34-19694
商品番号 34-19694

通販レコード→英カラースタンプ・ドッグ盤
ヴェルディ歌唱の最上の精華 ― 世紀のディーヴァ、マリア・カラス。オペラ通の間では「BC」と言えばカラス以前、「AC」と言えばカラス以後の意味だと言われ、その幽玄にしてドラマティックな歌声は、没後40年を過ぎたいまも世界の人々を魅了してやみません。カラスの功績は、声と演技による鋭い心理描写で平板なオペラの台本でも優れたドラマを築き上げることにあった。それは、舞台を観なくともその静かながら壮絶な歌い回しで容易に想像できる。「私は今も一所懸命に働いています。私は難しさに打ち勝つことが楽しみです。挑戦することが好きなのです。人生にもし挑戦して打ち勝つものがなかったら、なんとつまらないことでしょう。」ニューヨーク生まれのカラスは通訳を使わないでギリシャ語、イタリア語、英語、フランス語でインタビューに答えている。カラスのインタビューはかなりのこされているが、構えることなく、スムーズな会話が思い出される。ネイティブほど難しい表現は使わないが、簡潔に彼女の気持ちが伝わってくる。紆余曲折のあった彼女の人生は、自分に要求する水準が高かったからだろう。恋愛に溺れた一方で、高度なテクニックを持ち、講師として的確に指導する知性もあった。カラスは多面的な人だったし、だからこそ、曲自体のドラマだけでなく歌い手のドラマが、そこに反映されている。26作あるヴェルディのオペラではソプラノがドラマの中心的な役割を担っているのは当然ですが、初期と中期から後期では声の用法、キャラクターに違いがあります。『ヴェルディのヒロインたち』は初期オペラ作品におけるヴェルディ歌唱の最上の精華を示した内容が聴きどころ。カラスの声の絶頂期といえる1958年の録音。それは、感情の表現力とも異なる、そもそもの音の重みの違い。ゆえに、いつまでも古くならない永遠。いまだ変わらぬ別格の人気の理由だろう。何より彼女は音楽に一期一会を求めていたのだから。音楽の構造全体を把握し、音楽の構造の中でのその音の意味、作曲家がそこにその音を持ってきた意味を完全に理解して歌っているのである。これほどすごい音楽的知性に出会うことはそうない。
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舞台ではいつも新しいものを求めなくてはなりません。その方がよりリアルです。私はいつも同じようには動かないので、二つと同じ舞台はありません。署名と同じで、二つと同じものはないのですが、それはいつも「マリア・カラス」なのです。
マリア・カラス(Maria Callas)は1923年12月2日、ニューヨーク生まれのソプラノ歌手。1977年9月16日、パリにて没。13歳で故国ギリシャに帰り、アテネ音楽院で名歌手、エルビラ・デ・ヒダルゴに師事。1938年にオペラ・デビューし、1947年、ヴェローナ音楽祭でのジョコンダ役で一躍注目を浴びる。1950年のスカラ座デビューから約10年間が全盛時代。ワーグナーのドラマティックな役と、ベル・カント・オペラの両方の分野で成功を収め、不世出のソプラノ歌手として名を残した。42歳だった1965年にオペラの舞台から退いたが、1969年に映画『王女メディア』に主演したほか、舞台演出、音楽院の講師を務め、1973~74年に世界各地でフェアウェル・コンサート・ツアーを行った。オペラ歌手としての充実した活動期間は短く、1951年からの7年間が全盛期、歌声に波があった1960年代まで含めても10数年にすぎなかった。早すぎる衰えは、若い頃に難曲で喉を酷使したため、あるいはダイエットのせいとも不摂生のせいともいわれる。全盛期のモノラル録音と比べスタジオでセッション録音されたステレオ録音の歌唱には年齢的に最盛期とは、もはや言えないし声の変化はいかんともしがたいものがありますが、それを超越した表情づけのこまやかさ、心理描写の絶妙さは、精妙な構成力が際立った歌唱になっていきます。ドラマに対する類まれな冴えた感覚と、それに完璧に連動する歌唱力を持ち合わせていた稀代の名歌手マリア・カラスは、1953年の『ドン・ジョヴァンニ』からのマイク・テストから、レッシーニョとの1960年台の録音まで、キャリアのほとんどの期間でEMI専属の歌手としてジョルジュ・プレートル、トゥリオ・セラフィン、ガブリエーレ・サンティーニ、ヴィクトール・デ・サーバタ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、アントニーノ・ヴォットー、ニコラ・レッシーニョ、アルチェオ・ガリエラらとレコーディングを行っていました。ウォルター・レッグのプロデュースで複数の「ヴェルディ・アルバム」をマリア・カラスは録音しています。それらは時期を開けて1958年から1969年まで丁寧な選曲でセッションが組まれました。
