34-20369

商品番号 34-20369

通販レコード→英ブルー銀文字盤 Concert Classics [オリジナル]

凄いピアニズム、20世紀半ばに人気を誇ったバッカウアー ― 現在その名はピアノの国際コンクールを思い出させますが、生前は非常な人気を誇るスターでした。極限の技巧と体力が要求されるブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」を十八番とし、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが若い時に共演したレコードは、誰にも真似のできない見事な演奏で評判となりました。よく女性ピアニストに対して形容される豪腕とか男勝りといわれる以上に、ずば抜けて腕が立つピアニストだということがわかる。単にユニゾンのパッセージを猛烈に弾くのではなく、実に堂々としたテンポで、実演ではさぞかし豊かな音量を響かせて聴衆を圧倒していただろう。マルタ・アルゲリッチのように攻撃的な側面も持ち合わせていた。グリーグの音楽には凝った仕掛けはないものの、さらりと耳をなでて行き過ぎる仄かなセンチメントに心惹く心地よさがある。冒頭がこれほど印象的な曲もないだろう。クレッシェンドするティンパニに導かれて、いきなりピアノ独奏がドラマティックに登場。さすがノルウェーの国民楽派を代表する作曲家グリーグ、北欧の雄大な大自然を連想させる。一方でこの曲の冒頭は、同じイ短調のシューマンのピアノ協奏曲に少し似ている。グリーグはノルウェー生まれだが、15歳ですでにドイツのライプツィヒ音楽院に学んでいる。そこでクララ・シューマンの独奏によるシューマンのピアノ協奏曲を聴いたというから、影響を受けたのだろう。25歳で書いたこの曲に作曲者は強い愛着があったようで、晩年に改訂を施している。ギリシャ生まれの女流ピアニスト、ジーナ・バッカウアーの自己陶酔的ではないダイナミックなロマンティシズムは、男性的で勇壮。「ノルウェー舞曲」における、迫力あるリズム。のびのびとした、爽やかな歌。元気良くユーモラスで、金管楽器群の爆発は見事。ピアノ曲から編曲された「抒情組曲」は、「悲しき旋律」に負けない、その美しく可憐なメロディといい、「羊飼いの少年」にはハープが入って、弦楽合奏に彩りを添える響きの感触といい、「夜想曲」はあくまで甘く、「こびとの行進」は怪しげで忙しなく、派手さはないがピアノとはひと味違って、まさに愛着に足る佳品。牧歌的で、澄んで冷えた空気を感じさせる「ノルウェー農民の行進曲」はわずか2分弱の作品ながら、その着実な歩みと木管から金管に受け渡される爽快な迫力に、サー・トーマス・ビーチャムが亡くなった後のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を任されながら、本盤を残して、59歳代半ばで南アフリカで客死した、ウェルドンの語り口もいい。
主にアメリカで活躍した本盤のソリスト、ジーナ・バッカウアー(Gina Bachauer)は、「栄光のギリシャ人」と呼ばれたり、「ギリシャの女神を思わせるような毅然さ」と言われたが、1913年5月21日、生まれはアテネで、当地で勉強したものの、両親はオーストリア人とイタリア人で、ギリシャの血は入っていない。つまり彼女はギリシャとは無縁で、母親のラテン的な素養を受け継いで、それが演奏に出ているのだろうか。その成長の過程に目を転じると、パリ音楽院でアルフレッド・コルトーに学び、1932年からはセルゲイ・ラフマニノフのもとで研鑚を積む。同時代の全く正反対の性格ながら、ともに19世紀のロマンティシズムを引き継いでいた2大ピアニストに学んだことになる。アメリカのマーキュリー・レーベルに録音したストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3章」での個性的で攻撃的な演奏は、ラフマニノフのダイナミックなピアニズムの影響を強く感じさせる。だが、一方で、ラヴェルの「夜のガスパール」や、ドビュッシーの「ピアノのために」「沈める寺」「デルフォイの舞姫」での硬質な音の中から生まれた一瞬の静寂と、漂う詩情や微妙なフレージングには、コルトーの影もある。バッカウアーの演奏は、2人の師の特徴をうまく受け継いだ表現の豊かさがある。1933年、ウィーン国際コンクールで優勝し、演奏活動を開始。1935年にディミトリ・ミトロプーロス指揮のアテネ交響楽団と共演し、故国で大成功を収める。しかし、ナチス・ドイツのギリシャ侵攻により、順風満帆の道は足踏みを強いられた。エジプトに逃れた彼女は、連合軍兵士のための慰問演奏活動に献身的に打ち込み、その数は実に600回を越した。第2次世界大戦後、ようやく本格的な演奏活動を再会し、1947年にロンドン、1950年にニューヨークのカーネギー・ホールで、それぞれデビューを果たした。ショパン、ブラームスを初めとするロマン派の作品を得意とし、そのダイナミックでスケールの大きな演奏は、各国で高く評価された。1976年8月22日、生地にて没。アメリカ、ユタ州のソルトレイク・シティで行なわれるジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールに、今もその名を残している。このコンクールは、彼女の没年である1976年から5年間、ブリガムヤング大学の夏のピアノ音楽祭として行われたのが始まりです。現在は、バッカウアー財団の主催で4年ごとに開催されており、19歳から32歳までのピアニスト部門の他、若年者層向けのジュニアコンクールなども開催されています。演奏者を複数回の演奏で評価するこの審査方法は、同コンクールが初めて実施し、後に多くのコンクールで採用されるようになった画期的なシステムです。また、ファイナルの協奏曲以外はプログラムが自由ですので、プログラムを選択する能力も上位入賞への大きな鍵となります。優れたピアニストとしての能力はもちろん、曲の個性や背景を深く理解できる、音楽家としての真価が問われます。聴衆賞なども用意されているので、惜しくも優勝を逃した方にも大きなチャンスが舞い込む可能性が十分あり、同コンクールでの成功は、アメリカデビューへの大きな足がかりとなることでしょう。
ジョージ・ウェルドン(George Weldon)は1906年6月5日、英国チチェスターの生まれ。ロンドンの王立音楽院でサー・マルコム・サージェントに指揮を学ぶ。北米やトルコ、旧ユーゴスラビアなどでキャリアを積み、1943〜1951年までバーミンガム市交響楽団の首席指揮者として土台を築いた。その後サー・ジョン・バルビローリの下でハレ管弦楽団の第2指揮者を務め、1955/1956年のシーズンはサドラーズ・ウェルズ歌劇場でオペラも指揮している。一見淡々と流れる旋律線の中にも暖かみが滲むような音楽づくりをする人で、シベリウス、グリーグなど北欧の音楽を得意としていた。「抒情組曲」や「2つの悲しき旋律」などを収録したグリーグ・管弦楽組曲集(EMI、1960、1961年録音)が代表盤。1963年8月16日、南アフリカのケープタウン管弦楽団を指揮するため訪れた同地で客死した。
グリーグ:管弦楽名曲集(2)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン
1999-05-26

ピアノ協奏曲イ短調 op.16、ノルウェー舞曲 op.35、抒情組曲 op.54、1960年製作。
GB EMI XLP20025 ジーナ・バッカウアー&ウェルドン グ…
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