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厳しさと和やかさに満ちた対話 ―  好評な「クロイツェル」、「スプリング」に続いて登場した、協奏的に、しかも抒情豊かに謳いあげた、理想の共演のベートーヴェン。パールマンとアシュケナージのとても美しく丹精な演奏。瑞々しく、余裕さえ感じられる ― 36歳のウラディーミル・アシュケナージのリードの下、28歳のイツァーク・パールマンが持ち前の美しく華麗な音色で思う存分に演奏している様に感じる。音楽の素敵さを堪能できる1枚だと思う。〝至高の組み合わせ。現代におけるベートーヴェンの演奏規範。ふたりの天才にして到達し得た記念碑的名演奏〟とあったキャッチフレーズが印象に残る。また、英デッカの録音が素晴らしい。エミール・ベルリナーが円盤式の録音機を開発したのは1800年代末、レコード産業が次第に活況を呈し1914年には、「Aerophone」から「Zonophone」まで78レーベルが創業している。そのような状況のもと、2つの楽器が対等に拮抗しながら展開される、ベートーヴェンの革新的なヴァイオリン・ソナタが史上初めて録音されたのは1917〜18年のことであるらしい。1925年、マイクロフォンを使用する電気録音が始まると、それまでとは比較にならないほど鮮明で広いダイナミック・レンジによる収録が可能となり、1935年とその翌年にかけ、フリッツ・クライスラーとフランツ・ルップのコンビにより、ついに史上初のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集録音という偉業が達成されたのである。1950年代はSPからLPへと時代が変わる。さらに時は流れ、それまでのモノーラルからステレオLP、そしてCD時代になり、実に多くのヴァイオリニストが全集を完成させた。全集の中でベストを選ぶとなるとダヴィッド・オイストラフは堂々とした巨匠の風格に溢れており、世評は今でも高い。美麗なパールマンもいいし、流麗なピンカス・ズッカーマンも忘れがたい。パールマンとアシュケナージの若き日のベートーヴェンは、健康的な生気に溢れながらも作品の本質を見事に表出。そのスケールの大きな表現と精妙なアンサンブルは、颯爽としてニュアンスも豊か。稀代のヴィルトゥオーソ2人だからこそ成し得た、深い知性と限りない美意識に裏打ちされたロマンティックな演奏。20世紀後半の演奏規範たる理想の共演となった、夢の顔合わせだった。パールマンがアシュケナージと組んでベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第9番」と「第2番」を録音したのは、1973年の10月である。次いで、彼らは1974年の5月と6月に「第5番」と「第4番」を録音している。そして翌1975年の8月と11月に残り6曲を録音し終え、「ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ全集」を完成したのだった。ヴァイオリン界最後の巨匠といわれるパールマンは1971年からEMIへ録音を開始し、主要ヴァイオリン協奏曲やソナタ、室内楽、小品集を録音したというだけでなく、ジャズやジューイッシュ音楽なども手がけてきました。彼は絹のような、美しくも切なく、人の心に寄り添うような美音で、暖かい言葉で語りかけてきます。その技巧の全てを駆使した音楽は、音程は完璧に制御され、徹底的な美音、豊麗な歌い回しなど、パールマンならではのものでしょう。パールマンもアシュケナージも、共に熟達した技巧の持ち主だが、彼らはそうした卓越した技巧を縦横に駆使しながら、極めて充実した見事な演奏を行っている。本盤は演奏者の組み合わせの魅力と相俟って、いつまでも光を失わない不滅の名レコードだ。
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イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)は1945年8月31日にイスラエル、テル・アヴィヴに生まれた。テル・アヴィヴ音楽院で学んだ後、彼が13歳のときニューヨークに渡ると、1958年「エド・サリヴァン・ショー」への出演をきっかけに演奏活動を開始。ジュリアード音楽院の教授イヴァン・ガラミアン、ドロシー・ディレイに徹底的に鍛えられた話は余りにも有名である。1964年にレーヴェントリット国際コンクールで優勝。