34-9915

商品番号 34-9915

通販レコード→英後期スタンプ・ドッグ盤

ヴォルフの歌曲を、シュヴァルツコップの名唱の第1にあげたい。 ― 往時の歌手らに比べ、声が抜けず、イタリアやフランスものは、声質そのものの魅力に乏しく、本来の実力を発揮していない傾向がありましたが、ドイツものとなると話しは別で、妖艶さと清廉さが混在した含蓄ある表情と解釈には、その完璧なテクニックと、並外れて知性的な分析力で極めて優れたものとなります。なにをいまさら彼女の歌唱の素晴らしさを、述べ立てて何になろうか。往年のレコード愛好家が共有していることだが、ディクションの正確さも特筆したい。今もってエリーザベト・シュヴァルツコップの歌がかけがえのない唯一無二の名演・名唱となつている曲がいくつもある。そのことでもレコードの役割りに感銘する。一度聞くと誰もが魅了されるものをあげるなら、まず1956年にヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で録音したリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」をあげなくてはならない。あの元帥夫人の美しさ。オクタビアンに思いを残しながら、若いゾフィーに恋人を譲り、退場する時の心の動きを、彼女ほど気品高く聞かせた人はいない。モーツァルトではフィオルディリージを歌うシュヴァルツコップの美しさ。オペラの録音というのは、完璧なものなんて滅多にないもので、どこかに穴があるものだが、このカール・ベーム指揮のモーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」はそれがない希有なものだ。1947年にカラヤンがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音した〝ベートーヴェンの第九〟でも彼女の名前があるが、やはりヴィルヘルム・フルトヴェングラーの〝バイロイトでの第九〟で彼女がソリストをつとめたことでシュヴァルツコップは不滅となったことは間違いない。オットー・クレンペラーの指揮したヨハン・ゼバスティアン・バッハの「マタイ受難曲」やブラームスの「ドイツ・レクイエム」、ベートーヴェンは「ミサ・ソレムニス」、あるいはカルロ・マリア・ジュリーニが指揮したヴェルディの「レクイエム」などの宗教音楽もヴィンテージをコレクションする定番だ。クラシック音楽名曲鑑賞の必聴曲を指折り、シュヴァルツコップの歌唱が占めていることに改めて驚く。しかし、私が彼女の演奏で特に魅力を感じるのはドイツ・リートのジャンルである。ジョージ・セルの指揮で録音されたリヒャルト・シュトラウスの「最後の4つの歌」を彼女のドイツ・リートを代表する演奏としてあげるし、マーラーの「子供の魔法の笛」もある。ピアノ伴奏では、シューマンの「女の愛と生涯」もあげなくてはならないだろうが、好きなリートをと問われたら、ワルター・ギーゼキングとのモーツァルト、エドヴィーン・フィッシャーとのシューベルトのリート集も文句なしに素晴らしいものであるにもかかわらず、私はヴォルフの歌曲をシュヴァルツコップの名唱の第1にあげたい。EMIの名プロデューサーにしてシュヴァルツコップの旦那であるウォルター・レッグが全集録音を渇望していたヴォルフだけに録音、演奏会で数多く歌っている。「イタリア歌曲集」、「スペイン歌曲集」、「ゲーテ歌曲集」と大作が聴けるほか、フルトヴェングラーがピアノで伴奏したリサイタル盤もある。ゲーテ歌曲集の「アナクレオンの墓」を聴き返しながら、実際に聴けた人はどれだけ幸せだったことだろうと思いに耽ったものだ。名伴奏ジェラルド・ムーアと組んだこの歌曲集も彼女の魅力を存分に詰め込んだ選曲であるから、当然、本盤が高い評価を受け続けているのも頷けます。
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フーゴ・ヴォルフ(1860〜1904)は少々厄介な人物で、子供の時も音楽学校を退学になったり、対人関係が苦手なのか、捻くれてるところがあったり、引きこもりだったり、世間からは「素人作曲家」と呼ばれています。ヴォルフが自分の作品を携えてブラームスを訪ねた時に、もっと音楽の世界を広げた方がよいという助言をもらった。また、ベートーヴェンの作品を研究していたグスタフ・ノッテボームの下で、対位法に習熟するためのレッスンを受けるべきとも言われた。それがヴォルフには自分への批判のように聞こえたため、ワーグナー派とブラームス派との対立に便乗する形となった。また、「クレンペラーとの対話 ピーター・ヘイワース編 [白水社]」の中に、オットー・クレンペラーがマーラーと話している時に「ヴォルフは偉い作曲家だと思います」と口にすると、マーラーが怒ったような表情になったので「失礼しました、私の私見に過ぎません」とか慌てて言い直した、という話が出てきます。マーラーと同じ年に同じく当時のオーストリア領で生まれ、ウィーンで学んだことから名前は目にしますが、作品と悲劇的な最期を別にすれば、ヴォルフの人生は、熱意があっても成功しなかった他の音楽家と大差無かった。感受性に富み、気難しい性格が職業上の成功の妨げになった。収入のほとんどは、批評家達や彼の歌曲を紹介してくれる歌手達といった小さな友人グループの粘り強い努力と、ウィーン・アカデミーのワーグナー協会や1887年にウィーンで設立されたフーゴ・ヴォルフ協会の支援であった。ヴォルフの歌曲は大半が短く、「機智的な恋愛即興詩」で、恋愛に関わる揶揄、嫉妬、揶揄、痴話げんか、献身等々を内容とした短い詩を題材にしています。思い入れが激しい人で、それは人物にも、作品にもなのですが、気に入った詩集があったら一気に大量に書くものだから、ひとつひとつの歌曲集が巨大。その各曲は独立しているので、歌う順番は演奏者が決めるものです。連作歌曲として作曲されたものがあるのかないのか、どの順番でも音楽の流れが馴染むのも不思議な魅力です。果たしてヴォルフは、全曲演奏される機会を想定していたか。全曲演奏を想定はしてないけど、曲順には何かしらの意図があるのか。はたまた、意図なく気が向いた順に並んでるのか。曲順を入れ替えて、新たにストーリーを演出して全曲を聴かせる録音もあり、舞台演出を交えた演奏会もあるのですが、書きなぐったような曲でも、考え抜いて書き上げられたものかもしれません。また話が繋がっているわけではありませんが、流れを感じます。筋道立ててしまうと気恥ずかしく思わせてしまって、機嫌を悪くしてしまうかもしれない。

