34-23626

商品番号 34-23626

通販レコード→英ラージドッグ・セミサークル黒文字盤

数々の讃辞に輝く〝理想のファウスト像〟がここに ― 豪華キャストを得てクリュイタンスがおくるフランス・グランド・オペラの名演。歌手が大スターだった時代の、言わずと知れたグノーの歌劇《ファウスト》の名盤だが、まずはボリス・クリストフ(1914~1993)のメガトン級の声について語らなければならないでしょう。ブルガリア出身の歌手には、ニコライ・ギャウロフをはじめラッファエーレ・アリエ、ニコラ・ギュゼレフ、ディミタル・ペトコフなどなど国際的な活躍をした名バス歌手たちが多くいます。彼等の、独特のヴィブラートのかかった暗い色彩の声は大変印象的。イタリア的でもドイツ的でもない、洗練からはほど遠い土臭いスラヴにしかありえない音色ですが、この土臭い、アクの強い響きでこそ生きる役というのもたくさんあるし、そうした声だからこそできる表現、そこから生まれる感動というのもある訳で、オペラというのはやはり一筋縄ではいかない世界だと思うのです。クリストフは、その持前のごつい声を駆使してかなり濃厚な表情付けを役にしていきます。もうこの声で悪魔なんかやられたらたまらない。その魁偉な容貌、それが生きる役で最大限に発揮されると他の追随を許さない。ファウストとヴァランタンを手玉にとって上機嫌のメフィストフェレスが目に見えるよう。そしてその表現力の闊達さ、豪快さ。加えて共演陣も美声揃いで、当時よく知られ人気のあった、エルネスト・ブランク(1923~2010)が1958年盤ではヴァランタンを演じている。出身はパリではないのですが、〝粋なパリっ子〟というような洗練された空気が彼の歌唱から感じられます。ロッシーニの歌劇『セヴィリャの理髪師』ではフィガロのアリア「私は町の何でも屋」は真っ直ぐな性格が現れていて、笑いをとる歌にむしろ感心してしまいます。豊かな美声、流麗な歌、そして藝術性の高さは最もですが、都会的な高貴な雰囲気がある。バリトンのひとつの重要なジャンルであるグロテスクな役よりも、気位の高さを求められる役、それでいて同情を誘う愛すべき人物を描き出します。古今東西これほどのバリトン歌手もそうそう多いものではありません。そしてクリュイタンスの洒脱な棒も見事なもの。牢獄の場面で、マルガレーテが「ここは、きれいな庭」と歌いはじめるところの静かに演奏される弦の音の感動的なこと。ここをクリュイタンスは、静かだが、しっかりと味わわせてくれる。グノーの歌劇《ファウスト》の、最もスタンダードな名演奏として推薦する。アンドレ・クリュイタンスは、出身こそベルギーのアントワープですが、フランスでの広範な演奏活動と録音を通じて、20世紀を代表するフランス音楽の解釈者として知られる名指揮者です。第2次世界大戦直後、シャルル・ミュンシュとともにフランス音楽界の復興に尽力し、パリ・オペラ座の指揮者、パリ・オペラ・コミック座の音楽監督、そして1949年にはボストン交響楽団に移ったミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任し、その上品で洗練された粋の塊のような演奏でフランス音楽の魅力を世界中に伝えました。日本の音楽ファンにとっては、特に1964年4月~5月にかけて行われたパリ音楽院管との来日公演が衝撃的で、この時初めてフランス音楽の神髄と粋に接したのでした。クリュイタンスは、戦後フランスEMI(パテ)にオペラ全曲盤を中心に録音を開始した。何といっても手兵のパリ音楽院管と録音した一連のステレオ録音は、1828年に創設されたこの伝統のオーケストラの美しく古雅な響きを記録した貴重なものです。鮮やかな色彩感の表出と、エレガントな棒さばきが端正で、第一級のパステル画を見るような趣が感じられる。1967年、クリュイタンスの予期せぬ死によって、パリ音楽院管も解散されるが、〝かつて存在したパリ音楽院管弦楽団〟は、サウンドからアンサンブルまで色彩が豊かでニュアンスもあり、まさにフランス的なシックでエレガントな演奏を聴かせていた。フランス国立放送管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団とも広範なレパートリーで録音を残しましたが、当時のフランス音楽界はクリュイタンス一人が背負っていたといってもよいかもしれない。それほどにフランス音楽のスペシャリストと見られがちなクリュイタンスが、〝おぞましい声〟を生かし切って紡ぎ出した、同曲屈指の名演として変わらぬ支持を受け続けています。→コンディション、詳細を確認する
