34-263
商品番号 34-263

通販レコード→英グレイ黒文字盤
大家の至芸 ― というひと言で勘弁してください。この演奏を耳にして平静で居られるような聴き手は絶対に存在しない、全てのクラシックファン必聴の歴史的名盤だ。現代的な演奏から振り返れば、テンポに違和感を覚えるような箇所もあったりするのですが、聴き始めるとついつい最後まで聴き通してしまう演奏です。これはSP録音だが一度は聴いておくべきだ。発売前の前評判も高く、レコード会社も宣伝に力を注いでいるので状態の良いSPレコードは入手しやすい。是非とも蓄音機再生で聴いておきたい。カザルスのチェロが一番チェロらしく響く、普通ならこもり気味になってしまう低音部さえ、ボーイングの様子がよく分かるほどです。元はSPレコードで発売された録音で、マイクや録音技術は現代とは比較になりません。でも、聞き苦しい録音に甘んずるものでしょうか。むしろエンジニア根性に燃えることでしょう。SPからのダビングだが、復刻の録音状態も、それほど酷くはない。板起こしというのも在る。金属マスターからの復刻なので原盤はSP録音だとは思えない音で聴ける。カザルスは〈バッハの『無伴奏チェロ組曲』〉も録音が良いと思いましたが、まさにあのチェロが弾いているドヴォルザークだとわかる、びっくりするぐらい音質が良い。そのバッハが1929年の録音だから90年近く、この古い録音でも既にカザルスは61歳(セル40歳)で、さすがに風格があります。カザルス最盛期の録音という記念的な意義もあるけれど、これほど彫りの深い気魄のこもった演奏というのは滅多矢鱈に聴けないからである。このことがカザルスのレコーディングが人類の遺産たる所以でしょう。ティボーとのブラームスのデュオ協奏曲、ボッケリーニのチェロ協奏曲、ティボー、コルトーとのメンデルスゾーンとシューマンのピアノ三重奏曲。ベートーヴェンの魔笛の主題による変奏曲、ドヴォルザークの母が教えてくれたうた、リムスキー=コルサコフの熊ん蜂の飛行、シューマンのトロイメライ、当時単なる練習曲だと思われていたJ.S.バッハの至曲、無伴奏チェロ組曲第3番からアリア。ソナタ第2番からアンダンテ。メンデルスゾーンの無言歌、ハイドンのメヌエット、ボッケリーニのアダージョとアレグロ、タルティーニのグラーヴェとエスプレッシーヴォ、ヴィヴァルディのラルゴ、ヴァレンティーニのガヴォット、などなど。チェロ小品の定番的な曲に加え、ピアノ曲やヴァイオリン曲、当時珍しい部類であったろうバロック音楽からの編曲も目立つヴァラエティ豊かなもの。バッハと同時代の音楽への関心をもたせることにも貢献は大きい。演奏はどの曲もヒューマンな温かさと有無をいわさぬ説得力を兼ね備えており、100年近く前の記録が価値を失うどころか、変わらぬ輝きを放っていることに改めて驚かされる。バッハの《無伴奏チェロ協奏曲》を発掘したことだけでなく、パブロ・カザルスという男のチェロ演奏への献身こそ人類の至宝だ。
チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされるパブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876年12月29日〜1973年10月22日)は4歳でピアノを始め、6歳で「マズルカ」を作曲。9歳になると、ペダルに足が届くようになったことでオルガンを始める。11歳でチェロを弾き始める。12歳でバルセロナの市立音楽院でチェロを学ぶことになるが、ホセ・ガルシアから教授されたチェロ奏法に当初から違和感を抱いていた。両ひじを両脇につけ右手は手首を持ち上げ加減にして前腕だけで弓を扱い、左手は指の間隔を広げずに滑らせて音程移動させていた当時のチェロ奏法は、窮屈なものであった。独自の奏法の追究を始めたカザルスは、11年から12年を要して右手を脇から自由にして弓による表現性を広げ、左手も脇から離し、指の間隔を拡張させて同じポジションで半音広く弾くことができるように改良した。それまでのチェロ奏法は、ヨーゼフ・ヨアヒム一門によるヴァイオリン奏法を機械的に模倣したものと考えられ、カザルスはアンリ・ヴュータンやウジェーヌ・イザイなどフランコ・ベルギー派のヴァイオリン奏法を参考にしたともいわれる。この奏法の改革がなければ、20世紀のチェロ無伴奏作品のほとんどが作曲されることはなかっただろうと言われるほどの業績だが、あくまで音楽的な完全性をめざすために必要だったと述べているカザルスは、自身では奏法革命とか改革という表現は使っていない。カザルスの演奏はシャープ記号(半音高く)の音が半音より高く、フラット記号(半音低く)の音がより低い傾向があるが、音程も表現の手段であり、同じ音階でも上昇するときと下降するときでは異なる音程をとる必要があると語っている。したがってカザルス自身は、そのことを十分承知の上で表現上あえて音程をずらしていたのである。技巧的には前時代的などと現代と比べて、音程が不正確なところだけが鑑賞の好む、好まざるを判断する理由にされる傾向がある。しかし、指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」と賛辞を残している。カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。