以来、世界の主要なオーケストラとの共演やリサイタルを行っている。その圧倒的なパフォーマンスと実績は、まさにクラシック界を代表するスーパースターと呼ばれるに相応しい。しかし、それを多忙なコンサート・ツアーの間にいかにして保持してゆくかという問題について、パールマンはこんなふうに答えている。演奏旅行中にはとても充分な練習 ― プラクティス時間なんかありません。そこで、ぼくはインスタント・プラクティスと呼んでいるものをやっています。多くの人は練習に練習を重ねて、それから得るものが余り無いことをやっているようだが、ぼくはどこに問題があるかを知っているので、そこだけをチェックする。どんなひとにも調子のいい日と悪い日があるもんですよ ―― これは人間だから避けることが出来ません。だが、ぼくがやろうと努めていることは、たとえ調子が悪くとも、ある水準以下に下げないってことですね。上手く弾けてる時はいい気分です。上手くいってない時には、なぜそうなのかということを見極めようとするのです。リサイタルの最中に厄介なパッセージに差し掛かっていることを知ると、ここは練習のとき上手くいったんだから、コンサートで上手くやれないこと無いさ、と思い返すんです。ちくしょう!大丈夫できるさ、と全力投球するんですよ。これで上手くゆくんですね。パールマンの演奏がいつどこで行われても、常に完璧そのものなのは演奏中に彼が心の中で行う〝インスタント・プラクティス〟のせいだといっているのである。まことに凄いといわざるを得ない。フランスには古いヴァイオリン音楽の伝統がある。それはベートーヴェンよりもはるか以前にまで遡ることができるが、フランスは主として19世紀から20世紀にかけて、ヴァイオリン音楽に大きな貢献をしてきた。作品でいうとフランク、フォーレ、ショーソン、あるいはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルといった作曲者名を挙げるだけで、そのことが明らかになるだろう。フランス芸術というと必ずラテン的な感覚美が問題にされる。それは決して間違ってはいないが、フランスの芸術はさらに国際的な広がりを志向してきたのである。ところがパリは最もフランス的な都会であると同時に、世界でもまれに見る国際的な都市として知られている。そこでフランスの有名な演奏家はもとより、ここでは世界中のヴァイオリニストを聴くことができる。しかも第2次大戦後30年を経た今日、各国のヴァイオリン楽派はこぞって偏狭な地域性をかなぐり捨て、より合理的で高度な演奏を目指して進んでいる。
昔ならともかく、今やフランスのヴァイオリニストだから粋な感覚を売り物にし、ロシアのヴァイオリニストが名技主義的であるといった先入観は、ものの見方を誤らせる危険性があろう。このような状況のなかでフランスは優れたヴァイオリンの音楽と演奏家を生み出してきたわけだが、そこにもっともフランス的な精神が息づいていることと同時に、最も普遍的な芸術が育てられてきたことを見落とす訳にはいかない。そこでフランスのヴァイオリン音楽にしても、その普遍的・国際的な一面が発揮されることになるのは当然である。往年のフランスのオーケストラならではの明るく美しい色彩の世界を心ゆくまで堪能させてくれた、パールマンがジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団と共演したフランス音楽は、その典型とも言えるが、言うまでもなくパールマンはフランスのヴァイオリニストではない。彼は第2次大戦が終結した直後にイスラエルで生まれ、ジュリアード音楽院に留学してイヴァン・ガラミアンに師事、1964年のレヴェントリット・コンクールで優勝したという経歴である。だがここでまず問題なのは彼の経歴や国籍ではなく、その音楽性である。サン=サーンスやショーソンの作品にしても、まずはフランス的であるかどうかということより、単純に音楽としての格の高さを問題にせねばなるまい。とするとパールマンと作品の触れ合いもそこから出発する。当然である。このヴァイオリニストは自らの体質をさらけ出し、ごく自然に、率直に作品に対している。かつてしばしば音楽の造形面における憑依的な崩れがフランス的な洗練という名目によって容認されてきたが、それが仮にフランスの芸術家の手で行われたとしても結果的にフランス音楽の一つの面だけを誇張したことになるのはやむを得ない。さいわいパールマンは現代の演奏家として、そうしたことを認めてはいない。彼の演奏は、譜面に対して正確である。従って造形はあくまでも端正に処理され、表情がどれほど情熱的な場合も感覚的に濁りがない。