34-17017
商品番号 34-17017

通販レコード→英ナローバンド ED4盤
20世紀の名演奏 ― 声には風格があり悲劇を歌えばキリリと引きしまり、やさしい役柄ではそこはかとない情緒を醸し出す。プッチーニ、ヴェルディ他のイタリア・オペラの名アリア集。1950年代、60年代とマリア・カラスと並んで二大プリマ・ドンナと呼ばれたレナータ・テバルディ、その声は気品に満ち美しく宝石のような輝きを放っています。テバルディの声は本当に美声である。そして張りのある正真正銘のリリコ・スピント。その歌唱はあくまでも端正個性派のカラスと対照的です。英EMI社の象徴カラスやドイツのエリーザベト・シュワルツコップの気品ある美しい声に並び賞される存在のテバルディは、英DECCA社のイタリア・オペラ戦略には必須の存在でした。事実、夥しいオペラ全曲盤を録音しており、どの演奏も素晴らしいのです。「20世紀の名演奏」を誇るべくレコードの表紙には「Renata Tebaldi」と彼女の名前が記されているだけ。オペラ全曲からの抜粋でなく、本盤専用に仕立てた録音なので価値は高い、声の伸びや、オーケストラは厚みが有り文句の無い録音です。懐古趣味だからではなくカラス、テバルディと云ったソプラノだけでなく1950〜60年代に活躍した〝黄金のトランペット〟マリオ・デル=モナコ、エットーレ・バスティアニーニの男性陣も含めて素晴らしい名歌手が居たことは誰も疑わない事実です。今よりずっと厳しいレコード会社専属という制度に縛られ、夥しい全曲盤の中でテバルディの名演は数知れずだが、この種のアルバムは国内盤・海外盤を問わず多くの種類がありすぎる。抜粋ではなく全曲盤で聴きたいのは、彼女がオペラ全曲盤で勝負する歌手であることを証明している。彼女の最大の特徴はオペラ全曲の中で、とても相応しくその役柄を歌い出すことだ。だから、有名アリアだけでは同曲をカラスの録音とは勝負できない。抜粋で聴くにしても1場面は楽しみたい。その点、本番はアリア、一曲一曲に全力投入している。その豊麗とも言える美声で歌われるアリアはどれも圧巻である。カラスのようにアリア一曲に対しての凝集力は少ないものの、テバルディがどんな歌手であるかを知るのには最適のアルバムであろう。特にプッチーニにおける豊麗な旋律線と彼女の声の相性は抜群だ。
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第二次世界大戦後の世界の歌劇界に、戦前のエンリコ・カルーソー、トティ・ダル・モンテ時代に優るとも劣らないイタリア歌劇黄金時代を築き上げたのは、レナータ・テバルディ、マリア・カラス、ジュリエッタ・シミオナート、マリオ・デル・モナコ、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ、エットーレ・バスティアニーニ、アルド・プロッティなど、わが国にも馴染み深い歌手に負うところが大きい。中でもテバルディとカラスはオペラ界の両横綱ともいえる存在で、たとえ現在の実力が全盛時代ではないとしても、われわれの耳には、その美しい声と共にプリマドンナとしての貫禄からも忘れることの出来ないものとなっている。カラスがその類ない優れた演技力をもってイタリア古典歌劇から近代にいたる、又、コロラトゥーラからリリック、そしてドラマティックとソプラノの汎ゆる声質をこなしているのに反してテバルディはヴェルディ、プッチーニ、イタリア・ヴェリズモ派を中心とする作品に集中、リリコ・スピントのソプラノとしてイタリア・ベル・カント ― 美しく歌う ― を伝承している。継ぎ目なく2オクターブを斑なく歌いきる、その澄み切った「ビロードの声」と正確な発音。スケーリング、最上の劇的表現力に加うるに美しいピアニッシモ、巧みな声色の変化といったオペラ歌手としての必須条件全てが彼女の場合一体となって現れ、そこにわれわれを魅了している。カラスの歌には、どこか研ぎ澄まされた鋭い衡が感じられるとするならばテバルディのそれには憐愍のぬくもりが感じられる。このレコードに収められた9曲は、どれもテバルディのレパートリーを代表するもので、彼女の芸術を長く記念するためには最も相応しいものといえよう。
