34-21512

商品番号 34-21512

通販レコード→英ワイドバンドED1盤[オリジナル]

ウィンナ・ワルツの伝統を20世紀に伝承し、その粋を伝え続けた名匠ボスコフスキー。 ― ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートの指揮者として、四半世紀にわたって「ウィーンの新年の顔」だったヴィリー・ボスコフスキー。1939年から同楽団のコンサートマスターを30年も務めるかたわら指揮活動も行い、時に指揮棒をヴァイオリンに持ち替え、ソリストとしてオーケストラをリードしましたが、これはヨハン・シュトラウス2世たちが生前に行なっていた演奏スタイルに重なり、いわば往年のウィンナ・ワルツの演奏の姿を20世紀に蘇らせたものともいえ、「ニューイヤー・コンサート」はウィーン新年の名物として大変な人気を博しました。ボスコフスキーが、ニューイヤー・コンサートの創始者であった指揮者クレメンス・クラウスの急逝を受けて、同コンサートを指揮するようになったのは1955年のこと。クラウスのもとでオーケストラをリードしてきた、コンサートマスターに委ねる窮余の一策でしたが、ヨハン2世のようにヴァイオリンをもち、弓で拍子をとり表情をつけ、コンサートは大成功。オーケストラの魅惑の音色と、しゃれたフレージングを生かしながら、前任者クラウスとは違う、ちょっと速めで活力がある流れを特徴にしている。観客を魅了する軽快な演奏、典型的なウィーン人の愛想のよさで、現在まで続く名物コンサートで、ともかく20世紀のヨハン・シュトラウスの生まれ変わりとして、他のどの指揮者よりもニューイヤー・コンサートの伝統を人々の意識の中に根付かせたその功績は偉大です。それ以来、1979年までちょうど25年間、ウィーンの華やかな新年を告げるこの特別な演奏会の指揮台に立ち続けました。デッカはそれと並行する形で1957年からボスコフスキーとウィーン・フィルによるシュトラウス一家やその周辺作曲家のワルツ・ポルカの録音プロジェクトを開始し、1979年の〝ニューイヤー・コンサート〟のライヴ録音に至るまで、シュトラウスだけでLPにして17枚分、全156曲にものぼるアンソロジーを築き上げました。本盤は、その最初のアルバム「ヨハン・シュトラウス・コンサート」。1957年録音。その後と合わせて3回のデッカでの録音がある曲も少なくないが、「シャンパン・ポルカ」「新ピチカート・ポルカ」「ウィーンのボンボン」はデッカ録音では唯一。はじまりは「シャンパン・ポルカ」。ワインの栓を抜く擬音を交えた、軽快な曲。開始されたばかりのステレオ録音の威力を示すデモンストレーションの意味合いもあるのだろう。続く最初のワルツは「ウィーン気質」。優雅な序奏ではボスコフスキーのソロ・ヴァイオリンがウィーン情緒を醸し出し、やがてチェロとコントラバスがかき鳴らすピチカートのリズムにのって、円舞が始まる。以降の22年間の幸福なレコーディングは、こうして始まった。「愛の歌」「ウィーンのボンボン」と続いて聴き進むと、街に集う人々とともに、よき人生を作り、楽しもうという「希望の響き」が音の一つ一つに感じられる。英デッカのスタッフはオペラ・プロジェクトと同じように力を尽くしている。ウィーン・フィルの数あるオペラの優秀録音は、ボスコフスキーの魅力が全開する毎年のシュトラウス・ファミリーの録音で磨き上げられたと思えてしまいます。その1975年と1979年のコンサートは録音史にも残るものとなりました。1975年にデッカは〝ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサート〟を初めてライヴ録音し、また1979年のコンサートはデッカ初のデジタル録音となりました。
ヘルベルト・フォン・カラヤン、ヨーゼフ・クリップス、ハンス・クナッパーツブッシュ(以上DECCA)、ルドルフ・ケンペ(EMI)、カール・ベーム(ドイツ・グラモフォン)など、この時期にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とウィンナ・ワルツの名盤を残している指揮者はいるものの、ヴィリー・ボスコフスキーほどの規模で継続的に取り組んだ例はなく、ウィンナ・ワルツやポルカといえばボスコフスキー盤が最も安心して購入できる定盤として長らく親しまれてきました。 ボスコフスキーは長年ウィーン・フィルのコンサートマスターをつとめ、ウィンナ・ワルツが骨の髄までしみ込んだ指揮者だ。指揮者としても活動しており、殊に1955年から〝ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサート〟の創設者クレメンス・クラウスの死に伴い、その後を継いでその指揮を行う様になり、ヴァイオリン片手のソロを交えながら指揮をする、その洒脱な演奏スタイルを含め人気を博します。長い間、このオーケストラのコンサートマスターとして、クラウスの棒で弾いていたわけだから、雰囲気も十分に承知しており、リーダーとして最適の人選だったのだろう。自らヴァイオリンをもつシュトラウス当時のスタイルによる演奏は、それなりの味をもつ。その音楽はクラウスよりいくぶん硬さがあるようだが、ウィーン気質・ウィーン情緒(Wiener Blut)は伝わってくる。その意味で職人気質のうまさを身につけているが、決してそれがマンネリにならず、いつも生気を帯び、そこから生きる喜びが伝わってくる。リズムは精妙で自在、フレーズの隅々まで血の気が通い、あたたかみとほほえみ、やさしさと爽快さがひとつとになり、華麗であると同時に哀感を帯びている。そして人生の酸いも甘いも噛み分けた人生の達人から、この世の生き方を教えられる。20世紀のヨハン・シュトラウスの生まれ変わりとしてウィーン楽団に齎したボスコフスキーの功績は大きい。名手揃いのウィーン・フィルの面々が、いつになくリラックスした様子でシュトラウス作品の演奏に取り組むさまが、聴く度に目に浮かんだものです。