今やフランスの演奏家といえども、そうしたことを求め実行しているのであるから、結果的にパールマンのフランス音楽がフランス的であるか無いかというより、音楽的であろうとするのは当然である。あえていえば彼のフランス音楽は、その国際性と現代性において、全くフランス的と形容して良いのである。こうした場合、これらの作品もその厳しさとたくましさに耐えて、いっそう底光りのする真価を発揮するが、マルティノン指揮のパリ管弦楽団が、そうしたパールマンに対して、あらゆる意味で見事な同質性をもって融合していることは、いわばパールマンのフランス音楽における正当性の証明である。
ウラディーミル・アシュケナージは圧倒的に広いレパートリーを持ち、英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。バッハからロマン派、近代に及ぶレパートリーで目立つことは、アシュケナージは本当の意味での現代的なピアニズムを先天的に身に着けているということである。彼のメカニックは巧緻だが、その技巧に支えられた詩的表現は、フレージングとダイナミズムの幅広いニュアンスに独特のものを見せている。名手を数多く輩出したロシアのピアニストの伝統と西欧的なスタイルが、彼の中に見事なバランスを持って融合されているのである。彼を単に感受性に富んだピアノの詩人と見なすことは出来ない。アントン・ルービンシュタイン以来、セルゲイ・ラフマニノフ、ヨゼフ・ホフマン、ヨーゼフ・レヴィン、ウラディミール・ホロヴィッツ、スヴァトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリスなどピアノ史上に不朽の名声を残した大演奏家を生んだロシアの伝統が、アシュケナージによってさらに新しい面を見せてくれたといえよう。アメリカの評論家ハロルド・チャールズ・ショーンバーグは、ニューヨーク・タイムズで長年活躍した高名な音楽評論家。日本でも「ピアノ音楽の巨匠たち」をはじめ著書が翻訳されているが、当時次々と西欧に紹介されたソ連のピアニストの中で、アシュケナージを特に高く評価し、彼はギレリスの確実さと、リヒテルの想像力を併せ持った詩的ピアニストだといっていたところに、アシュケナージの音楽的な本質を巧みに要約した、ニューゲイト・キャレンダーの筆名で同紙上で覆面ミステリ批評家としても活動していた彼ならではの評言だといえよう。
ショパン国際ピアノコンクールで2位となり、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝したウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Davidovich Ashkenazy)は、英EMIや露メロディアからレコードも発売されるなど音楽院在学中から国際的な名声を確立します。1965年には来日も果たし、さらに英デッカと専属契約を結んで着々とレコーディングを行うなど、活躍の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得しています。この時期のアシュケナージの勢いにはすごいものがありました。主にデッカ・レーベルに膨大な録音をしているアシュケナージは、モーツァルトのピアノ協奏曲全集、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、同ピアノ協奏曲全集はゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団と、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との2種、ショパンのピアノ曲全集、シューマンのピアノ曲全集、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどのほか、アンサンブル・ピアニストとしてもヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、ピアノ・トリオ、リートの伴奏などにも参加し、驚異的とも言える非常に膨大なレパートリーを誇っている大ピアニストである。大作曲家のレアな楽曲はもちろんのこと、マイナーな作曲家の楽曲も数多くレコーディングしており、そうした音楽的な好奇心に加え、世界中のオーケストラの指揮台に登って個々の音楽家と無理なくコラボレーションしていく姿勢には定評がある。そこにはソリストとして、様々な ― キリル・コンドラシン、ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ユージン・オーマンディ、イシュトヴァン・ケルテス、ゲオルグ・ショルティ、ロリン・マゼール、アンドレ・プレヴィンといった名指揮者たちや有力オーケストラと共演してきたアシュケナージならではの観察眼やノウハウが活かされているに違いない。弾き振りも期待された、NHK交響楽団とは1975年に初共演。2004〜2007年には音楽監督を務め、現在では桂冠指揮者として定期的に共演を重ねている。
