34-19090

商品番号 34-19090

通販レコード→独初期チューリップ赤文字 フラット盤 ALLE HERSTELLER [オリジナル]

あなたはこの演奏の背後に、偉大なる巨匠の姿を見ることだろう。 ― オイゲン・ヨッフムは〝ベートーヴェンの交響曲〟をブルックナーと同様重要なレパートリーとしており、交響曲全集についても1952〜61年に本盤を含むドイツ・グラモフォンへ録音、1967〜69年にはPHILIPSへ、そして1976〜79年にはEMIへとメジャー・レーベルで、実に3度にわたって制作。また、すでにSP時代に4曲の録音があることからも判る通り、彼にとってはキャリアの最初からその最晩年にいたるまで、レパートリーのメインに据えられた重要な作品群が、ほかならぬこの〝ベートーヴェンの交響曲〟であったことは疑いようの無いところです。第1番、第2番、第4番、第5番、第8番と序曲集がステレオ録音、第3番、第6番、第7番、第9番がモノラル録音。オーケストラは第1番、第5番、第9番がバイエルン放送交響楽団、それ以外はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団となっています。音響の良いイエス・キリスト教会とヘルクレスザールでのセッション録音のため、モノラル・テイクも聴きやすい音質で、ドイツ的なサウンドによる正統的な演奏を味わうことができます。1952年に始まる録音なのでヴィルヘルム・フルトヴェングラーの存命中である。なのに負けない、負けてない。ヨッフムは当時50歳で、内面に育っていた音楽は、すでに世界のトップレベルだったのだ。ベートーヴェン、ブラームスは特に往年のフルトヴェングラー時代のオーケストラの渋い響きが魅力的で、活力が満ち溢れる。フルトヴェングラーが亡くなったのは1954年11月30日。フルトヴェングラーの入院は伝えられていただろうが、その死は唐突だったと多くの人が語っているから。団員たちはフルトヴェングラーの思いを胸に演奏していたぐらいだろうし、フルトヴェングラーやベルリン・フィルの団員たちだけでなく、バイエルン放送響の楽団員もともに生きていた思いが同じだったろう。昔の指揮者には学者的風格があった。今の指揮者はスターであり、ロック歌手と同じだ。なかには舌をペロペロ出して戯けてみせる、分別世代さえ増えた。演奏が良ければいいのだが、外見はその実を表してしまいがちだ。表紙の写真に見る通り、ヨッフムの本質は〝中庸〟にある。しかし、その奥にはゲルマン人の熱い血がたぎっている。ヨッフムは生涯一貫してブルックナーに愛情を注いできたといって過言ではない人であり、残された録音の多さにもそれは示されている。有名な2つの全集 ― バイエルン放送響&ベルリン・フィルとのドイツ・グラモフォン盤。ドレスデン・シュターツカペレとの英EMI盤を、ベルリンのイエス・キリスト教会とミュンヘンのヘルクレスザールの二箇所で録音セッションが行われていた、そうしたブルックナー全集制作の最中、収録したベートーヴェン。ブルックナーのソノリティが録音スペースに充満していた中でもあってか、ベートーヴェンをより自然に近づけ心暖まるものにする感じで、ベートーベン創造の原点はここにありと云わんばかりの錯覚を起こさせる稀有な名演だと思います。後年のEMIとのロンドン録音よりは風格より若い情念が前に出て意外にフルトヴェングラーなどを思わせるような大胆さも見える瞬間があり、面白い。この演奏を聴いて、あなたは演奏の背後に、偉大なる巨匠の姿を見ることだろう。ドイツ的な風合いの再現という意味では、質実剛健なサウンドによるヨッフムのベートーヴェン演奏の面白さがダイレクトに迫ってきます。
  • Record Karte
  • 1959年4月ステレオ録音。
  • GB  DGG SLPM138 024 ヨッフム ベートーヴェン・交…
  • GB  DGG SLPM138 024 ヨッフム ベートーヴェン・交…
9 Symphonies
Deutsche Grammophon
2003-02-11

