34-17076
商品番号 34-17076

通販レコード→英ナローバンド ED4 盤[オリジナル]
「天国と地獄」で有名なオッフェンバックの隠された名作。世界唯一のレコード。 ― オッフェンバック唯一のバレエ音楽。リチャード・ボニングは、オッフェンバックのオリジナルスコアに基づいた録音を行っている。19世紀のオペラ・バレエ研究家としても知られるボニング指揮の名演奏が楽しめる作品。現在でも新しい振り付けによって再演されるだけあって、音楽はどの楽想も変化に富んでおり、劇的な盛り上がりも十全に図られた見事なものだ。ボニングの魅力はこうした作品をオリジナル版で演奏するこだわりにある。しかも、バレエ音楽「蝶々」の全曲盤としては後にも先にもこの盤だけだ。オペレッタの原型を作り、音楽と喜劇との融合を果たしたオッフェンバック。2010年に没後220年の節目を迎えた彼ですが、生前は爆発的な人気と反比例するかのように痛烈な風刺を受け、その退廃的とも言える快楽的作風は知識人から多数の批判を受けたことでも知られています。エミール・ゾラなどは「オペレッタとは、邪悪な獣のように駆逐されるべき存在」とまで書いていますが、今日では第二帝政期フランスを代表する文化の一つとして歴史的および作品的な評価も高い作曲家に位置づけられています。名作とされながらも演奏会や録音で取りあげられる際は抜粋版がほとんど。そんななか、この作品の本質を見極めようとする全曲に挑んだボニングの演奏には、その舞台を彷彿とさせる表現が充ち満ちています。
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ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819〜1880)はパリで活躍し、最も19世紀のパリを軽妙な音楽と風刺で生き生きと描いた作曲家ですが、生まれはユダヤ系ドイツ人です。本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルスト(Jakob Levy Eberst)。しかし、若い頃パリに出てきてからは殆ど終生をパリで暮らし、誰よりもパリを愛したフランス人だと言ってよい存在。『パピヨン』(Le Papillon)は1860年11月26日、パリ・オペラ座で上演された。主人公ファルファラは幼い頃に老いた妖精アムザに拐かされ、今ではその侍女として仕えている。あるときアムザは若く美しい王子ディアルマに恋するが、当の王子はファルファラと恋に落ちる。嫉妬に狂ったアムザはファルファラを蝶に変えてしまう。蝶に変えられたファルファラは松明の炎に身を投じ、呪いは解ける。アムザはその報いで石像に姿を変え、ファルファラと王子は再び結ばれる。ファルファラ(Farfalla)は、イタリア語で『蝶々』を意味する。パリ初演で主役のファルファラには、タリオーニの指導を受けていたエマ・リヴリー(Emma Livry, 1842〜1863)、王子ディアルマにはルイ・メラント、邪悪な老妖精アムザはルイーズ・マルケが演じ、42回の上演を重ねた。ところが、ファルファラを初演したリヴリーは、1862年、新作オペラ 『ポルティチの娘』 のドレスリハーサル中に、衣装にガス灯の火が燃え移るという悲惨な事故に遭い、大火傷を負ってしまった。リヴリーは敗血症を起こしてしまい、翌年、20歳の若さで死去している。事故の起こった1862年頃には、既に衣装などへの防火処理法(薬液を浸透させて防火処置をする)が考案されていた。しかし、多くのバレリーナはチュチュが黄ばんで見た目が見窄らしくなるために、この方法を拒んでいたという。なお、彼女が事故時に着ていた衣装の一部がオペラ座の博物館に保管されている。
リチャード・ボニング(Richard Bonynge)は1930年、オーストラリアのシドニー生まれの指揮者。ジョーン・サザーランドとのおしどり夫婦は有名。ドイツ系のレパートリーは中心には据えていないが、モーツァルトやウィンナオペレッタには比較的熱心であり、DECCAには夫人とのオペラ録音があります。 一方、バレエ音楽の指揮も得意としており、DECCAには珍しい曲目を含めて多数のバレエ音楽録音があります。生地でピアノを学び、14歳でグリーグのピアノ協奏曲を弾いてデビュー、ピアニストへの道を歩んでいた。1950年に渡米、ロンドンの王立音楽院に留学、ロンドンでピアノのリサイタルを開く一方、同じオーストラリアから王立音楽院に留学していたソプラノ歌手、サザーランドとの出会いによってオペラの世界に魅せられ、指揮者に転向する。1954年、名ソプラノ歌手サザーランドと結婚、伴奏者兼ヴォイス・トレーナーを務めながら、ベル・カント・オペラの研究を続ける。この方面で忘れられていた作品の復活蘇演に尽力している。またワーグナー・ソプラノを目指してソプラノ歌手を目指したサザーランドにコロラトゥーラに転向するよう助言したのもボニングで、ロイヤル・オペラ・ハウスが夫人サザーランドにワーグナーやリヒャルト・シュトラウス作品の役を与えようとした時、ボニングは歌劇場当局に抗議したという。1962年にローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団で指揮デビュー、1963年にはヴァンクーバー歌劇場でグノーの歌劇『ファウスト』を振ってオペラ・デビュー、さらにその翌年にはロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場、国際的な活動を開始し、オペラ指揮者として不動の地位を獲得する。1970年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー、ヴァンクーバー歌劇場を経て、1976~85年シドニー歌劇場の音楽監督を務めた後、フリーとして活躍、バレエのスペシャリストとしても知られている。1975年にメトロポリタン歌劇場に帯同して初来日、1978年にもサザーランド夫人のリサイタルの伴奏指揮者として再来日している。
1972年1月24〜26日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音。
GB  DEC  SXL6588 リチャード・ボニング オッフェンバ…
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