ウラディーミル・アシュケナージは持ち前の明るく口当たりの良いタッチで、良い意味で万人向きのピアノである。打鍵の粒が揃った演奏で、実に細部まで美しく彫琢された、現代的なすこぶる明快な演奏で、メロディラインははっきり聴こえる。磨きぬかれた輝かしい音色、ニュアンスに富んだ表現力、優れた音楽性、筋のよい安定したテクニックと、あらゆる面において現代のピアニストの水準を上を行く演奏を聴かせています。なかでも木の香り漂う温かいベーゼンドルファーの重心の低い響きと、その自然なタッチのもとに歌うシューマンの世界は格別、他のピアニストではけっして得られない独特の世界。シューマン作品のロマンティックな持ち味が、アシュケナージの抒情に富む表現によって写し出されている様な演奏です。音楽の都ウィーンの気品あるピアノ。ベーゼンドルファーのインペリアルが使用されており、重厚な音色を堪能できます。ベーゼンドルファーのピアノはフランツ・リストの激しい演奏に耐え抜いたことで多くのピアニストや作曲家の支持を得、数々の歴史あるピアノブランドが衰退していく中、その人気を長らくスタインウェイと二分してきた。かつてベーゼンドルファーのピアノは1980年までショパン国際ピアノコンクールの公式ピアノの一つであった。ベーゼンドルファーのピアノを特に愛用したピアニストとしてはヴィルヘルム・バックハウスが有名。ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。木の香り漂う温かい響きが特色のメーカー。オーストリア・ウィーンで製造。ロンドン、デッカレーベルはベーゼンドルファーと契約しているようで、ラドゥ・ルプー、ホルヘ・ボレット、アンドラーシュ・シフ、アリシア・デ・ラローチャ、パスカル・ロジェ、ジュリアス・カッチェンなどはシューベルトの『ピアノ・ソナタ全集』やハイドンの『ピアノ・ソナタ』などウィーン古典派の作品を中心にベーゼンドルファーを弾いている。一方、ルドルフ・ブッフビンダーやシュテファン・ヴラダー、ティル・フェルナーなどの新しい若い世代のウィーンのピアニストはスタインウェイを弾いていて、あえて伝統的なベーゼンドルファーの使用を避けているようだ。音色は至福の音色と呼ばれる。ピアノ全体を木箱として鳴らす設計で、ズーンと太く伸びやかに鳴り響く低音域が魅力。スタインウェイを金管楽器に例えるなら、こちらは木管楽器といった印象でしょうか。ナチュラルホルンが倍音を響かせて鳴り響くような音の豊かさ、魅力がある。弱点は大ホールで演奏する際のパワー不足。
圧倒的に広いレパートリーを持ち、細部まで丁寧に演奏していること、そしてその結果として演奏の水準にほとんどムラがないことは特筆すべきことです。素晴らしいテクニックの持ち主だが、それをひけらかすことなく難しい作品もいとも容易く弾きこなしてしまう。それがウラディーミル・アシュケナージだ。アシュケナージは大変な努力家で、1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打ったようだ。DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。1937年7月6日にソ連のゴーリキーで生まれ、幼少からピアノに才能を発揮。ショパン国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際コンクール、そしてチャイコフスキー国際コンクールと、ピアノコンクールの3大難関コンクールで優勝、または上位入賞を果たした。1955年にショパン国際ピアノコンクールで2位となりますが、このときアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことは有名な話。ちなみに優勝したのは開催国ポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。