Callas Portrays Verdi Heroines ‎– Macbeth, Nabucco, Erani, Don Carlos
  • Side-A
    1. 歌劇「マクベス」第1幕より ― 勝利の日に…さあ、いそいですぐに Nel Di Della Vittoria. Cavatina: Vieni! T'Affretta (Act I)
    2. 歌劇「マクベス」第2幕より ― 日の光が薄らいで La Luce Langue (Act II)
    3. 歌劇「マクベス」第4幕より ― 消えてしまえ、呪わしいこのしみよ(夢遊の場) Una Macchia E Qui Turrora! (Act IV)
  • Side-B
    1. 歌劇「ナブッコ」第2幕より ― ああ、わたしが見つけた運命の書よ…いつかわたしも晴れの身となり Ben Io T'Invenni Anch'io Dischiuso Un Giorno (Act II)
    2. 歌劇「エルナーニ」第1幕より ― 夜のとばりがおりたのに…エルナーニよ、いっしょに逃げて Surta E La Notte Cavatina" Ernani! Ernani! Involami (Act II)
    3. 歌劇「ドン・カルロ」第4幕より ― 世のむなしさを知る神 Tu Che Le Vanita (Act IV)
ニコラ・レッシーニョ(Nicola Rescigno)は1916年5月28日、ニューヨーク生まれの指揮者。父はメトロポリタン歌劇場のトランペット奏者だった。ローマで法律を学んだ後、1929年からイルデブランド・ピツェッティ、ヴィットリオ・ジャンニーニやジョルジオ・ポラッコらに師事。1943年、ニューヨーク音楽アカデミーでジュゼッペ・ヴェルディの《椿姫》の上演を指揮してデビューする。その後、サン・カルロ・オペラのアメリカ巡業に同行して名声を得て、コネチカットやハバナの歌劇場の音楽監督の任についた。1954年、キャロル・フォックス、ローレンス・ケリーとともにシカゴ・リリック・オペラを創設し、1956年まで芸術監督・指揮者を務める。この間マリア・カラスのアメリカ・デビューのステージを指揮し、数多くの名演を残した。1957年にはダラス・シヴィック・オペラの発起人の一人として創設に名を連ね、19年間に渡って芸術監督・指揮者を務めた。また、モンセラート・カバリェ、プラシド・ドミンゴ、ジョーン・サザーランド、テレサ・ベルガンサ、ジョン・ヴィッカーズやマグダ・オリヴェロといったオペラの名歌手たちのアメリカ・デビューを指揮して伴奏を担当したことでも知られ、演出家のフランコ・ゼフィレッリのアメリカ・デビューのときの指揮者も務めるなど、広汎に活躍している。メトロポリタン歌劇場には1978年から出演し、ヘンデルのオペラ『アルチーナ』『ジューリオ・チェーザレ』を手がけるなど、イタリア・オペラのスペシャリストであった。1990年にはローマのカラカラ浴場跡で『アイーダ』を指揮して注目を集めた。ヴィテルボの病院にて2008年8月4日死去、今年没後10年になる。
録音は1958年9月19〜21,24日ロンドン、アビー・ロード・スタジオでの、ウォルター・レッグのプロデュース、エンジニアはネヴィル・ボーリングによるステレオ・セッション。1959年初発(SAX 2293)。本盤(ASD 3817)は1969年初発。
GB EMI ASD3817 マリア・カラス ヴェルディ・オペラ・ア…
GB EMI ASD3817 マリア・カラス ヴェルディ・オペラ・ア…