GB  DECCA  SXL6333 クレスパン  RECITAL
通販レコード→英ワイド・バンド メイド・イン・イングランド ED3盤

GB DECCA SXL6333 クレスパン RECITAL

商品名GB DEC SXL6333 クレスパン RECITAL

彼女たちの時代はクラシック、シャンソンの垣根を越えた部分があった。クレスパンの素晴らしい表現力が発揮されたアルバム ― レジーヌ・クレスパン(1972-2007)はフランスの名ソプラノ歌手。彼女はワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのオペラのヒロインを歌って人気を博し、また様々な言語による歌曲でも素晴らしい表現力を発揮、このアルバムにもあるシューマンやヴォルフなどのドイツ歌曲でも見事な歌唱を聴かせました。フランスの往年の名ソプラノ、レジーヌ・クレスパンは2007年7月に80歳で逝去。時のサルコジ大統領も追悼の声明を出したフランスを代表する名花であった。かつてハリウッドボウルの野外リサイタルではジェット機の轟音にも負けなかったという伝説的エピソードでも知られる彼女は、その迫力ある声でワーグナーを得意としていたドラマティック・ソプラノですが、表現力の幅広さはかなりのもので、オペラや得意のフランス歌曲ではエレガントで繊細な歌も披露してくれていました。本盤はその中で、ハリウッドボウルの野外リサイタルではジェット機の轟音にも負けなかったという伝説的エピソードをシューマンやドビュッシーを題材として実証した逸盤。本盤発売時、フランスの名花をフランス本国でも売り込もうと仏デッカから発売するとは、英仏の犬猿の関係が生んだ産物か。儲かるなら何でもやる英デッカをも実証する一枚。表紙の写真、なかなかの美人で、ショルティ盤でバラ騎士で伯爵夫人に抜擢されるのもわかります。ジョン・ワストマン(1930年生まれ)は、アメリカ、ミシガン州出身の歌曲ピアニスト。かなりルバートも使用しつつ決して重くならないのは巧みな手綱さばきによるのだろう。豊かな音楽性とバランス感覚が両立したピアニストだ。パヴァロッティ、ニルソン、シュヴァルツコプフなど大物との共演の多いワストマンがクレスパンの意図を汲み取り、ぴったりと一体感を保っているのが素晴らしい。
ドビュッシー( Claude Debussy )は1862年生まれ。1918年没。フランスの作曲家。印象主義音楽の創始者。ワグネリアンで、マラルメなど象徴派詩人たちと接していた。中世の旋法、5度7度の組み合わせ、全音音階等独創的な音色とリズムを獲得し、ロマン派音楽から脱却、新しい世界を切り開いた。1897〜98年に、ドビュッシーはピエール・ルイスの詩集「ビリティスの歌」から3曲の歌曲集を作曲した。原作は古代ギリシャのパンフィリィで生い育った少女ビリティスがうたった歌という設定で、ドビュッシーは第1部の「パンフィリィの牧歌」に取材した。山野で戯れていたビリティスは、ヒアシンスの咲く季節に、はじめて少年と恋に落ち、結ばれるが、やがて二人の心は離れていく。その3つのくだりをドビュッシーは1曲ずつ描いた。ビリティスのその中性的な魅力を暗示するように、この曲はやや低い声域で書かれている。この第1曲の冒頭、ふたりの恋人が交互に奏でる葦笛(シランクス)の音色を写した、ピアノの2小節の前奏はリディア旋法による音階。たったこれだけの音で聞き手は古代ギリシャの山野にたちまち誘われてしまう。『言葉で表現できなくなった時、音楽が始まる』とはドビュッシーの言葉だが、「牧神の午後への前奏曲」や「シランクス」のフルートも、魔がかかっているが僅かな音の動きでのイメージの喚起力は凄い、と聴くたびに空恐ろしくなる。この後、第2部、第3部で彼女は故郷を離れ、高級遊女として多くの男や女たちと結ばれる。これらの作品のミステリアスな表現という点で、健康美というと語弊が生じるとも思うが官能に走る寸前でとどまっているドビュッシー音楽の理想といっていいのか、雰囲気のある演奏をしている。
