34-22343

商品番号 34-22343

通販レコード→英ホワイト・アンド・シルヴァー黒文字盤 再販

熟成された濃密な男盛りを味わう ― 何十年もクラシック音楽を聴いてこられたオールドファンにとって〝オイストラフ〟はやはり ― ソ連の至宝のスケール大きく雄弁な名演奏で ― 特別な思い入れがあるヴァイオリニスト。20世紀を代表する巨匠ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ。誰もが一度は〝オイストラフ〟の演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらない。ヴァイオリニストの王と讃える人が多いのも当然である。オイストラフは録音を多く遺しているが戦争や冷戦があったために、凄まじい技術を誇っていた若い頃、思うように活動できなかったことが惜しまれる。1908年ウクライナ、オデッサに生まれオイストラフはソ連を代表するヴァイオリニストとして君臨しました。やがて第2次大戦終了後西側世界での活動が本格的に始まると20世紀を代表する巨匠としての評価を確立しました。息子イーゴリ・オイストラフとはドイツ・グラモフォンにバロック音楽を主にしたデュエット、英EMIにはメジャー・レーベルとして最も多くの有名独奏ヴァイオリン協奏曲の録音を残し、ベートーヴェンやブラームスといった得意のレパートリーは、いずれも名演の誉れ高い演奏です。なかでもアンドレ・クリュイタンス&フランス国立放送管弦楽団とのベートーヴェンの伝説的名演は、名匠同士唯一の共演にして稀代の名演となった、この大名曲の決定盤。豊麗で伸び伸びとしたオイストラフのヴァイオリンと音楽性豊かなクリュイタンスの指揮がベスト・マッチ、とにかくオイストラフが立派。一聴すると全盛期の彼の芸風は、より感情の起伏を織り込んでいるようで、かなり感情的な演奏になっています。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にとって初となった交響曲全曲録音を得てベートーヴェンを得意としていたクリュイタンスの伴奏も、感興に富んでいる。録音会場もパリの音響効果抜群の体育館サルワグラム。この曲の規範ともいうべきもので、オーソドックスで堂々とした演奏を聴かせている。これを超える演奏はおいそれと現れないだろう。おそらく、オイストラフ独特の線の太さも貢献してると思う。何れにしていも豊満な美音で悠然と歌う、しかし時には威嚇するとでも表現した方が相応しいフレーズも散見される彼の真骨頂が発揮された一枚であることは間違いない。懐の深い雄大な演奏です。20世紀におけるヴァイオリン協奏曲の一つの頂点を築いた、永遠の輝かしい記録がこのディスクに刻まれています。レコード芸術推薦盤。音質、盤のコンディションともハイレベルです。
戦後は西側でも活動できるようになり、各国で大成功を収め、その演奏のみならず人柄も愛されたという。かつてはフリッツ・クライスラーも、「オイストラフはすべてのヴァイオリニストの中で、最も大切なものを持っている。彼が緩やかに演奏することだ」と評価していた。1950年代に録音されたチャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の演奏は作品の核へ向かう切り込み方も、のびやかな美音の歌わせ方も自然かつ適切なフレージングも理想的だ。この1950年代の録音は、それまでのヴァイオリンの響きに豊潤さ、深淵さが加わり演奏家としての絶頂期を記録したものと言えるだろう。ソ連ないし東側の音楽家と組むときは、たいてい遠慮なく自分の音を出している。ニコライ・マルコの指揮で1955年にロンドンで録音したタネーエフの「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲」は、最高に美しく、素晴らしい。この曲は近寄りがたい程の美しさに、繊細でありながらも巨大な建築物のような音楽。この曲はダヴィッド・オイストラフが好んで演奏したことでも知られていますが、初めて聴いた瞬間から心奪われてしまう。一方、西側で行われた録音は豊麗な音色や安定感のあるフレージングが際立っているものが少なくない。そんな美しい調和の成功例が、オットー・クレンペラーやジョージ・セルの指揮でソリストを務めたブラームスの録音だ。スケールが大きく、知と情のバランスがとれており技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立された。
ソ連の誇るヴァイオリニストであり世界のヴァイオリン界の巨星でもあったダヴィド・オイストラフ(David Oistrakh)は1974年10月24日にアムステルダムへの演奏旅行の折に、かねてからの持病の心臓病で死去した。66歳だった。このオイストラフは来日公演を通じて日本に大きな影響を与えたし、また音楽愛好家を大いに喜ばせもし日本にとっても親しい存在だったのである。オイストラフはナタン・ミルシテインの先生でもあった、オデッサの名教師ピョートル・ストリアルスキーに師事し、音楽学校ではヴィオラとヴァイオリンの両方を学んだ。1924年に最初のリサイタルを開催。1926年に同地の音楽院を卒業した。1935年に出場したヴィエニャフスキ・コンクールでは2位 ― この時の1位は、中尾さんのリクエストに応えて2017年7月の鑑賞会で聴いていただいた、ジネット・ヌヴー ― に終わったが、その名を全ヨーロッパに知られるようになったのは、1937年にブリュッセルのイザイ国際コンクールでリカルド・オドノポソフと優勝を争い、一位を獲得してからだった。