その後モスクワ音楽院に入学し、翌1956年、エリーザベト王妃国際コンクールで優勝、活躍の場を一気に世界に広げ、音楽院在学中から国際的な名声を確立し、英EMIや露メロディアからレコードも発売された。1960年にはモスクワ音楽院を卒業し、1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場してイギリスのジョン・オグドンと優勝を分け合います。アシュケナージがデッカと専属契約を結んで初めて録音をおこなったのは、チャイコフスキー国際コンクール優勝の翌年、1963年のことでした。1963年にはソ連を出てロンドンへ移住、まず3月に録音したのは亡命作曲家ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」で、指揮はソ連からの亡命指揮者であるアナトール・フィストゥラーリが受け持ち、活動の場の国際化とともに政府の干渉や行動制限が増えたため、ほどなく亡命することとなるアシュケナージがソロを弾くという亡命尽くしの録音でした。翌月には同じくロンドン交響楽団とチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を録音しています。ここでの指揮は当時破竹の勢いだったロシアの血をひく指揮者ロリン・マゼールが担当しています。この年の9月には、ツアーに来ていたキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルという祖国のチームとの共演でラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を録音しており、この年のうちにアシュケナージは3つのロシアの有名協奏曲をロシアつながりの指揮者との共演で録音したことになります。
翌年からはソロの録音も本格化し、以後半世紀に渡って数多くの録音を英デッカで行うこととなります。ピアノ音楽の殆んど全てに及ぶほど、彼の録音したピアノ曲のレパートリーは幅広い。着々とレコーディングを行う一方、世界各国でコンサートをおこない、1965年には初来日も果たすなど、この時期のアシュケナージの勢いには凄いものがありました。その後、1970年代に入るとピアニストとしての活動に並行して指揮活動も行うようになり、1974年にはソ連国籍を離脱してアイスランド国籍を取得してからは、オーケストラ・レコーディングにも着手するなど、その指揮活動は次第に本格的なものとなって行きます。クリーヴランド管弦楽団との鮮烈なリヒャルト・シュトラウスやプロコフィエフのバレエ音楽「シンデレラ」、コンセルトヘボウ管弦楽団との美しいラフマニノフなど、ウラディーミル・アシュケナージの指揮の腕前がピアノのときと同じく見事なものであることを示す傑作が数多くリリースされた。もちろん彼の演奏するロシア音楽の素晴らしさは特筆すべきものがある。ピアニストとして傑出したキャリアを誇るだけでなく、アーティストとして多彩な活動を積極的に展開し、現在はアイスランド交響楽団、シドニー交響楽団及びNHK交響楽団の桂冠指揮者、スイス・イタリアーナ管弦楽団の首席客演指揮者に就任。特に桂冠指揮者を務めるロンドンのフィルハーモニア管弦楽団との関係は深く、英国各地に加え世界中の無数のツアーで指揮台に立ち続けている。EUユース管弦楽団の音楽監督(2000〜2015)、シドニー交響楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザー(2009〜2013)、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、そしてNHK交響楽団の音楽監督としても活躍。首席客演指揮者を務めたクリーヴランド管や首席指揮者兼音楽監督を務めたベルリン・ドイツ交響楽団とも深い繋がりを保ち続け、定期的に招かれている。
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番&第2番&第3番
パールマン(イツァーク)
ユニバーサル ミュージック
2015-07-29


1975年8月〜11月ロンドン、キングスウェイ・ホールでの録音。Engineer – John Dunkerley, Producer – Richard Beswick.
GB DEC SXL6790 パールマン&アシュケナージ ベートーヴ…
GB DEC SXL6790 パールマン&アシュケナージ ベートーヴ…