印象派とされがちなドビュッシーですが、ロシア音楽を精神とする印象派の時代の作曲家として視野にいれるべきです。陶酔に誘うようで覚めている。官能に溺れないのがドビュッシーの視線です。ナチスのフランス侵攻が背景にあるプーランクの音楽も、その表面から伺えないから甘い音楽に思えるだけだろう。「オルクニーズの歌」は、町を出る物乞いが「心」を町に置いていき、町に入る荷車引きが結婚したいという「心」を町に持ち込むので、オルクニーズが「心」だらけになると歌われる架空の町オルクニーズでの番人と出入りする者たちとのやりとりをナンセンスに描いているが、クレスパンは明瞭な語り口で、はきはきした生命力を付与する。一転、アンニュイな歌声が絶妙な息遣いで表現している、いかにも働きたくないものの倦怠感を描く「ホテル」。今で言う引きこもりではないだろうが、ホテルの一室に差し込む太陽の光で煙草に火をつけ一服しようとしている歌だ。コミカルな「赤ちゃんの水差し」は、キリンの奥さんには赤ちゃんキリンがいるのに何故私にはいないのかしらと嘆く水差しの声を魔法使いが聞き、願いを叶える可愛らしい歌にクレスパンのリリカルな声質が心地よい。クレスパンの繊細で抑えた高音に惹き込まれるのが次の「ハートのクィーン」。月夜の窓辺で頬杖ついたハートのクィーンが憂い顔で君を誘っているので、霧氷につつまれた女王の城についていきなさいと誘われる。帽子に花を挿した若者たちが祭りに繰り出し、踊り、飲み、けんかし、アヴァンチュールを楽しみ、溝で眠りこけて翌朝を迎える「祭りに出かけて行く若者たち」は、詩の経過を忠実に反映させるよう勢いに任せず、後半で徐々にテンポを落としていく。最後の「セーの橋」、「華やかな宴」に至って、アルバム一枚の楽曲の配置に何かを感じ取れる気がする。これら2曲は1940年6月の ― ナチスによるフランス侵略 ― 悲劇的日々と、 ― 見すてられたフランスの ― 混乱のさなかで、侵略軍を逃れてのフランス市民の避難の様を思い出させる。橋のアーチを思わせる前奏の単音によるフレーズで始まり、「セー(C)」の韻を踏んだ詩行が繰り返される。重く深刻な曲からクレスパンは真実味のある感動的な歌を聴かせ、一見意味はなさそうに思える「華やかな宴」の「人生が駆け足で走ってゆくのも見える」の締めくくりが、「橋の下を溺死人たちが流れてゆくのが見える」とのコントラストを際立てる。第2次世界大戦でナチス・ドイツの占領下にあって、フランスは劇場は閉ざされることなく活動は続けられ、プーランクもその中で数々の舞台音楽を作曲した。表向きプーランクの楽しげな曲調は究極の皮肉表現なのかもしれないと気づかせてくれた。彼女と同世代の歌い手にはクラシック、シャンソンの垣根を越えた部分があった。1927年生まれ、女の青春を戦争、動乱で翻弄した人生から滲み出ているレジーヌ・クレスパンのレコードの味わいだろう。「ビリティス」についてもクラシック以外の人が挑戦することで新鮮な解釈が生まれるだろう。昨年亡くなった、冨田勲さんの「月の光、シンセサイザーによるメルヘンの世界」が、その良い現れだろう。
1966年6月、1967年5月ロンドン、キングズウェイ・ホールでのセッション、ステレオ録音。シューマン:メアリー・スチュアート女王の詩 Op.135、ヴォルフ:明け方に、庭師、捨てられた娘、ペンナに住んでる恋人がいるの、アナクレオンの墓、秘めた愛、ドビュッシー:ビリティスの歌、プーランク:オルクニーズの歌、ホテル、赤ちゃん水差し、ハートのクイーン、祭りに出かけて行く若者、セーの橋、華やかな宴。
GB  DEC  SXL6333 クレスパン  RECITAL
GB  DEC  SXL6333 クレスパン  RECITAL