34-21147

商品番号 34-21147

通販レコード→英エンジェル・ステッカー貼り付け盤

ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの歓び。 ―  「ヴィルトゥオーソヴァイオリン・コンチェルト」という用語がある、と同時に、それはヴァイオリンの作品文献の中で特殊なジャンルを維持している。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を一つの偉大なピーク ― 山頂とすれば、それ以後のヴァイオリン協奏曲が衰頽しなかったのは主としてルイ・シュポア(1784〜1856)の天才のおかげである。歴史的にみてシュポアのヴァイオリン協奏曲は重要な地位をもっている。シュポアより華やかな存在がニッコロ・パガニーニで、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの時代が燦然と輝くのだ。フランスではヴュータンの師のベリオはヴィオッティの教え子で、パリ楽派といわれていたが、ヴュータンの出現によって「フランコ=ベルギー楽派」の確立となる。一方、パリではエドゥアール・ラロ(1823〜1892)が共に偉大なスペインの名ヴァイオリニスト、サラサーテによって紹介されたヴァイオリン協奏曲と《スペイン交響曲》(1875)によって、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの花を咲かせるのである。ドイツではマックス・ブルッフ(1838〜1920)があり、ポーランドにヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835〜1880)と、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの系譜が続いている。これらのヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトというジャンルでは、ヴァイオリンという楽器自体が作曲家にとってインスピレーションの主なソースであったように思われる。このジャンルのコンチェルトを演奏して聴き手に歓びを与えるには、美しい音と縦横無尽のテクニックと豊麗な表現力を兼ね備えていなければならない。今日、この三位一体をブレンドしてヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの純粋な歓びを味わせてくれる第一人者といえば、イツァーク・パールマン(1945年8月31日テル・アヴィヴ生まれ)を筆頭に挙げなくてはなるまい。13歳のとき渡米して、ジュリアードのイヴァン・ガラミアン教授に徹底的に鍛えられた話は余りにも有名である。しかし、それを多忙なコンサート・ツアーの間にいかにして保持してゆくかという問題について、パールマンはこんなふうに答えている。演奏旅行中にはとても充分な練習 ― プラクティス時間なんかありません。そこで、ぼくはインスタント・プラクティスと呼んでいるものをやっています。多くの人は練習に練習を重ねて、それから得るものが余り無いことをやっているようだが、ぼくはどこに問題があるかを知っているので、そこだけをチェックする。どんなひとにも調子のいい日と悪い日があるもんですよ ―― これは人間だから避けることが出来ません。だが、ぼくがやろうと努めていることは、たとえ調子が悪くとも、ある水準以下に下げないってことですね。上手く弾けてる時はいい気分です。上手くいってない時には、なぜそうなのかということを見極めようとするのです。リサイタルの最中に厄介なパッセージに差し掛かっていることを知ると、ここは練習のとき上手くいったんだから、コンサートで上手くやれないこと無いさ、と思い返すんです。ちくしょう!大丈夫できるさ、と全力投球するんですよ。これで上手くゆくんですね。
パールマンの演奏がいつどこで行われても、常に完璧そのものなのは演奏中に彼が心の中で行う〝インスタント・プラクティス〟のせいだといっているのである。まことに凄いといわざるを得ない、しかし、コンチェルトは合わせ物といわれるだけあって気の合った同士が良い。レコーディングのパートナーとしてパールマンが選ぶ指揮者といえばアンドレ・プレヴィンとか、ダニエル・バレンボイムだ。彼らとは仲間意識があり、時間的な制約の中で最高の演奏を手に入れ無くてはならないレコーディングでは、彼らとの協演が最も愉しいし、その成果も計算以上のものがある。バレンボイムがパリ管弦楽団の音楽監督に就任したのが1975年の秋のことだが、最早バレンボイムはパリ楽界になくてはならぬ重要な存在となっている。ヴュータンのヴァイオリン協奏曲はパリを背景として書かれており、そのオーケストラの響きはマイヤベーア時代のゴージャスなパリの響きにあふれている。ミシェル・デボストのフルート、モーリス・ブルグのオーボエ、ドゥリュアルのクラリネット、セヌダのバスーン、ジョルジュ・バルボトゥのホルン、フランシス・ピエールのハープなどパリ管の首席奏者たちの響きはゴージャスでしかもメロウである。