34-9150
通販レコード→英ホワイト・アンド・ゴールド盤

GB EMI ASD260 サージェント シベリウス・交響曲1番

商品名GB EMI ASD260 サージェント シベリウス・交響曲1番

オーケストラの各楽器を英EMIのノウハウを十全に駆使して力強く荒々しく、時にはハッと生演奏のような錯覚すら覚えます ― 内なる情熱を秘めた感動の質の高い演奏。》サー・マルコム・サージェントは決して派手な芸風を売り物にする指揮者ではなかったが、20世紀イギリスを代表する指揮者の一人であり、遺された録音もイギリスの音楽作品を中心に高水準の名演がめじろ押しです。何故かイギリスの指揮者は、ブリテンの青少年の管弦楽入門を例にとるまでもなく将来の顧客ないしは演奏家になるであろう子供達にクラシック音楽を啓蒙したい傾向が有る様です。私たちは幼い時から年末には必ず、彼の作品に親しんでいるのですが、それを知らずに育っているのです。ケント州のアシュフォードに生まれた20世紀イギリスを代表する名指揮者。石炭商人を務めながらも聖歌隊の指揮者、オルガニストとして活躍した父のもとで音楽に親しみ、サージェントは教会音楽についてじゃ少年時代から抜きん出た才能を見せた。またギルバート&サリバンの作品についても早くから親しみ、終生変わることのない愛情を抱き続けた、初め教会のオルガニストとしてキャリアをスタートさせているが、1921年ヘンリー・ウッドが主催していたプロムスに招かれ、自作の管弦楽曲「強い嵐の日の印象」(Impression on a Windy Day)作品9を指揮した。オーケストラはクィーンズホール管弦楽団で、これはサージェントがプロのオーケストラを初めて指揮したデビュー公演でもあったのだが大きな成功となり、以来、ウッドの勧めもあってサージェントは指揮者としてロンドンを中心に活躍するようになった。32年ビーチャムがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を創設すると、その中心的な指揮者の一人となっているし、39年〜42年にはリヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も務めている。また合唱指揮者としての名声はつとに知られるところとなり、28年から亡くなる67年までロイヤル・コーラル・ソサエティの指揮者として人気を博したし ― その合唱とオーケストラのために「きよしこの夜」を編曲 ― 、この間の31年にはリーズ音楽祭でウォルトンの「ペルシャザルの酒宴」を初演している。また大戦中は戦禍の中、国内に留まり、慰問コンサートなどに尽力、国外に逃れる格好となったビーチャムに代わりイギリスでの人気を不動のものとした。戦後はさらに人気を高め、BBC交響楽団の指揮者として活躍した他(50〜57年)、プロムスの中核的指揮者として終生出演を続けた。またBBCを通して彼の解説も親しまれた。外国への演奏旅行では“イギリスの音楽大使”として愛された。ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」(46年)、ウォルトンの交響曲第9番(58年)の初演も行っている。47年ナイトの称号を授与されている。決して派手な存在感を誇る指揮者ではないし、レパートリーも限定されているが、内なる情熱を秘めた感動の質の高い演奏を聞かせた。録音もイギリスの作品を中心に不滅の名演がならんでいる。67年に亡くなるが、音楽好きのチャールズ皇太子との交流が晩年の巨匠を勇気づけ、絶筆は皇太子へのエルガーのチェロ協奏曲のレコードの献呈文だといわれている。リムスキー=コルサコフはロシア国民楽派五人組の最も年少者、教養が高かったのと、管弦楽法の名人で、その作曲には手の込んだ技巧的なものが多い。ムーソルグスキーの荒削りな作品に手を入れて、名作を我らに遺してくれたのはもう一つの手柄である。交響組曲「シェエラザード」は代表作である。アラビア夜話に取材して、豪華な夢を織りなす手際は見事だ。レコードではストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を指揮したのが絶対的に良い。歌劇「サドコ」は面白い曲だ。がこの中の「インドの歌」だけがいろいろの人に歌われたりヴァイオリンに編曲されたりして入っている。歌劇「金鶏」の「太陽への讃歌」も有名だが取立てて言うほどのものはない。と、あらえびすこと野村胡堂は紹介しているが、「金鶏」は、占い師によって与えられた予言の鳥「金鶏」によって皇帝が翻弄され、最後は死を迎えるというもの。当時の政治体制を批判するリムスキー=コルサコフのメッセージが読み取れます。ヨハン・ゼバスティアン・バッハのオルガン曲をエルガーがオーケストラ番に編曲した《幻想曲とフーガ》を初演したり、シドニー交響楽団のホールにその名が付いているサー・ユージン・グーセンス(1893.5.26 - 1962.6.13) ― 3代続きの指揮者で、名オーボエ奏者として有名なレオンは弟に当たる。ロンドン生まれ。英国王立音楽院でヴァイオリンと指揮を学び、ビーチャムの下でアシスタントを務めた。1921年に「春の祭典」を英国初演するなど活躍。後に渡米して31〜46年の間シンシナティ交響楽団の首席指揮者、47年にはオーストラリアのシドニー交響楽団の初代常任指揮者に迎えられ、同響の発展に寄与した功績によりサーの称号を得た。ところが56年にポルノ写真を国外に持ち出そうとして空港で逮捕され、名声に傷が付く一幕も。だがオーケストラを大きく鳴らす能力は本物で、「ローマの祭」(1958年)などド迫力。リズムは少々危なっかしいが、当時の指揮ぶりを偲ぶなら得意の「春の祭典」(1960年頃)も面白い。オリジナルは EMI ASD262 白金ラベルが初版の名盤目白押しのカタログを担う名演奏。モダン・オーケストラの能力を最大限効果を上げ、金管楽器や打楽器を多用しシンバルが派手にならされ豪華絢爛という派手な演奏ですが、聴いた後の爽快感がいい。
GB 	EMI 	ASD260	サージェント 	シベリウス・交響曲1番
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