トマス・エジソンが『フォノグラフ』を発明したのは1877年のこととされるが、それから百年のレコーディングを振り返ってみれば時間とともに消え去るはずの音楽が、これほどまで正確に記録されるようになったと驚かないわけにはゆかないであろう。それは演奏の方法や様式感にも計り知れない影響を及ぼしている。それ以前の名演奏家たちは伝説として語り伝えられているが、レコードの発明以来、この分野も科学の時代に入ったのである。こういう時代を考えないではジョージ・セルについて正しく語ることは出来ない。シンフォニー・オーケストラの窮極的な機能を追求し、クリーヴランド管弦楽団という完全無欠なアンサンブルを造り出したことはセルの個人的な業績であるばかりでなく、すでに確固たる歴史的な達成として認められることである。それがレコードとしてもセルの死後ますます輝かしい光を放っている。その他の誰もが達し得ない程の高い完成度を、どうして否定できようか。現代の演奏は如何に主観主義的な表現を行おうとも科学的考察の対象になるのであって、音楽もまた神話や伝説の領域に留まるものではない。セルはこういう時代に与えられた指揮者の最高の使命を担って全うしたのである。セルの極めて厳格な耳と審美感覚はオーケストラという非常に人間的な集団から不透明な人間臭を排除し、純粋な音楽を抽出した。そのため完璧なアンサンブルを掌中にしようとする鬼ともなり、冷たいとか非人間的とかいわれたが、むしろ暖かみがあるのやら人間味があるのやらと称される演奏以上に高度な音楽的表現をすることが出来た。それこそレコードに聴く、信じられないような透明無垢のハーモニー、鮮やかな色彩を見せる絶妙なバランス、表情の豊かなアゴーギグを持つ生気溌剌としたリズム、各パートが常に音楽と一体となって呼吸していて決して乱れないアンサンブル、なのである。セルの指揮するクリーヴランド管弦楽団は凡そ全ての人間的な弱点や欠陥を克服して、この世に在らざるかのような彼岸の美に到達していたといって良い。
セル(George Szell、1897年6月7日〜1970年7月30日)は1897年にブダペストで生まれたが3歳からヴィーンに移り住み、ヴィーンの音楽を身に受けて育った。事実、セルの様式感はヴィーンの伝統を受け継いでいる。このことはクリーヴランド管弦楽団の浮世離れした美感ゆえなかなか気づかれなかったようであるがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの解釈にはヴィーンの流れをくむセルの揺るぎない様式感が打ち出されている。そうした古典様式の美学を踏まえて、セルはメンデルスゾーンやシューマンやブラームス、ワーグナーやブルックナーやマーラー、ドヴォルザークやチャイコフスキーなど、いわゆるロマン派の世界に乗り出していったのであり、そこにセルの神髄が見いだせる。第2次世界大戦後、アメリカでのみ可能な最高のメカニズムを実現して未曾有のザ・クリーヴランド・オーケストラが造り出されたが、それはヴィーンで培われたシンフォニズムに根差したものに他ならない。1970年、セルは日本の演奏旅行から帰った直後、クリーヴランドで没した。そういう演奏の透徹ぶりを目の当たりにして驚嘆した日本の聴衆にしてみれば何かが植え付けられたはずである。ヨハン・シュターミッツの指揮するマンハイム宮廷管弦楽団や、ハンス・フォン・ビューローの指揮するマイニンゲン管弦楽団は伝説の中に生きているけれども、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団は科学的考察の下に絶対的美感を示しつつ生きながらえるであろう。レコードが、その証言となる。
協奏曲としては異例な程オーケストラが活躍する曲であり、特に木管楽器のソロは素晴らしい。さらには、主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である。これらをもって、チェロ協奏曲の範疇にとどまらず協奏曲というジャンルの最高傑作の一つとして評価される作品である。
ドヴォルザークは全部で3つの協奏曲を作曲した。ヴァイオリンとチェロとピアノのための協奏曲で、その中では、この「チェロ協奏曲」が抜きん出ている。否それどころか、これは古今の「チェロ協奏曲」を通じての最高峰といってよかろう。「交響曲第9番〈新世界より〉」のところでも述べたが、ドヴォルザークは1892年(51歳)から約3年間、アメリカのニューヨークの国民音楽院の初代院長をつとめた。「交響曲第9番」とか「弦楽四重奏曲〈アメリカ〉」とか、この「チェロ協奏曲」といった彼の代表作は、何れも滞米中に作曲されたもので、特にこの「チェロ協奏曲」は彼がボヘミア(現在のチェコ)に帰国する寸前に、ほぼ完成されプラハでもって仕上げられた。1895年(54歳)のことである。そして、その翌年の春、ドヴォルザーク自身の指揮、レオ・スターンのチェロ独奏でロンドンで初演され圧倒的な成功をおさめたのだった。この曲の魅力は、なんといっても、その濃厚な民族情緒にある。それも、ボヘミアとアメリカの混合である。もっとも「交響曲第9番」と同じく本体は、あくまでもボヘミアであって、それにアメリカ的な素材を装飾程度に用いているわけだが、その調合の具合が実に絶妙なのである。第1楽章、アレグロは骨格のしっかり整ったソナタ形式で民族情緒が濃く、剛と柔との兼ね合いの見事な楽章である。第2楽章は、アダージョ・マ・ノン・トロッポ。歌謡3部形式、スラブ的な哀愁の漂う抒情的な楽章でドヴォルザークの望郷の気持ちが、はっきりと表れている。第3楽章、アレグロ・モデラートは自由なロンド形式で粗野な情熱を持った雄々しい気分の楽章である。この曲にはブラームスの影響が見られる。独奏チェロのヴィルトゥオーゾ的な華麗な活躍を抑え、チェロとオーケストラとを一体化し、量感のある交響的な作品としていることで、こうした書法はブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」や「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」などに大変よく似ている。
1937年4月28日にSP録音された優秀な音質。
GB EMI COLH30 カザルス ドボルザーク・チェロ協奏曲
GB EMI COLH30 カザルス ドボルザーク・チェロ協奏曲