Willi Boskovsky, Vienna Philharmonic Orchestra ‎– Johann Strauss Concert

Side-A
  1. ヨハン・シュトラウス2世 ― シャンパン・ポルカ Op.211
  2. ヨハン・シュトラウス2世 ― ウィーン気質 Op.354
  3. ヨハン・シュトラウス2世 ― 新ピチカート・ポルカ Op.449
  4. ヨハン・シュトラウス2世 ― 愛の歌 Op.114
  5. ヨーゼフ・シュトラウス ― 上機嫌 Op.281
Side-B
  1. ヨハン・シュトラウス2世 ― 爆発ポルカ Op.43
  2. ヨハン・シュトラウス2世 ― ウィーンのボンボン Op.307
  3. ヨハン・シュトラウス2世 ― ペルシャ行進曲 Op.289
  4. ヨハン・シュトラウス2世 ― 喜歌劇『くるまば草』より序曲
ヴィリー・ボスコフスキーは時に指揮棒をヴァイオリンに持ち替え、ソリストとしてオーケストラをリードしましたが、これはヨハン・シュトラウス2世たちが生前に行なっていた演奏スタイルに重なり、いわば往年のウィンナ・ワルツの演奏の姿を20世紀に蘇らせたものともいえ、ウィーン新年の名物として大変な人気を博しました。それほど現在も続いているのはヨハン・シュトラウスの音楽構造の魅力に有るのでしょう。軽やかな娯楽音楽の代表格であるヨハン2世(1825~1899)とヨーゼフ(1827~1870)のシュトラウス兄弟。ヨハン2世のワルツは、リヒャルト・シュトラウスの交響楽章に引けをとらない実の詰まった音楽。生涯を通じて象徴的なものに憧れ続け、それを糧として地道な努力を積み重ねたヨハネス・ブラームス(1833~1897)とは、親交があり、かたや世界苦を一身に背負ったかのような交響曲を書いたグスタフ・マーラー(1860~1911)は、1898年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者となる。華やかにスカートが舞う中で、斯くも水と油の関係にも思える彼らは、実のところ「世紀末ウィーン」という点で密接に関わっている。19世紀に入ってからのヨーロッパでは、それまで主に宮廷や上流階級のものであった舞踏音楽が市民階級にも広がって行きます。中でもワルツは、メヌエットやガヴォットとは異なり、男女が体をくっつけて踊れる最初のものであったので、急速に広まることになります。こうしたワルツの多くがウィーンで生まれ、殊にウィンナ・ワルツの創始者とされる、ヨーゼフ・ランナー、ヨハン・シュトラウス1世がウィーン風な洒落たスタイルに仕上げた事で一世を風靡します。ヨハン1世は3人の息子が音楽家になることを嫌いますがヨハン2世、ヨーゼフ、エドゥアルトも音楽家となり、この時代を牽引します。その他では、フランツ・フォン・スッペ、カール・コムサク、カール・ミレッカー、カール・ミハエル・チーラー等がウィーンの宮廷・貴族社会を中心にウィーンの舞踏音楽を支えます。ウィーン・フィルのコンサートマスターを長年勤め。ヴァイオリンを弾きながら、ウィンナ・ワルツを指揮するボスコフスキーには音楽と一体になった喜びが溢れている。やや速めのテンポ、軽やかなリズム、そして優美な情感を発散するアーティキュレーションはウィーンの人々の生活感情と一致するものであろう。レコードの演奏にもそれがはっきりと出ていて、ボスコフスキーの明るい洗練された演奏に引き込まれる。彼らの演奏は、現在世界各地に溢れているヴィルトゥオーゾ・オーケストラによるモダーンで、洗練された感覚の演奏とはやや性格を異にしている。それはもっと素朴で、ゴツイ手触りをしているとでも形容すればいいのかもしれない。しかし、そこには他のオーケストラではきけない独特の味わい深さがあり、魅力十分だ。
レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。それはちょうど社運をかけたプロジェクトワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』全曲盤の録音期間に当てはまる。ヴィリー・ボスコフスキーがコンサート・マスターとして、ソロと指揮を兼ねたヨハン・シュトラウス・ファミリーのレコードも同様だ。〝指環〟の録音が行なわれたのと同じウィーンのゾフィエンザールで、ジョン・カルショーやエリック・スミス、ゴードン・パリーやジェームズ・ロックといったデッカの名プロデューサー、エンジニアたちが総力を結集して取り組んだ一連の録音であり、演奏・録音面では一切の手抜きが見られない点に大きな特色があります。その録音、臨場感、演奏全てが、満足できる域に達していることは言うまでもない。そして、1979年の「ボスコフスキー ニューイヤー・コンサート」が、同社初のデジタル録音として発売されている。斯くあるオペラのプロジェクトに、ヨハン・シュトラウスの録音が前哨戦と成っていることを思い巡らせながら試聴すると興味深いです。貴方の部屋が写真のウィーンのソフィエンザールの録音セッション会場に様変わりするくらい鮮明な録音です。
