34-5747
商品番号 34-5747

通販レコード→英ナローバンド盤[オリジナル]
知る人ぞ知る名演 ― 熱心なファンの間で幻盤とされるものが多い。名実共に成すことは容易くない。とろみのある艶をのせた滑らかなフレージングとエレガントな歌い口の ... と紹介するより、その妖艶とも言える音色の美しさは耳にしっかりこびりついてはなれない。カラヤン=カルショウ・コンビの最後の録音となった〈チャイコフスキー・白鳥の湖〉で、蠱惑的なヴァイオリン・ソロを聴かせていたのがヨーゼフ・シーヴォその人だ。アンセルメに鍛え上げられたスイス・ロマンド管弦楽団のヴィクトリア・ホールでの録音はいつもどおりに素晴らしい。NHK交響楽団の2008〜2009シーズン初日の演奏会に先立ちホルスト・シュタインを追悼しバッハのG線上のアリアが演奏された。NHK交響楽団の客演指揮者として、またバンベルク交響楽団の来日公演の指揮者として広く日本のクラシック音楽ファンに親しまれたホルスト・シュタイン。剥げ頭に大きな御凸に特徴がある、お馴染みのキャラクターをもつ指揮者。1970年には念願かなって、バイロイト音楽祭で「パルシファル」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を振っていることからも実力は双頭 ― 頭が二つあるくらいインパクトの強い風貌 ― なもの。NHK交響楽団では、1973年の定期公演に初出演。1975年からはN響名誉指揮者となり、1998年までの間に16回共演。NHK交響楽団をサバリッシュと共に育ててきた功労者。NHK交響楽団とのワーグナーを始めとした数々の名演で知られる指揮者ホルスト・シュタインは1980年から85年までスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督も務めていました。ドイツ・ロマン派の音楽やオペラで他の追随を許さないエネルギッシュな指揮芸術は、ドイツの正統的なカペル・マイスターの伝統に根ざしており、滋味溢れる深い味わいは感動と充足を誘う。デッカにグルダと入れたベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集が印象深く、それも名門ウィーン・フィルとやっている。しかし、レコード点数はフィリップスから発売された〈バイロイト・ライヴ〉を除くと目ぼしい物はなく、ヴォルフの管弦楽作品は追悼盤として初めてCD化されたほどだ。本盤もデッカから発売されていてレア・アイテムのカテゴリーに入る。ジョン・モードラーのプロデュース、ジェームス・ロックのエンジニア・コンビの優秀録音にはズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の〈ホルスト・惑星〉が本盤と同時期(1971年4月19日ロサンゼルス、UCLA、ロイス・ホール)のセッションとして代表される。わざわざこうしたデッカ一軍がジュネーブまで出張セッション組む、ホルスト・シュタインの実力が証明されている。特別興味深いのはラテン的明度と彩度の高いスイス・ロマンド管弦楽団が、その良さを保持したまま珍しくも強力なバスを響かせ、ガッチリとした響きを放っている。
デッカにグルダと入れたベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集が印象深く、それも名門ウィーン・フィルとやっている。しかし、レコード点数はフィリップスから発売された〈バイロイト・ライヴ〉を除くと目ぼしい物はなく、ヴォルフの管弦楽作品は追悼盤として初めてCD化されたほどだ。本盤もデッカから発売されていてレア・アイテムのカテゴリーに入る。ジョン・モードラーのプロデュース、ジェームス・ロックのエンジニア・コンビの優秀録音にはズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の〈ホルスト・惑星〉が本盤と同時期(1971年4月19日ロサンゼルス、UCLA、ロイス・ホール)のセッションとして代表される。わざわざこうしたデッカ一軍がジュネーブまで出張セッション組む、ホルスト・シュタインの実力が証明されている。特別興味深いのはラテン的明度と彩度の高いスイス・ロマンド管弦楽団が、その良さを保持したまま珍しくも強力なバスを響かせ、ガッチリとした響きを放っている。名物プロデューサーといわれたジョン・カルショウの、英デッカの第2世代録音チームのリーダーだったジョン・モードラーのプロデュースによるLP、CDは数知れず。ロンドン生まれのイギリス人、23歳で著名なオペラ歌手、指揮者、ソリストと共に働く機会を得、後にDECCAのプロデューサーになり、1973年EMIのプロデューサーとなった。『連日、録音テープを聴く毎日、その合間にオペラ歌手、指揮者たちを追いかけて歌劇場から歌劇場へ … こういう生活に、いい加減疲れてきていたんです。ドミンゴとの打ち合わせでヒューストンに行った時に、指揮者のローレンス・フォスターにばったり出会いました。もちろん前から知っていたので、ここでなにをしているのかを尋ねたところ、ヒューストンとモンテカルロ歌劇場のオーケストラの常任指揮者をしているということだったんです。モンテカルロ、素晴しいところですよね、いいですねぇ、とかなんとかおしゃべりをしたのですが … その後、ひょうたんから駒とでもいいましょうか、フォスターから電話がかかってきました … 』と〈運命というか巡り合わせ〉を語っている彼は、1984年にモンテカルロ歌劇場芸術監督に就任。2007年6月に退任するまで四半世紀をオペラハウスのディレクターとして活躍した
