GB DECCA SXL2115 カール・リヒター ミュンヘン・バッハ室内管 ヘンデル・オルガン協奏曲第1番〜4番

通販レコード→英ワイドバンド ED1 盤[オリジナル]
リヒターの代名詞ともいえるバッハ演奏に通じる格調の高さとシリアスな表現が独特の魅力。 ― 現代楽器演奏の大御所カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団のバッハは青春の思い出と重なるところも大きく、評価者と世代が異なる読み手は割り引くことを必要だ。LPレコードの時代を知る者にとっては多くの思い出とともに、忘れ難い存在。CDやレンタル、配信で録音を聞くだけではレコードを手にとって聴いていた世代の評価は共有できないものだ。それでもリヒターの峻烈な演奏から得られるバッハ音楽の感動は力強いという以上に厳しいものであり、ピリオド楽器による演奏が今や主流の世の中であるが、このリヒター盤の価値は未だ高いと認識させられるのである。 確固とした解釈のもとに鳴る音楽は、時として荘厳に、また、時として冷徹に響くが、決して嫌味でない。モダン楽器小編成オーケストラによる求心力の強いキビキビとした力強いバッハ演奏が身上とされるカール・リヒターならではのパワフルな名演揃いで、ソリストが非常に豪華なのも特筆されるところ。カール・リヒター(ドイツ、1926〜1981)はバッハの化身とまで謳われたが、それは1970年代はじめにアルヒーフから出された分厚い全集が認められてからである。彼のバッハ演奏が本当の意味で広く一般に知れ渡る契機となったのは事実、ともすればバッハ一色ととらえがちな彼の演奏が実は早くからヘンデルの作品を含み、またグラモフォンではハイドン、ベートーヴェンに至るまで残されている点からみるならば、広くクラシック一般の範疇でもリヒターが第一級の演奏家、指揮者であることはまぎれもない。しかしながら、リヒターは若い頃に、ロンドン・レーベルでヘンデルの「オルガン・コンチェルト」全12曲を録音している。聖トマス教会、ミュンヘンの聖マルコ教会のオルガニストとしてスタート、バッハ演奏家として名声を博す。リヒターのヘンデルは「ロマン的なヘンデル」として伝統に斬り込む革新だったが、バッハとヘンデル、ラヴェルとドビュッシーの対極がわからなかった日本人にはヘンデルの音楽の刷り込みとなった。第1集は1番から4番を収録。
リヒターは驚くべき音楽性の持ち主である。彼はバッハから直系の正統的な伝統を正しく受け継いでいるが、彼の音楽には常にゆたかな創造精神が感じられ、伝統的なスタイルをなんの創意もなくアカデミックに墨守しているのではない。したがって彼のバッハは、最も正統的であると同時に、現代的な息吹を感じさせるゆたかな生命力にあふれている。彼の演奏は北ドイツ風の重厚で剛直なところがなく、南ドイツ風の柔軟なニュアンスとあたたかい光に満ちている。
カール・リヒターはザクセン州のプラウエンで牧師の息子として生まれ、11歳からドレスデンの聖十字架協会付属の音楽学校で学んだ。そして、1946年からライプツィッ ヒでシュトラウベやラミンに師事し、1949年には聖トマス教会のオルガニストに就任した。しかし、より自由な活動の場を求めて、1951年ミュンヘンに移り、聖 マルコ教会のオルガニストや音楽大学の講師を務めながら、1955年に自らが理想とするバッハ演奏実現のためにミュンヘン・バッハ合唱団を組織し、1955年には ミュンヘン・バッハ管弦楽団も設立して精力的な活動を行い、注目を集めた。特に、1958年の聖金曜日に放送された「マタイ受難曲」の圧倒的な名演は、バッハ 解釈者として、またチェンバロ、オルガン奏者としても一貫して高い評価を受けたが、3度目の来日を目前にして54歳という若さで急逝した。リヒターが現代最高のバッハ解釈者として今も尊敬を集めているのは伝統をしっかりと受け継ぎながらも、そこに安住することなく音楽への熱い思いを厳しく琢磨して、真に人間的なドラマティックな演奏を実現したからだろう。日本でもリヒターの名前を一躍高めた「マタイ受難曲」の旧盤(1958年)は、そうしたリヒターのバッハ演奏の神髄を伝える名演であり、熱い気迫の漲った表現で強い劇性をもって築き上げられた演奏は、従来の宗教曲演奏の枠を超えるほど生々しいが、そこに刻まれた真実のドラマは今も聴き手の心を強く捉えて離さない。しかし、リヒターがバッハの音楽に峻厳な表現だけを求めたのではないことは、他の宗教曲や「クリスマス・オラトリオ」(1965年)、さらに管弦楽組曲(1960、61年)などの演奏からも明らかだろう。