34-11409
商品番号 34-11409

通販レコード→ 英シルバー・アンド・ライトブルー銀文字盤 [オリジナル]
モノラル録音の疑似ステレオ盤だが、是は成功している。 ―  セーナ・ユリナッチの清潔で膨らみのある歌声が、この役には非常によく合っている。彼女が歌い出すと空気が変わるというか、聖域にふれているような心地にさせられる。これぞ美声中の美声である。本名はスレブレンカ・ユリナッチ。正確には〝ユリナッ〟ではなく〝ユリナッ〟らしいが、本人にはこだわりはなく、「名前なんて、いつもそんなものです」と述べている人柄が反映されているのか、そこには作品のエッセンスを聴き手の耳の奥、心の奥にまで確実に届ける恩寵のような力も備わっているばかりか、声域が広く、ソプラノからメゾ・ソプラノまで自在に歌っていたユリナッチのレパートリーはかなり広い。『コジ・ファン・トゥッテ』ではフィオルディリージ役、ドラベルラ役の両方で成功しているほどだ。豊かで深みがあり、あたたかく、声域全体のトーンが安定している。当たり役をしぼると、『ポッペアの戴冠』のポッペア、『イドメネオ』のイリア、『コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージとドラベルラ、『フィガロの結婚』のケルビーノと伯爵夫人、『フィデリオ』のレオノーレ、『ドン・カルロ』のエリザベッタ、『イェヌーファ』と『蝶々夫人』と『トスカ』のタイトルロール、『ばらの騎士』のオクタヴィアン、『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家あたりになるだろうか。とにかく、どの役も甲乙つけがたく、水準が高いので、これさえ聴いておけば十分というものを数枚に限定するのは不可能である。1956年、当時62歳だった巨匠カール・ベームが振ったウィーン交響楽団との『フィガロの結婚』は、役柄に違和感を感じる声質の歌手は居ない。〝古き良きウィーン〟が其処に在る。本盤で歌う、ユリナッチが素晴らしい。伯爵夫人役を内面から掴んでいることがわかる。第2幕冒頭のカヴァティーナ「愛の神よ(Porgi, amor)」での、音楽が止まりそうな遅いテンポで歌われる彼女の貫禄ある歌唱。第3幕のアリア「楽しい思い出はどこへ(Dove sono)」は色気ムンムン。夫の心変わりを嘆きながらも、清楚さと軽やかさを残している伯爵夫人だ。アルマヴィーヴァ伯爵はパウル・シェフラーだが、変に威圧感も出さず高潔な存在感を示している。フィガロのワルター・ベリーも27歳の若さだったが、演技は抑えて歌い崩しが無い。其れはスザンナのリタ・シュトライヒも同様だ。歌手は全体に粒が揃っている。それにしても巨匠の指揮は堅実で優雅だ。テンポは寧ろ普通なのに実際の速度よりも遅く感じてしまう。細部をおろそかにしない、地に足のついた演奏でありながら独特の推進力がある。ベーム調に完全ドライブしたモーツァルト、ベームならではの質実剛健なアプローチが作品本来の味わいをよく引き出しています。
カラヤンの手兵だったウィーン交響楽団との演奏だ。ウィーン・フィルでも無く、ベルリン・フィルでもなく、ウィーン交響楽団のエネルギーを徹底的に内燃させた響きが素晴らしい。ベームが、反対派(=カラヤン派)の陰謀にウィーン国立歌劇場監督の地位を辞任した直後の録音である。カール・ベームはウィーンの南部に位置するグラーツの出身ですから、オーストリア芸術の振興の為には、ウィーンフィル&シュターツオーパーだけでなく、ウィーン交響楽団等々周辺にも大きく貢献するのは当然という献身的なスタンスを取っていたと言う。本盤もウィーン交響楽団とその一環として製作されたもの。ここでもオーケストラ・レパートリーは慧眼というほかない、作品を知り尽くしたアプローチで聴き手を魅了しました。テレサ・シュティヒ=ランダル、イーラ・マラニウク、ヴァルデマル・クメント、クルト・ベーメ、いずれも充分な実力と風格と初々しさも兼ね備えた素晴らしい歌唱を聴く事が出来る独唱陣も充実の限りといえる。ドキュメントと扱われがちだがモーツァルト生誕200年を前に、ステレオに移行する直前のこと、各レコード・レーベルから目白押しでレクイエムのモノラル・レコードが登場した。極めつけは、モーツァルトの命日にゆかりのシュテファン大聖堂での式典も含めたライヴ録音だろう。