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オイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum, 1902年11月1日〜1987年3月26日)は、バーベンハウゼン生まれ。アウグスブルク音楽院でピアノとオルガンを学び、1922年よりミュンヘン・アカデミーでハウゼッガーに指揮を学ぶ。1949年にバイエルン放送交響楽団の設立に関わり、音楽監督を1960年まで務め同楽団を世界的レベルにまで育てた。演奏スタイルに派手さはなく地味ではあるが、堅固な構成力と真摯な態度、良い意味でのドイツ正統派の指揮をする。やはり本領はバッハ及びロマン派音楽と思われる。彼は音楽を自己の内心の表白と考える伝統的ドイツ人で、したがってバッハ、ブルックナー、ブラームスに於いては敬虔な詩情を迸っている感動的な名盤を生むが、モーツァルトの本質を探ろうとするほどに湧き溢れて来るがごとき心理的多彩さや、ベートーヴェンの英雄的激情、それにリヒャルト・シュトラウスの豊麗なオーケストラの饒舌を表現するには乏しい結果となっている。ヨッフムがはたして、すでに成長すべき極言まで達してしまった人なのか、それともさらに可能性が期待できるのか、いつまでも巨匠の風貌に至らないのが、好感とともに焦燥を禁じえないが、おそらく同世代のカール・ベーム、エドゥアルト・ファン・ベイヌム、ヘルベルト・フォン・カラヤンたちに比べれば個性と想像力において弱く、名指揮者にとどまるのではないかと思われた。ところが、後年のヨッフムの録音活動の活発さは目を引いた。戦前のSPレコードでは、わずかにテレフンケンのベートーヴェンの「第7」「第9」ほどだったのと比べて、彼が晩年型の指揮者と称されることを簡易に理解できる面だろう。ベルリン放送交響楽団(1932~34年)、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団(1934~49年)、バイエルン放送交響楽団(1949~60年)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1961~64年)、バンベルク交響楽団(1971~73年)とオーケストラ首席指揮者を務めた変遷を見ると、バイエルン放送響以外は短いのに気づくが、同時に2つのオーケストラを兼務することをしていないことも見て取れる。そうした、一つ一つの歴任を経て来たことは彼の律儀な性格のあらわれかも知れない。でも彼の真価が本当に発揮されるのは1970年代に入ってからで、幾つかの楽団を渡り歩いたのちの70歳代になってからである。シュターツカペレ・ドレスデンとの「ブルックナー・交響曲全集」やロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との「ブラームス・交響曲全集」、そしてロンドン交響楽団との「ベートーヴェン・交響曲全集」をのこしたのもすべてこの時代である。ヨッフムは若い頃からブルックナー作品に熱心に取り組み、やがてブルックナー協会総裁も務めるなど権威としてその名を知られるようになります。交響曲全集も2度制作しているほか個別の録音も数多く存在しますが、晩年に東ドイツまで出向きシュターツカペレ・ドレスデンを指揮してルカ教会でセッション録音したこの全集は、独墺でのさまざまなヴァージョンによる演奏など、数々の経験を膨大に蓄積したヨッフム晩年の方法論が反映された演奏として注目される内容を持っています。その演奏は重厚で堂々たるスケールを持っていますが、決してスタティック一辺倒なものでは無く、十分に動的な要素にも配慮され起伏の大きな仕上がりを示しているのが特徴でもある。ベートーヴェンの交響曲も重要なレパートリーとしており、交響曲全集についてもドイツ・グラモフォン(1952〜61)、PHILIPS(1967〜69)、EMI(1976〜79)と3度にわたって制作しています。長大なキャリアの最初から最後まで、常にレパートリーのメインに据えられた重要な存在だったベートーヴェンだけにロンドン響を指揮した晩年の録音でも、味わい深い演奏を聴かせてくれています。早熟な天才指揮者ではなかったが、長く生き、途切れること無くオーケストラを相手したことで職人指揮者で終わることもなかった。