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救済というものがいつになるのかわからないけれども祈り続けるその心の大切さだけは伝わってくる ― ルイジ・ケルビーニはイタリア生まれの作曲家ですが、多くのオペラと宗教音楽を残しています。有名なのは、マリア・カラスがレパートリーとして、この作品の復活に貢献した「メデア」。ケルビーニのレクイエム2曲や荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)などの宗教音楽をリッカルド・ムーティは熱心に繰り返して録音しています。これだけ多くのケルビーニの曲をムーティが録音したのかは分かりませんが、自ら若いメンバーを対象にした「ケルビーニ管弦楽団」というオーケストラを設立していることから、ケルビーニが好きなのでしょう。モーツァルトやフォーレ、ブラームス、ヴェルディ、ベルリオーズは普段聴きに馴染んでいた頃、ムーティのケルビーニが初体験で、聴いた途端に一目惚れ。かけがえなくなりました。「レクイエム ハ短調」 と 「レクイエム ニ短調」 の2曲のレクイエムと「荘厳ミサ曲 ニ短調」 「荘厳ミサ曲 ホ長調」 「荘厳ミサ曲 ト長調」 の3曲のミサ・ソレムニス。ケルビーニのミサ曲は録音も少ないため、いずれも貴重な音源でしょう。男声合唱の「ニ短調レクイエム」は、モーツァルトと同調で興味を惹かれましたが、ケルビーニ自身の葬儀に演奏されています。ソロはなく合唱とオーケストラの演奏なので、合唱のための美しいハーモニーが多く聴けます。ムーティの演奏は、アンブロジアン・シンガーズのハーモニーを重要視した演奏で聴きごたえがあります。
モーツァルト、フォーレ、ヴェルディの作品を3大レクイエム、そこにケルビーニとベルリオーズを加えて5大レクイエムと呼んでいます。ロッシーニのフランス進出後にオペラ界での名声が凋落したため、今日さほど著名ではないものの、同時代の人々には高く評価され、ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。またケルビーニが執筆した対位法の教本は、ショパンやシューマン夫妻も用いたほどであった。ケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだに生きた、音楽の覇者です。今日では帝王とも呼ばれるムーティが本盤をはじめとするメンデルスゾーンの3曲の交響曲を録音したのは、まだ30歳代の前半ですが当時の手兵だったフィルハーモニア管弦楽団は低迷期だったと言われる。録音当時はニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名乗っていた名門も、ここでは優れたパフォーマンスを示している。時として情緒豊かにメロディを鳴らし、時として熱くオーケストラを語らせるイタリア人ムーティの自在な、しかし落ち着いたタクトがこの曲想に良くあっている。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか。最初の二つの交響曲では国民楽派的な音楽作りをしていたのですが、そこからの脱却を目指したのがこの第3番の交響曲でした。しかし、「思いはあっても力は及ばず」という事は否定できず、結果として非常に中途半端な作品になってしまいました。休符の多様が間延びする演奏となってしまう録音が多い第1楽章は、長い序奏部から来るべきドラマの予兆を孕み、夜露を思わせる色彩も印象的。主部の突入の仕方は、それまでの流れをばっさり断ち切るような突進力を発揮。こんなに音楽が沸き立っては、しっとりとした第2主題へどうやって繋げるかと思うと、これがセンスの塊としか言いようなの意見事な移行。その第2主題後の疾走の鮮やかさと力感の高め方は、ムーティの最良の資質を出し切った箇所として忘れられません。オケの鉄壁なアンサンブルにもご注目。終楽章は冒頭から弦楽器群が縦の線を異様なまでに完璧に揃えながら突進を続ける様に鳥肌もの。第1エピソードを管楽器が奏でている最中も弦楽器群が決死の覚悟でそれを支え、緊張感は更に高まります。そして驚異のコーダがこの曲の極めつけの名演です。このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はカラヤン以来の特徴でしたが、ナポリ生まれの熱血漢というイメージをまったく感じさせない、流麗でなめらかな演奏となっている。ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはクレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断に
クレンペラーはユダヤ系でしたが戦前にカトリックに改宗しています。それが最晩年は教会を離れることを公言し、亡くなった時にはユダヤ教徒として葬られているとききます。「クレンペラーとの対話」の中でも民族的なアイデンティティーに目覚めたようなことを語っています。メンデルスゾーンもユダヤ系だったので第三帝国の時代には存在が抹殺されかかりました。スコットランドの宮殿跡で着想を得たといわれるこの作品は、いかにも物悲しいしかも美しい旋律で始まる。交響曲第3番は作曲者がイギリス、スコットランドへ旅行した際の当地の風物から着想を得て作りました。メンデルスゾーンは1829年5月にロンドンのフィルハーモニー協会の招きによりイギリスへ渡り、スコットランドへも旅行しました。その折にメアリー・スチュアートの居城等のホリドール遺跡も立ち寄り感銘を受けました。そして礼拝堂の中で新しい交響曲の冒頭部分を構想しました。具体的には翌年から作曲をはじめ、完成までは約12年かかったので第4番「イタリア」よりも後に完成しました。初演は1842年3月3日に作曲者の指揮で、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われました。そしてメアリ女王の子孫、ヴィクトリア女王に献呈されています。なおメンデルスゾーンはそれから約5年後の1847年には世を去っています。激しく盛り上がる部分もあるが、全体としては静かに昔の物語を聴いているような雰囲気の曲だ。メンデルスゾーン(1809~1847)の1833年がオリジナル、その後の改訂を受けて1838年の作品が「イタリア」交響曲。順番で言うと5つの交響曲の3番目で、ひとつ繰り上がります。この曲の場合、後の改訂版の初演が他より後だったり、それも不満だったメンデルスゾーンが出版を引っ込めてしまったから余計に番号が前後した。早死にしなかったら、どんな「イタリア交響曲」に仕上げていたことでしょうか。やはり、似つかわしくはないというのは事実だ。その意味でも、クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、この曲のコンセプトに沿いながら、堂々とした風格のロマンを導き出したということで、〈青春の音楽〉としてのこの曲の側面からは離れた別格の演奏だが、代表的な録音としての評価にふさわしい。
1973年9月24,28,29日ロンドン、オール・セインツ教会、トゥーティングでのステレオ録音。
GB EMI ASD3073 リッカルド・ムーティ ケルビーニ「レク…
GB EMI ASD3073 リッカルド・ムーティ ケルビーニ「レク…