となり、1998年までの間に16回共演。サヴァリッシュと共に育ててきた功労者。1980年から85年までスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督も務めていました。このシベリウスは就任以前の1970年から少しずつ録音されたもので、両者の良い関係を証明するものでもあります。なかでも「交響曲第2番」や「フィンランディア」などは音が厚く、すべてが明快に鳴り響き聴き手を圧倒します。まるでワーグナーを思わせる壮麗な響きに満ちており、当時の音楽誌でも大絶賛されました。ワーグナーのスペシャリストでもあったホルスト・シュタインはシベリウスも得意としており、音の重なり、音の層が実に見事で、それは派手・華麗・華美とは無縁。その硬派でがっちりした演奏にはファンも多かったようです。シベリウスは初期の作品などでは独墺系作曲家の影響も受けており、ドイツ的な演奏スタイルが功を奏することが多いのもそのためとも思われます。ドイツ・ロマン派の音楽やオペラで他の追随を許さないエネルギッシュな指揮芸術は、ドイツの正統的なカペル・マイスターの伝統に根ざしており、滋味溢れる深い味わいは感動と充足を誘う。エルネスト・アンセルメに鍛え上げられたラテン的明度と彩度の高いスイス・ロマンド管弦楽団が、その木管の音色の良さを保持したまま珍しくも金管は強力なバスを響かせ威厳をもって鳴らしている。それもそのはず製作陣はデッカ一軍のリチャード・ベズウィック、エンジニアはコーリン・マーフォートがジュネーブまで出張、セッション組んだ録音ですからシュタインの実力が証明されている。ここでシュタインは重みのある充実した演奏を展開、ロマン派オーケストラ作品の傑作としての位置づけを誇示するかのような説得力も持ち合わせています。勝利感に満ちた開放的な最後にはならず、渋い響きでさっさと進む足取り。北欧的なシベリウスとは一線を画した個性的名演です。
ホルスト・シュタイン(Horst Stein)は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタート、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク交響楽団とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。ワーグナー、ブルックナーをはじめとした、ドイツ音楽の伝統を受け継ぐ指揮者として確固とした地位を築いている。日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどNHK交響楽団との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。享年80歳でした。
交響詩『フィンランディア』 op.26、交響詩『夜の騎行と日の出』 op.55、交響詩『ポヒョラの娘』 op.49、交響詩『エン・サガ』 op.9。1971年6月ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホールでのリチャード・ベスウィックのプロデュース、コリン・ムファットによるステレオ・セッション録音。
GB LON CS6745 ホルスト・シュタイン シベリウス・フィン…
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