私はあくまでヴァイオリニストが本職で指揮は趣味である。 ― と言ったヴィリー・ボスコフスキーが60歳になったとき、〝この歳はヴァイオリニストとしては老年と言えるでしょうが、指揮者なら80歳で充実した年齢と言えるでしょう。したがって、私はこれから指揮することに次第に重点を置くでしょう〟と述べた。彼はことにモーツァルトの曲を愛し、戦前はピアニストのリリー・クラウスとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲を録音している。ボスコフスキーはモーツァルトをウィーン風に軽快に明るく何とも言えぬ美しい音色で演奏する。しかし、彼は何にもまして〝ワルツ王〟ヨハン・シュトラウスを好み、その音楽の権威であると自負している。1970年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を退団したが、かつてのシュトラウスのように〝立ち弾き〟で人気を博した新年コンサートの指揮は続けた。名手揃いのウィーン・フィルの面々が、いつになくリラックスした様子でシュトラウス作品の演奏に取り組むさまが、ライヴ盤を聴く度に目に浮かびます。20世紀の、ヨハン・シュトラウス2世の生まれ変わりとしてウィーン楽壇に齎した彼の功績は大きい。しかし、1979年秋に健康上の理由でこれを辞退したあとは伝統あるヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者として活躍した。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は19歳の〝ワルツ王〟により結成されました。若きシュトラウスは「美しく青きドナウ」など自作ワルツを携え、欧州のツアーを行いました。結果、大成功をおさめ、作曲家とともに楽団はヨーロッパ中の的となりました。現在の楽団は、かつてエドゥアルト・シュトラウス1世が解散したシュトラウス管弦楽団を再建するという建前で、ウィーン放送交響楽団を中心としたウィーンの名だたるオーケストラから選抜された楽団員で、1966年に結成された。そこでシュトラウス一家の伝統の継承者として、エドゥアルト1世の孫であるエドゥアルト・シュトラウス2世が創立者として招かれた。1969年にエドゥアルト・シュトラウス2世が早世すると、その後楽団はウィーン・フィルのコンサートマスター、ボスコフスキーの時代にその名声を確立。その後もヴァルター・ゴールドシュミット、クルト・ヴェス、アルフレート・エシュヴェ、マルティン・ジークハルト、オーラ・ルードゥナーといった著名な指揮者を招いています。ことウィンナ・ワルツの演奏に関してはウィーン・フィルに次いで権威あるオーケストラとなっている。〝ワルツ王〟シュトラウス一族が築いたウィンナ・ワルツの伝統を今に受け継ぎ、聴衆を魅了し続けています。
ヴィリー・ボスコフスキー(Willi Boskovsky, 1909.6.16〜1991.4.21 オーストリア) ― 精妙で自在、血の通ったリズム、優しさと爽快さ、そして華麗でありながら哀感を帯びた達人の世界を表現した、その音楽はマンネリに陥らずいつも生気に満ち、生きる楽しさ、喜びを伝えてくれる。ボスコフスキーは、ウィーンの純美な音楽伝統の化身ともいうべき、まさに〝ウィーン気質〟の音楽家であった。ウィーンに生まれ、ウィーン音楽アカデミーに学び、1932年にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団、翌年からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとなり、1939年から1970年まで30年間もコンサートマスターを務める傍ら、同僚たちとボスコフスキー四重奏団(やがて弟でクラリネット奏者だったアルフレートと組織したウィーン八重奏団に発展)、ウィーン・フィル四重奏団を組織して室内楽演奏に勤しみ、母校で後進の指導にも当たった。1969年にウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者に就任、さらにウィーン・モーツァルト合奏団やボスコフスキー合奏団を指揮して活躍した。ボスコフスキーの存在を忘れがたくさせているのは、何よりも1955年から1979年まで〝ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサート〟を、時に指揮棒をヴァイオリンに持ち替え、弾き振りした時の、これぞウィンナ・ワルツの神髄ともいうべき優雅で爽快な名演によってである。1975年と1979年のライヴ録音盤を含む「ウィンナ・ワルツ大全集」(1957〜1979年、LONDON)と、ウィーン・モーツァルト合奏団を指揮したモーツァルトのセレナード&ディヴェルティメント全集(1967〜1978年、LONDON)は、ともに永遠の遺産といえる。
1957年ウィーン、ゾフィエンザールでの録音。
GB DEC SXL2082 ボスコフスキー johann stra…
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