34-7215

商品番号 34-7215

通販レコード→英モノクロ切手ドッグ盤

ユダヤ・ゴールデン・コンビによる極上のデュオ ―  親しみやすい人間性がにじみ出る2つのヴァイオリンのための小品名曲の数々。であるとともにエンタテインメント的演奏とを両立させる、ヴァイオリンの2大巨匠による圧倒的な完成度を誇る録音。パールマンとピンカス・ズーカーマンとの天才同士のデュオが、スリリングな共演を実現させた、18~19世紀の作品集。ヴァイオリン界最後の巨匠といわれるイツァーク・パールマンは1971年からEMIへ録音を開始し、主要ヴァイオリン協奏曲やソナタ、室内楽、小品集を録音したというだけでなく、ジャズやジューイッシュ音楽なども手がけてきました。彼は絹のような、美しくも切なく、人の心に寄り添うような美音で、暖かい言葉で語りかけてきます。その技巧の全てを駆使した音楽は、音程は完璧に制御され、徹底的な美音、豊麗な歌い回しなど、パールマンならではのものでしょう。パールマンの使用楽器は黄金期に製作されたと云う1714年製ストラディヴァリウスのソイル。倍音タップリ乗った音質は微塵も色褪せてはいません。しかし、コンチェルトは合わせ物といわれるだけあって気の合った同士が良い、レコーディングのパートナーとしてパールマンが選ぶ指揮者といえばアンドレ・プレヴィンとか、ダニエル・バレンボイムだ。彼らとは仲間意識があり、時間的な制約の中で最高の演奏を手に入れ無くてはならないレコーディングでは、彼らとの協演が最も愉しいし、その成果も計算以上のものがある。「ヴィルトゥオーソヴァイオリン・コンチェルト」という用語がある、と同時に、それはヴァイオリンの作品文献の中で特殊なジャンルを維持している。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を一つの偉大なピーク ― 山頂とすれば、それ以後のヴァイオリン協奏曲が衰頽しなかったのは主としてルイ・シュポア(1784〜1856)の天才のおかげである。歴史的にみてシュポアのヴァイオリン協奏曲は重要な地位をもっている。シュポアより華やかな存在がニッコロ・パガニーニで、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの時代が燦然と輝くのだ。フランスではヴュータンの師のベリオはヴィオッティの教え子で、パリ楽派といわれていたが、ヴュータンの出現によって「フランコ=ベルギー楽派」の確立となる。一方、パリではエドゥアール・ラロ(1823〜1892)が共に偉大なスペインの名ヴァイオリニスト、サラサーテによって紹介されたヴァイオリン協奏曲と《スペイン交響曲》(1875)によって、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの花を咲かせるのである。ドイツではマックス・ブルッフ(1838〜1920)があり、ポーランドにヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835〜1880)と、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの系譜が続いている。これらのヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトというジャンルでは、ヴァイオリンという楽器自体が作曲家にとってインスピレーションの主なソースであったように思われる。このジャンルのコンチェルトを演奏して聴き手に歓びを与えるには、美しい音と縦横無尽のテクニックと豊麗な表現力を兼ね備えていなければならない。今日、この三位一体をブレンドしてヴィルトゥオーソ・ヴァイオリン・コンチェルトの純粋な歓びを味わせてくれる第一人者といえば、パールマンを筆頭に挙げなくてはなるまい。
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Itzhak Perlman And Pinchas Zukerman ‎– Duets For Two Violins, His Master's Voice ‎– ASD 3430
  • Side-A
    1. Sonate No 5 In E Minor – Jean-Marie Leclair
    2. Etudes Caprices Op.18 Nr.1 In G Minor – Henri Wieniawski
    3. Etudes Caprices Op.18 Nr.2 In E Flat Minor – Henri Wieniawski
    4. Passacaglia G-Moll – Georg Friedrich Händel
  • Side-B
    1. Duo Concertante In D Major Op.67 Nr.2 – Louis Spohr
イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman, 1945年8月31日テル・アヴィヴ生まれ)が13歳のとき渡米して、ジュリアードのイヴァン・ガラミアン教授に徹底的に鍛えられた話は余りにも有名である。しかし、それを多忙なコンサート・ツアーの間にいかにして保持してゆくかという問題について、パールマンはこんなふうに答えている。演奏旅行中にはとても充分な練習 ― プラクティス時間なんかありません。そこで、ぼくはインスタント・プラクティスと呼んでいるものをやっています。多くの人は練習に練習を重ねて、それから得るものが余り無いことをやっているようだが、ぼくはどこに問題があるかを知っているので、そこだけをチェックする。どんなひとにも調子のいい日と悪い日があるもんですよ ―― これは人間だから避けることが出来ません。だが、ぼくがやろうと努めていることは、たとえ調子が悪くとも、ある水準以下に下げないってことですね。上手く弾けてる時はいい気分です。上手くいってない時には、なぜそうなのかということを見極めようとするのです。リサイタルの最中に厄介なパッセージに差し掛かっていることを知ると、ここは練習のとき上手くいったんだから、コンサートで上手くやれないこと無いさ、と思い返すんです。ちくしょう!大丈夫できるさ、と全力投球するんですよ。