34-21758

商品番号 34-21758

通販レコード→英ホワイト・アンド・ブラック・スタンプ・ドッグ黒文字盤[オリジナル]

熟成された濃密な男盛りを味わう ― 何十年もクラシック音楽を聴いてこられたオールドファンにとって〝オイストラフ〟はやはり ― ソ連の至宝のスケール大きく雄弁な名演奏で ― 特別な思い入れがあるヴァイオリニスト。20世紀を代表する巨匠ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ。誰もが一度は〝オイストラフ〟の演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらない。ヴァイオリニストの王と讃える人が多いのも当然である。オイストラフは録音を多く遺しているが戦争や冷戦があったために、凄まじい技術を誇っていた若い頃、思うように活動できなかったことが惜しまれる。1908年ウクライナ、オデッサに生まれオイストラフはソ連を代表するヴァイオリニストとして君臨しました。やがて第2次大戦終了後西側世界での活動が本格的に始まると20世紀を代表する巨匠としての評価を確立しました。息子イーゴリ・オイストラフとはドイツ・グラモフォンにバロック音楽を主にしたデュエット、英EMIにはメジャー・レーベルとして最も多くの有名独奏ヴァイオリン協奏曲の録音を残し、ベートーヴェンやブラームスといった得意のレパートリーは、いずれも名演の誉れ高い演奏です。1950年代後半から60年代前半のオイストラフ絶頂期の録音を収めた5枚組ボックスセット。パリ、サルワグラムで録音されたクリュイタンス&フランス国立放送管弦楽団とのベートーヴェンやクレンペラー&フランス国立放送管とのブラームスなど、伝説的名演も含んだ協奏曲集の決定版、音質、盤のコンディションともハイレベルです。
戦後は西側でも活動できるようになり、各国で大成功を収め、その演奏のみならず人柄も愛されたという。かつてはフリッツ・クライスラーも、「オイストラフはすべてのヴァイオリニストの中で、最も大切なものを持っている。彼が緩やかに演奏することだ」と評価していた。1950年代に録音されたチャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の演奏は作品の核へ向かう切り込み方も、のびやかな美音の歌わせ方も自然かつ適切なフレージングも理想的だ。この1950年代の録音は、それまでのヴァイオリンの響きに豊潤さ、深淵さが加わり演奏家としての絶頂期を記録したものと言えるだろう。ソ連ないし東側の音楽家と組むときは、たいてい遠慮なく自分の音を出している。ニコライ・マルコの指揮で1955年にロンドンで録音したタネーエフの「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲」は、最高に美しく、素晴らしい。この曲は近寄りがたい程の美しさに、繊細でありながらも巨大な建築物のような音楽。この曲はダヴィッド・オイストラフが好んで演奏したことでも知られていますが、初めて聴いた瞬間から心奪われてしまう。一方、西側で行われた録音は豊麗な音色や安定感のあるフレージングが際立っているものが少なくない。そんな美しい調和の成功例が、オットー・クレンペラーやジョージ・セルの指揮でソリストを務めたブラームスの録音だ。スケールが大きく、知と情のバランスがとれており技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立された。
ロシア音楽に馴染みが薄いと知らないかもしれないセルゲイ・タネーエフ(1856〜1915)はペテルブルグ派と対峙したモスクワ派のロシアの作曲家。アントン・ルビンシテインのピアノの弟子で、チャイコフスキー門下になります。チャイコフスキーのピアノ協奏曲の初演者(ピアノ)としても有名です。ロシア随一の対位法の名手として知られ、モスクワ音楽院での対位法やフーガの教育者としての姿はよく知られています。彼の門下や影響を与えた作曲家としてはアレンスキー、スクリャービン、プロコフィエフ、グラズノフ、ラフマニノフ、メトネルといった次の世代のロシア音楽を担う蒼々たる面子、偉大な個性達がずらり。タネーエフの作風は〝ドイツ的〟な音楽、「ロシアのブラームス」と言われます。それをタネーエフは嫌がっていたようですが、拡張表現して「ロシアのバッハ」とも呼ばれているので許してくれるかな。若くて個性的な将来ある芸術家たちを暖かく包みこみ指導した、愛すべき好人物、タネーエフはスクリャービンの葬儀に薄着で帽子もかぶらず雨の中参列したことがもとで、風邪をこじらせて亡くなった。
