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ピアノの吟遊詩人 ― とは、1943年1月10日に共演した大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが当時21歳のゲザ・アンダ(1921~1976)を讃えた言葉です。生前の彼は、音楽のみにとどまらない、豊穣なヨーロッパ芸術文化に包まれていた訳です。そうした文化の香りや気品が、彼の演奏から聴こえてくるようです。古き佳きヨーロッパの演奏伝統を引き継いだアンダは、戦後スイスを拠点として、ソリストとして、教育者として世界的な活動を行いました。ロベルト・シューマン(1810〜1856)は、同い年のショパンの影に隠れて、日本での扱われ方はかなり地味である。クラシック音楽ファンは、シューマンを聴くものとそうでない者とに分類される。ピアニストもシューマンを弾く人とそうでない人とに分類される。右手の中指を故障してピアニストを断念したシューマンは、この苦しい時期をクララの支えで乗り切り、作曲家として世に出てからも、ピアノの独奏曲を書き続けていた。作品の独自性をいち早く認めたのが、ピアニストでもあったシューマンの妻クララである。音楽家としての英才教育を受けたクララは、いろいろと制約の多い時代にクラシック音楽界に生きて、作曲家兼ピアニストとして才能を発揮した。彼女は、自らのピアノで試演をした後、「極めて繊細な方法で、ピアノがオーケストラに編み込まれている」と言い、作品を高く評価したのだった。シューマンがこの作品で目指したのは、ピアノをメインにし、オーケストラを従属的に扱う、当時の協奏曲のスタイルではなかった。両者が引きたて合いながらも、音色的に溶け合うことが重要だった。シューマンのもつ音楽の激しい情熱はこのクララへの愛のメッセージとも言われていますが、カップリングのグリーグのピアノ協奏曲は、古今のピアノ協奏曲の中でも重要な位置を占める〝名曲〟。エドヴァルド・グリーグ(1866~1925)は「北欧のショパン」とも呼ばれます。その異名の通り、ロマンティックで、ピアノに卓越していました。祖国ノルウェーの自然を愛したグリーグの音楽は清らかで瑞々しく、まさに〝自然〟を感じさせてくれます。ちなみにエジソンが録音機を発明して初めて録音されたピアノ協奏曲はこの曲でした。また、シューマンのイ短調協奏曲との類似もよく指摘される。そしてレコード商品としては、この2曲が組み合わされることが多い。そのピアノ協奏曲の録音の主力商品に独奏者としてアンダが選ばれているところに、ドイツ・グラモフォンからの信頼の程が見て取れる。アンダはヴィルトゥオーゾ・ピアニストだったが、ジョルジュ・シフラのように剛腕で作品を征服するような弾き方は好まず、確実で安定感のある演奏スタイルを良しとした。晩年はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノ協奏曲全集の弾き振りをこなし、単なる名技主義に陥らない芸風を確立していた。ここでは伴奏は中堅の中でも成長株の指揮者として名を高めていたラファエル・クーベリックにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振らせている。両者が煽ったり煽られたりしながらドラマティックな音楽を作り上げているのだが、その伸縮の中で阿吽の呼吸で練り上げられたアンサンブルが成立しているのが面白い。
音楽を織物に譬えるとしたら、普段は縒り合わさった糸が全部見えている。なのにシューマンは違うんだ。湖に魚がいて、いつもは深いところを泳いでいるんだけど、夕暮れの決まった時間だけ水面に出てきて、背鰭が湖に波紋を作り出す、というような感じ。そういうふうにシューマンは作っているんだよ。
隠れて見えない糸が何本もあって、それがほんのたまに姿を見せる。それは耳鳴りのようにシューマンの頭の中では響いているものだったかもしれないが、シューマンの曲はどれも、陰になった見えないところで、通奏低音のように別の違う曲がずっと続いているような感じがする。たとえば野原があったとして、すでにシューマンの音楽は見渡す限りの、地平線の果てにまで広がっているとして。いきなり、そのほんの一部分を切り取ってみせる。伏線が張り巡らされている中心にいる主人公にクローズアップして始まるディスティニー映画のように、ずっと続いている音楽が急に聴こえてきたみたいにシューマンの音楽は、突然はじまる。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のふくよかなサウンドに、ゲザ・アンダの煌めくようなピアノが何の違和感もなく溶け込んでいて、シューマンの幻想的な世界を余すところなく描き出している。アンダをサポートするラファエル・クーベリックの下ベルリン・フィルは緻密で統制が取れており、尚且つピアノに寄り添う姿は特筆もの。クーベリックがエモーショナルな畝りを作り出し、その畝りに合わせてアンダのピアノが明滅する。