34-21409

商品番号 34-21409

通販レコード→英カラー・スタンプ・ドッグ盤[オリジナル]

最晩年の不屈の精神の強靭さを記録したシューマン「ライン」 ―  ほんの少しばかりオーケストレーションに難のあるシューマン。若干の混濁した内声部の響き、それを逆手にとり、曲想全体のダイナミズムを演出するオットー・クレンペラーの魅力を凝縮した一枚。録音は、1831年に建てられ、1931年にEMIの前身のグラモフォン社によって録音用スタジオとして買収されたロンドンのアビーロード・スタジオ第1スタジオで行なわれました。スタジオながらもフル・オーケストラを収容でき、高い天井と適度な響きはクラシック音楽にも適しており、クレンペラーのEMI録音の多くもここで収録されており、1954年から1971年にかけてフィルハーモニア管弦楽団(およびニュー・フィルハーモニア管弦楽団)とEMIに残した録音は、ヨハン・ゼバスチャン・バッハからクレンペラーの自作に至るまで、17世紀~20世紀に至るドイツ・オーストリア系の主要オーケストラ作品を網羅しており、波乱万丈の生涯を送ったこの巨人の晩年の世界的な名声を確立しました。特に1956年以降はステレオで収録され、録音会場の響きの特性を知り尽くしたEMIの録音スタッフによって、クレンペラーの音楽の特徴である対向配置にしたヴァイオリンの掛け合いの妙、各声部の立体感などがより鮮明に味わうことができるようになりました。特に右から聴こえる第2ヴァイオリンの雄弁さ、音量が上がっても金管に掻き消されず冴え冴えと明滅する木管パートの響きが耳に残ります。クレンペラーの演奏解釈は、同時代のブルーノ・ワルターやヴィルヘルム・フルトヴェングラーのそれとは異なり、濃厚な感情表現にはきっぱりと背を向け、作品への陶酔を厳しく拒否し、あくまでも覚醒した目で古典的様式の範疇で作品を捉えているのが大きな特徴です。1960年に録音されたシューマンの交響曲第4番は、クレンペラーによるシューマンの交響曲全集の第1弾となった作品で、初出はメンデルスゾーンの「イタリア」交響曲とのカップリングでした。その9年後、1969年2月に録音されたシューマンの交響曲第3番「ライン」は、クレンペラーによるシューマンの交響曲全集の掉尾を飾った録音でした。この時期のクレンペラーは84歳の高齢ゆえに体力が落ち、演奏にもムラが出てくるようになり、実演では必ずしも安定しない演奏が続くようになっていましたが、異形の演奏として知られるマーラーの交響曲第7番「夜の歌」、ベートーヴェンの交響曲第7番の三度目の録音、「ワルキューレ」第1幕など、録音面では衰えを知らぬ強靭な精神力を感じさせる個性的な演奏が残されています。ほんの少しばかりオーケストレーションに難のあるシューマンの、この「ライン」も同様で、作品の要とも言えるホルンを強奏させて重みをもたせた第1楽章はクレンペラーらしいが、主部アレグロにとった遅いテンポも独特で、我々が日頃見なれているものよりはずっと巨大な表現に満ち溢れている。それも、誰もが見やすい舞台上で行なわれているのではなく、いうならば舞台の裏で、影の部分で行なわれているような、重々しく聴き手を惹きつける魔力を持っている。つづく、悠然とした運びの第2楽章はいかにもライン河畔に遊ぶ思いである。ゆっくりと歌ってゆく伸びやかな表現で、繊細に愛情を持って語っているような親しみを覚える。作曲者の心の襞が透けて見えるようなデリケートさを湛えた第3楽章など、時にオーケストレーションの改訂も辞さない独特の筆致で作品の本質が描き出されています。ゴシック風の構築を思わせる第4楽章ものどかで、ドイツ人の信仰というよりは、まじめな生活の喜びを感じ焦る雰囲気を持った演奏である。フィナーレでは速いテンポでたたみかけ興奮される終結へ運んでゆく。
1960年といえば、1958年秋にチューリヒの自宅で重篤な火傷を負ったオットー・クレンペラーが1959年秋から演奏活動に復帰し、また精神的にも「躁」の状態にあったため、極めて精力的な活動が展開された年でもありました。1959年までにすでにベートーヴェンとブラームスの交響曲全曲をフィルハーモニア管弦楽団と録音し終え、レコード面でもドイツの孤高の巨匠として圧倒的な評価を勝ち取っていたクレンペラーは、1960年の最初の半年だけで、「スコットランド」のほか同じメンデルスゾーンの「イタリア」と「スコットランド」、「真夏の夜の夢」、ハイドンの交響曲第101番と第98番、LP3枚分のワーグナー管弦楽曲集、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲集、シューマンの交響曲第4番、モーツァルトのホルン協奏曲全曲を立て続けに録音し、さらに5月には75歳の誕生日を盛大に祝っただけでなく、ウィーン芸術週間にフィルハーモニア管と客演しベートーヴェンの交響曲全曲を演奏して、「真に正統的なベートーヴェン」と絶賛されています。心技体の圧倒的な充実ぶりは、続々と生み出された代表的名盤での、演奏の輝きに刻印されています。LPでの発売以後、カタログからは消えたことがない名盤。いわば彼の晩年の輝きを告げる記念碑的な年であったのです。
英EMIの偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグの信条は、アーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏=録音を数多く後世に残すことであったという。1954年に目をかけていたヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリンに去ると、すぐさま当時実力に見合ったポストに恵まれなかったオットー・クレンペラー(1885〜1973)に白羽の矢を立て、この巨匠による最良の演奏記録を残すことを開始した。レッグがEMIを去る1963年まで夥しい数の正に基準となるようなレコードがレッグ&クレンペラー・フィルハーモニアによって生み出された。本盤も基準盤の一枚で、レッグの意図する処がハッキリ聴き取れる快演。クレンペラーの解釈は揺るぎのないゆっくりしたテンポでスケールが大きい。ゆったりとしたテンポをとったのは、透徹した目でスコアを読み、一点一画を疎かにしないようにとも思いたくなる。この気迫の籠った快演は聴き手に感動を与えずにはおきません。一音一音が耳に突き刺さってきました。また何度聴いても飽きません。フィルハーモニア管は、まさにクレンペラーの為にレッグが作り出した楽器だと言う事、染み染みと感じました。オーケストラの配置が第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮者の左右に配置される古いスタイルで、包み込まれるような感覚はステレオ録音で聴く場合には、やはり和音の動き等この配置の方が好ましい。