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1950〜1960年代のパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団、フランス放送(ORTF=Office de Radiodiffusion Télévision Française)交響楽団、そしてラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌといった当時のパリで持て囃されていたオーケストラ録音を聴くと、指揮者もオーケストラも、そして録音も個性的ではっちゃけていた。ステレオ録音の初期は、こうした嫌に元気な元気な録音でいっぱいである。たとえアンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。ジュネーヴのヴィクトリアホールの美しい響きとイギリス・デッカ録音の妙と、数学者でもあった指揮者の分析的な解釈として、精密さを印象づけていたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団も、独創的でありながらの精緻な音楽だった。それも、ステレオ録音のレコードで国際的に聴かれるようになっていくとともに独創的な録音も影を潜めはじめる。そうして1960年代後半、パリ音楽院管の終焉とともに新録音は完全にストップする。1990年代に佐渡裕がラムルー管を牽引するまで、健在ぶりさえ気にしなくなっていた。その代わりに、1970年代に地方に新設されたオーケストラが一躍脚光を浴びる。1970年代のフランス音楽界は、アンドレ・マルローとマルセル・ランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、フランス近代以降の音楽の発展を受け継ぎながら、極端に走らず、無調音楽を展開しようとした。それは、調性的な発想から出ており、伝統的でわかりやすい表現を良しとした独自の音楽語法で、教条的なセリー技法には、つねに異を唱えていた。それ故に前衛音楽に距離をとったことや世俗的・社会的な成功から、ピエール・ブーレーズとその ― 識者も含む支持者から攻撃されており、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。ジャン=クロード・カサドシュ(1927年7月17日〜1972年1月20日)率いる北のリール、ミシェル・プラッソン(1933年10月2日〜)率いる南のトゥールーズ、そしてアラン・ロンバール率いる東のストラスブール。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、当の都では忘れ去られた息吹が1970年代には地方に移ったのである。オーケストラ文化が伝播したかのように、懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。それも昨今ではマルク・アルブレヒト指揮のストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団がリヒャルト・シュトラウスやベルク、フランス近代物などをリリースした録音を聴いて、その演奏はロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているのに残念だった。もはや、パリだの地方だのいう時代でなくなってしまったことを実感した。
アンドレ・クリュイタンス(André Cluytens)は、1905年3月26日、ベルギーのアントワープ生まれ。父、祖父共に指揮者という家系であった。17歳の時、同地の王立歌劇場で補佐指揮者などをつとめ、22歳の時にビゼーの歌劇「真珠採り」で同劇場の指揮者としてデビュー。1949年にシャルル・ミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者に就任し、1964年には同管弦楽団を率いて来日。その名演は今も語り草になっている程である。1967年6月3日にガンのためパリで死去。指揮者として最も脂ののった62歳という若さであった。クリュイタンスが1967年に僅か62歳で世を去ってから、既に50年の月日が経つ。彼の死は音楽から、ある掛け替えのない宝を奪い去った ― という時、私たちが郷愁にも似た気持ちをもって想い起こすのは、彼がフランス音楽の演奏において聴かせてくれた、文字通りにフランス的としか言いようのない洗練と瀟洒な美感だが、クリュイタンスの音楽は単にそうした感覚的な喜びや快感だけで受け取るには、あまりにも情け深いものだった。そこには、最上の感覚的な戯れと背中合わせに、透徹した知性と、一切の過剰や誇張を厳しく拒否する節度があった。それだけではない。伸びやかで自由な愉楽と同時に、磨きぬかれたメティエと職人芸の確かさがあった。オペラやバレエを指揮して生き生きとした劇場的な効果とムードを生み出すかと思えば、宗教劇や教会音楽の演奏には限りなく敬虔な祈りがあった。更に、彼はフランス音楽だけのスペシャリストではなく、ベートーヴェンの交響曲の指揮はドイツでも高い評価を受けていたし、バイロイト音楽祭でワーグナーを指揮した初のフランス系指揮者でもあった。