GB  EMI  ALP1432 アルトゥーロ・トスカニーニ デュカス・魔法使いの弟子
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GB EMI ALP1432 アルトゥーロ・トスカニーニ デュカス・魔法使いの弟子

商品番号 34-17118
《初心者にも間違いなくオススメできる隠れた名曲 ― 魔法のタクトというほかない指揮ぶりで何度聴いても楽しい曲ばかり。》 トスカニーニ・アンソロジーの第3集。曲はデュカスの交響詩《魔法使いの弟子》、スメタナの《モルダウ》と、サン=サーンスの《死の舞踏》。譜面の上では単純な、ただの音階に見える音符のつらなりなのに、トスカニーニのタクトが閃くと、黄金の輝ける名旋律に姿を変えて行く。世界の名手を選りすぐってあつめた研ぎ澄ました音の粒立ちで、分厚いアンサンブルの雲間から現れる弦楽器ピチカートは、きらめく光を放射する紫ダイヤの結晶に似て響いている音楽を忘れがたい美の一瞬を体感させる。この時代の名指揮者は小曲を振ってもすばらしい。普段はあまり聴かない曲でも、こんなに魅力的だったっけと感動してしまう。
世界的指揮者だったカラヤンは来日した際に、「君が代」を聴いて、「世界の国歌の中で最も荘厳な曲」と評価した。1973年にカラヤンがベルリン・フィルを率いて来日公演を開いた初日では、まず君が代、続いて西ドイツ ― 当時 ― 国歌が演奏された。戦時中は演奏会の最初や最後に『星条旗』 ― 星条旗よ永遠なれ ― を演奏することも多かった。『星条旗』を演奏する際トスカニーニは、リハーサルや録音であっても、チェロを含む全員を起立させて演奏したと言われている。イタリアへの母国愛を終生抱き続けたトスカニーニであったが、だからこそ米国人にとっての母国である米国への愛を尊重していたのだと思われ、トスカニーニの人となりがわかる。
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ディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」でミッキーマウスが円錐形の帽子を被った魔法使いの姿で登場する、見所の多い「ファンタジア」の中でも代表的なシーンの音楽に使われたデュカスの交響詩《魔法使いの弟子》。この曲は、師匠の老魔法使いの留守に仕事を言いつけられた若い弟子が未熟な魔法で片付けようとしたことで、思いがけない失敗をしでかして収拾つかなくなるユーモラスな音楽。《モルダウ》では、弦楽器のアンサンブルの凄まじさ、カンタービレの強靱さにトスカニーニ演奏の神髄を聴くことが出来る。すべての楽器がおもいっきり鳴らしているのに、メロディーが埋もれずに浮き立ってくる遠近感を出している。目も覚めるような《モルダウ》である。《死の舞踏》が聴き応えある。トスカニーニにしては珍しくゆったりとして、独奏ヴァイオリンが舞踏会の始まりを静かに告げる。曲が進み饗宴の推進力は素晴らしいだけに、やがて朝を告げるオーボエから舞踏会の終わりまでの寂しさが際立つ。
1867年3月25日、トスカニーニはイタリアのパルマに生まれた。パルマ王立音楽院を卒業後、チェリストになるが、1886年6月30日、『アイーダ』南米公演の際に急遽指揮者としてデビュー。以後、トリノ王立歌劇場、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・フィルでキャリアを重ね、1937年には彼のために創設されたNBC響の首席指揮者に就任、数多くのコンサート、録音を行った。1954年4月4日、カーネギー・ホールでのコンサートを以て引退。1957年1月16日にニューヨークで亡くなった。