このオイストラフがはじめて日本を訪れたのは、1955年秋である。この当時は戦後10年を経過したわけではあったが、日本はまだソ連の楽壇の事情がよくつかめていないためにオイストラフの名は一部の愛好者だけに、よく知られているといった程度だった。その時オイストラフは47歳、器楽の演奏家として、まさに油ののっていた時期だった。その演奏を聴いて音色や技巧に難点がなく、音楽に新鮮な美感が漂っていたことに驚かされたのだった。オイストラフは、それから何回か来日した。そして、その都度、感銘の深い演奏を聴かせてくれた。このオイストラフのヴァイオリン演奏の大きな特色は、渋み溢れているということである。そこに盛られた温かいロマン性は、やはりオイストラフが年来持ち続けているものである。そしてオイストラフの演奏には、作品そのものが持つ様式からの離脱がない。そして、オイストラフの人間の誠実さと人情味が演奏という面に反映している。勿論、技巧だけにとらわれている演奏ではない。ありふれた言葉でいえば、深い精神内容がそこにある。そしてデリケートではあるが、線の細さを感じさせない。オイストラフは聴く人に音楽で訴えるわけだが、いわゆる後期ロマン派的な主情主義を尊重しているわけではない。ソ連では主情を表面に押し出した演奏様式が、かなり長い間に渡って幅を利かせてた。それをヴァイオリンの方面でいち早く打破したのはオイストラフだった。こうしたわけでオイストラフの演奏には、訴える力は強くあっても不自然さはない。それを、楽譜の読みが深い演奏と言ってもいいだろう。しかも、年齢とともに深味を増してきている。ここにオイストラフのヴァイオリン演奏家としての偉大さがある。確かに〝オイストラフ〟が出現しなかったなら、ソ連のヴァイオリン音楽は現在あるものとは違っていただろう、オイストラフはソ連の新しいヴァイオリンの演奏様式を確立したばかりではなくて、1943年以来モスクワ音楽院の教授となり数多くの門下生にそれを伝えたのでもあった。それに加えて、その人柄と優れた演奏のゆえにソ連の数多くの作曲家から新作の献呈も受けもした。プロコフィエフ、ミヤスコフスキー、カバレフスキー、ラーコフ、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチなどのヴァイオリン・ソナタや協奏曲には、オイストラフがいなければ生まれなかったものがある。
アンドレ・クリュイタンス(André Cluytens)は、1905年3月26日、ベルギーのアントワープ生まれ。父、祖父共に指揮者という家系であった。17歳の時、同地の王立歌劇場で補佐指揮者などをつとめ、22歳の時にビゼーの歌劇「真珠採り」で同劇場の指揮者としてデビュー。1949年にシャルル・ミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者に就任し、1964年には同管弦楽団を率いて来日。その名演は今も語り草になっている程である。1967年6月3日にガンのためパリで死去。指揮者として最も脂ののった62歳という若さであった。クリュイタンスが1967年に僅か62歳で世を去ってから、既に50年の月日が経つ。彼の死は音楽から、ある掛け替えのない宝を奪い去った ― という時、私たちが郷愁にも似た気持ちをもって想い起こすのは、彼がフランス音楽の演奏において聴かせてくれた、文字通りにフランス的としか言いようのない洗練と瀟洒な美感だが、クリュイタンスの音楽は単にそうした感覚的な喜びや快感だけで受け取るには、あまりにも情け深いものだった。そこには、最上の感覚的な戯れと背中合わせに、透徹した知性と、一切の過剰や誇張を厳しく拒否する節度があった。それだけではない。伸びやかで自由な愉楽と同時に、磨きぬかれたメティエと職人芸の確かさがあった。オペラやバレエを指揮して生き生きとした劇場的な効果とムードを生み出すかと思えば、宗教劇や教会音楽の演奏には限りなく敬虔な祈りがあった。更に、彼はフランス音楽だけのスペシャリストではなく、ベートーヴェンの交響曲の指揮はドイツでも高い評価を受けていたし、バイロイトでワーグナーを指揮した初のフランス系指揮者でもあった。つまり、クリュイタンスの音楽は、ある一つの概念で規定しようとすれば即座にそれと正反対の概念が浮かんでくるような多元性があったのだが、しかも彼はそうした多元的な要素を生々しい抗争として提出することは決してなかった。すべては自然で自由な美として呼吸していた ― クリュイタンスは常に微笑んでいるというベルナール・ガヴォティの言葉のように、彼の遺したレコードは、その清らかな微笑みがいかに意味深いものであったかを、様々な形で啓示している。それらを改めて聴き返すたびごとに、私たちは、クリュイタンスの死によって失ったものの大きさを、そしてこの50年の間二度と再び見出すことの出来なかった美を、思い知らされるのである。
ベートーヴェン:VN協奏曲
オイストラフ(ダヴィド)
EMIミュージック・ジャパン
1996-11-20

ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61」アンドレ・クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団、1958年録音。
FR COL CCA817 オイストラフ・クリュイタンス・フランス国…
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