つまり、クリュイタンスの音楽は、ある一つの概念で規定しようとすれば確実にそれと正反対の概念が浮かんでくるような多元性があったのだが、しかも彼はそうした多元的な要素を生々しい抗争として提出することは決してなかった。すべては自然で自由な美として呼吸していた ― クリュイタンスは常に微笑んでいるというベルナール・ガヴォティ(Bernard Gavoty, 1908〜1981)の言葉のように、彼の遺したレコードは、その清らかな微笑みがいかに意味深いものであったかを、様々な形で啓示している。それらを改めて聴き返すたびごとに、私たちは、クリュイタンスの死によって失ったものの大きさを、そしてこの50年の間二度と再び見出すことの出来なかった美を、思い知らされるのである。
オーケストラと指揮者の相性は恋愛に似ている。スター指揮者に成ったからってオーケストラに受け入れられないと続かない。アンドレ・クリュイタンスのパートナー、パリ音楽院管弦楽団は今から200年前に「前衛音楽」であったベートーヴェンをフランスの聴衆に受け入れられる働きをした。作曲されたばかりのベートーヴェンの作品を創立から20年間の間に取り上げた演奏会は191回中183回に及ぶ。このコンビのあまりの素晴らしさに「日本のオーケストラがこのレベルになる日は永遠に来ないのではないか」とまでいわれたという。両者の相性は抜群で、このレコードを録音するために人生を成長してきたのではないかと思いたいほどです。両者の幸福な結婚は1967年のクリュイタンスの死去で、パリ音楽院管弦楽団が140年間の楽団の歴史を解散という形で幕を引いたことでも、よほど相性の良い恋愛関係だったのだなぁと素敵で羨ましく思えるのです。クリュイタンスはフランス人ではない。お隣のベルギーはアントワープに生まれ公用語のフランス語以外にドイツ語も学んだ事からドイツ的な素養も身に付けていた。その為か彼がそもそも名声を得たのは1955年にフランス系として初めてバイロイトに登場したという経緯からしてベートーヴェンやワーグナーだった。そのせいかアンサンブルに雑なフランス人の指揮者に比べこの人の演奏は合奏が実にしっかりしているし、非常に計算し尽くされた響きのバランスに驚かされてしまう。まずはこの辺が仏パテ社を唸らせ、数々の名盤を算出し、それらを普遍的なものにしている要因だと思う。もちろんフランス的な色彩感覚も抜群に素晴らしい。これほど色彩的な精緻さでクリュイタンスを越える演奏はちょっと他では見当たらない。なんでこんなに優雅で精緻で色彩感があるのだろう。陶酔感があるのだけど、つねに制御を失わず、熱狂的になっても理性を失わず、エレガント。しかも巧妙にドイツ系の曲目は、本場ドイツの名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を起用するケースが多かった。ベルリン・フィル初のベートーヴェン全集を録音を担う訳ですが、1957〜1960年、ベルリン、グリューネヴァルト教会におけるステレオ録音です。これなどはクリュイタンスが言いたいことを良くおしゃべりしているように聴こえます。夫婦仲に会話が大切と言われます。指揮者の中にはオーケストラの上に君臨する亭主関白がいて、それはそれなりに強く訴えかけてくるものがあるのですがクリュイタンスの演奏からは、そうした人為的なカリスマ性は見えてきません。どうにも言葉にするのが難しい個性と雰囲気を持っていて、独特の質感としかいいようがない何かを表現している。どれひとつとっても見落とすことの出来ない貴重盤輩出したクリュイタンスは凄い。この人のもつ深い教養と音楽への真摯な想いが、そのままオーケストラに伝わり何のケレン味もなく響きとして紡ぎだされる様を思えば、オーケストラと指揮者の間の、深い信頼関係がどれほど重要なものかを改めて感じさせてくれるような気もします。
  • Record Karte
  • ファウスト:ニコライ・ゲッダ(テノール)、マルグリート:ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)、メフィストフェレ:ボリス・クリストフ(バス)、ヴァランタン:エルネスト・ブランク(バリトン)、ジーベル:リリアーヌ・ベルトン(ソプラノ)、マルト:リタ・ゴール(メゾ・ソプラノ)、パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団、アンドレ・クリュイタンス(指揮)。1958年9月、10月パリ、Salle de la Mutualiteでのセッション、ステレオ録音。
  • GB EMI ASD307-10 クリュイタンス・゜パリオペラ座管 …
  • GB EMI ASD307-10 クリュイタンス・゜パリオペラ座管 …
グノー:ファウスト
クリュイタンス(アンドレ)
EMIミュージック・ジャパン
1997-06-18