34-5402
商品番号 34-5402

通販レコード→英シルバー・アンド・ダーク・プラム銀文字盤
マスターテープが紛失または損傷しているという話があったレコード。 ― 無宗教を貫き終生リアリストであったディーリアスの、それでも魂を揺り動かすようなこの合唱曲は平和な時代を生きる私たちにも深い感動を与えてくれる。リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と同じ題材で、ニーチェの言葉からフリッツ・カッシーラが選んだものをテキストにして、ドイツ語で歌われる。リヒャルト・シュトラウス作品と異なりリリカルが優るが、冒頭の力強い音楽はディーリアスの他の作品にはない迫力がある。英国史上、サー・トーマス・ビーチャムの名声、威光、人気、議論好きの特質に比肩する指揮者は誰もいなかった。人物はひどく明るく、才能があり、驚くほど豊かでした。 彼は自分が望むものを何でもやっていたかもしれない。ビーチャムはディーリアスの作品の伝道者としても知られていた。ディーリアス存命の頃から盛んに演奏会で取り上げ、レコード録音も行っている。ビーチャムはディーリアスの臨席を得て、《人生のミサ》のリハーサルをしていた。いつものように、サー・トマスはスコアを使わず暗譜でやっていた。ある個所で、ディーリアスが訂正してほしいという意向をジェスチュアで示した。さっそくビーチャムは使いの者を出して自邸からオリジナル・スコアを取り寄せた。さてスコアに当たってみると、ビーチャムが正しいことが明らかになった。そこでリハーサルを進めながら、ビーチャムはディーリアスに向かってこう言った。「フレデリック、マイ・ディア・ボーイ。ご自分の曲を、わたし同様に、覚えてくれると有難いがね」。皮肉屋の代表的存在のエピソードだが、ビーチャムの音楽に対する姿勢、記憶力の確かさが態度に現れたものだろう。その演奏は世界各地で絶賛され、大富豪の家に生まれたビーチャムは、その持っていた財力をすべて大好きだった音楽に注ぎ込むことのできた幸福な人だった。彼は主に今のEMIに録音していたが、戦後はアメリカのコロムビアにも録音を行っている。本盤はそんな中の一つである。ソプラノ、アルト、テノール、バリトン全ての独唱者を必要とするが、決して独唱主導にはならず合唱と管弦楽と巧みに絡み合って、ディーリアスの鮮やかな手腕が冴える。支援者であり紹介者であり、それ以上に「ファン」であったビーチャムならでは、その機敏な棒と鋭くも暖かい音色によって輪郭の明瞭なディーリアス像を描き出す。ホルンの首席にはデニス・ブレインが座っていたと思われる。ブレインは1954年4月まで、このロイヤル・フィルともう一つフィルハーモニア管弦楽団と兼務で活動していたようである。トロンボーン・テューバなどの低音楽器の動きもモノラルながら鮮明に聴こえてくる。
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ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
Sir Thomas Beecham Conducting The Royal Philharmonic Orchestra And London Philharmonic Choir ‎– Delius ‎– A Mass Of Life
  • Side-A
    1. Part One (Beginning)
  • Side-B
    1. Part One (Conclusion)
    2. Part Two (Beginning)
  • Side-C
    1. Part Two (Continuation)
  • Side-D
    1. Part Two (Conclusion)
サー・トーマス・ビーチャムは1879年4月29日、英国ランカシャー生まれの指揮者。また、アイロニー、ユーモア、ウィットに富んだイギリス楽壇の名物男でした。1961年3月8日ロンドンにて没。オックスフォード大学を中退し、ウッドとモシュコフスキに個人的に作曲を師事した他は、ほとんど独学で音楽を学んだ。1898年、急病のハンス・リヒターの代わりにハレ管弦楽団を指揮してデビュー。まずは巡業オペラ団を結成し、これは数年続いた。ディアギレフが主宰した伝説的なバレエ団「バレエ・リュス」の指揮者も務めました。同時代音楽の擁護者としてディーリアスやリヒャルト・シュトラウス、シベリウスとの交流はよく知られています。1909年には大富豪であった父の財産をつぎ込んで、ビーチャム交響楽団を設立、リヒャルト・シュトラウスなどの作品を英国に紹介した。1910年からはロイヤル・オペラ・ハウスを自腹で借り切って、自分の思うとおりのオペラ上演を開始した。半分以上はロンドン初演で当たり外れも大きく、決して充実した実入りにはならなかったものの、足らずと損失補填分は父に借財してどうにか凌いだ。1915年にはイギリス・オペラ・カンパニーを創設、しばらくはオペラ指揮者として活動したが1932年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(The London Philharmonic Orchestra)を創設、1946年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(The Royal Philharmonic Orchestra)を組織し現在も活動している。