的確な表現を生き生きと躍動させ、それを美しく張り詰めた流れの中に見事に統一した演奏は、バッハの音楽の生命力や喜びをも余すところなく伝えている。そして、そうした演奏に比べて、50歳代に近づいたリヒターは、よりロマンティックで柔軟な表現を作るようになっていった。54歳というあまりに早い死が、円熟期のリヒターが目指した新たなバッハ像完成の機会を奪ってしまったのは誠に残念である。しかし、それだけにまたリヒターが1950年代末から1960年代にかけて残した数々の名演は、かけがえのない遺産であり、その演奏は古楽器演奏隆盛の現代においても、20世紀のバッハ演奏のひとつの到達点を示すように強い光を放っているというべきだろう。
20世紀バッハの第一人者カール・リヒターはもちろん、バッハ意外にも定評のある演奏を残した彼の指揮者として、そしてオルガニスト、チェンバロ奏者としての名録音を遺している。1958年、ドイツ・グラモフォンの古楽専門レーベルであるアルヒーフでバッハの「マタイ受難曲」を録音。これは今日まで最もよく知られる彼の代表的作品となった。さらに同レーベルへのカンタータ録音を開始。ドイツ・グラモフォンがアルヒーフレーベルによる音楽史専門の録音大全を構想した当初、バッハのカンタータはフリッツ・レーマンらによって担当されていたがレーマンが1956年に演奏中に急死したため、数人の指揮者による分担を経て結果的にリヒターがその後任となった。以降、リヒター自らライフワークとしていたカンタータ録音は、20年以上をかけて約70曲を残している。同曲異演も含めると、CDにして100枚以上になる音源を残した。また、リヒターはカンタータにせよ、器楽曲にせよ全集をのこさなかった。これを彼の早すぎる死が完成を妨げたのだとは思えない、リヒターが自分の感性に従い、相応しい楽曲を選び抜いてレコーディングをしていたのだということを、きちんとした分析のもとに教えられる。その意味では、決してレパートリーの広い演奏家ではなかった。そのレパートリーは、実のところバッハ以外にも広がりを見せるが、その広がりの中にある狭さもまた、彼の本質が、教会のカントール(音楽監督)だということから、説明がつけられる。レパートリーの大半を占めたバッハやゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル以外にも、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、クリストフ・ヴィリバルト・グルック、アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームス、ジュゼッペ・ヴェルディなどの録音が、それぞれわずかであるが残されている。レコーディング先のレーベルとしてはアルヒーフが中心で、他にもテレフンケン(現テルデック)やデッカ=ロンドンなどにもある程度の録音を残しており、特に活動の最初期はテレフンケンでの録音が多い。テレフンケンにしか残されていないレパートリーの中には、バッハの「パルティータ ( B.W.V. 825 〜 830 )」、モーツァルトの「レクイエム」などがある。バッハ演奏といえばカール・リヒター。こうした時代は確実にあったし、もっと続くはずだった。しかし惜しむらくは1981年のあまりにもあっけない逝去。54歳の若すぎる死だった。
リヒターがアルヒーフでヘンデルのレコーディングを開始する時、《合奏協奏曲》には古くからヴェンツィンガー指揮バーゼル・スコラ・カントールム合奏団による名演がアルヒーフ・レーベルに極めつけとして存在しており、これを超えることは当時まず不可能とさえ思われ話題を呼んだ。当時の長老ともいえる大物、ヴェンツィンガーに対して若いリヒターがどのような解釈を聴かせるのか、激しいダイナミズムとシャープなリズム感覚による現代オーケストラの音響は、雅な古楽器による響きからしたらバッハ流儀のヘンデルといえた。リヒターがアルヒーフから、次々とバッハのカンタータの新譜を出していた1960~70年代はステレオ録音が進化し、古典名曲のカノン(規範)たる録音を各レーベルが、どんどん生みだしている時代だった。わけてもドイツ・グラモフォン~アルヒーフの功績は大きい。カール・リヒターは教会音楽家であり、オルガンやチェンバロもこなす、まさにバッハのような総合的な演奏家であり、その緊迫感に満ちた峻厳な音楽が私は好きでした。リヒターはモダン楽器を使い、合唱もソプラノは少年ではなく女性歌手を起用していました。同時代性として、もう一人のモダン楽器でのバッハ鍵盤音楽の演奏家がグレン・グールド(1932〜1982)です。