グリーグのピアノ協奏曲は、アンダが繰り出すダイヤモンドのようなピアノの響きを軸にしながら、寄せては返す波のようなオーケストラが、スケールの大きな音楽を作り上げており、こちらもシューマン作品に劣らず聴き栄えがする。この演奏からは、緩徐楽章でのハッと息を飲むようなピアノの美しさも特筆される。さざ波ひとつない鏡のような澄み渡った湖面にくっきりと映し出される北欧の自然を感じます。やや遅めのテンポで慈しむようにピアノが弾かれ、それを支えるオーケストラとの対話も一定の緊張感が保たれており、聴き手は襟を正して聴かざるを得ない思いになる。グリーグの祖国愛が感じられる名演奏。改めてこれらの曲のロマンティークの美質を再確認させてくれる。アンダ41歳の時のこの盤は、数多あるシューマン&グリーグのピアノ協奏曲の中でも知と情のバランスが取れた名盤として、発売以来圧倒的な支持を得ていました。1963年の収録ながら粒立ちが良く美しい滑らかな音色で、ピアノという楽器の魅力を余すことなく再現しているドイツ・グラモフォンによる録音も見事であり、現代においてもこれらの曲を代表する盤のひとつであることは疑いの余地がありません。アンダとクーベリックによるこれらの最上のシューマン&グリーグ演奏は、未来永劫スタンダードな盤として幅広くお薦めできるものです。
ゲザ・アンダは1921年11月19日にハンガリーのブダペストで生まれ、1976年6月14日にスイスのチューリッヒで世を去ったピアニストです。アンダはフランツ・リスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニとゾルターン・コダーイに師事し、1940年にリスト賞を受賞しました。1943年1月10日にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演しフランクの交響的変奏曲を演奏。フルトヴェングラーはアンダを「ピアノの吟遊詩人(Troubadour)」と讃えました。1943年5月にはエドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団とフランクの交響的変奏曲をSPレコードに録音しています。同年、アンダは第二次大戦の戦火を避けてスイスに亡命し、1955年にスイス国籍を得ました。演奏活動では1952年から1974年まで、毎年ザルツブルク音楽祭に出演して、リサイタルに、協奏曲に活躍。アメリカにも1955年以来、17回もツアーを行っています。レコーディングでは1950~51年にはドイツ・テレフンケンに、1953~58年は英コロムビアと契約し、10数枚のモノラルLPレコードを作っています。録音レパートリーはバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスという独墺系作品が中心で、そこにショパンとお国物のリストとバルトークが加わるというオーソドックスなものでした。1959年にドイツ・グラモフォンの専属になると、折しも実用化されたばかりのステレオLPレコードのために多くの基本的レパートリーを録音します。フェレンツ・フリッチャイ指揮によるバルトークのピアノ協奏曲全集を皮切りに、ベートーヴェンの三重協奏曲、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、モーツァルトのピアノ協奏曲全集などが次々にリリースされました。このうちバルトークの第2&3番とベートーヴェンの三重協奏曲、モーツァルトの第21番&第17番はフランス・ディスク大賞を受賞しています。また、アンダが録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第21番が、1967年のスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え(Elvira Madigan)」で使用されたことで、一躍アンダの録音とモーツァルトのこの作品が世界的にヒットする、という出来事もありました。1975年に食道がんと診断され、手術は成功して一時回復しましたが、翌年6月14日に亡くなりました。54歳の若さでした。彼が1964年に再婚した二度目の妻オルタンス・アンダ=ビュールレ(1926~2014)は、「ビュールレ・コレクション」で名高い美術収集家のエミール・ゲオルク・ビュールレ(1890~1956)の娘で、その遺産の相続人にあたります。彼女はアンダの死後、1978年に若手ピアニストの育成を目的としたゲザ・アンダ財団を創設。プレジデントに就きました。同財団は1979年より「ゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクール」を主催し、3年に1度開催。世界的ピアニストへの登竜門として有名なコンクールとなっています。
  • Record Karte
  • 1963年9月ベルリン、イエス・キリスト教会録音。録音技師はギュンター・へルマンス。
  • GB DGG SLPM138 888 アンダ・ゲーザ&クーベリック …
  • GB DGG SLPM138 888 アンダ・ゲーザ&クーベリック …