それ以前にも、1906年の新交響楽団(The New Symphony Orchestra)、1909年のビーチャム交響楽団(The Beecham Symphony Orchestra)を組織、ビーチャムは生涯4つのオーケストラを創設し亡くなるまで指揮者を務めた。現在まで続く製薬会社・ビーチャム製薬(現:グラクソ・スミスクライン)創業家一家の御曹司であった彼は、その類まれなる行動力と潤沢な資金を元手に気儘にオーケストラを創設し、自腹で音楽祭でのオペラ公演やコンサートをしていた。莫大な私財を投じて英国楽壇に貢献した功績は大きく、指揮者としては同時代の作曲家ディーリアスの作品の紹介に務めたことでも知られている。現在コンサートの前に演奏者などがプレトークと言って解説をすることもあるけれども、これもビーチャム卿が最初に始めた。ヘルベルト・フォン・カラヤンより先駆けて初のステレオ・レコードとして発売され、英EMIのカタログから消えることなく50年間以上も多くのクラシック愛好家が代々忘れずに愛聴しているのですから、評価の方も高いことは証明されているでしょう。ビーチャムは82歳まで生きた長寿だけども、1960年に自分の為に創設、編成したロイヤル・オーケストラ後継者にルドルフ・ケンペを指名して引退。1961年に他界しています。現在でも世界4番目と言われる製薬会社の御曹司に産まれたビーチャムは、やりたいことをやって生き抜いた音楽家として満足でしょう。
ドイツの大作曲家のいわゆる「3大B」 ― バッハ、ベートーヴェン、ブラームスのことを少々意地悪に、音楽史上の「3大退屈男」と呼んだことがある。とはいえ、はなから拒絶したわけでもなくベートーヴェンは全交響曲や協奏曲をしばしば演奏し、レコーディングも行っている。現在では「トルコ行進曲」と序曲しかレコーディングされることがほぼない劇付随音楽『アテネの廃墟』全曲をレコーディングしている。自慢の財力と持ち備えたセンスで若い頃から大々的な活動を繰り広げたビーチャムを突き動かしたのは、ある意味「音楽の開拓者」という使命感だったと言われている。その演奏は世界各地で絶賛され、独特の熟成した美しいアンサンブルにマイルドでエレガントな音色はビーチャムの時代から変わらぬ名演に満ちています。英国音楽界を牛耳っていたとも言われるほどの存在だった怪物だからこそ成し得た、満足できる音楽を自由にやりたいように演奏、録音をした。その演奏内容の多彩さには驚くべきものがあります、定評あるディーリアスでは独特の空気感を伝える絶妙な美しい演奏をおこなう一方、フランス音楽やベートーヴェン、モーツァルトなどでは、ときに過激なまでの思い切った表情付けで楽想をえぐり、さらにハイドンではスケール大きく懐の深い演奏を聴かせるといった具合で、それぞれの作品に真摯に向き合う姿は実に感銘深いものがあります。また、レオポルト・ストコフスキーを初めとして1950年代にレコードをたくさん録音した指揮者は楽譜にはない演奏を良くしていますけれども、ビーチャムのレコードもそういった演奏がとても多くあって新鮮に楽しむことが出来ます。ビーチャムは幅広いレパートリーを誇り、正規レコーディングだけでも採り上げた作曲家の数は69人、そして録音曲の数は477曲を数えたという。ビーチャムの演奏は常に生き生きとした演奏をして、聴衆を大いに喜ばせた。ジョン・エリオット・ガーディナーは『アート・オブ・コンタクティング』の中で「彼の演奏は玉のような宝石があふれ出てくるようである」と評している。レコード録音のレパートリーのスタンダードも構築したような業績もあるので、親しんでいる曲からでもビーチャムの録音盤と聴き比べるのは面白く勉強に成る事でしょう。プチ贅沢でなく、秀吉の黄金の茶釜や金箔をふんだんに使った屏風絵が圧倒するだけの金持ちのおもちゃには思えないように、数ある指揮者や歌手のわがまま、自己満足、力を誇示するために録音されたレコードの中でもツタンカーメンの黄金のマスクに匹敵する文化遺産になるレコードです。録音のためのスタジオから、当時最新だった録音機まで気配りも怠りなかっただけに面白いサウンドに仕上がっています。ステレオ録音が未だ実験段階だった時期の録音なのですが、それが俄に信じ難いほどの優秀録音です。
ロジーナ・レイズベック(ソプラノ)、モニカ・シンクレア(コントラルト)、チャールズ・クレイグ(テノール)、ブルース・ボイス(バリトン)、ロンドン・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:フレデリック・ジャクソン )。1952年1月1日、20日、4月10日、5月14日、11月8日、11日、12月8日、10日、12日、13日にロンドン、アビー・ロード・第1スタジオで録音された。
GB FONTANA CFL1005-6 ビーチャム ディーリアス・…
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