ソ連の誇るヴァイオリニストであり世界のヴァイオリン界の巨星でもあったダヴィド・オイストラフ(David Oistrakh)は1974年10月24日にアムステルダムへの演奏旅行の折に、かねてからの持病の心臓病で死去した。66歳だった。このオイストラフは来日公演を通じて日本に大きな影響を与えたし、また音楽愛好家を大いに喜ばせもし日本にとっても親しい存在だったのである。オイストラフはナタン・ミルシテインの先生でもあった、オデッサの名教師ピョートル・ストリアルスキーに師事し、音楽学校ではヴィオラとヴァイオリンの両方を学んだ。1924年に最初のリサイタルを開催。1926年に同地の音楽院を卒業した。1935年に出場したヴィエニャフスキ・コンクールでは2位 ― この時の1位は、中尾さんのリクエストに応えて2017年7月の鑑賞会で聴いていただいた、ジネット・ヌヴー ― に終わったが、その名を全ヨーロッパに知られるようになったのは、1937年にブリュッセルのイザイ国際コンクールでリカルド・オドノポソフと優勝を争い、一位を獲得してからだった。このオイストラフがはじめて日本を訪れたのは、1955年秋である。この当時は戦後10年を経過したわけではあったが、日本はまだソ連の楽壇の事情がよくつかめていないためにオイストラフの名は一部の愛好者だけに、よく知られているといった程度だった。その時オイストラフは47歳、器楽の演奏家として、まさに油ののっていた時期だった。その演奏を聴いて音色や技巧に難点がなく、音楽に新鮮な美感が漂っていたことに驚かされたのだった。オイストラフは、それから何回か来日した。そして、その都度、感銘の深い演奏を聴かせてくれた。このオイストラフのヴァイオリン演奏の大きな特色は、渋み溢れているということである。そこに盛られた温かいロマン性は、やはりオイストラフが年来持ち続けているものである。そしてオイストラフの演奏には、作品そのものが持つ様式からの離脱がない。そして、オイストラフの人間の誠実さと人情味が演奏という面に反映している。勿論、技巧だけにとらわれている演奏ではない。ありふれた言葉でいえば、深い精神内容がそこにある。そしてデリケートではあるが、線の細さを感じさせない。オイストラフは聴く人に音楽で訴えるわけだが、いわゆる後期ロマン派的な主情主義を尊重しているわけではない。ソ連では主情を表面に押し出した演奏様式が、かなり長い間に渡って幅を利かせてた。それをヴァイオリンの方面でいち早く打破したのはオイストラフだった。こうしたわけでオイストラフの演奏には、訴える力は強くあっても不自然さはない。それを、楽譜の読みが深い演奏と言ってもいいだろう。しかも、年齢とともに深味を増してきている。ここにオイストラフのヴァイオリン演奏家としての偉大さがある。確かに〝オイストラフ〟が出現しなかったなら、ソ連のヴァイオリン音楽は現在あるものとは違っていただろう、オイストラフはソ連の新しいヴァイオリンの演奏様式を確立したばかりではなくて、1943年以来モスクワ音楽院の教授となり数多くの門下生にそれを伝えたのでもあった。それに加えて、その人柄と優れた演奏のゆえにソ連の数多くの作曲家から新作の献呈も受けもした。プロコフィエフ、ミヤスコフスキー、カバレフスキー、ラーコフ、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチなどのヴァイオリン・ソナタや協奏曲には、オイストラフがいなければ生まれなかったものがある。
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61」アンドレ・クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団、ブラームス「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77」オットー・クレンペラー指揮フランス国立放送管弦楽団、ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調 Op.26」ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ロンドン交響楽団、シベリウス「ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47」シクステン・エールリンク指揮ストックホルム祝祭管弦楽団、タネーエフ「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲 Op.28」ニコライ・マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団、プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.19」&「ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調 Op.63」アルチェオ・ガリエラ指揮フィルハーモニア管弦楽団。リーフレット付属。5枚組。
GB EMI SLS5004 オイストラフ ベートーヴェン/ブラーム…
GB EMI SLS5004 オイストラフ ベートーヴェン/ブラーム…
GB EMI SLS5004 オイストラフ ベートーヴェン/ブラーム…