あなたは天国からやって来た天使のように歌わなければいけないよ。
1950年代から1960年代にかけてのミラノ・スカラ座の黄金期に出演・活躍し、20世紀後半におけるイタリア・オペラの代表的ソプラノ歌手の一人といわれるレナータ・テバルディ(Renata Ersilia Clotilde Tebaldi, 1922年2月1日〜2004年12月19日)。1923年チェロ教師の娘としてロッシーニの故郷ペザロで生まれたテバルディは、パルマのボーイト音楽院にはいり、はじめピアノを学んだが、17歳の時、彼女の歌うのを聞いた教師のすすめによって声楽に転向、カルメン・メリスに師事した。1944年5月23日、ロヴィーゴでボーイトの歌劇「メフィストーフェレ」のエレナ役でデビュー。1946年スカラ座再開の時には名指揮者トスカニーニに招かれて出演、その後は文字通り世界のプリマ・ドンナ、ソプラノの女王として世界各地の大劇場に出演している。この24歳のソプラノを抜擢したのは巨匠アルトゥーロ・トスカニーニ。ヴェルディの『テ・デウム』の独唱と、ロッシーニの『モーゼ』からのアリア「祈り」を歌ったテバルディを、トスカニーニは「天使の歌声」と絶賛したのでした。テバルディは「イタリア・オペラの救世主になるだろう」と新聞評で賞賛され、彼女の前途に期待がかけられた。「あなたは天国からやって来た天使のように歌わなければいけないよ」と、その公演のリハーサルの際、トスカニーニが彼女に言っていたのだが、それまで無名だったこの若いソプラノ歌手は、この公演からまるで天使のように素晴らしい羽ばたきを始める。1961年NHKの招いた第3回イタリア歌劇団のプリマ・ドンナとして来日、『アンドレア・シェニエ』ではデル・モナコと、『トスカ』ではジャンニ・ポッジと共演、その素晴らしい演唱は未だわれわれの記憶に新しい。1956年に、その第1回公演を行ったイタリア歌劇団の日本公演は、1973年で7回をかぞえ、プログラムも数十曲に及ぶ多彩さであるが、その数多い思い出の中でも最も印象深いのは第2回(1959年)の「オテロ」におけるデル・モナコとティト・ゴッビの灼熱した舞台と、第3回(1961年)の「アンドレア・シェニエ」であった。今でも思い出すのは、牢獄から断頭台に牽かれてゆくシェニエと別れを告げるあの二重唱ほど、生涯忘れることの出来ないほどの強烈な印象を心の中に記したが、確かにデル・モナコとテバルディの灼熱的な二重唱は、当時聴き得た最高のステージであった。この時テバルディは「トスカ」も歌ったのだが、1メートル85もある長身のテバルディが、その第1幕で「マリオ、マリオ」とカヴァラドッシをたずねて聖アンドレア・デルラ・ヴァーレの寺院に入ってくる時の場面は、世界のプリマ・ドンナの登場に相応しい素晴らしき姿だった。
また、彼女は一貫して英デッカに録音を残したので、まさに彼女の黄金期の声を聴くことができる。録音はほとんどがセッションを組んでレコーディングされたものであり、そのため、モノラルの音源でも音質条件は良好、テバルディの美声を軸に贅を尽くして制作された数々のオペラ全曲盤に出演する個性豊かな共演者の声も、デッカならではの克明な音で聴くことが出来る。たとえばカタラーニの『ワリー』では気高い歌唱が今もって最高の評価を得ていますし、カラヤンとの『オテロ』はデル・モナコの強烈な歌唱はじめすべてが好条件の名盤という評判でした。1951年の夏、英デッカが計画したプッチーニのオペラ3作〈ボエーム、蝶々夫人、トスカ〉のレコーディングの主役に選ばれ、当時最新のメディアであったLPという後ろ盾を得たテバルディは、その名声を世界的なものとする一方、名実共にスカラ座のプリマドンナとなり、同じ時期に台頭したマリア・カラスとの間で伝説ともなっている熾烈かつ華麗な歌手としての戦いを演じ、“イタリア・オペラの黄金時代”と讃えられる繁栄を招来しました。