ピアニストとして、グールドはまさに時代の寵児でした。しかし独特の演奏法、演奏時の独特の声、演奏会を拒否など異端でもあり、音楽愛好家のなかでも好き嫌いがはっきり分かれるところです。このグールドもリヒターの他界した翌年の1982年10月4日に急逝してしまいました。享年50歳でした。作曲当時の楽器を使い当時の演奏法で演奏する『ピリオド楽器演奏』が既に1960年代からあったわけですが、丁度その潮流が1980年代には爆発的なブームとなっていきました。グスタフ・レオンハルト(1928〜2012)は既にチェンバロ演奏の重鎮で、オリジナル楽器による古楽復興演奏の重要性をレコード会社に働きかける力がありました。バッハの伝記映画でバッハ役を扮するくらいの存在であり、まさに『バッハの化身』でした。ちなみにバッハはかなりの技量のヴァイオリン奏者だったようですが、レオンハルトも初期のレコード録音ではヴァイオリンで参加している程です。その"Das Alte Werk"がリヒターが初期に頭角を現すテレフンケンの古楽部門として1958年に設立され重要な役割を果たしてきたところが興味深い。また、レオンハルトはバーゼル・スコラ・カントルムにてチェンバロをエドゥアルト・ミュラー( Eduard Müller )に師事している。ただピリオド演奏における合唱では少年がソプラノのソロを担当していますが、大人の女声の歌唱と比べると多少物足りなく感じます。アマチュア音楽演奏家、特にバロック音楽愛好家が1980年代から1990年代の頃のまま息づいているようですが、その後、ベルリン・フィルの演奏家がモダン楽器アンサンブルによるバロック音楽を演奏し始め、2,001年を境にヴィブラートの奏法や使用する楽器・弓・弦などで、折衷的な奏法のオーケストラや個人演奏家が存在するというのが現在の状況です。「もし今日バッハが生きていれば、彼は現代の改良された、いい楽器を使いたがるにちがいないと思うのですよ。」とリヒターは言っていた。曰く、「表現内容に即応できない事態を招くくらいなら、バッハ時代の楽器にこだわる必要はない」のだ。
オルガン協奏曲は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガンのための独奏曲がまずあがるだろう。全6曲が存在する。オルガンとオーケストラのための協奏曲ではなく、本来他者が作曲した協奏曲をバッハがオルガン独奏曲として編曲したものである。グレン・グールドが唯一のオルガン録音でもある。これを録音するにあたり、グールドはオルガン用の楽譜ではなく、チェルニーがピアノ用に校訂した楽譜に足鍵盤の指定を自分で書き込んだものを使用している。足鍵盤の使用は最小限に抑えられ、レガート奏法を徹底的に避け楽器の送風音を、わざと目立たせる風変わりなマイクのセッティングで音を拾う不思議な試みを行った。ヘンデルにもオルガン独奏用の協奏曲もあるが、作品4と作品7をあわせた12曲はオルガンを独奏に室内合奏団を伴う協奏曲。そのほとんどが傑作で、古典的なバロック趣味をよく表している。これらのオルガン協奏曲は、教会ではなくオペラやオラトリオの演奏される幕間に劇場でヘンデル自身の手で演奏された。したがって、これらのオルガン協奏曲は教会音楽でない。バッハのオルガン曲とは対照的である。オルガンという荘重な響きを借りてヘンデルは、古代の神話的な世界に遊んでいるのである。第6番は、有名な「ハープ協奏曲変ロ長調 H.W.V.294」の原曲。ハイクラスなホテルのラウンジに行くと、かなりの確率で流れているのがこのヘンデルの協奏曲とボッケリーニのメヌエットである。もっとも、このヘンデルの作品に関して言えばハープに編曲されたものの方がポピュラーで、実際によく聞かれるのは「ハープ協奏曲」であろう。バロック音楽は、モンテヴェルディ(1567~1643)のオペラ「オルフェオ」の上演から始まる。7月30日の鑑賞会で、1910年の曲としてタルティーニ作曲、クライスラー編曲で「コレッリの主題による変奏曲」を聴いてもらった。コレッリの音楽は均整のとれた節度と、明るく調和のとれた美しさがある。ローマで活躍したコレッリ(1653~1713)は、後のイタリアのみならずフランス、そしてドイツ人のヘンデルにも大きな影響を与えた。コレッリは合奏協奏曲というバロック音楽の様式を確立した。コレッリの合奏協奏曲作品6は盛期バロック音楽の器楽曲の規範となった。合奏協奏曲は、ヴィヴァルディなどによってさらにヴァイオリン協奏曲に発展していく。また、コレッリはバロックの古典的な精神を最初に音楽で表した人物であった。イタリアでおこった古典的なバロック音楽は器楽曲ではコレッリ、歌劇ではアレッサンドロ・スカルラッティ(1660~1725)によって確立される。17世紀から18世紀にかけてフランスの宮廷で活躍したクープランやラモーらが古典的なバロック様式を発展させた。真にバロックの古典主義を音楽で完成したのはドイツ人のヘンデル(1685~1759)であった。
