34-9254

商品番号 34-9254

通販レコード→英ホワイト・アンド・ブラック・スタンプ・ドッグ盤

〝音楽を弾く〟ことは、録音から半世紀経った聴き手にも演奏会に立ち会っている錯覚に誘うのだろうか。 ― レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジがショパンの前奏曲第4番 ホ短調をプレイしているが、本盤のコピーバンド ― 昨今ではトリビュート・バンドのギタリストで、好き勝手なアドリブを得意げな輩も多い。しかも、先達のフレーズやパフォーマンスを自己流に弾き倒して個性だと主張しているように思える。芯の太い音色で、それに伴う音色、表現の微妙な変化、自然とトルトゥリエの世界に誘われます。1990年にチェロに凭れ掛かったまま逝去していたという孤高のチェリスト、ポール・トルトゥリエ。〝音楽を弾く〟ことは、録音から半世紀経った聴き手にも演奏会に立ち会っている錯覚に誘うのだろうか。トルトゥリエの演奏は音楽に没頭するのではなく、その力みのないさりげない演奏は作曲者の意図を冷静に客観的に楽しみたい時に、まさにピッタリ。円熟の巨匠の手になる、落ち着いたテンポによる、端正かつ的確な解釈の気品と余裕に満ちた演奏です。良い意味でリラックス、楽しんで弾いている空気感が録音から伝わってきます。彼の音楽に対する姿勢は、一音一音の、音の長さ、強弱、運指、弓の動き、それらを微細に探求されていながら、そして最終的に大きな目で見てみると驚く程全てが美しく構成されているということがよく分かります。それだけでなく、松脂の飛び具合がよりストレートになっている感じ。1960年代後半の録音。チェロがスピーカーの中心に定位し、トルトゥリエがあなたのために私設演奏会を開いてくれているようです。この録音当時、トルトゥリエは60歳を目前、ハイドシェックは30歳代後半。ハイドシェックは時々、この偉大な音楽家との共演の思い出を語る事があります。「偉大な先輩音楽家と共演するという素晴しい機会に恵まれた自分は、しかしながら30歳近くも歳の離れたトルトゥリエに生意気にも意見する事があった…」と語るハイドシェック。いかにも音楽に直向なハイドシェックらしいエピソードだと思います。
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ポール・トルトゥリエは、1914年3月21日にパリに誕生。6歳でチェロを習いはじめ、10歳のときにパリ音楽院に入学、16歳でチェロ科を一等賞で卒業し、パリでデビュー・リサイタルを開くほどの早熟の天才でしたが、トルトゥリエは再びパリ音楽院に通い、今度は対位法と作曲を学び、ハーモニーの部門で一等賞を得ます。パリ音楽院をあとにしたトルトゥリエは、まずモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の首席奏者に迎えられ、2年後にはボストン交響楽団の首席に転進、第二次世界大戦中はパリ・フィルハーモニー協会管弦楽団の首席をつとめ、終戦後2年間はパリ音楽院管弦楽団の首席奏者として活躍、1947年からはソリストとして演奏活動を行うこととなります。以後、40年以上に渡って世界的な名声を博したトルトゥリエは、演奏理論書のほか、チェロを水平に傾かせる、独特の形状のエンドピンまで考案する多才な人でもありました。トルトゥリエの演奏は、男性的な太い音と、率直で飾らぬ真摯な表現の中に、深い精神性が湛えられたものと絶賛され、現在も多くのファンを虜にしています。その演奏には、弛まぬ努力のほか、作曲、指揮、そして教育にまで及んだ幅広い音楽との関わりも大きく影響していたと思われ、また、パブロ・カザルスに私淑し、プラド音楽祭にも参加、さらにカザルスらと共に、音楽に精神を呼び戻すという運動を推進していたことからも、音楽表現における精神の在り方について、トルトゥリエが常に真剣に取り組んでいたことは明らかです。実際、内なる声を大切にした彼の演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲から素晴らしく深い音楽を引き出していますし、コンチェルトや室内楽でも、自らの道を迷わず歩む求道者のような剛毅な音楽を奏でていたのが印象的でした。1990年12月18日、トルトゥリエはパリ郊外の音楽学校でチェロを教えていましたが、その際、自室に楽器を取りに行ったときに心臓発作に襲われ、チェロに凭れ掛かったまま亡くなっているのが発見されたということです。いつもパワフルで気さくだったトルトゥリエを象徴するかのような最期でした。自らの道を迷わず歩む求道者のような、暖かく愉悦感に溢れた演奏には御大の人柄が滲み出ている。
アルフレッド・コルトー(1877〜1962)の愛弟子のひとりであり、60年以上に亘る演奏歴を持っている。フランスの古都ランスのシャンパン王シャルル・エドシック家に生まれたエリック・ハイドシェックは、粋で洒脱で色彩感に富む個性的なピアノを奏でることで知られる。フランスの名ピアニスト。1936年生まれで、現在82歳になる現役。80歳を超えてなお、自由闊達で情感溢れるピアニズムを披露してくれている。その活動はもちろん国際的ではあるが、いわゆる世界トップクラスの超人気ピアニストというよりは、一部のファンに深く愛されるという印象がある。本盤は日本にもコアなファンが多く存在している、ハイドシェック若き日の名演集です。確かに恵まれた子ども時代を過ごしましたが、私の時代は戦争があった。その苦難はいまでも忘れられません。明るく見える曲でも楽譜の裏に秘められた影や暗い部分を読み取るようになったのは、この経験があるからですこう語るハイドシェックは、6歳のときに偉大なピアニスト、コルトーに才能を認められピアノを始める。コルトーも作品が内包する影を愛し、ほの暗い表現が好きでした。ですから私も作品に潜む哀愁や陰影を表現することを好みますタペストリーのように一音一音にこまやかな感情を込めて織り込んでいくハイドシェックのピアニズム故に、心に染み入る音楽が生まれるのに違いない。
エリック・ハイドシェックは、1936年に生まれたフランスのピアニストである。父はフランス北部の古都ランスを代表するシャンパン王、シャルル・エドシック、母はピアニストという恵まれた家庭に育った。5歳からピアノに親しみ、6歳の時、たまたま接した巨匠アルフレッド・コルトーの奨めで、正式にピアノを勉強し始める。8歳でエコール・ノルマル・ド・パリへ入学、1952年から、パリ音楽院でマダム・バスクールに師事し、卒業の翌年、パリのサル・ガヴォーでデビュー・コンサートを開いて、好評を博した。彼の名を一躍有名にしたのは、1957年、パリのシャンゼリゼ劇場で行ったリサイタルで、その後は、世界各国で演奏活動を続けている。1960年代のハイドシェックは、特に「モーツァルト弾き」として、数々のコンチェルトをレコーディングしている。コルトーには、その死の年(1962年)まで指導を受け続けた。このコルトー直伝の個性を優先する演奏法は、現在も彼の中で脈々と息づいている。フランス・ピアノ界を代表する演奏家で、日本では、1968年の初来日以来度々演奏会を開いて、真摯な姿勢と音楽の隠れた魅力を引き出す凄演で人々を魅了してきた。1997年6~7月の全11公演、1998~99年の3期に渡って行なわれた「ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ」演奏会は大盛況を極めた。その宇和島でのライヴ録音などを通してファンが多いが、3年ぶりになる2018年7月に、来日50周年特別公演を行った。
1971年7月15,16日、1972年2月25,26日、3月1,2日、パリ録音。2枚組
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