トスカニーニは戦前・戦中・戦後初期を代表する大指揮者で、ヨーロッパではフルトヴェングラー、アメリカではトスカニーニと人気を二分した。フルトヴェングラーのロマンティックの極みに対してトスカニーニは、イタリアのエミリア・ロマーニャ州の県都パルマ出身ということから当地で高名なワイン、弱発砲性赤ワイン・ランブルスコのようにすっきり系ですが、すっきりまとめているからといって、そこには軽さは感じられず力強さが感じ取れます。トスカニーニは1898年31歳の時にはイタリア・オペラの総本山とも言うべきミラノ・スカラ座の指揮者に迎えられます。そのデビュー公演でワーグナーを取り上げ「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を1ヶ月以上に亘る猛烈な訓練の後に演奏、この公演はスカラ座の歴史に残る程の大成功を収めワーグナー指揮にみせるトスカニーニの才能のほどを内外に確認させる事となった。ドイツ系指揮者以外はまだ誰も足を踏み入れていないバイロイト音楽祭から1930年63歳の時に出演要請を受け「タンホイザー」と「トリスタンとイゾルデ」を指揮してバイロイト始まって以来の外国人指揮者登場の第一歩を標す。そこにはヒットラーを嫌い「バイロイトを人種の別なく音楽の聖域としたい」と考えていたワーグナーの忘れ形見ジークフリートの思想が働いていた。彼は外国人のトスカニーニに積極的に出演を要請して、このバイロイトを開かれたものとしたのですが生憎トスカニーニが初めてのデビューを飾った、この1930年の夏にジークフリートは突然亡くなってしまいます。バイロイトはナチスの牙城としての色彩を強めていく。トスカニーニは翌1931年には「タンホイザー」と「パルシファル」を指揮し、更に翌々年の1933年にはバイロイトの名誉市民の称号も得て、いよいよ念願の「マイスタージンガー」を指揮する予定になっていた。演奏会で指揮している分は良かったのですが、「是非今年の公演の折りには直接会ってナチス第三帝国の首相として御礼を申し上げたい」という大変(へりくだ)った文面の手紙がナチスからトスカニーニに届く。ヒットラーのユダヤ人政策に徹底して反対していたトスカニーニは「現在のような状況のもとではバイロイトに足を運ぶわけにはいかない」と断っており、「この間バイロイトで指揮できたこと、それ自体が私にとっての報酬である。」として、この時のバイロイト音楽祭の出演料は一切受け取らなかった。この当時、利用するだけ利用されたブルーノ・ワルターは演奏活動が出来ないところまでナチスに追いつめられ、娘は娘婿だったナチス将校に銃殺される。危機を感じて帰宅しないで演奏会場に駆け込んだワルターの急場を救うべく指揮を代行したのがトスカニーニだった。程なくフランス経由でイギリスへの逃避行を手引した。1936年引退を決意してニューヨーク・フィルハーモニーの指揮者を辞任し、イタリアへ戻ったトスカニーニに翌1937年にはラジオ放送を通じて一度に何百万もの人々に演奏を聴いて貰おうと言うアメリカの放送局からの提案を受け入れトスカニーニは再びニューヨークに復帰すると、1937年トスカニーニのために RCA 社が創設した NBC 交響楽団の指揮者となります。ブルーノ・ワルターの晩年にコロンビアが結成したコロンビア交響楽団の先駆けみたいですが、当時のアメリカの財力は有名指揮者にオーケストラをプレゼントするとは凄まじい。商魂逞しい米国のメディアが投資するトスカニーニには、剛毅で、集中力が高く、熱気にあふれ、人を引き付ける何かがあった証左であろう。後輩のカラヤンでさえ持つことが出来なかった強大な影響力を生み社会現象になった初めてのマエストロではなかろうか。
《魔法使いの弟子》1950年3月9日録音、《モルダウ》1950年3月19日録音、《死の舞踏》1950年6月1日録音。どの曲も、決してインテンポではなく、曲想を巧みに描き分けるための緩急自在のテンポ設定を行うことにより、聴かせどころのツボをしっかりと押さえている。加えて、トスカニーニならではの濃厚なカンタービレが随所に現れ、徹底的に鍛え抜かれたNBC交響楽団の名人芸も卓越している。本盤は、トスカニーニの類まれなる指揮芸術の至芸を味わうことができる一枚である。

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