Elisabeth Schwarzkopf, Hugo Wolf ‎– Sings Wolf Lieder

Side-A Songs To Words By Goethe ゲーテ歌曲集
  1. Mignon I ミニヨン1
  2. Mignon II ミニヨン2
  3. Mignon III ミニヨン3
  4. Philine フィリーネ
  5. Mignon (Kennst Du Das Land) ミニヨン(君よ知るや南の国)
  6. Ganymed ガニュメート
Side-B Songs To Words By Goethe ゲーテ歌曲集
  1. Anakreons Grab アナクレオンの墓
  2. Die Spröde つれない娘
  3. Die Bekehrte 心とけた娘
  4. Blumengruss 花の挨拶
  5. Gleich Und Gleich お似合い同志
  6. Frühling Übers Jahr うつろわぬ春
  7. St. Nepomuks Vorabend 聖ネポムーク祭前夜
  8. Epiphanias エピファニアス(主顕祭)
Side-C Songs To Words By Romantic Poets
  1. Sechs Lieder Für Eine Frauenstimme 女声のための6つの歌
    1. Morgentau 朝露
    2. Das Vöglein 小鳥
    3. Die Spinnerin 糸を紡ぐ娘
    4. Wiegenlied (Im Sommer) 夏の子守歌
    5. Wiegenlied (Im Winter) 冬の子守歌
    6. Mausfallen-Sprüchlein 鼠とりのおまじない
  2. Alte Weisen (Old Saws) 昔の歌(ゴットフリート・ケラーによる6つの詩)
    1. Tretet Ein, Hoher Krieger お入り、気高い戦士よ
    2. Singt Mein Schatz Wie Ein Fink 恋人がひわのように歌うなら
    3. Du Milchjunger Knabe ねえ、青臭いお坊ちゃん
Side-D Songs To Words By Romantic Poets
  1. Alte Weisen (Old Saws) 昔の歌(ゴットフリート・ケラーによる6つの詩)
    1. Wandl' Ich In Dem Morgentau 朝露の中を踏み分けて
    2. Das Köhlerweib Ist Trunken 炭焼きの女房が酔っぱらって
    3. Wie Glänzt Der Helle Mond 明るいお月様が
  2. Sonne Der Schlummerlosen 眠れぬ者の太陽
  3. Three Songs by Goethe: "Westöstlicher Divan" 「ズライカの書」からの3つの歌
    1. Hoch Beglückt In Deiner Liebe 御身の愛によって
    2. Als Ich Auf Dem Euphrat Schiffte ユーフラテスを舟で渡った時
    3. Nimmer Will Ich Dich Verlieren もはや御身を失うことは
  4. Der Schäfer 羊飼い
本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくる ―  リリック・ソプラノの範疇に入るだろうか、優しくも羽毛のような歌声。単に耳に優しいだけではない。21世紀に入り惜しまれつつ亡くなったエリーザベト・シュヴァルツコップは、様々な役柄において持ち前の名唱を余すことなく披露した。シュヴァルツコップは戦中にカール・ベームに認められてウィーン歌劇場でデビューを飾っているが、彼女の本格的な活動は戦後、大物プロデューサーのウォルター・レッグに見いだされ、その重要なパートナーとして数多くの録音に参加したことによる。1953年に、英コロムビア・レコードのプロデューサーだったレッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、EMIとの専属録音契約を交わした〝歌の女王シュヴァルツコップ〟を作り上げた。ワンマン・エゴタイプの厳しい人物で、そのレパートリーの多くはレッグが決定していたそうで、そのようなことを彼女自身が語ってもいる。レッグは夫ともなったが、シュヴァルツコップの歌に惚れ込みEMIに数々の録音を残したことの功績は大きい。そして、シュヴァルツコップは大プロデューサーであったレッグの音楽的理想を体現した歌手の一人であったと思う。当時は、「オペラ歌手」を自認する歌手たちは、決してオペレッタの歌を歌おうとはしませんでした。たとえ録音であったとしてもオペレッタを歌うオペラ歌手を、マリア・カラスは心底馬鹿にしていましたし、その事を隠そうともしませんでした。彼女はオペラ歌手たるもの、オペレッタの甘ったるい歌などは歌うべきではないという固い信念を持っていました。そして、その批判の矛先こそがオペレッタを歌う、このシュヴァルツコップでした。実際、シュヴァルツコップによるオペレッタの歌唱は、未だに誰も超えることのできていない一つの頂点であり続けています。その素晴らしさのよって来るべきところは、オペレッタだからと言って、一切の手抜きをしないで自分のもてる技術のすべてを注ぎ込んでいる「真面目さ」にあります。言葉の意味を一語一語慎重に吟味しつくし、歌の背後にある深い意味までを掘り下げる。その知的な歌いぶりは、作品によってはまると絶大な感動を呼び覚ます。そのような品の良さと凛とした気高さを持っているが故に、シュヴァルツコップの真摯な歌の中からこそ本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくるのです。1950年代後半はシュヴァルツコップが録音に積極的に取り組んだ時期、だがオペラでは役を限定しつつある頃で、この後はオペラを離れドイツ・リートの分野で輝く。彼女の厳かな歌によるこれらの歌は、本当に心を清くさせてくれるものでしょう。マルシャリンは新しい歌手の新しい歌によって凌がれても、これはどうも凌がれそうにない。