カラヤンは1959年3月から1965年にかけて、ウィーン・フィルを使って英デッカと一連のレコーディングを行っている。50歳代の才気煥発なカラヤンがウィーン・フィルの円やかな音色を生かしてLP15枚分の管弦楽の名曲を指揮し、これを名物プロデューサーのジョン・カルショウ率いる録音チームが収録した。このウィーン・フィルとの録音を絶賛する声は今を以って多い。おりしも世がステレオの時代に入る絶好のタイミングだった。1959年1月、カラヤンはEMIとの専属契約が切れるとベルリン・フィルとドイツ・グラモフォンで、ウィーン・フィルとはデッカでのレコーディングがはじまった。デッカの技術力と、提携するRCAのアメリカ市場での商魂たくましい販売網はカラヤンにとって頼もしく魅力だったろう。この《白鳥の湖》はカラヤン=カルショウ・コンビの最後のセッションとなったもので、カラヤンらしいエレガントな歌い回しとウィーン・フィルの蠱惑的な音色が大きな魅力。弓が撓る柔らかさで3連音の反復を捌く一方で、悪魔を暗示するトロンボーンの対位を切れのある音で明瞭に強調するところは、カラヤン=カルショウ・コンビの“あざとさ”を感じさせるところで、あくまで自然に装いながらも吸い寄せられてしまいそうな色気をまき散らすメロディアスな美しさが、俗耳をたっぷり楽しませてくれる。「派手な音でカッコ良く決めたいんだけど … 」と要求するカラヤンに「承知しました、ここは私に任せてください」と返答するカルショウの声が聞こえる。目を剥いたようにバス・トロンボーンとテューバが吠えかかる筆勢の強さとゴージャスなサウンドに度肝を抜かされてしまう。録音で聴かせる演出だけでなくカラヤンは、フィナーレにおいて組曲版でカットされたオーボエのソロで続く第29曲後半(アレグロ・アジタート)から最後までの〈終曲〉(一部カット)を従来の組曲版(第28曲~第29曲アンダンテまで)に代えて演奏しており劇性を重視した編曲に拠っている。カラヤンは彼独特の巧妙な演出で、それぞれの曲の美しさを実に見事に再現している。そのリズム処理や、表情のつけ方のうまさには惚れ惚れとしてしまう。《白鳥の湖》は全体にいくぶん、ねっとりとしすぎている感じもするが、第2幕の〈情景〉の美しさは格別で、コンサート・スタイルの演奏としては最右翼にあげてよいレコードだ。まさしくデッカ・マジックの表出した“虚妄の音場”。〈グラン・アダージョ〉と呼ばれるパ・ドゥ・ドゥで、聴き手を仰天させる目の覚めるようなハープのアルペジオは、まるで音符が見えるようで、そこから甘美なヴァイオリンがしっとりと導き出され蠱惑的な響きでむせるようなロマンが横溢する音楽が展開するが、ここで独奏ヴァイオリンを受けもつのはヨーゼフ・シヴォー(Josef Sivó)。1931年11月26日アラドに生まれ、2007年8月13日ウィーンにて没。1969年、音楽活動に対しオーストリア政府より受賞するも1972年前半にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を退団し、その後はウィーンで主に教育者として活動した。このハンガリー出身の名手が狙いに応える。
ウィーン・フィル第17代コンサート・マスター(1965~72年在任)として腕を鳴らしたシヴォーは、ブカレストでジョルジュ・エネスコに師事した。1956年にウィーンへ移住、リカルド・オドノポソフに師事しプラハの春国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で3位に入賞、またジュネーヴ国際音楽コンクールで第1位なしの第2位に入賞した。1960年のパガニーニ国際コンクールでは第1位、第5位なしの第6位 ― 実質の最高位から第4位 ― に入賞しウィーン国立歌劇場の団員となる。1963年12月1日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となる。これまで、ボスコフスキー、セドラック、バリリといった名うてのコンサート・マスターがウィーン・フィルを支えてきたが、肘を痛めたバリリの後にカラヤンがウィーン交響楽団からひき抜いたピヒラーの登用に失敗し、高齢のセドラックの引退とともに、1965年にコンサート・マスターに就任したのが若きワルター・ウェラー(ジュニア)とシヴォーである。ちょうど要のポジションが世代交代を余儀なくされた時期にあった。33歳のコンサート・マスターの使用楽器は、1694年製ピエトロ・グァルネリウス。ボスコフスキーのソロではなく常ならぬ、蕩けるようなヴィブラートによって甘い香りを、そこかしこに放つシヴォーの独奏の美しさに超嘆息するばかり。とろみのある艶をのせた滑らかなフレージングとエレガントな歌い口から悲哀な気分をしっとりと漂わせ、その妖艶ともいえる音色の美しさはウィーン・フィルの響きに馴染んだ耳をはっとさせる。ウィーン・フィル史上最高のチェリストと歌われた名手エマヌエル・ ブラベッツが、嫋やかに温もりのあるフレージングで詩的な情緒を紡ぎだしているのに、すすり泣くようなオブリガートでシヴォーが空前絶美のデュエットを聴かせる。肉感のある音で深みのある表情を入念に織り込んでゆく過程が堪らない。
ホルスト・シュタイン(Horst Stein)は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタート、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク交響楽団とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。ワーグナー、ブルックナーをはじめとした、ドイツ音楽の伝統を受け継ぐ指揮者として確固とした地位を築いている。日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどNHK交響楽団との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。享年80歳でした。
1971年6月11〜19日ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホールでのジョン・モードラーのプロデュース、ジェームス・ロックによるステレオ・セッション録音。
GB DEC SXL6532 シーヴォ プロコフィエフ・ヴァイオリン…
GB DEC SXL6532 シーヴォ プロコフィエフ・ヴァイオリン…