GB DEC SXL6045 テレサ・ベルガンサ モーツァルト・オペラアリア集

商品番号 34-20808

通販レコード→英ワイドバンド ORIGINAL RECORDING BY DECCA ED1溝あり盤[オリジナル]

終生手ばなせない「モーツァルトのレコード」である。 ― と吉田秀和著「モーツァルトのレコード」で激賞されたテレサ・ベルガンサ最高の名盤。モーツァルトの演奏会用アリアを含めて、オペラのアリアを歌ったLP、すなわち《モーツァルト・アリア集》は数多いが、メゾ・ソプラノによってうたわれたモーツァルトのアリア集は、おそらく、このベルガンサによるレコーディングをもって嚆矢とするだろう。理由は2つ。まず、第1にモーツァルトのアリアで、はっきりとメゾ・ソプラノもしくはアルト歌手のために書かれたものが少ないこと。ふつうメゾ・ソプラノがうたうケルビーノ、そしてドラベルラにしても、モーツァルトはソプラノとだけ指定している。それらがメゾソプラノでうたわれるのは、ヒロインのソプラノとのアンサンブルその他における音色的な対比を考えてのことなのだ。したがって、メゾ・ソプラノ歌手がモーツァルトのアリア集をつくろうとした場合、どうしても、音域的に無理な曲があったりするのだし、いかにメゾ・ソプラノの役とはいえ、《フィガロの結婚》のマルチェリーナのアリアを歌ったところで、誰が喜ぶだろうか。そこで、当然ソプラノのための曲を歌うことに為らざるを得ぬが、これは、並大抵の歌手では手に負えまい。それが第2の理由だ。ベルガンサの非凡さは、これだけでも明らかなのだが、例えばベルガンサは、ここで《コジ・ファン・トゥッテ》のフィオルディリージのアリアを、しかも2曲歌っている。大変な冒険のようにそれは見られるだろう。なぜなら、そのアリアはリリコ・スピント級の声のソプラノのための役だから。英デッカのディレクター、クリストファー・レイバーンの熱心なすすめによって実現した、それはアリア集のレコーディングという特殊な場においてのみ可能だったチャレンジといって良い。だが、フィオルディリージのアリアには、ソプラノにとって苦手の低い変ロやイの音がたくさん用いられている。もしメゾ・ソプラノには難題である高い変ロからハの音がじゅうぶんな余裕をもって美しく張りのある声で歌えるなら、低い音域をメゾ・ソプラノ特有の深いニュアンスで表現できるベルガンサのフィオルディリージはファンならば誰だって聴きたいだろう。結果は、やはりベルガンサの真価はドラベルラにおけるしなやかな官能性の表現にふさわしく、フィオルディリージでは、やや緊張の気配が濃い。然し、《アルジェのイタリア女》や《シンデレラ》《セヴィリャの理髪師》などロッシーニ作品のヒロインを歌って軽妙なフィオリトゥーラ唱法で定評あるベルガンサである。力強い高音域も出るし、ここでもその声と芸術の魅力は抜群といえる。全曲盤のある《皇帝ティートの慈悲》のセストのアリアは素晴らしいし、ケルビーノのアリア2曲は、おそらくベルガンサが最高だろう。
テレサ・ベルガンサ(Teresa Berganza Vargas)は、スペインの著名なメゾ・ソプラノ歌手。ロッシーニ、モーツァルト、ビゼーのオペラの役柄がよく知られる。彼女は、その高度な歌唱技術と知性に富んだ音楽性、そして魅力的な舞台姿で賞賛されている。1935年3月16日スペインのマドリッド生まれ、同地のマドリード音楽院でピアノと声楽を学び、1954年に歌唱で1等賞を得ている。1955年にマドリードで初めての演奏会を開いた。1957年にエクス・アン・プロヴァンス音楽祭の《コジ・ファン・トゥッテ》でドラベルラを歌ってデビューした。同年にミラノ・スカラ座にデビューし、翌年グラインドボーン音楽祭にも登場した。1959年にはロイヤル・オペラ・ハウスで『セビリアの理髪師』のロジーナ役を歌い、以後これは彼女の代表的な持ち役となった。1967年にはメトロポリタン歌劇場に出演して『フィガロの結婚』のケルビーノ役を歌ったベルガンサは、モーツァルト、ロッシーニを歌って最高のプリマ・ドンナであった。本盤〝Teresa Berganza Sings Mozart〟はベルガンサの最盛期のころの録音で、美しい声と容姿、声は輝きを放つようなコロラトゥーラではないけれど、女性的で温かく、安定しています。ヒロインとズボン役を演じ、英デッカの録音にペルゴレージとヘンデルのアリアも歌っています。マリア・カラスの一回り歳下の世代ですが、イタリアオペラの黄金期に活躍した代表的な歌手のひとりです。東日本大震災以来、今でも来日を見合わせる外国人歌手が多い中、公開レッスンで日本の若い歌手を指導した。曰く、歌手は天から授かった声に感謝すべきだが、声は芸術に奉仕する道具である、そのために必要なのは一にも二にも勉強。それは一生続く。若い歌手が肝に銘じねばならないことは、成功を急がないこと、レパートリーを間違えないこと。自分で考えなければ、まわりにおだてられてレパートリーを間違えて声を駄目にしても、誰も責任を取ってくれないのだから。