1955年1月31日、スカラ座を去ったテバルディは、デル・モナコを相手役に『オテロ』のデズデモナ役でメトロポリタン歌劇場にデビュー、その後は世界最大のオペラ・ハウスを主舞台として活躍、1951年以来の専属だったデッカに得意の役柄を次々とステレオ録音し、その地位はもはや揺ぎないものとなっていました。テバルディの素晴らしい芸術の秘密は、その豊かな呼吸から得られるフレージングと、輝かしいまで艶のある声で作り出す声のドラマであろう。性格的にはクッキングが趣味であると答えるように、常に誠実さを貫き通すプリマ・ドンナである。
Renata Tebaldi Recital
  • Side-A
    1. ヴェルディ・歌劇『ドン・カルロ』〜世の空しさを知る神 Tu Che Le Vanità
    2. ヴェルディ・歌劇『仮面舞踏会』〜ここがあの恐ろしい場所 Ecco L'Orrido Campo...Ma Dall' Arido Stelo Divulsa
    3. ヴェルディ・歌劇『仮面舞踏会』〜私の最後の願い Morrò, Ma Prima In Grazia
    4. ヴェルディ・歌劇『ジョヴァンナ・ダルコ』〜Oh Ben S'Addice...Sempre All' Alba
  • Side-B
    1. プッチーニ・歌劇『トゥーランドット』〜この宮殿の中で In Questa Reggia
    2. ポンキエッリ・歌劇『ラ・ジョコンダ』〜自殺 Suicidio
    3. プッチーニ・歌劇『つばめ』〜ドレッタの夢 Sogno Di Doretta
    4. マスカーニ・歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』〜ママも知る通り Voi Lo Sapete
    5. チレーア・歌劇『アルルの女』〜ローザの嘆き Esser Madre È Un Inferno
オリヴィエーロ・デ・ファブリティース(Oliviero De Fabritiis, 1902年6月13日〜1982年8月12日)は、イタリアの指揮者。ローマの生まれ。 地元の法王庁付属音楽学校でピアノと、リチニオ・レフィーチェに音楽理論を学び、サンタ・チェチーリア国立アカデミアでジャコモ・セタッチョリに対位法を学んだ。1920年に地元サレルノの国立劇場で指揮者デビューを果たし、アドリアーノ劇場の指揮者となった。1934年にはローマ国立歌劇場の芸術監督だったトゥリオ・セラフィンの下でアシスタントを務め、1943年までその任に当たったが、1938年にカラカラ浴場でトティ・ダル・モンテやベニャミーノ・ジーリの歌うガエターノ・ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』を指揮して大成功を収め、それを機にオペラ指揮者として高い評価を得るようになった。そして名テノール歌手、ジーリの最盛期の伴奏録音を多く残している。1947年にはメトロポリタン歌劇場に登場してアメリカ・デビューを飾り、1963年にはエディンバラ音楽祭に出演してイギリス・デビューを飾ったほか、NHKが招聘したイタリア・オペラ歌劇団の指揮者として来日してジャコモ・プッチーニの『西部の娘』を初演するなど、馴染み深い存在で、歌手の生理を知り尽くしたベテラン職人の技を披露し、国際的に活躍した。ジュゼッペ・ヴェルディの「トロヴァトーレ」「シモン・ボッカネグラ」「ドン・カルロ」の日本初演も彼が指揮している。
録音は1964年9月ロンドン、キングスウェイ・ホールでのステレオ・セッション。カバーに記載はないですが、エリック・スミスのプロデュース、ジェームズ・ロックとケネス・ウィルキンソンのエンジニア。1965年4月初発。
GB  DEC  SXL6152 レナータ・テバルディ Renata…
GB  DEC  SXL6152 レナータ・テバルディ Renata…