当代最高のヴィルトゥオーソと共演する相手として、これ以上のアンサンブルも求め難いであろう。フランスには古いヴァイオリン音楽の伝統がある。それはベートーヴェンよりもはるか以前にまで遡ることができるが、フランスは主として19世紀から20世紀にかけて、ヴァイオリン音楽に大きな貢献をしてきた。作品でいうとフランク、フォーレ、ショーソン、あるいはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルといった作曲者名を挙げるだけで、そのことが明らかになるだろう。パールマンの使用楽器は黄金期に製作されたと云う1714年製ストラディヴァリウスのソイル。倍音タップリ乗った音質は微塵も色褪せてはいません。フランス芸術というと必ずラテン的な感覚美が問題にされる。それは決して間違ってはいないが、フランスの芸術はさらに国際的な広がりを志向してきたのである。ところがパリは最もフランス的な都会であると同時に、世界でもまれに見る国際的な都市として知られている。そこでフランスの有名な演奏家はもとより、ここでは世界中のヴァイオリニストを聴くことができる。しかも第2次大戦後30年を経た今日、各国のヴァイオリン楽派はこぞって偏狭な地域性をかなぐり捨て、より合理的で高度な演奏を目指して進んでいる。
昔ならともかく、今やフランスのヴァイオリニストだから粋な感覚を売り物にし、ロシアのヴァイオリニストが名技主義的であるといった先入観は、ものの見方を誤らせる危険性があろう。このような状況のなかでフランスは優れたヴァイオリンの音楽と演奏家を生み出してきたわけだが、そこにもっともフランス的な精神が息づいていることと同時に、最も普遍的な芸術が育てられてきたことを見落とす訳にはいかない。そこでフランスのヴァイオリン音楽にしても、その普遍的・国際的な一面が発揮されることになるのは当然である。往年のフランスのオーケストラならではの明るく美しい色彩の世界を心ゆくまで堪能させてくれた、パールマンがジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団と共演したフランス音楽は、その典型とも言えるが、言うまでもなくパールマンはフランスのヴァイオリニストではない。彼は第2次大戦が終結した直後にイスラエルで生まれ、ジュリアード音楽院に留学してイヴァン・ガラミアンに師事、1964年のレヴェントリット・コンクールで優勝したという経歴である。だがここでまず問題なのは彼の経歴や国籍ではなく、その音楽性である。サン=サーンスやショーソンの作品にしても、まずはフランス的であるかどうかということより、単純に音楽としての格の高さを問題にせねばなるまい。とするとパールマンと作品の触れ合いもそこから出発する。当然である。このヴァイオリニストは自らの体質をさらけ出し、ごく自然に、率直に作品に対している。かつてしばしば音楽の造形面における憑依的な崩れがフランス的な洗練という名目によって容認されてきたが、それが仮にフランスの芸術家の手で行われたとしても結果的にフランス音楽の一つの面だけを誇張したことになるのはやむを得ない。さいわいパールマンは現代の演奏家として、そうしたことを認めてはいない。彼の演奏は、譜面に対して正確である。従って造形はあくまでも端正に処理され、表情がどれほど情熱的な場合も感覚的に濁りがない。今やフランスの演奏家といえども、そうしたことを求め実行しているのであるから、結果的にパールマンのフランス音楽がフランス的であるか無いかというより、音楽的であろうとするのは当然である。あえていえば彼のフランス音楽は、その国際性と現代性において、全くフランス的と形容して良いのである。こうした場合、これらの作品もその厳しさとたくましさに耐えて、いっそう底光りのする真価を発揮するが、マルティノン指揮のパリ管弦楽団が、そうしたパールマンに対して、あらゆる意味で見事な同質性をもって融合していることは、いわばパールマンのフランス音楽における正当性の証明である。
近年、クラシック音楽の新録はダウンロード配信だけのケースが増え、往年の大演奏家たちの活動の把握が難しいが2014年から新たな「エルガー・プロジェクト」をシュターツカペレ・ベルリンとスタートしている。ダニエル・バレンボイムは言うまでもなく現代を代表する指揮者でもあり、また長らく一流のピアニストでもあり続けている。短期間に膨大な演奏や録音を熟すことでも知られる、市場が縮小した今日においても定期的に新譜を出せる数少ない指揮者である。バレンボイムがピアニストとして録音を開始したのは1955年のこと。しかし本格的な録音プロジェクトがスタートしたのは1960年代になってからで、まずウェストミンスター・レーベルで、続いてEMIでピアニストとしての継続的な録音が開始されました。