これで上手くゆくんですね。パールマンの演奏がいつどこで行われても、常に完璧そのものなのは演奏中に彼が心の中で行う〝インスタント・プラクティス〟のせいだといっているのである。まことに凄いといわざるを得ない。フランスには古いヴァイオリン音楽の伝統がある。それはベートーヴェンよりもはるか以前にまで遡ることができるが、フランスは主として19世紀から20世紀にかけて、ヴァイオリン音楽に大きな貢献をしてきた。作品でいうとフランク、フォーレ、ショーソン、あるいはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルといった作曲者名を挙げるだけで、そのことが明らかになるだろう。フランス芸術というと必ずラテン的な感覚美が問題にされる。それは決して間違ってはいないが、フランスの芸術はさらに国際的な広がりを志向してきたのである。ところがパリは最もフランス的な都会であると同時に、世界でもまれに見る国際的な都市として知られている。そこでフランスの有名な演奏家はもとより、ここでは世界中のヴァイオリニストを聴くことができる。しかも第2次大戦後30年を経た今日、各国のヴァイオリン楽派はこぞって偏狭な地域性をかなぐり捨て、より合理的で高度な演奏を目指して進んでいる。
昔ならともかく、今やフランスのヴァイオリニストだから粋な感覚を売り物にし、ロシアのヴァイオリニストが名技主義的であるといった先入観は、ものの見方を誤らせる危険性があろう。このような状況のなかでフランスは優れたヴァイオリンの音楽と演奏家を生み出してきたわけだが、そこにもっともフランス的な精神が息づいていることと同時に、最も普遍的な芸術が育てられてきたことを見落とす訳にはいかない。そこでフランスのヴァイオリン音楽にしても、その普遍的・国際的な一面が発揮されることになるのは当然である。往年のフランスのオーケストラならではの明るく美しい色彩の世界を心ゆくまで堪能させてくれた、パールマンがジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団と共演したフランス音楽は、その典型とも言えるが、言うまでもなくパールマンはフランスのヴァイオリニストではない。彼は第2次大戦が終結した直後にイスラエルで生まれ、ジュリアード音楽院に留学してイヴァン・ガラミアンに師事、1964年のレヴェントリット・コンクールで優勝したという経歴である。だがここでまず問題なのは彼の経歴や国籍ではなく、その音楽性である。サン=サーンスやショーソンの作品にしても、まずはフランス的であるかどうかということより、単純に音楽としての格の高さを問題にせねばなるまい。とするとパールマンと作品の触れ合いもそこから出発する。当然である。このヴァイオリニストは自らの体質をさらけ出し、ごく自然に、率直に作品に対している。かつてしばしば音楽の造形面における憑依的な崩れがフランス的な洗練という名目によって容認されてきたが、それが仮にフランスの芸術家の手で行われたとしても結果的にフランス音楽の一つの面だけを誇張したことになるのはやむを得ない。さいわいパールマンは現代の演奏家として、そうしたことを認めてはいない。彼の演奏は、譜面に対して正確である。従って造形はあくまでも端正に処理され、表情がどれほど情熱的な場合も感覚的に濁りがない。今やフランスの演奏家といえども、そうしたことを求め実行しているのであるから、結果的にパールマンのフランス音楽がフランス的であるか無いかというより、音楽的であろうとするのは当然である。あえていえば彼のフランス音楽は、その国際性と現代性において、全くフランス的と形容して良いのである。こうした場合、これらの作品もその厳しさとたくましさに耐えて、いっそう底光りのする真価を発揮するが、マルティノン指揮のパリ管弦楽団が、そうしたパールマンに対して、あらゆる意味で見事な同質性をもって融合していることは、いわばパールマンのフランス音楽における正当性の証明である。
ピンカス・ズーカーマン(Pinchas Zukerman, 1948年7月16日イスラエルのテル・アヴィヴ生まれ)は、アイザック・スターンとパブロ・カザルスに見出され、スターンのすすめでアメリカに渡り、ジュリアード音楽院で名教師イヴァン・ガラミアンに師事して技術を高めます。1967年にレヴェントリット・コンクールでチョン・キョンファと第1位を分け合う。1969年には自身を見出してくれたスターンの代役としてレナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出演、大成功を収め一躍有名になりました。ガラミアン門下ならではの美音が魅力で、アメリカ・ヨーロッパで高い人気を得、とりわけイギリスでは大衆的な人気を得ている。彼はヴァイオリンだけでなく、しばしばヴィオラを演奏することでも知られており、彼の持ち味の朗々とした歌い回しで美しい音を響かせます。バルトークの協奏曲では1枚のCDにヴァイオリン協奏曲第2番とヴィオラ協奏曲の両方をカップリングしている。ヴァイオリン・ヴィオラ合わせ100点以上の録音があり、そのうち21点がグラミー賞にノミネートされ、2点が入賞した。1974年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振って指揮者デビューをして以来、指揮活動にも本格的に取り組んでいる。1980年から1987年までセントポール室内管弦楽団の音楽監督を務めた。また、ダラス交響楽団やイギリス室内管弦楽団にもしばしば客演をしている。現在はカナダで活躍し、1998年4月よりオタワ国立芸術センター管弦楽団の音楽監督に就任している。ダニエル・バレンボイムやイツァーク・パールマンとは個人的にも親しく、しばしば共演を重ねている。バレンボイムやジャクリーヌ・デュプレとトリオを組んだベートーヴェンのピアノトリオ全集も有名。その EMI 盤の成功を契機に華麗なテクニックを誇るだけでなく、室内楽にも精通し、ヴァイオリンをヴィオラに持ち替えて旧知のバレンボイムとも DGG からも何枚もリリース。ビートルズブームの中、30才前後の同世代間が共有する音楽感が際立っています。
1977年録音。
GB EMI ASD3430 パールマン&ズーカーマン Duets …
GB EMI ASD3430 パールマン&ズーカーマン Duets …