何ものにも揺るがない安定感と、確かに古いスタイルながら純粋にスコアを再現した音が一杯詰まっている。フィルハーモニア管弦楽団=PHILHARMONIA ORCHESTRA LONDONは、英ロンドンを拠点とするオーケストラ。愛称は〝ザ・フィル〟。ドイツ・グラモフォンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、DECCAのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団同様に、フィルハーモニア管といえばEMIのレーベルが同時に思い浮かぶほどに、この楽団の演奏は随分レコードあるいはCDで聴いてきた。1945年にEMI=当時の英コロンビアのプロデューサー、レッグが創設。レッグの主目的はやはりEMIのレコード録音のためのオーケストラを作ることにあった。設立当初から主にドイツ、イタリアから指揮者、独奏者を招いて盛んに活動した。優秀な演奏家の積極的な採用が効を奏し、例えば名ホルン奏者デニス・ブレインも創立当初から首席奏者を務めた。その後、リヒャルト・シュトラウス、カラヤン、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどの巨匠を指揮者に迎え、一躍ヨーロッパ楽壇で注目される。多くの録音を残したカラヤンと欧米各地に演奏旅行するほか、クレンペラー、リッカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者に就任。1997年にクリストフ・フォン・ドホナーニ、2008年にエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者に着き、創設以来の〝録音の多いオーケストラ〟の伝統を堅守。1996年以降、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールを本拠地として活躍している。
戦後、活動の場に窮したヘルベルト・フォン・カラヤンを英国に呼び、レコード録音で音楽活動が出来る場を用意したことで知られる。ウィーン国立歌劇場の指揮者だったカラヤンは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるムジークフェラインザールで英EMIのために、モーツァルトを録音していた。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの急逝でカラヤンは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を手に入れるが、ウィーン・フィルが英DECCAと専属契約を結んでいたので、英EMIを去り、英DECCAの指揮者になる。カラヤンのレコーディング・オーケストラとしての印象は強いが、カラヤン中心になる前には英国のサー・トーマス・ビーチャムに始まり、ドイツのオットー・クレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤンを、さらにイタリアからはアルトゥーロ・トスカニーニ、カルロ・マリア・ジュリーニ、そして夭折したグィド・カンテッリなどが指揮台に立った。カラヤンがベルリン・フィルに行き、カンテッリが急死したこともあって、オットー・クレンペラーが浮上する。彼との関係は、1959年の常任指揮者就任から始まり、亡くなる1973年まで14年間続くことになる。〝録音の多いオーケストラ〟の伝統は今も続いており、多い時は年間にセッション数250回にも及ぶこともある。これは色んな音楽、様々な指揮者の下で一定水準以上の演奏が可能になる実力を有することによってはじめて実現するものであって、ただ即応性があるだけでなくその裏には〝高い演奏技術〟と〝柔軟性〟が存する現れであるともいえる。オーケストラの呼称は2度にわたり変更される。1964年に資金不足によりウォルター・レッグが手放して英EMIの専属が切れると、イギリスの自主運営となりニュー・フィルハーモニア管弦楽団に変更、その間例の幻の来日に終わったジョン・バルビローリとの万博公演時も〝ニュー〟の呼称であった。のち、1972年からリッカルド・ムーティが常任につき、5年後にもとの〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻している。そのため、アナログレコードとCDでの、オーケストラ名の表記は混乱を感じる。英COLUMBIAでレコード発売していた頃は、「フィルハーモニア・オーケストラ、ロンドン」を名乗っていたことで、トーマス・ビーチャムが創設した「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」と間違われているケースがある。〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻ったムーティの後は、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者となり、1990年はシノーポリ、2007年はエリアフ・インバル指揮により、「マーラー・チクルス」東京公演を行う。1997年クリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者に就任。2008年からはエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者およびアーティスティック・アドヴァイザー。サロネンはヘルシンキ生まれの指揮者、作曲家。絶え間ない革新によって、クラシック音楽界において最も重要な芸術家の一人とみなされている。iPadのアプリを開発、Apple社のCMに楽曲が使用されるなど先進的な試みも注目される。デジタル技術を使った教育や聴衆の開拓などにも先鞭をつける。現在はサロネンの他に、終身名誉指揮者にドホナーニ、桂冠指揮者にウラディミール・アシュケナージという陣容となっている。
シューマン:交響曲第3番 ファウスト序曲
クレンペラー(オットー)
EMIミュージック・ジャパン
2012-02-15

1969年2月5日~7日、ロンドン、アビーロード第1スタジオでの録音。[プロデューサー]スヴィ・ラジ・グラッブ、[レコーディング・エンジニア]アレン・スタッグ、HMV ASD2547(1970年)初出。1st edition coloured dog in postage stamp on red label, flapback sleeve.
GB EMI ASD2547 クレンペラー シューマン・交響曲3番 …
GB EMI ASD2547 クレンペラー シューマン・交響曲3番 …