特に1965年に始まる指揮者無しでのイギリス室内管弦楽団との密接な関係はピアノ協奏曲を始めとするモーツァルト作品の網羅的な録音が行なわれましたが、バレンボイムが初めてコロンビア・レコードに録音するのはこの時期で、ピンカス・ズーカーマンとのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集の指揮者として登場。イギリス室内管とはロドリーゴをジョン・ウィリアムズのギターを迎えて、大注目された録音しています。1970年代前半には交響曲2曲のほか、「エニグマ変奏曲」や「威風堂々全曲」をはじめ、名作「海の絵」まで含む、ロンドン・フィルとのエルガーの主要オーケストラ作品を録音し、〝隠れエルガリアン〟としてのバレンボイムの姿が浮かび上がります。フィラデルフィア管弦楽団を指揮して当時の夫人ジャクリーヌ・デュ=プレと共演したチェロ協奏曲のライヴ録音もその延長線上でレコード化されました。同世代の非英国人の音楽家で、ここまでエルガーの音楽に肩入れしているのはバレンボイムぐらいなもの。そしてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との名演は1975年の巨匠アルトゥール・ルービンシュタイン3度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集での、スケールの大きな音楽作りに結実します。最熟期のルービンシュタインの気力充実した極大のピアニズムに引けを取らないオーケストラの深みのある鳴らしっぷりはバレンボイムの指揮者としての新境地を感じさせるもので、ピアニストとしてこれら5曲をオットー・クレンペラーという大指揮者と録音したバレンボイムが今度は指揮者として、やはり大巨匠のルービンシュタインと同じ5曲全てを録音した、という点でも大きな話題となりました。ピアニストとしての録音では、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとのブラームスのピアノ協奏曲2曲、メータ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのリヒャルト・シュトラウスの協奏的作品「ブルレスケ」は、いずれもバレンボイム唯一の録音であるほか、イツァーク・パールマンとのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲。同じころにピエール・ブーレーズの指揮でベルク「室内協奏曲」の録音に、ピアニストとしても参加しています。
ダニエル・バレンボイムはピアニスト、指揮者として、これまでにほぼすべてのメジャー・レーベルから膨大な録音をリリースしてきていますが、ことソニー・クラシカル(旧コロンビア時代からCBSおよびRCA REDSEAL)への録音には他レーベルにはないいくつもの特徴があります。音楽監督をつとめていたパリ管弦楽団とは、ベルリオーズを始めとするフランス音楽のエッセンスともいえる作品の名演が記録されています。現在のところ唯一の録音である「テ・デウム」や「イタリアのハロルド」、「トロイ人」の「王の嵐と狩」など、ドイツ・グラモフォンでのベルリオーズ・チクルスでは録音されなかった作品が聴けるのもソニー・クラシカルならではといえるでしょう。火照るようなロマンティシズムが溢れ出てくるシェーンベルク「ペレアスとメリザンド」も、冷徹なミヒャエル・ギーレンらとの解釈とは対極にある個性的な名演です。また同時期に録音されたニューヨーク・フィルとのデビュー録音となったチャイコフスキーの交響曲第4番は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの絶頂期を思わせるドラマティックな音楽作りが特徴で、バレンボイム初期の指揮録音の中でも傑出した名演にもかかわらず、話題にならないのが不思議なほどです。ブラームスはピアノ協奏曲を2曲書きました。2曲とも屈指の大作であり名曲ですが、特に第2番は古今のあまたのピアノ協奏曲の中でも最高峰だと思っています。恩師シューマンへの敬意とクララへの憧れが入り混じる作曲家の若書きの1番のいかつい協奏曲にくらべ、2番は自由な気概に満ち、のびのびしたここで聴くブラームスの音楽は、私の心を解きほぐしてしまう。ブラームスがイタリア旅行中に構想を得たという2番は、陽光にあふれ、一点の曇りもありません。ピアノはバレンボイムらしいルバートが見られ豊か。ピアノの表情の転換や多彩さは見事。表情豊かなピアノをオーケストラが自己主張せず巧くサポートして引き立てる。それでもメータのテンポは颯爽としているので音楽が引き締まっている。活力はあるが単に突っ走るのでなく入念でもある。知と情のバランス。やっぱりバレンボイムは並みのピアニストではない。バレンボイムの指揮には「重いよー」と弱音を吐いてしまうことが多い私ですが、ピアノは何時聴いても素晴らしい。