ヘンデルはドイツに生まれるが、若いころから音楽の先進国であるイタリアに旅行している。そして、古典的なバロック音楽を身につけてイタリア風のオペラを作曲して成功を収めている。ドイツを一歩も出なかったバッハとは対照的である。当時のヨーロッパでは、音楽といえばオペラか教会音楽をさしていた。ヘンデルはオペラの作曲家として出発する。後年イギリスの宮廷に招かれてオペラの劇活動を進めていく。オペラには「間奏曲」という種類の音楽が付されることが多い。これは幕間に観客を飽きさせないための工夫で、舞台装置を転換している間、時間稼ぎのために音楽が演奏される。有名なものでは一幕物のオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」。二場の舞台で教会から場面転換するのにオルガンが演奏される趣向だった。ヘンデルに限って言うなら、間奏曲のかわりに自作の協奏曲を演奏していた。そして、それは作曲者が博打的要素の高いオペラ興行から手を引き、宗教的題材を扱ったオラトリオに軸足を移してからも続けられた。本盤のオルガン協奏曲もそういった目的で作曲された音楽である。この作品はコレッリの影響が濃厚で、緩急緩急という楽章の構成が多い。オルガンを独奏したのはもちろんヘンデル自身であった。このヘンデルのオルガンの演奏が話題になり、ヘンデルの演奏を見るために多くの聴衆が押し掛けるいう様子であった。オルガンの荘重な音色でドーリア調の神殿風な景色を、オルガンの輝かしい音色でイオニア調の典雅な舞というように荘重で明朗典雅な、時に陽気に舞う古代ギリシャ・ローマの神話的な世界を見事に顕わしている。ヘンデルの演奏の素晴らしさは、様々な逸話に残っているが、その自由闊達な演奏と完壁な技術は人々の称賛の的であった。ヘンデルは劇場のオルガンの神秘的な音色で、“教会のバッハ”とは全く違った世界を顕わしている。なおバッハは、1719年と1729年の2度にわたりイギリスを訪問しヘンデルに面会を求めたが最初はすれ違いになり、2度目はヘンデルが何らかの事情で面会を断ったために同時代に活躍しながらも生涯出会うことはなかった。バッハが「音楽の父」と評されるのに対し、日本ではヘンデルを俗に「音楽の母」と呼ぶこともあるが、ヘンデルは生涯独身で子供はいなかった。これに対し、バッハは2度の結婚で合計20人 ― 無事に成長した子供は約10人もの子供に恵まれた子沢山の父親として知られており、両者は作曲家としての活動だけでなく私生活においても全く対照的な人生を歩んでいたと言われている。本盤は、往年の名手カール・リヒターがオルガンを独奏しながら手兵ミュンヘン・バッハ管弦楽団を指揮したもの。リヒターの初期の録音の一つで、ミュンヘンに活動の本拠を移し、名声が国際的なものとなりはじめた50年代後半の録音。いかにも旧時代の厳格な演奏で尚且つ大型のオルガンと編成もかなり大きめなオーケストラであるが、表現の振幅の大きいロマン的なヘンデル解釈を聴かせている。ヘンデルのオルガン協奏曲集は、あたかもリヒターの代名詞ともいえるバッハ演奏に通じる格調の高さとシリアスな表現が独特の魅力。今日の基準からすると、ヘンデルの表現としてはあまりにも厳格にすぎるが、リヒターの音楽にはスタイルの違いを超越した雄弁さがあるのは確かだ。
(第1集)オルガン協奏曲第1番ト短調 op.4-1, HWV.289、オルガン協奏曲第2番変ロ長調 op.4-2, HWV.290、オルガン協奏曲第3番ト短調 op.4-3, HWV.291、オルガン協奏曲第4番ヘ長調 op.4-4, HWV.292。第3番のヴァイオリン・ソロは Fritz Sonleiter 、チェロ・ソロは Fritz Kiskalt。1959年ミュンヘン、聖マークス教会録音。スリーヴ表記にはないが、エンジニアは Martin Fouqué 、プロデューサーは Gerhard Pätzig。なお、オーケストラの名称は the Karl Richter Chamber Orchestra と印刷されています。
GB  DEC  SXL2115 リヒター  ヘンデル・オルガン協奏曲
GB  DEC  SXL2115 リヒター  ヘンデル・オルガン協奏曲