ジョン・プリッチャード(Sir John Michael Pritchard CBE)は、1921年2月5日生まれのイギリスの指揮者。幼少時から、ロンドン交響楽団のヴァイオリニストだった父親から音楽の手ほどきを受け、イタリアに留学して指揮法、ヴィオラ、ピアノ等を習得した。1947年にフリッツ・ブッシュの後を継いでグラインドボーン歌劇場の常任指揮者となって、その後1949年にブッシュの代役としてモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を指揮してデビューを飾り注目を浴び、以降コヴェント・ガーデン王立歌劇場にもしばしば登場していた。1951年と1952年のシーズンにウィーン国立歌劇場で指揮をしたほか、1953年にはピッツバーグ交響楽団を指揮してアメリカ・デビューも果たしている。1957年から1963年までは、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を歴任。やがて1964年からグラインドボーン音楽祭の音楽顧問を務め、1969年から1978年まで音楽監督の任にあった。1962年から1967年まではロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も兼任し、このオーケストラをグラインドボーン音楽祭に度々出演させている。1970年万博の年には、来日直前急逝したサー・ジョン・バルビローリに代わって急遽来日、東京でニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した。グラインドボーンの音楽監督から1978年からはケルン歌劇場の首席指揮者に転身し、1981年からブリュッセルのベルギー王立歌劇場(モネ劇場)の音楽監督も務め、オペラ指揮者として国際的な名声を確立した。その後1981年からBBC交響楽団の音楽監督になり、プロムスのシェフも兼ねて夏の名物プロムスでも活躍した。1986年からはサンフランシスコ歌劇場の音楽監督も兼任したが、1989年にサンフランシスコで急逝した。ヴィットリオ・グイやベルナルト・ハイティンクというマエストロたちに並ぶと際立った個性はないが、常に安定感のある流麗な演奏を保持して信頼度は高く、後年待望のサーに叙され、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのモーツァルトの「イドメネオ」録音により真のマエストロへの道を踏み出した直後にガンのため亡くなった。1989年のプロムス・ラスト・ナイトに、既にガンのため勇退を表明していたサー・ジョンが特別出演し椅子に座ったまま1曲だけ振ったあとで聴衆に引退のメッセージを伝えると満員の聴衆から温かい万雷の拍手が贈られました。この数ヶ月後の12月5日、奇しくもモーツァルトの命日に亡くなっています。
ステレオ録音黎明期1958年から、ffss(Full-Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrr(Full-Frequency Range Recording)の技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLP3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてffssが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
歌劇《フィガロの結婚, K.492》より第1幕から「自分で自分がわからない」、第2幕から「恋とはどんなものかしら」、歌劇《皇帝ティトゥスの慈悲, K.621》より第1幕から「わたしは行くが、君は平和に」、コンサート・アリア「どうしてあなたを忘れられよう」K.505、歌劇《コシ・ファン・トゥッテ, K.588》より第1幕から「岩のように動かずに」、第2幕から「恋はくせもの」、第3幕から「恋人よ、許してください」。ジョン・プリッチャード指揮、ロンドン交響楽団、ジェルヴァーズ・ド・ペイエ(クラリネット助奏)、ジェフリー・パーソンズ(ピアノ独奏)。《皇帝ティートの慈悲》ではイギリス最高のクラリネット奏者ジェルヴァーズ・ド・ペイエがソロを担当、演奏会用アリア《どうしてあなたを忘れられよう》では、すでにエリーザベト・シュワルツコップやハンス・ホッターの伴奏者として再三来日してお馴染みだった名手ジェフリー・パーソンズがピアノ・パートを弾いている。1962年12月15、18、20&21日ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。
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