不治の病で没したチェリスト、ジャクリーヌ・デュ=プレの元夫。エドウィン・フィッシャーの弟子。1991年よりゲオルク・ショルティからシカゴ交響楽団音楽監督の座を受け継いでからは、卓越した音楽能力を発揮し、現在は世界で最も有名な辣腕指揮者のひとりとして知られている。ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインから近年のギュンター・ヴァントやカルロ・マリア・ジュリーニ、ガリー・ベルティーニに至るまで、第二次大戦後に活躍してきた指揮界の巨星が相次いで他界した後の、次世代のカリスマ系指揮者のひとりとして世界的に注目と期待が集まっている。オペラ指揮者としては、1973年にエディンバラ音楽祭において、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を指揮してデビュー。1981年にはバイロイト音楽祭に初めて招かれた。1992年からはベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任し、現在まで継続している。アルゼンチン生まれのため、南米出身のラテン系の音楽家というイメージが強いが、両親がともにユダヤ系ウクライナ人であり、ウラディミール・ホロヴィッツ、シューラ・チェルカスキーらと同郷のウクライナの血を引いた音楽家である。バレンボイムは、10歳の時に戦後建国されて間もないイスラエルに移住。その後、オーストリア・ザルツブルクに移り、モーツァルテウム音楽院で学んだ。ピアニストでいえばモーツァルト弾きで名高いイングリット・ヘブラーと同じ音楽院の出身で、バレンボイム特有の粘着質で重々しい音楽からすると意外な印象を受ける ― ただし、モーツァルトは彼の得意なレパートリーではある。ピアノを弾く姿は、椅子を高くして、決して長くない腕を斜めに下げた状態で、鍵盤に腕ごと指を打ち下ろすというもの。彼の弾くハンブルク・スタインウェイからは、他のピアニストにはない粘りのある分厚い重い音が出てくる。それはクラウディオ・アラウやハンス・リヒター=ハーザーのようなドイツ系のピアニストの輝きを持つ重厚感や、師のエドウィン・フィッシャーの音楽とは異質な音である。1954年夏、死の直前で聴力をほとんど失っていたフルトヴェングラーから「天才少年」と賞賛を受けたことで、フルトヴェングラーへの思いは強くなり、バレンボイムの指揮ぶりにはフルトヴェングラーの重厚さ・壮大さを常に意識したところがある。音楽を大量生産する人物、政治的な策略でポストを得てきたフルトヴェングラーのエピゴーネンであるなど、バレンボイムを『指揮は出来ないが、いいピアニスト』と語っていたセルジュ・チェリビダッケのような精緻な音楽を基本とする大指揮者から評価されている。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。
ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日ブエノスアイレス生まれ)は演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ピアニストからスタートして、もともとフルトヴェングラーに私淑していたこともあり、さらにメータ、クラウディオ・アバド、ピンカス・ズッカーマンなどとともに学びあった間柄で、指揮者志向は若い時からあったバレンボイム。7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、イーゴリ・マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。1952年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しウィルヘルム・フルトヴェングラーから紹介状〝バレンボイムの登場は事件だ〟をもらう。エドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。シュターツカペレ・ベルリンとベートーヴェンの交響曲全集を、シカゴ交響楽団とブラームスの交響曲全集を、シカゴ交響楽団及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を2種、それぞれ完成させている。ピアニストとしてより指揮者として顕著さが出る、この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。「トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよ」とズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。
Producer – Suvi Raj Grubb, Engineer – Paul Vavasseur, 1976年2月7、9、10日、1977年6月30日パリ、サル・ワグラムでの録音。
GB EMI ASD3555 パールマン ヴュータン・ヴァイオリン協…
GB EMI ASD3555 パールマン ヴュータン・ヴァイオリン協…