ベーム1回目の〝モーツァルト・レクイエム〟録音。2回目のウィーン・フィルとのステレオ録音とともに名盤として知られています。カール・ベームはモーツァルトやリヒャルト・シュトラウスの録音をずいぶん聴きましたが、巨匠指揮者のレコーディングで残念なのが宗教音楽やオラトリオが少ない。1960年代にバッハのマタイ受難曲を振ってる巨匠で在りながら、映像で残っているものも在るというのに実際のレコーディングに反映されてないのは残念である。カラヤンとベルリン・フィルのモダン・オーケストラの機能を120%活用したような演奏も見事なものですが、ウィーン響の質朴な音も全編活力に満ちたベーム絶頂期に合っているように思える名演奏。精気あふれた剛毅な演奏は高く評価され、各国のレコード賞を受賞。1970年代を過ぎてテンポがゆったりとなり全体の造形がそれまでの楷書体から草書体に変化した印象を受けるようになったが、そのイメージで聴きだすとあまりの優美さに面食らうかもしれない。第1曲の「入祭文」は、実に落ち着きのあるテンポで始まる。何の装飾の無い素直な合唱も好ましい、そこで対象となるのは、1971年に再録したレコードとの違いだが、ここでは魂を抉るが如く生々しい叫びが聴こえる。第2曲の、「怒りの日」の激しさは物凄い衝撃である。その第5部の「呪われし者を愧服せしめて、烈しき焔に渡し給わん時」と絶筆箇所がある第6部の「かの日や涙の日となるかな」と歌われる合唱の慟哭感も、感情移入できる不思議な体験ができる。ベームはあくまでも真摯にジュスマイヤーが補完した後半も含めて全曲に統一した精神を貫いている。第6曲の「神の子羊」の澄んだ歌聖も、まるで別世界である。第7曲「永遠の光」で終曲を迎えるが慈悲深さは何たる事だろう。本盤は厳しいまでに端正で古典的な佇まいと、凝縮された推力とエネルギーを併せ持っている。
流線型のヘルベルト・フォン・カラヤンや全身全霊のヴィルヘルム・フルトヴェングラーとは違う、なにか古き良きドイツ=オーストリアの雰囲気を感じられるカール・ベームの指揮。フルトヴェングラーは時の経過につれて奥深さを痛切に感じるのは聴き手として、わたしが歳を重ねたことにあるのか。今となってはベームの音楽がわからなくなっている。カラヤンを際立てるために同時代にあったのだろうか。膨大なレパートリーの印象がカラヤンにはあるが、1945年以後の音楽には関心がないと明言している。ベームのレパートリーはどうだっただろう。『現在ドイツ、オーストリアに在住する指揮者としては、フルトヴェングラー亡きあと最高のものであろう。』とカラヤンとの人気争奪戦前夜の評判だ。『その表現は的確で、強固なリズム感の上に音楽が構成されている。メロディを歌わせることもうまいが甘美に流れない。彼は人を驚かすような表現をとることは絶対にないが、曲の構成をしっかり打ち出し、それに優雅な美しさを加え、重厚で堂々たる印象をあたえる。まったくドイツ音楽の中道を行く表現で、最も信頼するにたる。レパートリーはあまり広くはないが、彼自身最も敬愛しているモーツァルトや生前親交のあったリヒャルト・シュトラウスの作品はきわめて優れている。しかしブラームス、ベートーヴェンなども最高の名演である。』これが1960年代、70年代の日本でのカラヤンか、ベームかの根っこになった批評ではないか。
パウル・シェフラー(アルマヴィーヴァ伯爵)、セーナ・ユリナッチ(伯爵夫人)、リタ・シュトライヒ(スザンナ)、ヴァルター・ベリー(フィガロ)、クリスタ・ルートヴィヒ(ケルビーノ)、イーラ・マラニウク(マルチェリーナ)、エーリヒ・マイクート(ドン・バジーリオ)、オスカー・チェルヴェンカ(バルトロ)、カール・デンヒ(アントニオ)、ロスル・シュヴァイガー(バルバリーナ)、ウィーン国立歌劇場合唱団、カール・ベーム(指揮)ウィーン交響楽団。1956年4月16日〜22日ウィーン、ブラームスザールでのセッション、モノーラル録音のステレオ盤、3枚組。1968年初発。
GB  fontana  SFL14012-4 ベーム  モーツァル…
GB  fontana  SFL14012-4 ベーム  モーツァル…
GB  fontana  SFL14012-4 ベーム  モーツァル…
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