エリーザベト・シュヴァルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf)は1915年12月9日、ドイツ人の両親のもとプロイセン(現ポーランド)のヤロチン(Jarotschin, 現Jarocin)に生まれたドイツのソプラノ歌手。ベルリン音楽大学で学び始めた当初はコントラルトでしたが、のちに名教師として知られたマリア・イヴォーギュンに師事、ソプラノに転向します。1938年、ベルリンでワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』で魔法城の花園の乙女のひとりを歌ってデビュー。1943年にウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活動を始めます。第2次世界大戦後、のちに夫となる英コロムビア・レコードのプロデューサー、ウォルター・レッグと出会います。レッグはロッシーニの歌劇『セビリャの理髪師』のロジーナ役を歌うシュヴァルツコップを聴いて即座にレコーディング契約を申し出ますが、シュヴァルツコップはきちんとしたオーディションを求めたといいます。この要求に、レッグはヴォルフの歌曲『誰がお前を呼んだのか』(Wer rief dich denn)を様々な表情で繰り返し歌わせるというオーディションを一時間以上にもわたって行います。居合わせたヘルベルト・フォン・カラヤンが「あなたは余りにもサディスティックだ」とレッグに意見するほどでしたが、シュヴァルツコップは見事に応え、英EMIとの専属録音契約を交わしました。以来、レッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、1953年に二人は結婚します。カール・ベームに認められ、モーツァルトの歌劇『後宮からの誘拐』のブロントヒェンやリヒャルト・シュトラウスの楽劇『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタなどハイ・ソプラノの役を中心に活躍していましたが、レッグの勧めもあって次第にリリックなレパートリー、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』伯爵夫人などに移行。バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭にも出演し、カラヤンやヴィルヘルム・フルトヴェングラーともしばしば共演します。1947年にはイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場に、1948年にはミラノ・スカラ座に、1964年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー。1952年には、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『ばらの騎士』の元帥夫人をカラヤン指揮のミラノ・スカラ座で歌い大成功を収めます。以来、この元帥夫人役はシュヴァルツコップの代表的なレパートリーとなります。オペラ歌手としてもリート歌手としても、その完璧なテクニックと、並外れて知性的な分析力を駆使した優れた歌唱を行い20世紀最高のソプラノと称賛されました。ドイツ・リートの新しい時代を招来したとまで讃えられシューマンやリヒャルト・シュトラウス、マーラーの歌曲を得意とし、中でもとりわけヴォルフの作品を得意とし、1970年代に引退するまで男声のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと並んで最高のヴォルフ歌いと高く評価されています。1976年にオペラの舞台から、1979年には歌曲リサイタルからも引退し、後進の指導にあたっていました。2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去。享年90歳。
  • Record Karte
  • Engineer – Neville Boyling (Record 2: Recorded in January 1961 and December 1962), Robert Beckett (Record 1: Recorded in April 1956 and June 1957). Recorded At – Abbey Road Studios.
  • GB  EMI  SLS5197 シュワルツコップ  ウォルフ・歌曲集
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