GB  EMI  RLS764 ホッター/シュヴァルツコップ/タウバー他 STARS OF THE VIENNA OPERA 1946-1953
通販レコード→英後期カラー・スタンプ・ドッグ盤

GB EMI RLS764 ホッター/シュヴァルツコップ/タウバー他 STARS OF THE VIENNA OPERA 1946-1953

商品番号 34-11665
倒壊したウィーン国立劇場で上演されるはずだった16の名作オペラ ― 第二次世界大戦の爆撃でウィーンの音楽の象徴は崩壊したが、歌手たちは歌い続けた。》ヨーロッパで有数の歌劇場があるなかで、世界でも一、二の人気を争うオーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体であるウィーン国立歌劇場管弦楽団は、モーツァルトの時代には間に合わず、その後のドイツオペラをリードしたヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウスの初演拠点にもならなかったこともあり、有名作品の初演歴という点ではドレスデンやミュンヘンに一歩を譲っている。ウィーンはドイツから北イタリアを支配していたハプスブルク君主国の首都であったため、ドイツ・オペラのみならずイタリア・オペラにとっても中心的存在であった。フランツ・ヨーゼフ1世の治世に行われた城壁の撤去とリング通りの建設を中心としたウィーン都市大改造計画の一環として、ウィーン市庁舎、ブルク劇場とともに建設された「ウィーン帝立・王立宮廷歌劇場」が前身である。その帝都の威信をかけて発足した歌劇場であり、精力的な上演活動によってたちまち世界のオペラをリードする位置にのぼり、現在に至っている。ただし、第二次世界大戦中の1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台が破壊され、建物は火災に見舞われた。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の上演でこけら落しを行って以来、グスタフ・マーラーのアイデアが盛り込まれた《フィデリオ》の舞台装置を含む、120作のオペラ上演のための舞台装置と大小道具のほぼ全て、15万着もの衣装が失われた。2016年4月14、16日に起こった熊本地震から9ヶ月。石垣が倒壊した熊本城はオリンピック前には天守閣を再び観光できるまで復興させると賑やかだが、市民ホールを始め再開はまだまだこれからだ。それでも、何らかの形で演奏会が行われているように、カール・ベームが再び総監督に就任して1955年11月5日にベートーヴェンの『フィデリオ』で再開するまでの間も、ウィーン・フォルクスオーパー(1945年5月1日から6月14日まで)およびアン・デア・ウィーン劇場(1945年6月18日から1955年8月31日まで)を仮の拠点として名歌手たちはオペラの上演を続けた。ドイツオペラとイタリアオペラの両方をカバーするウィーン国立劇場には古くからイタリア人スター歌手も多く専属化している。「STARS OF THE VIENNA OPERA 1946-1953」と題された本盤には、その不遇の期間に上演された名作オペラ16作品を聴くことが出来る。収録曲はモーツァルトの『後宮からの誘拐』から4曲、『フィガロの結婚』から5曲、『ドン・ジョヴァンニ』から6曲、『魔笛』から5曲。これらモーツァルトの代表作が3枚組セットの半分を占める。後半は、ベートーヴェンの『フィデリオ』、ウェーバーの『魔弾の射手』、ニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』、ワーグナーの『ニュルンベルクの名歌手たち』、『ワルキューレ』、『神々の黄昏』、スメタナの『売られた花嫁』、ヨハン・シュトラウス2世の『ジプシー男爵』、リヒャルト・シュトラウスの『ナクソス島のアリアドネ』、『薔薇の騎士』、『サロメ』。シューマンの歌曲集「ミルテの花」から『くるみの木』、リーダークライスから『月夜』。歌手はエーリヒ・クンツ、ハンス・ホッター、ゴットリーブ・フリック、ルードヴィヒ・ウェバー、ダグマール・ヘルマン、エリザベート・シュヴァルツコップ、ウィルマ・リップ、ヒルデ・コネツニ、イルムガルト・ゼーフリート、リューバ・ヴェリチュ、マリア・チェボターリ、マルタ・メードル、セーナ・ユリナッチ、アントン・デルモータ、ユリウス・パツァーク、リヒャルト・タウバー、ルドルフ・ショック、ワルター・ルードヴィヒ。指揮はフェリックス・プロハスカ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、オットー・アッカーマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ロブロ・フォン・マタチッチ、ルドルフ・モラルと、ワルター・ゲーア、ヴィルヘルム・ロイブナー、マインハルト・フォン・ツァリンガーにピアノで、ヘルマン・フォン・ノルトベルク。オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
関連記事とスポンサーリンク